第六話 ミカエルとユーリ・その二
それから数時間後、ミカエルは海軍司令部に戻った。
正門をくぐり玄関に入ると、彼は階段を上がった。そして三階の自分の部屋の前まで来ると、静かに扉を開けた。
部屋の奥には、彼が普段使っている仕事机がある。その隣の秘書官の席では、長い黒髪の美しい女性将校が、机に向かって作業をしていた。
「お帰りなさいませ」
彼女―ユーリ=カッター海軍中尉は、ミカエルの姿を認めると、立ち上がって丁寧に礼をした。
「うん、ただいま」
それを受けて彼はそう短く返した。
「どうでしたか、会議は?」
「ん~、相変わらず疲れたよ。みんな自分たちの要求を通そうと必死なんだ。全く、評議会議員なんてなるもんじゃないな」
自分の席に座りながらミカエルは言った。
あの後、陸軍側は予算の増額を勝ち取ることに成功した。一方海軍側は不祥事のこともあって減額になったが、それでも当初陸軍が主張していた大幅削減は回避することができた。
「まあお気持ちは分かりますけど、それでもやはり私は少佐が評議会議員になってくれて良かったと思ってますよ。そのおかげで私は今こうして海軍にいることができるのですから」
苦笑しながらユーリは言った。
「う~む・・・」
ミカエルは考え込んだ。確かにある海軍将校の上申により彼が調査に乗り出したことによって、今回の海軍の不祥事が明るみに出た。その功績もあって、ミカエルは両軍評議会議員に選ばれた。その結果として、ユーリたちが海軍に復帰することができ、なおかつ活動しやすい環境が整ったというのは紛れもない事実である。
(しかしユーリが海軍に戻ってきたのは、果たして俺のおかげだろうか・・・?)
実際ミカエルが何度も海軍復帰を促しても、ユーリは中々首を縦に振らなかった。彼女が海軍に戻ると言ったのは、同期で尊敬している元上司が復帰するという話を聞いた後である。
(しかもその人物を復帰させたのは、当時無名の国外出身の青年中尉だったのだからな。そう考えると、俺はあの二人に感謝しなければならないな)
そこまで考えるとミカエルは、隣のユーリにチラリと視線を向けた。
「ユーリ」
「はい?」
「お前、今度の日曜日に何か予定あるか?」
「いえ、特にありませんが」
「じゃあその日、俺とどこかに出かけないか?久しぶりに、お前とゆっくり話もしたいしな」
ユーリはミカエルの方を向いた。そして彼の表情をじっと見つめた。
「ええ、いいですよ」
やがて彼女はそう答えた。そして口許に笑みを浮かべた。
次の日曜日―。
「お待たせしました」
首都の中心にある噴水広場で、ユーリは先に来て待っていたミカエルに声をかけた。
彼女は白いブラウスに緑色の春物の上着を着て、茶色のロングスカートという格好をしていた。それは長い黒髪と相まって、彼女のさわやかさを引き立てていた。
その姿を見てミカエルは目を細めた。そして彼女の成長をしみじみと感じた。
「それじゃあ、まあ、とりあえず歩くか?」
「そうですね」
二人はそう言うと、大通りを南へ向かって歩き出した。
「考えてみれば、こうして二人きりでどこかに出かけるのは、初めてのことなんじゃないか?」
「確かに。私たちが出かける時は、いつも家族と一緒でしたし」
「まああの時はまだ子供だったからな」
ミカエルはそう言って苦笑した。
幼い頃、二人は首都の同じ地区に暮らしていた。ミカエルの父親とユーリの母親は共に職業軍人であり、近所には軍人の家は他になかったので、自然と両家は交流する機会が増えた。
「子供の頃のお前は、一見大人しそうだったが、その実活動的で好奇心旺盛なヤツだったな。おかげでいつも色々なことに興味をもって首を突っ込むもんだから、こっちは見ていてハラハラしたもんだ」
「そんなこともありましたっけね?」
顔を少し赤らめながらユーリは答えた。
「私の記憶にある少佐は、いつも真面目で責任感が強くて、どんな時も私を守ってくれるような人でした。まさに頼りになるお兄さんという感じですかね」
「そ、そうか?あまり意識はしてなかったんだが・・・」
少し照れくさそうにミカエルは言った。
「だけどしばらくして、父親の転勤で俺の一家は地方へ引っ越すことになった。別れの日、お前はしっかりと俺の手を握って、目に涙をいっぱいに溜めて見つめてきた。正直胸が痛かったよ」
「私もあの時、生きていてこんなに悲しいことはないと子供心に思いましたよ」
当時を振り返るような目をしてユーリは答えた。
「それから地方をいくつか回った後、俺はまた首都に戻ってきた。そして海軍に入隊し、少佐に昇進した後司令部付きになった。その後俺は、お前と再会したんだ」
「ええ、私も覚えてます。丁度艦長―オルメス大尉が就任の報告をする時に私も同行したんです。部屋に入ってすぐ、一目であなたと分かりましたよ」
「俺もだよ。あの活発な女の子が、こんなに真面目な海軍将校になっていて、少し驚いたよ。立場上話しかけることはできなかったが、あの時ずっと気になってたんだよな」
「私もです。艦長は気がついていたらしくて、後で色々と質問してきました。幼馴染みだと答えると、そういう関係は大切にした方がいいと言っていました」
「そうか。ところでお前のご両親は、今もあの家に暮らしているのか?」
「はい。もっとも私は、別の場所に住んでいますが」
「ふむ。今度挨拶に伺わないとな」
そのような会話をしながら二人が歩いていると―。
「あれ?」
不意に声がしたので二人が顔を向けると、そこには今しがた話をしていたセーラが立っていた。そしてその隣にはヒデカツもいた。
「おう、オルメスとワタベか。お前たち、今日はデートか?」
「ええ。サイクロン少佐も?」
「うん、まあそんなところだ」
ミカエルは隣のユーリをチラッと見ながら言った。
そして彼は目の前の二人をじっと見つめながら尋ねた。
「お前たち、今幸せか?」
セーラとヒデカツは一瞬驚いた表情を見せて、互いに視線を合わせた。
「ええ、幸せです」
「は、はい。そう思います」
ややあって、二人はそう答えた。
「そうか。その気持ち、いつまでも大事にしろよ」
そう言ってミカエルは微笑んだ。
セーラとヒデカツは彼に対して敬礼をした。そしてユーリの方へ軽く頭を下げると、一緒に連れ立って歩いて行った。
「中々いい二人だな」
二人の後ろ姿を見ながらミカエルは言った。
「そうですね。私もそう思います」
「俺たちもあんな風になれればいいけどな・・・」
身体の向きを変えながらミカエルはポツリとそう言った。
ユーリはじっと彼の方を見た。そして胸がトクンと高鳴るのを感じた。
彼女はミカエルの側に近づいた。そしてそっと彼の腕に自分の腕を絡めた。
「ん?どうした?何かあったのか?」
「いいえ。何でもありません、ミカエル兄さん」
そう言ってユーリは、両腕でミカエルの腕をしっかりと掴んだ。
ミカエルはそれを見てフッと笑った。そしてユーリと共に歩き出した。
春の陽気の下、二人は寄り添いながら大通りを南へ歩いて行った。




