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イセカイロセカイ  作者: Elisu Arina
橙の章
101/130

第100話 神


 「えっ⁈」緋色(ひいろ)とコチニールが目を真ん丸にする。

「その通りです。遥か昔〝神〟が橙星(だいだいぼし)の民に色光(しきこう)へのなり方を教えました。〝神〟は色光を使って戦い方を学び、来たるべき時に備えるよう言いました。こうして軍事学園が創設され大勢の生徒たちが入学し、様々な戦い方や色光化を学ぶようになり、今日に至ります。戦なんか、もうこの星では起きることなんてないのに……」

なのに私は戦いを、軍事を無理矢理学ばさせられて……!

柑子(こうじ)は泣きそうな顔で、また下を向いた。

マゼンタはそんな彼をじっと見つめている。

 だが柑子の様子に反して、赤人(あかひと)であるコチニールと緋色は何とも受け入れがたい感覚を持っていた。

(なんか、柑子殿下のお話を聞いていると……)と、コチニール。

緋色も思った。(ますますおとぎ話チックだなぁ)と。

柑子は続ける。

「だから〝神〟は存在しているんです!だって私はその〝神〟に言われたから今ここに、チョウサイ学園に通っているわけで……!」

「それはつまり、神と直接お会いして話をなさったということですか?」

マロウ王子の質問に、柑子は言葉に詰まった。

柑子の表情を見た緋色とコチニールは首を傾げる。

「えっと、それは……」柑子の言葉がかすれていく。

マロウはさらに続けた。

「神とは、それぞれの心の中にいる存在だと伺ったことがあります。つまりこうして人と人が会って話をするような感じではなく、自分の心に問いかけたということなのでは?」

柑子が息を吞んだ。

「心の中?」マゼンタがマロウに聞く。

「ああいえ、私も詳しくはわからないのですが。なにせそういったお考えが紫星(むらさきぼし)にはありませんので」

マゼンタは脳内で情報を整理する。

(神は心の中にいる。つまり、自己対話ということか?柑子が神と呼ぶ存在は、自分自身。学園に入学したのは、強くならなければならないと願ったのは、柑子自身?軍事学園を作って様々な戦い方や色光化を学ぶよう言ったのは橙星の民自身?)

彼女が色々と考える側で、柑子は戸惑うような素振りを見せた。

「王子?」

緋色が一応心配そうに彼を呼ぶ。

しかし柑子はまた下を向くと、

「〝神〟は……〝神〟は、確かに存在します。それが真実です」と、はっきり述べた。

マゼンタとマロウはそんな柑子を見つめる。

「ま、まあ、橙星ではそういうことになりますよね」コチニールもこの場をとりあえず収めようとする。郷に入っては郷に従え、と。

 すると緋色が言った。

「でもその神様もけっこう厳しくない?だって王子様なのにさぁ」

「そうだな。しかも第一王子なら自分が戦いを学ぶのではなく、周りの者に護ってもらえばいい」

緋色を後押ししたマゼンタを、マロウは一瞥する。

「私は……王妃様に……母君様に、嫌われているからかもしれません……」

思いがけない柑子の台詞に、場が凍り付いた。

「え……」と、コチニール。

「そ、そなの……?」緋色もそれしか言葉にならない。

柑子は言う。

「母君……王妃の甘草(かんぞう)様は、あまり私のことをよくは思っていらっしゃらなくて……私には妹が一人いるのですが、彼女のことをとても可愛がっていらっしゃるのです。でも私は、ほとんどお話をさせていただいた記憶がなくて、お会いするきっかけがあっても、視線を合わせていただいたことはありません……」

「えー……っ」緋色が愕然とする。

コチニールも「柑子殿下……」と、憐れみを見せた。

マロウに関してはただ柑子を見つめ、マゼンタはそっと兄コチニールの耳元に口を近づけて尋ねた。

「王族とはそういうものなのか?」

「いや、そんなことは……」コチニールは首を微かに横に振る。

少なくとも紅国(くれないこく)の皆様はそんな風では決してないと思うけど……コチニールは祖国の姫君たちを脳内で回想した。

 一旦落ち込んだ様子の柑子だったが、ふと顔を上げると、

「あっ、でも東雲(しののめ)陛下、父君とはお話をさせていただきますし、妹とも普通に親しく接しておりますから、そんなギスギスした関係ではございませんよ……!」努めて明るく言った。

「ただ王妃様にだけ嫌われてるってこと?」

「緋色っ……!」コチニールが緋色の腕をがしっと掴む。

そんなストレートに言わなくても……!

「うん、そうだね……私が住んでいる所も、妹は東雲陛下や甘草陛下と同じ王宮だけど、私だけは生まれた時から少し離れた宮殿で暮らしているし、私を育ててくれたのは付き人たちだったし……」

「ええぇぇっ⁈」

緋色が思わずのけぞった。

マゼンタは首を傾げながら思う。

(妹だけが一緒に暮らせて、自分は生まれつき一緒に暮らせない……)

柑子はさらに話を続ける。

「しかも物心ついた時から体を鍛えさせられて、体術を学ばされ、剣術を学ばされ、強くなれ強くなれと言われて……」

マゼンタ、コチニール、緋色が三人同時にポカンとなった。

「えっ、ちょっと待って」と、緋色が切り出す。

「ん?」

「王子は体術や剣術学んでたの?」

「うん」

「っておいっ!最初聞いた時、何もやってなかったって言ってたじゃん!」

「それは……」

渋い顔をする柑子を眺めて、マゼンタとコチニールは思った。

(やっぱり何もやっていなかった人間の動きじゃなかった)

初めてこの公園で体術稽古をした時から、柑子王子の受け身は完璧だった。

だから柑子は玄人(くろうと)であり、何か事情があって攻撃が出来なくなったのだと思ってはいたのだが、やはりその通りだったのだ。

「だって今は、私は全然……」

「いつから?」

「え?」

「いつから体が動かなくなったんだ?」

マゼンタが柑子に問うた。

「そうそれっ!」緋色も先を促す。

柑子はまたもうつむいた。

「いつの頃からか、王宮内部で私が肉体的、技術的に力をつけていくことが話題になり、それがなぜか陛下のお命を狙っているという噂に変わり、王族たちの中でも私の存在は疎まれるようになって……その頃からでしょうか、自分から攻撃をすることが出来なくなったのは」

「なんて……」コチニールが言葉を失くす。

「なんだそれっ!」緋色は怒り心頭だ。

「でも私に仕えてくれる者たちからは、強くなれと日々言われ、稽古は続いて、けれど私の体はどんどん萎縮するようになってしまって……」

柑子の言葉に、マロウは溜息を漏らす。

「だからとても、体術や剣術を以前に学んでいたとは、言えませんでした」

「そうだったのですか……」コチニールの涙腺が緩んだ。

緋色も(なんか、柑子王子、けっこう辛い人生送ってきたんだな……)そう思いつつ、こっそりマゼンタに視線を向ける。

マゼンタはいつも通りの無表情で、柑子をじっと見つめていた。

 するとマロウが「柑子殿下」と、呼び掛ける。

「はい」柑子は素直に顔を上げた。

「最初に、〝神〟に言われたからチョウサイ学園に通っているとおっしゃいましたよね」

「はい」

「でもその後、今度は甘草陛下に嫌われているからかもしれないとおっしゃいましたね」

「はい」

「神と甘草陛下には何か関係がおありなのですか?」

「あー、そういえば」と、緋色。

マロウの問いに、柑子は穏やかに説明する。

「〝神〟は常に私たちの側におります。王宮にも、私の宮殿にも。ですから萱草陛下と〝神〟が相談して、私をこの軍事学園に入学させたのだと思ったのです。王宮から離すために……」

緋色がポカンとし、コチニールは何とも言えない表情になる。

「現に私の側の〝神〟にも愛想を尽かれ、この学園で体術や技術を学ぶよう言われましたし」

緋色は思った。

(なんかどこまでも神が出てくんなー、オレにはようわからんけど)と。

コチニールは頭の中で状況を整理する。

(つまり柑子殿下の強さが甘草陛下にとってはネックになって、甘草陛下がご自身のお考えで柑子殿下を王宮から離すためにこのカイクウの都に送って、柑子殿下は殿下ご自身でよくよくお考えになったところ、王都ではなくこちらに来たほうがご自身のためにもなると思った、といったとこかな……神様が入り込むからややこしくなっちゃったけど)

赤人である緋色とコチニールがそんな風に思っている隣で、紫人(むらさきびと)のマロウは顎に指を当て、何かを思案している。

彼らがそれぞれ思いを巡らせていると、柑子が悲しげに言った。

「でも、やっぱりこの学園に通っても、こうして緋色に稽古をつけてもらっても、私の体は一向に自ら攻撃を仕掛けることは、出来そうにありません……」

そう、もしかしたらもう永遠に……

 その時、マゼンタの声が響く。

「柑子」

緋色とコチニールがぎょっとした。

「マゼンタ、さすがに呼び捨てはちょっと……」と、コチニール。

緋色も「お、おう。オレら一応守人(もりひと)だしさ、さすがにオレだって柑子王子(・・)って呼んでるわけだし」

けれども当の本人は「構いません」と、虚ろな目をする。

「いいのっ⁈」と緋色。

「しかしですね……!」コチニールも慌てふためく。

柑子は思っていた。(私はもう、王子を名乗れるほどの者では……)

それほど落ち込む彼に対し、マゼンタは言葉を発する。

「もしおまえの」

「おまえっ⁈」と、緋色。

(マゼンタああああっ‼さすがにそれはマズイよおおおおっ‼)コチニールは頭を両手で抱えた。

マゼンタは兄と緋色をさておき、続ける。

「もしおまえの大切な人が目の前で殺されようとしていて」

「はいっ⁈」緋色が耳を疑った。

(ちょっとおおおおおっ‼殿下に何言ってるのおおおおおっ⁈)コチニールは心の中で叫ぶ。

だが彼女にやめるという選択肢はない。

「もしその時、おまえの手の中に敵を倒せる武器があったのなら」

マロウがマゼンタを冷静に見つめている。

「おまえならどうする?」

マゼンタは柑子に問うた。

柑子は目を大きく見開く。(私、なら……?)

緋色が啞然とし、コチニールががっくりとその場に片膝をつく。

コチニールは思った。

(おわた……赤星(あかほし)紅国守人、クリムスン家おわた……)と……




 学園都市カイクウの都ではここの所珍しく雨の日が続いている。

一年のほとんどを晴天の日が占め、雲がかかる日はほぼないに等しいこの都だが、数日前から灰色の雲がせり出して来たかと思うと、あっという間に大粒の雨を滴らせ始めた。

どうやら雨季というものに突入したらしい。

晴れていても湿度が高いこの星は、雨季というもののおかげで植物もすくすく成長するのだが、人間にとってはかなり蒸し暑く、体にかかる負担は慣れていない者にとっては特に厳しかった。

 それでもチョウサイ軍事学園の授業は予定通り行われているわけで、今日も講堂に集まった生徒たちは、至る所で話をしては笑っている。

現在はちょうど昼休憩の時間帯だ。

各々学園の至る所でランチを取った彼らは講堂へ戻ってくると、好きな者たちと好きな席に集合して午後の授業が始まるのを話をしながら待っている。

 コチニールとマゼンタ、葡萄(えび)もいつもよく座る窓際中腹辺りの席に並び座り、その前列の席にはヘンナ、緋色、柑子、マルーンが場所を占めた。

紫星の王子に限っては講堂内において彼女たちとつるむことはなく、マゼンタよりも後ろの席に座って大勢の女子生徒に囲まれている。

 と、緋色が自分の後ろの席に座るマゼンタを振り返り、大声を出した。

「筆記と実技合格したのっ⁈」

「ああ」

「体術も⁈馬術も⁈救命措置もっ⁈」

「ああ」

「なんでそんなことにっ⁈」

「なんでって、合格したのは私だけじゃないぞ」

「なぬっ⁈」

「マロウ王子もだって」マルーンが会話の内容を補足した。

「ええええっ⁈」

マゼンタは自分より後方の席に座っているマロウ王子を振り返る。

マロウはいつもの微笑みを浮かべながら、女子生徒たちとの会話に花を咲かせていた。

 全ての科目の筆記テストはこの講堂で行われる。

テストは自主申告制で、時間があれば好きな時に自由に受けることが可能だ。

申告した生徒は講堂内でばらけるように座り、机上に透けるような画面を表示させると、教師が提示した筆記テストを画面内に記していく。

質問によっては選択、記述と分かれているが、ちゃんと授業を受講し勉強していれば、決して難しいものではない、とマゼンタは思っている。

 実技テストに関しても体術クラスはグラウンドで生徒と一対一になり、体術によって相手の尻を地面につければ合格。

馬術クラスも馬を乗りこなして決められたコースを走れば合格、救命措置クラスもあらかじめ決められた措置を人形に対して的確に行えば合格。

やはりそんなに難解なものではない、とマゼンタは思っている。

「けどあたしも馬術と救命措置はもう取ったよ」

ヘンナが隣の緋色に言った。

「なっ⁈」

「僕も」と、マルーン。

「私もです」と、葡萄。

彼らの申告に緋色は一瞬言葉を失ったかと思うと、がっくり落ち込んだ。

「オレ、実技は全部合格したけど、筆記が全部落ちてる……」

「あ……」事情を察したマルーンの頬が引きつった。

「緋色は実技は完璧だけど筆記ボロッボロだもんね」と、容赦ないヘンナ。

「ボロボロとか言うなよっ、てかマゼンタ進むの早すぎなんだよっ!オレが行くまで待ってろっ!」

緋色はまた後ろの席を振り返って叫んだ。

「なぜ?」

「だって先に行かれちゃったら……!」

オレだけ置いてけぼりにされちゃうじゃん!

 緋色は焦っていた。

マゼンタに負けたくないと言いながら、全てにおいて負かされている気がして仕方がない。

勉強もテストも体育祭も……!

「それはそうと、私も体術の実技が全く受かる気配がないんですよね。筆記は既に取ってありますし、丁字茶(ちょうじちゃ)先生もとても丁寧に教えてくださるんですけど、実技テストとなると全く点がつかなくて、どうしてなんでしょう」

不思議そうな顔をする葡萄に対し、ヘンナが啞然として、マルーンは苦笑いをする。

「それは葡萄ちゃん(・・・)が丁字茶先生のお気に入りだからよ」

ヘンナは鈍い彼に対し真実を述べた。

「なんですかそれは、お気に入り?」

「そ、お気に入り。丁字茶先生が気に入った生徒はなかなか合格がもらえない。なぜなら合格させてしまったら自分のクラスにはもう出られなくなってしまうから。だから葡萄ちゃんは実技で点がつかない、おわかり?」

「し、しかし、丁字茶先生は男性の先生で……!」

「やっだーもうわかってるクセにぃ」

「丁字茶先生は葡萄のことが好きなんだって」緋色は眼鏡の彼を振り返って告げた。とは言っても、自分も体育祭で柑子王子から教えてもらうまで知らなかったのだが。

ヘンナと緋色の言葉に葡萄は愕然とする。意味が、言っている意味が、わからない……

それに対し緋色は「お疲れ様ー」

ヘンナも「次のクラスに進めるといいわね」

「ファイトです、葡萄さん」マルーンまでもがにこりと笑った。

(っておいーっ!他人事かいーっ!)

内心ブチ切れる葡萄の隣で、マゼンタはポカンとしながら一応脳内を整理する。

(丁字茶は葡萄のことが好きなのか)と。

 その時、大男のビスタと腰巾着のラセットが緋色たちの前の席にやって来た。

ビスタは緋色の後ろに座る赤紫色の少女を見上げるなり、

「おいマゼンタっ!もう何十回も同じことを言わせんじゃねえっ!いい加減今日こそツラ貸せっ!放課後、校舎裏、わかったかっ⁈」

唾を飛ばす彼を、少女は無表情で見下ろす。どうやら〝タイマン〟のお誘いらしい。

マゼンタは率直に答えた。

「わからん」

「こらーーーーっ!」

葡萄が呆れる。「これまだ続いてたんですか」

「奴の中ではな」

「あー……」眼鏡の彼は納得したようにうなずいた。

するとヘンナがビスタを見上げて言う。

「雨の日はやめといたら?泥だらけになっちゃうし」

「そういうことじゃねえよっ!」

「それにしつこい男は嫌われるよぉ」

「おまえに関係ねえだろっ!」

「ちょっとっ!唾飛ばさないでよっ!」

そこら中に飛び散ったビスタの唾をヘンナが振り払う仕草をすると、ラセットが親友にすがりついた。

「なあビスタ、さすがにもうアイツはいいんじゃね?一応女子だしさ」

「その女子に負けたからリベンジ申し出てんじゃねえかよっ!」

「執念深いですね」と、葡萄。

「んあ゛っ⁈今なんか言ったかオッサン!」

「オッサンじゃありません、葡萄です」

「ねえねえ」緋色が会話に割って入る。「だからオレが相手になってやるよ、それならいいじゃん」

少年の言葉にビスタとラセットが一瞬固まった。

「ガキを相手にするわけにはいかねえ」と、ビスタ。

「そのガキに負けたのはどこのどいつだよっ!」

「だとしてもガキと授業以外でタイマン張るわけにはいかねえだろ」

「なんだよその理由はっ!」

緋色が鼻息を荒くすると、彼の隣に座るヘンナがある提案をする。

「じゃあさ、マロウ王子に頼んだら?」

「え゛……」ビスタ、ラセットの両名が再度固まった。

「マロウ王子にも負けてるでしょ?だから王子に頼めばいいじゃない」

ヘンナの台詞を受けて、ビスタとラセットは講堂の後方に座る紫星の王子を見上げる。

紫星の王子は、今も自分を囲んだ女子生徒たちと楽しそうに話をしていた。

「い、いや、さすがにそれはちょっと……」とビスタ。

ラセットも「そ、そうだな……」

外交問題に関わりそうだし……と、何だか小刻みに震えそうだ。

二人の態度にヘンナが目を吊り上げる。「どうしたのよ、あの時の勢いはっ」

「るっさい!俺だってな、ちょっとは日々成長してんだよっ!」

葡萄は感心した。

(ビスタが少し頭を使い始めた。橙星と紫星の関係を考慮しているのか?)

 眼鏡の彼がそう考える間にも、緋色がぶつぶつと文句を垂れる。

「だからオレが相手になるって言ってんのにっ、なあ王子っ」

緋色はそう口にしながら隣席の柑子に目を向けた。

だが柑子王子は、ぼうっと前方を見つめたまま何も答えない。

「王子?王子っ」

「……えっ、あっ、ごめん、なに?」

やっと我に返った柑子が緋色のほうを見た。

「もう、聞いてなかったのかよ」

「あ、うん、ごめんね、なんて?」

「……ううん、いいよ、なんでもない」

「そ、そう?」

「最近、なんだか殿下はぼんやりされていることが多いですね」心配そうなマルーンが柑子に言った。

「えっ、そうかな」

「はい。何か考え事ですか?」

「あ、ううん、そういうわけじゃないんだけど……」

口を濁す柑子に、緋色は心の中で突っ込む。

(いや、そういうわけでしょっ。この前マゼンタに……)

緋色の脳内に、赤紫色の少女が柑子に放った言葉が蘇る。


「もしおまえの大切な人が目の前で殺されようとしていて、もしその時、おまえの手の中に敵を倒せる武器があったのなら、おまえならどうする?」


あんなこと言われちゃってさ……!

あれから王子はずーっとなんか考え込んでて、体術稽古にも全く来なくなっちゃったし……

緋色は自分の後ろに座るマゼンタを振り返った。

すると彼女も緋色を見下ろしている。

(いくらなんでも言い過ぎだよっ!)

口には出さず、少年は瞳で彼女に語った。

が、相手には何も響いていないのか、首を微妙に傾げるポーズを取っている。

(王子はけっこう繊細なんだからそこんとこよく考えてあげなきゃっ!)

緋色はまた心の中で彼女に叫んだ。

が、やはり少女は少年の思いがくみ取れず、

(なんだ?)首を傾げたまま固まっている。

 その時、今日はほとんど何も喋っていないコチニールが、ふらりと立ち上がった。

「コチニール?」

マゼンタは兄に声を掛ける。

「ちょっと、トイレに……」

コチニールはそう言って、席の脇に設置してある階段を降りようとした。次の瞬間!

彼の体がふっと傾いたかと思うと、その場にばたりと倒れてしまったのだ。

「コチニール⁈」

葡萄の声がマゼンタの背後から響いた。





















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