第9話 学校というところ
葡萄は絶句した。
今日は朝からマゼンタに服の着方、髪の結び方、我がクリムスン家の概要、簡単な料理を教え、どれも通常であればすぐに覚えられる内容だというのに少女のとんでもない技量により二倍、いや三倍四倍以上の労力をかけさせられ、体も心も脳ミソも疲労困憊を通り越している。だから今頭首が発した言葉はきっと自分の聞き違い、いや聞き間違いなのだろう、そうだろう、きっとそうだろう、そうに違いない、絶対そうだ、それで決定だ。
眼鏡の彼は頭の中でそう思っていた。
しかしその割に大男の瞳は異様に澄んでいた。
まるで少女への純粋な興味、戦う上でどれほどの力や速さ、技を持ち合わせているのか確かめたくて仕方ない、そんな気配さえ漂わせている。
それを感じ取った葡萄は血の気が引いた。
ところが当のマゼンタ本人はというと、
(刀、稽古……)
彼女の中に自分がクリムスンに木刀で斬りかかる場面がまた思い出される。
けれども今度はそれと共に一つの微かな希望が湧き上がってきたのだ。
もしかして、稽古をすることで、何かを思い出すことが出来るだろうか。なぜあんなことが出来たのか、今の私にはわからない。けれど何か、どんな小さなことでもいいから何か、自分のことがわかる何かを……!
少女は左手の拳をきゅっと握って、
「わかった」
そう父親に答えようとした。だが、
「ちょっと待ってください!」
葡萄が彼女と頭首の間に割って入った。
「クリムスン、マゼンタは女の子です。いくらここが守人の家だとしても刀稽古はいかがなものでしょうか……!」
眼鏡の彼は大男を必死に見上げる。
「しかしこの子には素質がある。昨日のあれですぐにわかった」
クリムスンは冷静に言った。
あの身のこなし、力の強さ、速さ……只者ではない。
頭首は娘となった彼女をそう分析していた。
「でも危険すぎるでしょう?木刀だって打ち所が悪ければ致命傷にだってなり得ますっ」
「私なら平気だ」マゼンタが口を挟む。
葡萄は今日何十回目かの呆れた表情で彼女を振り返った。
少女は彼を納得させるように「何も問題ない」
さらにそう後押しする。
(稽古で記憶を取り戻せるかもしれないなら……!)
赤紫色の瞳が輝き始めた。
「と、本人は言っているが」
クリムスンも彼女の考えを知ってか知らずか援護する。
「いえ、問題大有りですよ」
眼鏡の彼は奥歯を噛みしめながら大男を見上げた。
「これから彼女には言葉の勉強があります。聞き取ることはかなり上達しましたが話すことはまだまだですからねっ」
そう言ってマゼンタの腕をグイっと引っ張る。
「えっ?」
彼女の口から思わず声が漏れた。
しかしそんなことはお構いなしに葡萄は彼女の腕を引っ張りながら厨房の出口へずんずん歩いていく。
「ちょっ、葡萄?稽古は?」
「勉強が先ですっ!」
「ええっ⁈」
私の記憶はどうなるっ⁈
マゼンタは心の中で叫んだが既に眼鏡の彼と共に厨房を出てしまっていた。
料理中の男たちが作業の手をしっかりと止め呆然とする間、クリムスンは腕組みをしながら厨房の出口を見つめていた。
今日も白壁沿いの道は静かだった。
整備された車道を走る車は一台もなく、白壁と向かい合うように茂る藪の中にも人っ子一人いない。
けれども白壁と車道の間に敷かれた狭い歩道の上を二人の少年が並んで歩いていた。
彼らは共に四角い形をした布の鞄を背負い、夕日がそれを暖かく照らしているのだが、いくらか背の高いほうの少年はなぜか肩をガクッと落とし、背の低いほうの少年はなぜか怒りに肩を震わせていた。
「なんでマゼンタに、あんなことが出来たんだろう……」
コチニールが呟く。
カーマインのこめかみが兄の言葉にピクリと波打った。
「あんなに素早く動けて、刀を振るう力もあって、しかも自由自在に扱えて、跳躍も……」
「そんなこと俺が知るかよっ!だいたい、当の本人だって記憶がなくて自分でもなんで出来んのかわかってなかったじゃんか!」
弟はコチニールに唾を飛ばしながら怒鳴った。
「うん……」
「だから、あいつが自分自身のことを思い出さなきゃ、なんで出来るのかなんて俺たちの誰にもわかりゃしねーんだよっ!」
何度も同じことを言わせんなと言わんばかりにカーマインはクリムスン家の屋敷に続く門構えの中へ走っていく。
「それは、そうなんだけどさ……」
その場に取り残されたコチニールは再度呟いた。
敷地内に駆け込んだ真っ赤な少年は真っ直ぐ屋敷の玄関へと向かっていた。
アイツのことなんか考えたくない、アイツが父上にしたことなんか絶対思い出したくない、兄貴のグチも今は聞きたくない、とにかく何にも考えたくない!
彼は頭の中でそう思っていたのだ。
ところがそんな彼の前に今一番会いたくない相手が現れてしまった。
彼女はタブレット端末を手に持って何やらブツブツ喋りつつ屋敷から歩いてくる。
(マジかよ……‼)
カーマインは毒づいた。
しかも彼女は彼に気づいてタブレットから顔を上げると、
「カーマイン」立ち止まって声をかけた。
当然ながら彼は妹を無視してその脇を駆け抜けていく。
マゼンタは首を傾げながら小さな兄の後姿を目で追った。
そこへもう一人の兄が彼女の背後へやってくる。
「マゼンタ」
少女は振り返った。
「コチニール」
何だか少し疲れたような顔の兄が立っている。
「ただいま」
「今までどこに行っていた?カーマインも。ずっといなかった」
「ああ、学校だよ」
「学校?」
「勉強するところ。カーマインが小学校で、僕は中学校だよ」
すると彼女は何かを閃き、
「勉強なら私もしている」
と、持っていたタブレットを彼に見せた。
タブレットの画面には細かな文字がびっしりと並んでいる。
「葡萄がこれを見て、言葉に出して読めと言った」
コチニールは思わず苦笑いで、
「あはは、確かにそれも勉強だね」
兄の反応に少女は首を傾げた。
「私がしているのとは違う?」
「うん。僕たちのはもっと、なんていうか……面倒くさいやつ」
「面倒くさい?」
「そう、面倒くさくて大変」
「ふうん。なら詳しく聞かせてほしい」
「ええっ?いいけど……」
兄は戸惑いつつ妹と肩を並べて屋敷へと向かった。
クリムスン家頭首の書斎は障子と襖で囲まれた畳部屋で、部屋の三方は確かにそれらで埋まっていたが縁側だけは大きく開け放たれており、そこから見える夜の庭は物静かに呼吸を続けていた。
室内には幅のある大きな机とそれに見合う椅子が置かれ、机の前には座り心地の良さそうな背の低いソファとテーブルも配されており、今は空っぽのその席も親しい客人が見えた際には遺憾なくその価値を発揮するのだろう。
そして大きな机の椅子にはこの家の主、クリムスンがどっしりと座っていた。
彼は座り慣れた椅子から背を放し、机上にぼうっと浮かんで光を放つ画面をじっと眺めている。
だが画面越しに立っていた男の発言に思わず顔を上げた。
「マゼンタを学校に?」
「ええ、私が教えるのには限界がありますし」
葡萄が淡々と言葉を発する。
「……そうか?」
「はい、一応やることが多々あるんですよ、これでも」
眼鏡の彼は即答した。
さらに胸の中でこう付け加える。あなたの右腕でもありますので、と。
「ですから通わせたほうがちゃんとした教えを受けられるのではないかと」
「しかしな……」
頭首は渋る。
「言いたいことはわかります。マゼンタの年齢で通うとなれば高等学校になりますよね。そこで言葉を理解しているか怪しい彼女が授業にまともについていけるかどうか心配なのでしょう?」
「その通りだ。学ぶことにはもちろん賛成だが、何を言っているのかわからない場所に放り込まれても通う意味がないぞ」
「なら……小学校とか?」
「それは……」クリムスンは呆れる。
「なら……幼稚園ですか?」
「……おい」
「冗談です」
大男は背中を椅子に預けた。
「とにかくこの件は一旦保留にしよう。きっとそのうち一番いい解決策が見つかるだろうから」
葡萄は少しだけ眉をひそめ、
「わかりました。では」さっさと頭首の前から去ろうとする。
けれどクリムスンはそれを許さなかった。
「葡萄」
「はい?」
眼鏡の彼は去りかけた足を止めて振り返る。
「マゼンタの稽古についてだが」
頭首の言葉に葡萄は息を吞む。
「稽古をしたほうがもしかしたら記憶が早々に戻るかもしれんぞ」
眼鏡の彼は大男の前に颯爽と戻ってくると机の上に両手をついた。
「それだけはやめてください、男勝りなことをさせるのだけは絶対に」
「だが本人もそれを望んでいると思うが?おまえだって彼女のことを知りたいだろう?」
「だとしても危険な目に遭わせてまで知りたいとは思いません。クリムスン、何度も言わせて頂きますがあの子は女の子ですっ。だから絶対に武器を持たせるようなことはさせないでください、お願いします」
葡萄の真剣な眼差しに頭首は溜息をついた。
「いってらっしゃい」
「いってきます」
葡萄が見送る声にコチニールが答えた。
今朝もそれぞれ四角い鞄を背負ったコチニールとカーマインが玄関から出て来てトボトボと歩きながら家の門構えに向かい始める。
兄のコチニールが何だか眠そうな目であくびをすると、弟カーマインがそれをちらり横目で見やった。
「昨日あいつと何やってたんだよ」
「あ、カーマイン見てたの?」
「べ、別にそういうわけじゃ……!」
弟は恥ずかしそうに思い切り顔をそらす。
「マゼンタにね学校のこと教えてほしいって言われたから、少しつきあってあげたんだ。学校で勉強してることとか、授業のこととか」
「ふん。あいつ理解出来たのかよ」
「うん、彼女にはまだちょっと早かったかもしれない」
コチニールは苦笑いで答える。
「だろうなっ」
記憶喪失で赤星語もまともに話せない奴が学校の勉強を理解出来るわけがない、カーマインがそう決めつけた時だった。
赤紫色の髪を高い位置で一つに結った少女が彼らの背後に迫った。
「おはよう」
二人はビクッと肩を震わせて振り返る。
そこには自分たちより背の高い妹が仁王立ちで立っていた。
「マ、マゼンタ、おはよう」
兄は引きつったままの笑顔で挨拶を返す。
「な、なんだよっ、びっくりさせんなよっ」
弟は若干キレ気味に言い放つ。
しかし彼女は二人の会話が全く聞こえなかったか、特別気にしていないかのように、
「二人とも今から学校というところに行くんだろう?」
と、純朴な表情で尋ねた。
「うん、そうだよ」と、コチニール。
「だから何」と、カーマイン。
「私もついて行っていいか?」
「はあっ?」
カーマインの口から思わず声が漏れ、コチニールも驚きで目を丸くしている。
兄たちが僅かな間衝撃で言葉を失ったのに気づくと、少女は上手く伝わらなかったのだろうかと思い、
「私も一緒に行っていいか?」再度言い直した。
するとコチニールが、
「それはちょっと……」
「ダメに決まってんだろっ!」
カーマインも言い返す。
「なぜ?」
「なぜって……」兄は戸惑う。
呆れた弟は「あのなあ、学校てのは決められた奴しか行けないとこなのっ」
「決められた奴?」
マゼンタが首を傾げた。
「そう、だからおまえは学校の中に入れないの、わかる?ったく、朝からバカバカしいこと聞くなよな」
カーマインは言い捨てると一人で門のほうへ歩いていってしまう。
少女は無表情ながらも少ししょんぼりして、
「私は、学校の中に、入れない……」
「ごめんね。でも僕らにはどうにも出来なくて……」
コチニールは歯がゆそうに答えた。
昨晩色々聞かれて、マゼンタが学校に興味があるのはわかっていたけど、でもこればかりは僕たちではどうすることも出来ないし……
コチニールがそう思った時、眼鏡を掛けた例の彼が屋敷の玄関からサクサクとやってきた。
「マゼンタ、今朝は早いですね」
兄妹が葡萄に気づいて振り返る。
彼は二人の近くまで来ると、
「どうかしました?」
「あ、いや、それが……」兄が言い淀んだ。
けれど妹は率直に、
「私が学校について行きたいと言ったんだ」
「えっ?」
葡萄の瞳が眼鏡の向こうで跳ねる。
「でも私は決められた奴じゃないから入れないらしい」
「なるほど」
眼鏡の彼は納得したように深く頷いた。
「だから、ごめんって」
「いや、いいんだ。こっちこそ引き留めて悪かった」
コチニールはしょぼんとしているマゼンタを見つめる。
何か、何か、僕に出来ることは……
「葡萄」
兄は眼鏡の彼を見上げた。
「はい?」
「マゼンタも学校に通えるように出来ない?」
マゼンタもコチニールと同様に葡萄を見上げる。
「それは、今は何とも……」
ちょうどその議題をクリムスンと話し合っている最中なんですよね。昨晩は一旦保留にされてしまいましたが……
彼の脳内が頭首とのやり取りを思い返した。
「でもまあ、今日のところは家で言語の勉強がありますから。それにコチニールも早く行かないと遅刻してしまいますよ」
「そうだけど……」
妹は兄に視線を戻す。
「ありがとうコチニール。でも私のために遅刻するの、よくない。だから早く行ってくれ」
「えっと……」
コチニールは一瞬戸惑った。
けど葡萄が渋ってるのに、僕に出来ることなんて何にも……
「じゃあ……ごめんね」
そう言い残すとコチニールは門へ向かう。やはり後ろ髪を思い切り引かれながら。
マゼンタと葡萄は並び立ち、そんな彼を見送った。
学校に行けないのは妹のほうなのに、兄の背中のほうが異様に寂し気だ。
「さて、朝ご飯は食べましたか?」
気を取り直したように眼鏡の彼が尋ねる。
「いや、まだ」
「なら食べて来てください。終わったら約束通り言葉のお勉強ですよ」
そうして葡萄は先程出て来た玄関へ戻っていった。マゼンタが少しずつ離れていく眼鏡の蔓を見つめている。
すると、ふいに彼女の右腕が後ろにぐいっと引っ張られた。
驚いた少女が振り返ると、既に門を越えたはずのコチニールが彼女の腕を引っ張っている。
「コチニール?」
「一緒に来て……!」
「でも」
「いいから……!」
人気のない校庭の砂はほんのり赤みを帯びていた。周囲に植樹された木々も幹こそ茶色だが葉はやはり赤やピンクに染まり、まるで前倣えをするように均等に並んでいる。そこに穏やかな風が吹くと枝葉は柔らかく揺れたが、校庭の奥に鎮座した淡い灰色の校舎だけは微塵たりとも動こうとはしなかった。四階建てのその建物は一見無機質な印象を与えるが、各教室の窓は朝だというのに室内灯を輝かせ、生徒たちの賑やかな声が漏れ聞こえている。昨日の夕方から今朝にかけて自分の身に起こったあらゆる出来事、授業の内容や宿題について、誰のことが好きか誰のことが嫌いか、進路や果ては将来のことまで、彼らは時間の許す限り話題を振り合った。しかしながら敷地内全体に不可思議な音が鳴り響くと、彼らの声はピタリと止んでしまうのだった。
それはコチニールが在席している教室も例外ではない。
彼が現在着席しているのは二階中央辺りの教室だ。
室内では皆左右の布を重ね合わせ帯で締めた服装をし、生徒全員が各々木製の机に向かって同じ方角を向き、誰一人一言も発さない。
だが彼らの視線の先には横長い黒板が壁に設置され、その前には教壇と少しふっくらとした女性が立っていて、彼女だけが一生懸命言葉を放っていた。
コチニールは窓際の真ん中辺りの席に座り、その女性の話を一応聞いている。
けれども先程から視線の端にチラチラと気になるものが映り込み、彼は窓の外へ目を向けた。
そこには一本の割と大きな木が植わっていたのだが、茂る枝葉の間に通常では有り得ないものが猿のようにぶら下がっていた。しかもその猿はコチニールをしっかと観察しており、目が合った彼はぎょっとした。
「マゼンタ、ちゃんとしてっ……!」
彼は窓の外に小声で告げる。
すると言われた彼女はぶら下がった体勢から木の枝の上に跳んで、しゃがむように着地した。
(これが学校の授業というやつか)
少女は興味津々で室内を眺める。
一方兄は妹の奇行にハラハラしながら、
(もう、頼むよぉ。先生に見つかったら終わりなんだからぁ……)
と、嘆いた。
マゼンタは枝の上に座り、室内の黒板に視線を移す。
黒板には六つの丸い図形が円を描くように並び、それぞれの図形の中には赤星語で文字が書かれていた。
「はい、ではおさらいですが、この宇宙には赤星、橙星、黄星、緑星、青星、紫星、これら六つの星が存在していて、この星たちで構成された場所を色世界と呼んでいますね」
女性教師が生徒たちに向かって話す。
(色世界……)
少女も共に授業を受けるように自分の中で復唱した。
「それからもうみんなが知っている通り、各星に住む人の髪の毛だったり目の色だったり血液の色だったりは、それぞれの星が持っている色をしていますよね。私たちは赤星に由来のある赤人なので、みんな赤みのある色をしているでしょう?」
へえ。ここは赤星で、私たちは皆赤人なのか……
マゼンタは関心するように頷く。
「そして、この私たちが住んでいる赤星の隣にある紫星、この星の人々は特殊で謎に包まれていると言われていますが、この紫星とさらに奥の青星。青星は以前にも説明したように、星の多くが機械化されていて、ずっと昔から紫星と戦争を続けていますね。その規模がだんだんと大きくなってきたため、青星は緑星と手を結び、紫星は赤星、橙星と協定を結んでいます。ここまではいいですか?」
その頃、クリムスン家の屋敷では眼鏡の彼が廊下を歩きながら左右の部屋をざっと確認していた。だがお目当てのものは見つからないようですぐに歩を先へ進める。それを幾度も繰り返していた。
そしてとある部屋の前で立ち止まると思い切り室内を覗き込む。
「マゼンタ?」
しかし部屋の中はしんとしていて当然ながら彼女の姿はない。
「まったく、勉強をサボってどこに行ったんだか」
ここで彼はやっと何かに気づいた。
「まさか……!」
三方を校舎の壁に囲まれた庭園にマゼンタが一人ポツンと立っている。
いや、庭園と言えば聞こえはいいが、足元に生えた丈の短い茶色の草たちは手入れがされているというより放っておいたら生えてきた、と言ったほうが正しいのかもしれない。
その場所は樹木も花もなく殺風景で灰色の壁に圧迫されたようなところだった。
ただし壁のそこかしこに開いた窓からは生徒たちの様々な声が降ってきて、彼女はそれらを聞き分けるように頭を後ろへそらしていた。
(これが学校、面倒くさい勉強をする場所か)
そこへ唯一壁で覆われていない空間からコチニールが走ってやって来る。
「マゼンタ、お待たせ!」
少女は顔を下ろすと兄に視線を向けた。
「授業はいいのか?」
「今は休み時間だから」
「休み時間、というものがあるのか」
「うん、授業と授業の間にね」
「ふうん」
「どう?学校の雰囲気は」
「皆一生懸命学んでいる、と思った」
「まあ、一応ね」
「寝てるヤツもいたけど」
「あはは」
「でも、学べるっていいことだな」
コチニールは一瞬虚を突かれた表情になる。
けれどすぐさま納得するように、
「そうだね。言われてみれば、知らないことを知ることができて、自分の好きなものや得意なものがわかって、たくさんの人と接することができるっていうのは、本当はありがたいことなんだよね」
「おまえは面倒くさいって言っていたが」
「あれは、口が滑ったっていうか……まあ、色々あるんだよ」
「色々」
彼は妹を見上げると、
「マゼンタは、学校に通ってみたい?」
「私は……」
その時だった。
並んで話をしていた兄妹の背中に一つの影が差したのは。
「こんなところで何やってるんですか」




