第118話 学園祭の出し物
王都の飛行場は今日もひっきりなしに客人を飛ばしている。
淡い橙色の空へ向かって、或いは灰色の地面に向かって、鳥の形をしたそれは皆を望む場所へと確実に到着させるのだった。
一週間の夏休みを終えたマゼンタたちも、今まさに小型機から伸びたスロープの下で、蜜柑王女、ボディーガードのフォイーユモルト、土色の三人と向かい合っていた。
一週間の休みのうち初日だけは順調だったが、翌日の肝試し中に起きた事件のせいで、コチニールは別荘で療養、当然マゼンタと葡萄は彼に付き添い、責任を感じたマロウ王子も自粛して、案内役である柑子は彼らを放っておくわけにもいかず、残された緋色も仕方なく別荘近くの湖を泳ぎまくることになったのだった。
コチニールは自分など放っておいて皆で楽しむよう強く言ったが、それで折れるような妹と世話係ではないし、自分が謝れば謝るほどマロウ王子も謝るという悪循環に陥り、結局全員が別荘に滞在、緋色が湖ではしゃぐ、という流れとなった。
それでも柑子と蜜柑は久々の兄妹の再会を堪能していたし、ボディーガードたちも肝試しのような予定外のイベントでとんでもない事件に巻き込まれるよりは警護が楽だったし、緋色に関してはいつどこであろうと今を思う存分楽しめたようだった。
コチニールの体調もすっかり回復し、葡萄もマゼンタも心からほっとし、マロウ王子は最後にもう一度彼に今回の件を詫びた。
「兄君様、どうかご無事で……いえ、どうかお元気で」
そう言って蜜柑が柑子と両手を握り合う。
「うん、蜜柑も元気で」
緋色が王女に言う。「色んな所に連れてってくれてありがとなっ!」
「楽しんでいただけたのなら光栄です」
蜜柑王女は様々な感情を覆い隠すように口角を上げた。
「次にまた来れるとしたら……」と、コチニール。
「冬ですね、一か月はお休みがあるそうなので」葡萄が答えた。
「冬休み長っ!」緋色だ。
コチニールが少年に説明する。「その分夏休みが短いんだよ」
「あ、そかっ」
柑子はボディーガードのフォイーユモルトを見上げて口を開く。
「フォイーユ」
「はい」
「ありがとう」
全身に文字を湛えたフォイーユモルトは僅かに微笑んだ。
「こちらこそ」
「どうかフォイーユたちも元気でいてね」
「柑子殿下も、どうぞご達者で」
「うん!」
柑子が大きくうなずいたその後、彼らが搭乗した飛行機は定刻通りに離陸して、空へと飛び立った。
その白い小型機を蜜柑、フォイーユモルト、土色の三人が地上から見上げている。
「兄君様……!」蜜柑が柑子を励ますように呟いた。
フォイーユモルトはどんどん小さくなる小型機を見上げながら思う。
(大丈夫、殿下なら乗り越えられます、必ず)
文字を湛えた男が確信する視線の先で、小型機は淡い橙色の空へと消えていった。
夏休みが終わり、また日常が再開するカイクウの都、都立チョウサイ軍事学園に向かって。
数時間後、その軍事学園は夕刻を迎えていた。
授業はまだ再開していないため学園内の敷地はいつもと比べてかなり静かだが、帰省したり夏休みを満喫しなかった者たちが、敷地内にちらほらと見受けられる。
もう少し時が経てば橙星の各地に散らばった生徒や教職員らが、続々とこの場所に帰ってくるだろう。だがそれまでにはどうやらまだ時間があるようだ。
彼らが話をする小部屋は、戦闘部の敷地にある校舎の中にあった。
普段は各クラスの座学の為に使われる何ら変哲のない四階建ての校舎は、今は当然誰もおらずしんと静まり返っている。
しかしその校舎の二階にある小部屋の窓に、一人の人間が佇んでいた。
小部屋は細長く冷たいロッカーが両側に並んで、窓の反対側には出入り口の扉が一つだけ。
ここは戦闘部の準備室という名目で、ロッカーの中には誰が入れたのか雑多な物が適当に突っ込んである。きっとそれがこの部屋の用途でそれ以外の何物でもないのだ。
だからこそ都合がいい。
平常時でもほとんど人が立ち寄ることはなく、夏休み中の今なら絶対に誰かに話を聞かれる心配もない。
戦闘部教師チェスナットは、そう思ってこの場所を選んだ。
彼は室内にたった一つ設けられた窓を開け、外の誰もいないグラウンドを眺めると本題に入った。
「殿下方が帰っていらしたね、王都から」
連絡は受けている。彼らが乗った飛行機は王都を飛び立ち、このカイクウの都へと着陸したのだ、定刻通りに。
「柑子殿下は今も体術クラスに留まっておいでで実技試験を受ける気配もないのだろう?まあ、わざわざ急かすつもりはないが……」
チェスナットは一瞬言葉を切った。
「それより問題なのは殿下の周りの方々だ。マロウ殿下はなぜわざわざこの橙星のこの学園を留学先に選ばれたのか、よりにもよって柑子殿下がいらっしゃる時に。それに赤星紅国の守人たち。彼らは王族をお護りする役目を負った者だがまだ若い。だが緋色は去年、赤星の武闘大会決勝戦に出場した程の強さを持っているし、力の使いどころを間違えれば柑子殿下に危険が及ぶ可能性もある。そして一番厄介なのは……」
言わずもがな、マゼンタ……!
チェスナットの脳に鮮やかな赤紫色の少女が思い浮かんだ。彼女が各クラスで見せる能力、イベントでの活躍、それ以外の問題に関しても、まだ入学して半年しか経っていないにも関わらず有り余る点が多すぎる。チェスナットは、無意識のうちに拳を軽く握りしめていた。
「とにかく、柑子殿下とその周囲の方々にはこれまで通り充分に注意を払うように、いいね?」
そう言って彼が後ろを振り返る。
そこにはとある一人の生徒がポツンと立って、チェスナットを見上げていた。
「はい、お任せください」
マゼンタたちのクラスメイトであるマルーンが、穏やかな微笑みを浮かべて答えた。
学園の空を二つの四角い物体が並んで飛行している。
物体は正面から見ると確かに四角い箱の形をしていたが、実際は箱の左右に硬い金属で出来た翼が伸び、奥には尾っぽのようなものが付いていた。
こうして地上から見ると大きさはそれほどでもないように思えたが、近くで見ると箱には奥行きがあり、内部にかなりの荷物を積むことが出来るらしい。
その物体たちが何やらブルブルと轟音を響かせながら上空を並走している。不安定になることもなく、真っ直ぐに。
箱の正体は小型の航空輸送機だった。
今まさにマゼンタと紫星の王子がそれぞれ灰色の輸送機に乗り込んで操縦席に座り、隣で見張る教官の元、授業を受けている。
輸送機はしばらく空を飛行すると、やがて地上へゆっくりと降下して着陸した。
着陸した場所は戦闘部の敷地内にある着陸場だ。
丁寧にならされた灰色の地面はそこそこ広さがあり、その周囲には茶色の葉を実らせた木々が等間隔に植えられている。
通常〝植樹帯〟と呼ばれるその木々の間に、コチニール、葡萄、緋色、柑子、マルーンが並んで、たった今着陸した小型の輸送機をじっと見つめていた。
「輸送機クラスって、いい加減に進むの早すぎでしょうっ!」
葡萄がこめかみの血管を浮き立たせながら叫んだ。
「うん、さすがにちょっと早いかもね。夏休み前に車両クラスを受けてたばかりなのに」コチニールは苦笑いだ。
そんな二人に対しマルーンが説明する。
「マゼンタさんもマロウ殿下も先週車両クラスの筆記と実技テストを合格されたそうですから」
柑子は何も言えずに沈黙する。(お二人共すごすぎます……)
けれど緋色だけはやはり目を輝かせていた。
「いいなー!輸送機超カッケーっ!オレも早く操縦したいっ!」
感動で震える緋色に、葡萄がチクリ釘を刺す。
「救命措置クラスの筆記テストは合格したんですかっ?」
葡萄の攻撃に緋色がガクリとうなだれた。
「まだです……」
「ならそれをさっさと何とかなさいっ。緋色、あなたはちょっと、いやだいぶ遅れていますよっ」
「わ、わかってるよっ」
「あ、ちなみに今のは柑子殿下やマルーンに申したわけではございませんよ。私は一応守人である緋色を鼓舞するために申しましたので、お二人はどうぞお気になさらずご自身のペースでお進みくださいね」葡萄の補足が入る。
「一応って、オレはショーシンショーメイ守人だっ!」と、緋色。
「は、はい」柑子はそう答えながらも内心思う。(でも葡萄さんのおっしゃることは最もだ……)
またいつものように落ち込む柑子王子を、隣に立つマルーンがちらと見た。
すると、輸送機クラスの実習を終えたマゼンタと紫星の王子がこちらへと歩いてくる。
二人は疲れを一切見せることもなく、マゼンタはいつも通りの無表情で、紫星の王子は勿論微笑みながら。
「おかえりなさい」コチニールが二人を出迎えた。
「ただいま」マゼンタだ。
紫星の王子も「戻りました」と答える。
「輸送機どうだった?楽しかった?」緋色が二人に身を乗り出す。
「まあまあ」と、マゼンタ。
「楽しかったですよ、とても」と、紫星の王子。
不意にマゼンタと紫星の王子は互いを見やる。だがすぐに視線をそらしてしまった。
実は今目の前にいる紫星の王子は、マゼンタ以外には紫星のマロウ王子として映っているが、本当はマロウ王子を演じている双子の弟、モーヴ王子なのだ。それをこの場で知っているのはマゼンタただ一人。しかも夏休み中のとある出来事があってから、マゼンタとモーヴ王子はどことなくぎくしゃくとしている。
そんなことを本人たち以外は知る由もないが、コチニールだけは妹たちの微妙な空気だけを感じ取って首を傾げた。
「いいなーっ!やっぱオレも早く輸送機乗りたいっ!」
「じきに乗れますよ」マロウ王子を演じるモーヴが緋色に言った。
「だよなっ!そうだよなっ!」
「そのためにはまず救命措置の筆記テストを合格させましょうねっ」
「はーい」葡萄の嫌味に緋色が唇を尖らせる。
彼らの会話を耳に入れつつ、マゼンタは紫星の王子から顔を背け、紫星の王子もあらぬ方向を眺めていた。お互いに顔を合わせるのも嫌だというより、どう接していいかわからない、そんな風だ。
二人をこっそり観察するコチニールは、
(夏休みが終わって学校が始まってから、マゼンタとマロウ王子はなんかぎこちない。王都で何かあったのかな?)と、傾げた首をさらに押し倒した。
そこへ、遠くのほうからこちらに向かってくる三人の人影があった。
「おーい!」
「あ、ヘンナたちだ」三人に気づいた緋色が目をしばたたかせる。
息を切らしながら走ってきたのはクラスメイトであり友人でもあるヘンナ、ビスタ、ラセットだった。
「ここにいたんだ!」と、ヘンナ。
大男のビスタは「おお、ちょうど全員揃ってんな」と、顔ぶれを見回す。
「ナイスタイミングっ」ラセットだ。
「何が?」興味津々の緋色が三人に尋ねる。
するとヘンナが話を切り出した。
「来月学園祭があるじゃん?」
「学園祭?」
「そう、チョウサイ軍事学園名物学園祭!」ビスタが緋色に答える。
「出店したり、イベント企画したり、なんか発表すると各クラスのレポートが免除されるっつーありがたい名物さ」
ラセットの説明にコチニール、葡萄、柑子は啞然とした。
(それってありがたいの?)と、コチニール。
葡萄も(言わば強制参加イベントじゃないですか)
(レポート免除は嬉しいけど……)と、柑子。
コチニールたちの思いとは裏腹に、仁王立ちをしたヘンナが宣言する。
「それで、その学園祭であたしたちもなんかやろうと思って」
「おうやるっ!スッゲー楽しそうっ!」やはり緋色はノリノリだ。
「まあ、レポート免除は置いておいたとしても参加はしてみたいよね」コチニールも一応緋色に同意する。
「ええ」私はレポート提出でも構いませんが。
葡萄は眼鏡の蔓を押し上げた。彼にとってレポート提出など朝飯前なのだ。
「コチニールが参加するなら私も参加する」マゼンタがさも当然の如く言う。
「うん、一緒にやろう。マロウ殿下たちはどうされますか?」
コチニールに問われた紫星の王子は間髪入れずに答える。
「ええ、私も是非一緒に」
マゼンタがマロウ王子、基、モーヴを一瞥した。
「私もお手伝い出来ることがあれば」
柑子がそう答えて、マルーンもこくこくとうなずく。
「じゃあ全員参加で決まりね!」と、ヘンナ。
「おうっ!」緋色が相槌を打つ。
「それで何か案は出てるの?」
コチニールに聞かれて、ヘンナ、ビスタ、ラセットが声を揃えた。
「メイド喫茶」
橙星は基本的に蒸し暑い。朝から晩まで涼しいと感じることなどほぼないに等しい。
なのに一瞬、凍てつくような冷たい風がマゼンタたちの間に吹いた気がした。
ヘンナら三人以外の全員が声を漏らす。「え?」
「だから」ヘンナが念押しするように声を強めると、
「メイド喫茶」
またしてもヘンナ、ビスタ、ラセットの声がきっちり揃った。
「なっ……⁈」コチニール、葡萄が言葉を失う。
「メイド?」と、マゼンタ。
「喫?」と、柑子。
「茶?」と、マルーン。
マロウ王子を演じるモーヴもポカンとするしかない。果たしてメイド喫茶とは?
「あーっ、なんか聞いたことある!紅国にもあるよ、それっ」
緋色が思い出したように言った。
「でしょーっ⁈だってこれ紅国のアイデアだもんっ!」ヘンナは満面の笑みだ。
「ちょっ、待っ……!」コチニールが慌てる。
葡萄も「メ、メイド喫茶が、どういうものかわかって言ってますっ……⁈」
「あれだろ?メイド服を着た女共が茶を給仕するっつー」ビスタが適当に答えた。
「そうだよっ、その通りだよっ……!」と、頬を引きつらせるコチニール。
何かを察した葡萄は「でもここに女性はマゼンタとヘンナの二人だけですよねっ?その他の我々は、まさか……⁈」
ヘンナ、ビスタ、ラセットの声がまたもや揃った。
「もちろん女装で」
ヘンナたち以外の全員が息を呑んだ。
一瞬だけだが、時が止まったかのようにも感じられた。
「とは言っても、柑子王子とマロウ王子はほら一応王子だからさ」
ヘンナの言葉にコチニールが心の中で叫ぶ。(一応じゃなくて王子だよっ!)
「他のお客さんがパニックになっても大変だし、裏方に回ってお茶とかお菓子とか作ってもらおうかなーって考えてる」
ヘンナの提案に葡萄は心底呆れた。
(殿下方に裏方仕事をさせるとは、それって執事やお手伝いの役目じゃないですか……)
しかし当の紫星の王子は「なるほど、わかりました」あっさり承諾し、橙星の柑子王子も「私もやってみます、料理クラスの腕をここで発揮せねば……!」なぜかやる気満々の様子だ。
コチニールは再度思う。
(メイド喫茶で発揮するための料理クラスではなかったと思いますよっ!)と。
王子たちの承諾を得たヘンナは改めて確認する。
「というわけで、他の男子は皆女装と」
「ちょっとーっ‼」コチニールと葡萄が叫ぶのに対し、
「オッケー!いいよー!」緋色は快諾し、
「僕も柑子殿下が裏方仕事をなさるなら女装くらいは……」マルーンまでもが同意して、残されたコチニールと葡萄は(ええーっ⁈理解ありすぎっ‼)と、彼らを非難した。
「ね、ちょ、待って、緋色、なんでそんな簡単に……?」
コチニールは同郷の少年に尋ねる。緋色だって守人の端くれ、じゃなかった、茜色家の跡取り息子だ。女装に抵抗がないだなんて、そんなことは……
「えー、だって面白そうじゃん」緋色は笑顔で答えた。
「あ゛……」コチニールが言葉に詰まる。
(この子はこういう子だった……)葡萄も思わず額に手を当てた。
「え、じゃ、じゃあビスタたちは?女装ホントにいいの?」
コチニールは大男のビスタと彼の幼馴染みであるラセットに答えを求めた。
戦闘部で日々精進している彼らが、女装を受け入れるだなんて、そんなことは……
コチニールに問われたビスタとラセットは、それぞれ自分の親指と人差し指の先を合わせて丸の形を作ってみせると、
「これが貰えるからな」ビスタだ。
ラセットも「店の売上は山分けできるんだって」
(そこーっ⁈)コチニールと葡萄は心の中で叫びまくった。結局はお金が目当てらしい。
すると見かねたマゼンタが告げた。
「コチニール、葡萄、あきらめろ」
彼女に言われて二人は呆然とするしかない。
女装、決定だ……
落ち込むコチニールと葡萄の側で、ラセットがはしゃぐ。
「メイド喫茶ってめっちゃ儲かるんだとさ!」
ビスタも「なら女装くらい屁みてえなもんだろ」
葡萄は女装という決定事項から立ち直れないまま尋ねた。
「いったいまたどうしてこんなことを思いついたんですか……」
「最初は丁字茶先生が勧めてくれたの」
ヘンナの答えに葡萄はぎょっとする。
丁子茶。体術クラスの教師で、男性ながら同性の葡萄に多大なる好意を寄せている、ある意味彼にとっては有難迷惑な存在だ。
「〝毎年メイド喫茶はお客さんが必ず来てくれるからやってみたらー?〟って。あと〝男子は女装させてみたらー?〟ってアドバイスもくれたかな」
何の悪気もなく答えるヘンナ。対して葡萄は、
(って、これって全部丁字茶先生の策略じゃないですかっ‼)
どこかで丁字茶が自分に投げキッスを送っている気がして愕然とした。
コチニールももう口角を引きつらせて笑うしかない。
二人の反応に気づいているのかいないのか、
「まあまあ、とにかく物は試し、みんなでやってみようよ」ヘンナが諭すように鼓舞する。
「おーっ!やろーっ!」緋色も勿論最初からやる気満々だ。
その時、緋色の背後からにょきっととある人物が顔を覗かせた。
「何をやるんですか?」
その場の全員が声の主を振り返る。
緋色の背後には、アガットと臙脂が立っていた。




