第108話 キャンプ実習
キャンプ場入口の、そこそこ開けた場所に集められた生徒の多くは、恐らく同じことを思ったに違いない。
なぜこんなに危険な場所でキャンプをしなければならないのか、と。
いくら軍事学園の生徒だからといって、わざわざ都の外に出て危険な動植物がいる場所でキャンプをする必要がどこにあるのか。
しかも服装は学園の制服。
白いぴたりとした長袖の、男子は膝丈、女子は足首丈の上着に、下は茶色のパンツを着用し、汚れるったらありゃしない。
さらに統括の丁子茶先生は今日もゴージャスな女装姿をきめこんで、どっからどう見てもキャンプにふさわしくない。
これで本当にこの場所でキャンプ実習なんか行って大丈夫なのだろうか。
「じゃ、チェスナット先生、何かありますかしら?」
丁子茶はそう言って隣に立つイケメン教師に声を掛ける。
キャンプ統括は確かに丁子茶だが、彼以外にも教師は顔を揃えていた。
例えば今声を掛けられた戦闘部教師のチェスナットしかり、衛生部教師の檜皮しかり。
チェスナットが話を始めると、コチニール、マゼンタ兄妹には苦い思いが広がった。
チェスナット先生はコチニールの母カメリアの現在の夫であり、マゼンタにとっては自分を罠にはめるために兄とその母を利用したろくでもない教師だからだ。
「テントを張る場所は基本的に自由ですが、川のほうは危険なので絶対に行かないでください。それから獲物を獲る際に武器の使用は不可です。あくまで素手で行ってください」
チェスナットの言葉に、大男ビスタと腰巾着ラセットが啞然とする。
「素手って」と、ビスタ。
ラセットも「マジ?」
生徒たちのほとんどが啞然としているにも関わらず、チェスナットは説明を続けている。
「もしキャンプの最中に怪我をしたり体調を崩した場合には」
彼は自分の隣に立つ新人教師に顔を向けた。
「檜皮先生が管理小屋にいらっしゃいますので、こちらまで来てくださいね。以上です」
チェスナットが笑顔で言い終わると、丁字茶が朗らかに告げる。
「というわけで、楽しいキャンプ実習の始まりよおっ!」
教師陣から一応の説明を受け、マゼンタら十人のメンバーは円を描くように向かい合った。
開口一番、ビスタが叫ぶ。
「つーか、またこのメンバーかよっ⁈」
「ウチらのチームとコチニールのチームが合体しただけよな」ラセットも呆れ顔だ。
「いいじゃーん!今回はキャンプなんだしみんなで協力したほうが楽しいよ!」
声を弾ませる緋色に対し、
(なんて前向き野郎……)ビスタとラセットは心の中で罵った。
しかし明るい緋色とは正反対に、なぜか顔色の悪い柑子王子が友人の名を恐る恐る囁く。
「どした?」緋色は隣に立つ柑子に尋ねた。
「いや、私……」
「ん?」
「こういうの、ちょっと苦手で……」
「え?」
「獲物を自分たちで獲るとか、外で寝るとか、夜の森は、な、何があるかわかったものじゃないし……」
「ええーっ⁈料理クラスであんなにヤル気満々だったのにっ!」
「あれは屋内だったでしょう?それに材料も元々全部揃ってたし」
(面倒くさー)緋色は呆れ果てた。
するとマルーンがすかさず柑子をフォローする。
「殿下はキャンプなんてそんな野蛮な行為をしたことありませんものね」
(野蛮て……)緋色は心の中で突っ込みを入れた。
「う、うん。だから……」と、声を震わせる柑子。
それに対しマルーンが自分の両手を握って顔の高さまで持ち上げる。
「大丈夫です、僕たちでちゃんとサポートしますからっ、ね、緋色?」
(体術稽古ならまだしも、キャンプもかよーっ!)
内心緋色が愚痴っていると、例のごとく女子生徒たちがマロウ王子に群がり始めた。
「なんで毎度毎度このメンバーなんですのっ?」
「卑怯すぎるっ!差別すぎるわっ!」
「今度こそマロウ様と同じチームになるはずだったのにっ!」
紫星の王子はいつもの微笑みを浮かべると、彼女たちを優しく諭す。
「仕方ありません、先生がお決めになられたことですから」
「そんなーっ!」女子生徒らの声が見事に揃った。
その光景を、ヘンナは呆れたように眺めている。
「またこれかい」
毎度毎度本当に飽きないねぇ、あんたらは。
彼女がそう思っていると、何かが自分の背後からにゅっと顔を出した。
「ちょっ、トパーズ⁈」ヘンナが目を見張る。顔を出したのは必須科目クラスメイトであり同じ衛生部でもある、やる気は一切ないけど色気はだだ洩れているトパーズだった。
「いいなぁ、あたしもそっちのメンバーに交じりたかったなぁ」
トパーズが気だるい瞳で言う。
「は?なんで、って……」
ヘンナははたとコチニールに顔を向けた。
コチニールは心ここにあらずというか、どこか遠くのほうを見つめている。
「ちょっ、あんた何考えてんのっ……⁈」ヘンナがトパーズに向き直る。
「えーだってぇ、お近づきになるチャンスでしょぉ、一晩一緒なんだしぃ」
「あんた、マジっ……⁈」
「いいなぁいいなぁ、ね、ヘンナ、あたしと代わって、ね?お願い」
「無茶言うなっ!」
まさか自分がある意味狙われているとは全く思っていない当のコチニールは、生徒たちに囲まれている教師、チェスナットを見つめていた。
そんな兄にマゼンタが声を掛ける。
「コチニール」
兄はこちらを見ずに呆然と話し始めた。
「チェスナット先生、本当に生徒たちから人気があるんだね。きっと優しくて、教え方もすごく上手なんだろうな……」
マゼンタは兄が見つめる人物に目をやった。
(それが真実ならいいが……)
コチニールとマゼンタはチェスナットを見つめ続けたが、その彼女たちを葡萄は心配そうに眺めていた。
森は深い。
背の高い、幹も枝葉も全身茶色の巨木から、やせ細って何も身に着けていない木々まで、ありとあらゆる植物がこの地を占めている。
足元には大小様々な草が生え、土は空気と同じく湿り気があって、歩くたびに自分たちが少し沈み込むような感覚を与えてくれた。
葉の多さによっては大地に光が全く届かず、太陽が友人のような橙星では滅多にない薄暗い場所もあるにはあった。
けれども彼女たちが辿り着いたのは、妙に空が開けた空間で日の光が充分に差し込み、そこだけ敢えて木を全部引っこ抜いたのか、背丈のうんと低い草のみが生えているような場所だった。
勿論周囲には鬱蒼とした木々が広がっており、今にも危険な動物たちが襲ってきそうな気配を漂わせてはいるのだが。
「よーし!ここを俺たちの今夜の寝床とする!そうとわかれば早速テントを張ろうぜっ!」
「おーっ!」
ビスタの決定に、ラセットと緋色が右腕を頭上高く掲げる。
「緋色たちは元気だなぁ」マルーンが微笑みながら言った。
けれど柑子王子は先程からずっと森の中を気にして、ソワソワと落ち着かない。
森は危険、森は危険、森は危険、森は危険……柑子の脳にはその文言だけがリピートされていた。
「それよりさ、あたしたちがテント張ってるから狩猟組はさっさと今夜のご飯獲ってきてよ。早くしないと暗くなっちゃうでしょ、獲物だってさばかなきゃいけないし」
「狩猟組?」ヘンナの台詞に緋色、ビスタ、ラセットの三人が首を傾げる。
「ほら」ヘンナはビスタ、緋色、マゼンタ、コチニールを順々に指差した。
「おおっ!オレ狩猟組かっ!」と、緋色。
「やっぱ俺様だよな」と、なぜか誇らしげなビスタ。
「僕もか」コチニールがポカンとすると、
「私が一緒についてる」すかさずマゼンタが答えた。
「あ、うん」コチニールは妹の言葉にどことなく戸惑った表情を見せる。
すると「俺は違った」ラセットが一人ホッとしたように呟いた。
その会話を無論漏らさず聞いていた葡萄が、コチニールの前に立つ。
「気をつけてくださいね」
「わかった」
「マゼンタ、コチニールをよろしく頼みますよ」
「ああ」
「え、オレの心配は?」緋色が葡萄に問う。
「あなたは必要ないでしょう?」
「何この差っ!ま、確かにその通りだけどっ」
コチニールはクリムスン家次期頭首。オレだって茜色家次期頭首だけど、クリムスン家に統合されちゃったからなぁ。この場合オレってどーなるんだ?
緋色の脳に珍しく自分の立場がちらついた。
これから自分はどうなるのか?学園を卒業して、赤星紅国に戻ったら……
しかし彼の思考はヘンナの声に潔く断ち切られる。
「わかったらさっさと行く!あ、大物よろしくね!」
「おうっ!」緋色は元気に答えた。
「任せとけ」ビスタも意気込む。
そうしてマゼンタたち四人が森の中へ向かおうとした、その時だ。
「あの」
「ん?」
ヘンナが振り返ると、紫星の王子が真っ直ぐに自分を見つめている。
「私も行ってよろしいですか?」
「え?」
紫星の王子の言葉にヘンナは驚き、すぐ近くに立っていた葡萄ははっとした。
森に入ろうとしていたマゼンタたちも、紫星の王子を振り返る。
「お、マロウ王子も?」と緋色。
「はい」
柑子が紫星の王子に駆け寄った。「マ、マロウ殿下、本気ですか……⁈」
「ええ、これも貴重な経験だと思いますので。あ、大物獲って参りますよ」
マロウ王子はそう言って柑子王子に微笑んだ。
(そ、そんな……この何がいるかもわからない、未開の地に……⁈)柑子が愕然とする。
橙星の王子が紫星の王子の神経を疑っていると、
「し、しかしここはジャングルです。整備された学園都市内とは違って何が起こるかわかったものではありません……!」
今度は葡萄がマロウ王子に詰め寄った。だが、
「大丈夫ですよ、一応私も体術や剣術の心得はございますので」
マロウのその言葉に、マゼンタは彼をじっと見つめる。
「しかしですね……!」
「まあ王子がいいならいいけど」
葡萄が食い下がろうとしたが、ヘンナが割って入った。
武術が決して得意でないヘンナでさえ、ちゃんとわかっていたのだ。
(実際この人デキる人だし)と。
「それでは後のことはよろしくお願いいたします」
紫星の王子はそう言うと、さっさとマゼンタたちのほうへ向かう。
葡萄は王子の背中に何か言葉を掛けようとしたが、何も言えなかった。
マゼンタは自分たちの側にやって来たマロウを一瞥する。相手はやはり例の気色悪い笑顔をわざとらしく浮かべた。
「よーし!じゃあ行こうぜっ!」
緋色の掛け声と共に、マゼンタたちは再度森の中へ歩を進める。
「つか王子様、ついてきて後悔すんなよ」ビスタがマロウ王子に言った。
「しませんよ」
「大丈夫ですっ、僕たちがついてますっ!ね、マゼンタっ!」と、急に張り切るコチニール。
「……ああ」
マゼンタが無表情ながらも渋々答えると、
「それは頼もしい」マロウがにっこりと微笑んだ。
マゼンタたち五人が森の中へと入っていき、その場に残された柑子たちは狩猟組の背中を見送った。
「ビスター!ガンバレよーっ!」ラセットが右手を上げてブンブンと振りまくる。
「マロウ王子って見かけによらずほんと勇気あるよね、蛇も捕まえてたし。だから女子に人気あるのか?」
ヘンナの考察の側で、柑子はがっくりと凹んでいた。
どうせ私は勇気もないし、蛇も捕まえられないし、しかも素手で……
柑子の落ち込みに気づいたマルーンは、
「べ、別に柑子殿下に勇気がないと言ってるわけではなくてですねっ……!」慌てて我が星の王子をフォローする。
「わかってるよ……」がっくりしながらも柑子は答えた。
前から思ってはいたけど、マロウ殿下がすごすぎるんだよ……なんであんなにお強いんだ……精神的にも、肉体的にも……
ヘンナが紫星の王子を褒め称え、彼と自らを比べた柑子が落ち込む。
確かにその通りだ。紫星の王子は勇気があって人望も厚くて武術にも長けている……だからこそ、葡萄は心配なのだ。
紫星の王子はいったい何をしにこの橙星へやって来たのか。
何のために自分たちの、基、マゼンタの前に姿を現したのか……
その頃彼女たちは、ビスタ、緋色、コチニール、マゼンタ、マロウの順で、森の中を縦一列に進んでいた。
周囲は背丈ほどもある草が生い茂り、一番背の低い緋色はすっかり草の波に覆われてしまっている。
それでも彼女らは先端が尖った草を搔き分けながら、一歩一歩歩みを進めていた。
足元はこの場所もやっぱりぬかるんでいる。
彼女たちの制服、特にマゼンタの白く足首まである上着の裾は、もう既に泥だらけだ。
けれど服装にほとんど興味を持たない彼女は、ひたすら獲物の気配を追っている。
大物。出来得る限りの大物を捕まえる。
今晩と明日の朝食をまかなえるだけの充分な大物を。
そう考えているのはビスタや緋色も同様だった。
勿論皆で協力して獲物を捕まえるのも悪くはないが、このメンバーならどうしたって競争意識が湧いてくる。自分が一番の大物を捕まえる、それに越したことはない。
彼らがそんなことを考えていると、ふと、最後尾を歩いていたマロウが、自分の背後を振り返った。
「つーかよ、素手で獲物を捕まえろとかなくねえか?せめてなんか剣とか槍とか弓とか貸してくれてもよさそうなもんなのによ」先頭を進むビスタが愚痴る。
「他の生徒に間違って当たると大変だから素手なんだって」と、コチニール。
「そりゃそうだけど、今時素手って……」
ビスタの愚痴を聞かされながら、マゼンタは背後を振り返った。
「あー、ビスタ素手で捕まえる自信ないんだ」緋色が大男に突っ込みを入れる。
「んなんだとっ⁈」
「だからずっとブツブツ言ってるんでしょ?」
「ずっとブツブツなんか言ってねえよっ!」
「テント張る場所探す前から言ってたじゃん」
「んなこたねーよっ!」
「ちょっと二人共、こんな所で喧嘩しないでよ」と、呆れるコチニール。
「じゃあビスタがグダグダ言ってる間にオレが先に獲物ゲットするっ!」
そう言って緋色が走り出した。
「あっ!おまえ抜け駆けすんなよっ!」ビスタも緋色の後を追いかける。
「緋色っ!ビスタっ!勝手な行動しないでっ!」
コチニールが止めに入るも、緋色とビスタの姿はあっという間に見えなくなってしまった。
後にはしんとした森の静けさだけが残っている。
「じょ、冗談でしょ?こんな森の中で単独行動なんて……!」
赤星紅国守人一族クリムスン家長男で次期頭首であるコチニールではあったが、やはり未開の地であるこの場所に何も感じないかと言えば、嘘になる。
いつ何が起きてもおかしくない、危険な動物に植物、それらに注意しろって授業でも先生たちにもさんざん言われたし……!
するとすぐ側でマゼンタが自分の名を呼んでいることに気がついた。
いや、さっきからずっと呼んでいたのだろうか。
よくはわからないが、コチニールは余裕のない声音で「なにっ?」と、彼女を振り返った。
マゼンタは兄を見つめて言う。
「あいつもいない」
「え゛っ⁈」
コチニールが彼女の背後に目をやった。
が、そこにいるはずのマロウ王子の姿は、ない……!
「マジ……」
コチニールの口の中がカラカラと乾き、水分は全て全身の汗へと変化していった。
狩猟組からいち早く抜け出した緋色は、草が生い茂る場所から背の高い木々に囲まれた場所に出、ビスタは相変わらず自分の背丈まである草に囲まれている中を、葉の先端に顔を刺されながらも大いに意気込みながら歩いていた。
二人は共にどちらが先に、どちらがより大きな獲物を捕まえるかに情熱を燃やしていたが、後に残されたコチニールはそれどころではない。
彼は緋色とビスタが去った方角と、マロウ王子がいなくなった方角を何度も見返した。
そんなコチニールの隣で、妹のマゼンタはさっきからずっと一定方向を冷静に見つめている。
「どうしよう、先に緋色たちを探す⁈それともマロウ王子⁈僕たち二手に分かれたほうがいい⁈いや、最初に葡萄たちに助けを求めるべきかな⁈」
「コチニール落ち着け」
「そんな落ち着いてる場合じゃないでしょっ!僕たちジャングルの中でバラバラになっちゃったんだよっ!」
今にもパニックを起こしそうな兄に、マゼンタは向き直った。
「緋色とビスタはそれぞれ獲物を探しているようだし、あいつ……マロウ王子も無事だ。だから私たちも奴らとは別に獲物を探そう」
「えっ⁈何言って……!」
「ほら行くぞ」
彼女はそう言うと、緋色とビスタが消えた方角に向かって先に歩き始める。
「ちょっ、なんでみんな無事だってわかるのっ⁈」
コチニールが妹の背中に問いかけると、彼女は振り返ってポツリ答えた。
「音で」
「えっ⁈」
瞬間、コチニールははっとする。
(そうか、マゼンタは……!)
彼女は今はもうその道から離れているが、赤星にいた頃は紅国王宮楽坊の楽師を務めるほどの腕前だった。
楽師にとって聴覚は命。きっと微かな音の違いにも敏感に反応するし、聴き取りたいと思う音を聴き分けることも可能なのだろう。
「でもこのまま別行動するなんて危険すぎるよ!」
コチニールはマゼンタを追いかけて言った。
「大丈夫だ、皆それぞれ心得はある」
「そうだけど……!」
確かに緋色もビスタも、無論マロウ王子も、皆何らかの武術に長けている。
だからといってたった一人で未知の森を進んでいくなんて、無謀すぎやしないだろうか……⁈
コチニールの胸は不安の渦でいっぱいになったが、マゼンタは一切迷うことなくジャングルの奥へと歩みを進めていった。
その頃、コチニールが心配する相手の一人である紫星の王子は、自分たちが進んできた方角とは逆方向に歩いていた。
相変わらず草は自分の胸の高さまであり、腕で搔き分けないと前に進みづらい。
周囲には太い幹の木々が所々にそびえ立ち、その葉が地面を遮らないおかげで、日の光もしっかり大地に降り注いでいる。
そのせいで、この忌々しい草がこんなに成長したんだろうが。
ふと、彼はその場で立ち止まった。
何かが、木の枝の上からこちらを見下ろしている。
彼はその気配をたどって頭上を見上げた。
そして言った。
「いったいどういうつもりだよ――マロウ」
彼が見上げた木の枝に、自分とそっくりな姿をした男が立っていた。




