第109話 大物
相手の姿は自分と瓜二つだった。
背中までの真っ直ぐな髪に前髪は眉の辺りで切り揃えられ、透けるような白い肌に完璧な左右対称の顔立ち、身長も体重も体格も全く同じで、学園の白い制服を着こなし、髪と瞳の色は青みを帯びた赤紫色だ。
(あいつだけは、色の微かな違いに気づいたが……)
木の枝を見上げた彼の脳裏に、赤星守人の少女が一瞬よぎった。
「どういうって?」
枝の上に立つマロウが地面に立つ男を見下ろして尋ねる。
「ここは学園の外だぞ、危険が多すぎる」
「心外だな。私がそんな軟に見えるのかい?」
「まさか。でも一人で来たわけじゃないだろ」
「それはもちろん」
マロウの言葉を聞いて、地面の男は溜息をついた。
彼は不意にマロウの隣の誰もいない空間に視線を移すと、
「ヘリオトロープ」そう口にした。
すると突然、それまで誰もいなかったその空間に、男が姿を現した。
見たところ二十代くらいか、背はマロウたちよりほんの少しだけ低く、平均的な体格で、顎までの真っ直ぐな髪に透けるような白い肌、髪と瞳の色は割と鮮やかな明るい紫色だ。服装は白い襟付きのシャツに黒いジャケットと黒いパンツ姿で、見るからに執事といった雰囲気を醸し出している。
その彼が微笑んだ顔で地上の男に返事を返した。
地上の男はヘリオトロープと呼んだ彼に釘を刺す。
「マロウのことちゃんと見張ってないとダメだろ」
「私もお止めしたのですが、どうしてもこちらへ伺いたいとおっしゃって」
「ったく、なんなんだよっ」
そこへマロウが口を挟む。
「だって気になるじゃないか、例の彼女が。いや、君が気にしてると言ったほうがいいかな」
「は?」
「彼女がどういう人間か、どういう能力を持っているのか、把握しておいたほうがいいだろ?」
「だからってここまでついて来るなよっ」
「ふふ、大丈夫さ。それに君たちの前に姿を現すようなヘマはしないよ」
木の枝の上に立つマロウはにこりと微笑んだが、地上の男は再度深い溜息をついた。
水の流れる音がする。
しかもそれはささやかなものではなく、かなり大きな流れだ。
彼女の耳には最初からその音は届いていた。
それがだんだん大きくなり、今はもう、すぐ側まで近づいている。
ぬかるんだ土と木々の向こう側から、森の中とはまた違った湿り気が立ち込めてくる。
足元に灰色の丸い石がちらほらと増えて、目の前の木々を抜ければもうそこに……
「ねえ、本当に緋色たちやマロウ王子を探しに行かなくていいの?今頃すっごく危険な目に遭ってるかもしれないよ……⁈」
コチニールが自分の前をどんどん進んでしまうマゼンタの背中に向けて言った。
「問題ない。皆無事だ」
妹の答えに兄は珍しく瞼を引ん剥く。
(その自信はどこから来てるのっ⁈音が聞こえてるから無事も確認済みってことっ⁈)
コチニールが心の中で彼女を非難すると、相手は急に立ち止まった。
それに合わせて兄も歩を止める。
気づけば頭上に木の枝葉がなく、淡い橙色の空と白い雲が浮かんでいる。
足元も茶色の土ではなく、灰色の大小様々な角のない石で覆われて、目の前には茶色く濁った川が流れていた。
川幅はかなり広く、流れもけっこう速いように見える。川の向こう側には、こちらと同じような灰色の川岸と茶色い森が広がっていた。
「あれ……」
コチニールが呟いた。
「ここ、川だね……」
「ああ」
答えながらマゼンタは川のすぐ側に近づく。
「川って、確か、近づいちゃいけないんじゃ……」
コチニールの記憶が、教師チェスナットの言葉を思い起こさせた。
「らしいな」
言いつつ、マゼンタは自らの靴を脱ぐ。
学園から支給された白い布靴は、既に泥まみれだ。
「ちょ、マゼンタ?何するの?」
「大物を捕まえる」
靴を脱いだ彼女は、両腕の袖をまくり上げた。
「え……?」
コチニールがそう返した次の瞬間、マゼンタは川の中に頭から飛び込んだ。
後に大きな水しぶきの音と、兄コチニールの悲鳴が響き渡ったのは、決して聞き間違いではない。
ビスタがテントを張ると決定した野営地は、夕刻を迎えていた。
狩猟組が今夜の獲物を獲りに行っている間、残されたメンバーはテントを二つ張った。
一つのテントでメンバー全員の寝床を確保出来ればよかったのだが、さすがにその大きさのテントではなかったため、二つとなったのである。
テントを張り終えた彼らは、各々食事の準備をし始めた。
葡萄とラセットが必死になって火をおこせば、ヘンナとマルーンはナイフや鍋を荷物から取り出して、柑子王子に関しては何をするでもなく、ただ辺りを窺いながらずっとソワソワするのが仕事だと言わんばかりに怯えている。
その柑子がメンバー全員に尋ねた。
「あの、皆さん、遅くないですか……?」
「そういえばそろそろ帰ってきてもいい頃ですよね」マルーンが同意する。
「そうね、あんまり遅くなると調理が大変だし、お腹も空いてきたし」
ヘンナが返したちょうどその時、森の奥からガサゴソと何やら音が聞こえてきた。音は何の躊躇もなく真っ直ぐこちらへと向かってきている。
「な、なんか奇妙な音が……!」音に気づいた柑子がビビりまくる。
「あら、帰ってきたんじゃない?」
ヘンナが思わず笑顔になると、やっと焚火を大きくさせた葡萄とラセットが息切れしながら立ち上がった。
ヘンナの言った通り、森の中からやって来たのは緋色とビスタだった。
二人はそれぞれ気絶したイノシシを両腕に抱え、全力でこちらに走ってくる。
「おー、おかえりー」ラセットが友人を出迎えた。
二人はほぼ同時に仲間たちの元に辿り着くと、
「おっしゃー!オレ一番っ!」緋色が我先にと叫んだ。
が、「何言ってんだっ!俺のほうが早かったっ!」ビスタも勝ちを譲る気は毛頭ない。
「うんにゃっ!オレのほうが早かったっ!だろっ⁈王子っ、マルーン!」
緋色が柑子王子とマルーンに確認すると、柑子は緋色が抱える茶色のイノシシを見てプルプルと震えている。イノシシは緋色に頭突きでもされたのか、ぴくりとも動かない。
(イノ、イノ、イノシシ……?)
あ、ありえない……こ、こんなのを、す、素手で、つ、捕まえるなんて……
今にも卒倒しそうな柑子の代わりに、マルーンが苦笑いで答える。
「えと、どうだろう……」
「いやっ、絶対俺だねっ!」と、ビスタ。
「オレだっつーのっ!」と、緋色。
顔を突き合わせて睨み合う大男と少年の間に割って入ったのは、やはりしっかり者のヘンナだった。彼女は呆れたように提案する。
「同着でいいんじゃない?」
「なっ⁈」ビスタが言葉を失くす。
「なんだよそれっ⁈」緋色も鼻の穴を広げた。
「そんなことより、獲物はどうなの?」
ヘンナは二人が抱えるイノシシを見下ろす。
側にいたマルーン、葡萄、ラセットも獲物を覗き込んだ。
ヘンナが言う。
「なんか、大きさも一緒ね」
マルーンも「サイズでの比較は無理そうですね」
「んなこたないって!オレのほうがデカイっ!」緋色が地団太を踏んだ。
ビスタも負けじと「嘘ほざくなっ!俺のほうがでけえわっ!」
「そっちこそ嘘だっ!」
「嘘じゃねーよっ!ちゃんと目ぇほじって見てみろっ!」
「目はほじれないっ!」
大男と少年が言い争う様子を、ヘンナ、マルーン、ラセットの三人は呆れながら眺めている。
「てゆーかなんなのこのやり取り」ヘンナが呟いた。
「男の股間ってヤツだよ」とラセット。
「それを言うなら沽券です……」マルーンが訂正する。
ラセットが自分より年下のマルーンから指摘されたことに恥じていると、ヘンナがあることに気がついた。
彼女が目にしたのはビスタの顔だった。
彼の左頬に、何かで切れたような細い傷ができていたのだ。
「ちょっと、どこで作ってきたの?」
そう言ってヘンナは制服のポケットに手を突っ込む。
「は?」
ビスタが怪訝な顔をすると、ヘンナは取り出した四角い絆創膏を彼の頬に張りつけた。
「あ」
「はい、応急処置」
「サ、サンキュ」
「一応衛生部だからね」
その時、ビスタの中に何かがぽわんと湧いた。
ほんのついさっきまで緋色と言い争っていたのに、彼は今ヘンナを見下ろして瞬きさえ忘れている。
その様子にヘンナは全く気づいていないが、緋色、ラセット、マルーンは目をパチクリさせて首を傾げた。
「それより」ずっと黙っていた葡萄が一歩前に踏み出る。「コチニールとマゼンタは?マロウ王子はどこです?」
眼鏡の彼の言葉に、緋色とビスタが目配せする。
「あー」と、ビスタ
緋色も声を濁して「それが……」
「はぐれた⁈」
葡萄の声がそこら中に響いた。きっと森の中の動物たちにもしっかり届いたに違いない。
「まあ、ざっくり言うとそういうことに」説明を終えたビスタが答える。
「だな」と、緋色も賛同した。
「〝だな〟って、ジャングルの中ではぐれるなんて緊急事態じゃないですかっ!」
「そんなカッカすんなよ、俺たちだって別々だったけどこうして無事戻ってきたんだし」慌てる葡萄をビスタがなだめる。
「そうそう、それにマゼンタがついてるから大丈夫だって」緋色もこれに関してはビスタと同意見だ。
「それは……!」
本当にそう言えるかどうかは……!
葡萄の額に汗がたちまち噴き出ようとしたちょうどその時、森の中からカサカサと物音が聞こえてきた。その場の全員が音のほうに顔を向ける。
「ほら、噂をすれば……!」と、緋色。
ビスタも「帰ってきたみてえじゃん」
やがて森の中からやって来たのは、気絶した鹿を抱えた紫星の王子だった。
緋色の口角が上がる。「お、マロウ王子だ!」
「マ、ママママロウ王子……⁈」それまでイノシシに怯え後ろに下がっていた柑子が、少しだけ前に歩み出た。
「お二人共先にお戻りでしたか」
そう言ってマロウ王子は緋色たちの元へと歩いてくる。
「おー!鹿じゃーん!」
マロウ王子の獲物を見たヘンナが目を輝かせた。
(なんだその反応は)ヘンナを見たビスタが心の中でぼそり呟いた。
柑子が紫星の王子に声を掛ける。
「ご、ご無事でしたかっ……⁈」
「はい、この通り」
「マロウ王子は鹿か!」緋色が王子の獲物を覗き込む。
明るい茶色の美しい毛並みをした鹿が、マロウ王子の腕の中に横たわっていた。
「ええ。お二人はイノシシを捕まえられたのですね」
「おーよっ!」にこりとする緋色。
「つーか」ビスタはマロウ王子の鹿と、自分や緋色が捕まえたイノシシを見比べる。
(俺と緋色のイノシシよりデカい……)
ビスタがその真実に愕然としていると、葡萄が紫星の王子に僅かながら近づいた。
「マロウ殿下」
「はい」
「あの、コチニールとマゼンタはご一緒ではなかったのですか……?」
「ああ、それが、途中ではぐれてしまいまして」
眼鏡の彼のこめかみを大粒の汗が伝う。
「ええっ?マロウ王子も?」緋色は目をぱちくりとさせた。
「あなた方も?」
「うん。オレとビスタも別々に獲物を追ってて」
「そうでしたか」
葡萄の心臓が早鐘を打つ。
ジャングル……未開の土地……何が起こるか、わからない場所で、行方不明に……
葡萄の顔から見る間に血の気が引いた。
それに気づいた緋色が言う。「葡萄っ!そんな心配しなくても大丈夫だって」
「そーよっ、緋色もマロウ王子もビスタでさえバラバラに行動してちゃんと戻ってこれたんだからっ」
ヘンナも緋色を後押ししたが、その台詞にビスタだけは首を傾げた。(俺さえ?)
紫星の王子はメンバーを見回して、
「ああ、コチニールさんとマゼンタさんはまだお戻りではないんですね」
「そうなのよ」ヘンナが答える。
「だから葡萄がさっきからめっちゃ心配してて」と、緋色。
マルーンも「マゼンタさんが一緒ですから大丈夫だって言ってたんだよね」
彼らの考えを聞いたマロウ王子は葡萄に向き直った。「私もそう思いますよ、マゼンタさんもコチニールさんもお強いですから。特に妹君のほうは」
眼鏡の彼は心配と不安しかない表情で紫星の王子を見つめる。
(まさかマロウ殿下にそんなことを言われようとは……!)
すると後ろのほうで黙っていた柑子王子が震えながら言う。
「いや、ここでは何が起こるか、わからないよ……なんせ、危険な動物たちが、い、いっぱい、いるんだからっ……!」
橙星の王子の言葉を耳にした葡萄から、再び血の気が引いた。
「って、柑子王子が不安あおってどーすんだよっ!」緋色が柑子に詰め寄る。
マルーンも我が星の王子に寄り添うと、
「殿下、大丈夫、大丈夫ですからねっ!ひーひーふーっ、ひーひーふーっ」謎の呼吸法を柑子に伝授する。
その光景に緋色、ヘンナ、ラセットは呆れ果てた。
「何なのこれ」とヘンナ。
「〝いきみ〟じゃね?」ラセットが解説する。
「まー、柑子王子はひとまず置いといて」言いながら緋色は葡萄を振り向く。
「マゼンタとコチニールなら心配ない、大丈夫だって。ほら、知ってるだろ?あいつらの強さを。だから信じろって、な?」
「緋色……」
葡萄がライバル一族の跡取りを初めて尊敬しそうになった、その時だった。
背後の森の中から、何やら人の声が聞こえてくる。
「マゼンタ、こっちこっち!」
その声は紛れもなく待ちわびた少年の声音だった。
「ほーら帰ってきたじゃーん!」緋色がにっと口角を引き上げる。
「コチニール……!」
葡萄の肩から力が抜けそうになると、クリムスン家次期頭首が森の中から颯爽と現れた。
「ただいまー。あっ、三人共無事だった!」
コチニールは笑顔で緋色たちの元に駆けてきた。
「おうコチニール!」緋色が出迎える。
「もうっ、緋色たちどっか行っちゃうんだもん!マロウ殿下もっ、とても心配しましたっ!」
「それは申し訳ないことをいたしました」
紫星の王子は素直に謝った。
「でもご無事で本当によかったです。あ、鹿を捕まえられたんですね」
「はい」
「オレとビスタはイノシシっ!」
緋色が抱えていたイノシシを持ち上げる。
「わあ、すごい、大漁だね」
コチニールが無事であることをしっかり確認した葡萄は、フラフラとその場に両膝をついた。
「ちょ、オッサン?」ラセットが目を丸くする。
「葡萄、どうしたの?」
コチニールが眼鏡の彼に近づいた。
「本当に、本当に、無事でよかったです……」
葡萄がコチニールを見上げる。その瞳は涙で潤んでいた。
「えっ、なにっ、なんでそんなに……?」
「もうさっきからコチニールとマゼンタのことを心配しすぎて今にも倒れそうだったのよ」ヘンナが説明する。
「え゛っ⁈葡萄、僕たち大丈夫だよっ、ほら、すごく元気」
「はい、そうですね、本当に、元気そうでほっとしました……」
「もう、大げさなんだから」
「あなたは赤星紅国守人クリムスン家跡継ぎコチニールですよっ!心配するに決まってるじゃないですかっ!」
「はいはい」
「いつもの調子戻ってきたじゃーん」緋色が呆れたように笑った。
その光景を、マロウ王子が意味深長な眼差しで眺めている。
(跡継ぎね……)
紫星の王子が心の中でそう呟く間に、マルーンがコチニールに尋ねた。
「ところでマゼンタさんはどちらに?」
「ああ、マゼンタは今……」
「ま、まさか、マゼンタさんの身に何か……⁈」震える柑子が言いかけると、
「それはねーよっ」緋色が潔く否定した。
その時だ。
大きな何かが大地を踏み鳴らすような音が彼らの耳に届いた。
音は一定のリズムで自分たちのほうに真っ直ぐ向かってきている。
「なっ、ななな……」柑子の震えが増す。
ヘンナもさすがに驚いて「何、この音……?」
「あの、実は……」
コチニールが何かを打ち明けようとするも、柑子、マルーン、ヘンナ、ラセットはさっと身を寄せ合う。何かあるならとりあえず固まったほうが安全、という人間の本能だろうか。
そんな中、紫星の王子だけは首を傾げていた。
「こんなことが以前にもどこかで……」
彼が呟いたちょうどその時、赤紫色の少女が森の中からゆっくりと現れた。
が、その腕の中には巨大な灰色の物体が収まっており、彼女が歩く度に物体の重量で大地が揺れていたのだ。
緋色たちが目を見開いて絶句する。
なんなんだ、これは……?
その物体を見たことがないわけではない。
キャンプ実習前の授業でも習っていたし、何ならたまに学食のメニューに加えられているくらいだ。無論メニューに関しては全体像ではなく、細かく切り刻まれたほんの一部程度だが……
「ワニ、捕まえちゃった」
コチニールは言葉を失っている仲間たちに、言いたかったことをやっと打ち明けられた。
夕闇迫る野営地では、マゼンタ、コチニール、緋色、ヘンナ、マロウの五人が簡易的に作ったキッチンのような場所でひたすら鹿をさばいた。
テントの前に設けられたキッチンでは、折り畳み式の台の上に鹿を載せ、隣には食材や食器を洗うためのタンクに入った水場も設けた。
台や水や食器は勿論学園から持参したものだ。それらとテントをえっちらおっちら言いながら運び、この場所までやって来たのである。
獲物をさばくためのナイフは一応人数分支給されたが、これを狩りに使ってはいけないというルールが課されていた。そのため狩りはあくまで素手で行うが、調理にはナイフを使用していいという謎のルールが出来上がったのだ。
マゼンタたち五人が鹿を細かくさばいていく間に、葡萄とマルーンはさらに火を大きくするため木の枝葉を焚火に放り込み、柑子はプルプルと震えながらその火の上にぶら下げた大鍋を搔き回す。
焚火の奥にはマゼンタが捕まえた巨大なワニと、緋色とビスタがそれぞれ捕まえたイノシシが横たわり、ビスタがそれらの前で呆然と立ち尽くしていた。
そんな親友の側に、手の空いたラセットがやって来て声を掛けた。
大男がラセットを振り向くか否や、彼の口から疑問が溢れ出る。
「なんで鹿?なんで俺が捕まえたイノシシじゃなくて……鹿?」
ラセットはなだめるようにビスタの肩に手を置いた。
ビスタの言いたいことはわかる。だが多数決による決定を覆すのは、さすがに無理があった。
ラセットは神妙な面持ちで親友にゆっくりと頷いてみせた。
焚火の側で鍋をかき混ぜる柑子は、自分の近くで横たわるワニに怯えていた。
(ワ、ワワワ、ワニ……ワニ……)
未だに信じられない。こんなに大きなワニが、自分のすぐ側にいるだなんて……
ワニの全長は大人の男性を優に超えているし、体の幅も大男であるビスタよりあるのではないだろうか。
その灰色の生物はすっかり意識を失って微動だにしないが、もしかしたら目を覚まして今にも動き出すかも……!
柑子がほぼほぼありえないことをグルグル考えていると、焚火に枝葉を放っていた葡萄が、隣で同じ作業をしているマルーンに顔を向けた。
「少しお任せしても?」
「はい、大丈夫です」
彼の答えを聞いた葡萄は立ち上がる。
そして、背後で鹿をさばいている少女のほうへと歩いた。
「マゼンタ」
呼ばれた彼女は手を止めて顔を上げる。
「ちょっとよろしいですか」
マゼンタは言われた通り、その場を離れようとする。
「ナイフ置いて」
眼鏡の彼に指摘された彼女は、はたとしてナイフをまな板に置いた。
葡萄が設営したテント裏のほうへ向かい、マゼンタも彼の後をついていく。
二人の後姿を、鹿をさばいていたコチニールが目で追った。
「葡萄?マゼンタ?」
紫星の王子も鹿をさばく手を止め、二人の背中を盗み見た。
テントの裏に辿り着いた葡萄は、振り返ってマゼンタに告げる。
「いったいどういうつもりですか」




