鶴海葉蔵 85歳 死因:事故死
オレ様は猫である。名前はクロという。
真っ黒な美しい毛並みと、長い尻尾。大きなくりくりとした瞳が美しい、なんとも素晴らしき猫である。そしてその美しさは見た目だけじゃない。内面も凛々しく、心優しく、立派な猫なのである。
そんなオレ様の相棒は死神レインだ。
レインとの付き合いは、それはもう長いものになる。ざっと3000年程度だろうか?(イエスが生まれた以前からの付き合いだ)
普段はそこそこ上手くやっているのだが、不満がある。
レインはモテるのだ。
見た目はまあそこそこイケてる奴なので、天界の女から凄くモテる。男からも仕事ができるため一目置かれた存在だ。
先日衝撃な出来事があった。レインと天界で買い物をしている時に若い女性三人組(1000歳くらいだろうか?恐らく新人死神だ)と出会った。
このオレ様は美しいので、「可愛い〜」と言いながらその女達に撫でられた。それは当たり前の事だ。レインに対しては何か言いたそうにしたままお辞儀をして足早に去って行った。
まあ、こいつはオレ様より美しくは無いしな。オレ様の美しい毛並みを見て惚れ惚れしない奴は、居ないだろう。
しかし、その後オレ様は見てしまったのである。先日あった女性3人組がコソコソと話しているのを。オレ様は、商店街(天界にも商店街はある。人間だけのものだと思うんじゃないぞ。)を何か無いか散歩していた。そこで、現世から輸入した、今天界ではやりのタピオカジュースを飲んでいる女性3人組を見つけた。
テーブルに座りながら三人で何やらコソコソ話している。
「この前会った猫ちゃん可愛かったよね〜。気さくに喋ってくれるしさ〜。」
お、オレ様の話題が!?そうか、オレ様は可愛いもんな!!
誇らしげな気持ちで聞いていると、聞き捨てならないセリフが聞こえてきた。
「てかさ、やっぱりレイン様超かっこよく無い!?」
「ほんと、かっこよすぎ〜。恥ずかしくて目合わせられなかったよ〜。」
「だよね!それで、仕事も超出来るんでしょ。やっぱり結婚するならああいう人としたいよね。」
先ほどの高揚はどこにやら、崩れ落ちる様な気持ちでどうにか立ち上がった。
な、なんだと!?オレ様よりレインが敬われる様な存在なのか。
この美しくてかっこいいオレ様よりも、ただの死神に興味があるのか。
そう考えてみると、普段の生活でレインに次々と不満が浮かんできた。
オレ様がにゃあと鳴けばご飯を持ってこなくてはならないし、膝の上に座れば俺様を撫でなければならない。
あいつは、オレ様への対応が杜撰なんだ。
オレ様と一緒に暮らしているのだから、オレ様ファーストにならないと。
オレ様はレインの膝にお座りしながらそう思う。
ここは、レインが開いた死神事務所だ。役員はレインとオレ様だ。
高齢の死神から借りたアパートの一室を拠点としている。10畳程度の室内に、白地に黒猫が書いてあるカーペットに隅に植物が置かれている。
2人がけのソファが置かれてその間に長テーブルがある。レインはソファに腰掛けている。
黒い瞳は、オレに興味も無いのか顧客のプロフィールを追っている。
今回の相手は鶴海葉蔵。85歳。
明日、事故で亡くなる予定だ。
顧客に会いに下界に降りていったオレ様達を待っていたのは、ベンチでぼんやりと座っている爺さんだった。
遊具が少しだけある小さな公園で座っている爺さんは、非常に弱々しく見える。
白髪混じりの髪にやや腰は曲がっている。上はチェックのスウェット、紺色のズボンを履いている。まさしく何処にでもいる爺さんだ。
こいつが、今日の人間か。
レインは、爺さんの前に姿を現し説明をしようとしていた。その前にオレ様がどれだけ素晴らしい猫か、この爺さんに分からせてやらないと!
「ふはは、そこの人間。オレ様は、クロだ!!」
ふっふっふ。これで人間は、猫が喋ったと驚いて恐れ慄くだろう。それに、そんな恐れ慄く人間を見て、レインはそこらの猫とは一味違うと再認識する事だろう。
そう思い、爺さんを見つめたら…一瞬こちらを見つめてすぐ下を向いてしまった。
なんと言う事だ!?このパーフェクト可愛いオレ様を無視だなんて!?
「クロが失礼しました。初めまして。貴方は、鶴海葉蔵様ですね?私の名前はレイン、死神です。死神の仕事は、亡くなる方に対し告知をさせて頂く事です。」
「貴方の命を終わりにしに来ました。24時間後貴方は亡くなる。それまでにやり残した事を無くし、現世との未練を断ち切ってもらいます。この世に未練をなくし、生きてください。」
「未練なんか、この世に無え。」
そう言って、ズカズカと歩いて公園を出て行ってしまう爺さん。
オレ様は、ポカンとその様子を見ていた。
なんと言う事だ!?
今まで未練はないと言ってきたやつは居るが、ほんの僅かだ。
「そんなことは無いのではないですか?今は17時なので、明日の17時まで貴方に時間をあげます。」
そう言ってレインは、爺さんを見守るよう宙へと浮かび後を着いて行った。
爺さんは、何にも興味が無いようにそのまま日常を続けていく。
そのまま自宅であるアパートに帰り、インスタントの味噌汁をお椀に開けケトルで沸いたお湯を入れる。
炊いてあったご飯を盛り、おかずは納豆と漬物。
そして炊いた風呂に入る。
そのまま敷いた布団に横になろうとした。
「おい、爺さん!!お前、もうすぐ死ぬってのにこれで良いのか!?やり残したことは!?」
オレ様が思わず助け船を出し、声をかける。
爺さんは、目つきの悪い両目をこちらを向いてジロリと睨みつけてくる。
なんという怖さ。この爺さん、最初から思ってたが口も目つきも悪いな。
このオレ様になんていう態度!?
オレ様は、何も言えずただ寝ている姿を見るだけだった。
そして朝起きて食事を摂り、午前9時。買い物に行くみたいで俺様達は、一緒に着いて行った。
その時だった。
ニャア、と声が聞こえた。
オレ様は声の方を見てみると、スーパーの入り口の脇に猫が捨てられて居たのだ。ダンボールに入れられた白い猫だ。捨てられて時間が経っている事とずっと外に置かれていたせいか弱っているように見える。
「な、なんという事だ…!?」
このオレ様と同じ種族である猫を捨てる人間が居るなんて!?
「お、おい!!爺さん!?そこの猫をどうにかしろ!!俺様と同じ種族が可哀想だろ!?」
「オレには興味がねえ。」
そう言い、スーパーに入っていく爺さん。
「なんだとぉ!?猫が捨てられて居ても興味が無いとは…。なんて冷たい人間なんだ!?」
そんな一匹と一人ののやりとりをニコニコと笑いながら見ているレインが居た。
スーパーでの買い物中、何度も、それはもう煩い程オレ様は声をかけたがそれに対しこの爺さんは何も返事が無かった。
買い物を終えて再度ドアのところに戻ったが、今度は新たな人間がいた。
じぃー。
そんなSEが入りそうなくらい、猫を見ている子供がいた。年は7歳か8歳くらいだろうか。
黒髪に、大きな目、半ズボンから覗く足は膝小僧に絆創膏が貼ってある。
小さな体には自分よりも大きなランドセルが、背負われている。
人間の子供だ。
「お、そこの子供が猫を助けてくれるのか!?爺さんより役に立つでは無いか!?」
そう言い、子供の周りをうろちょろするクロ。
それを見て居た爺さんに子供は気づき、見上げてくる。
知らない大人、しかも目つきが悪い相手にやや声を震えさせながら言ってきた。
「この子、死んじゃうの?」
そう言って、じっと見上げてくる。その瞳は雫が溜まっており今すぐ零れ落ちそうだ。
爺さんは、その様子を見てスーパーの袋から何かを取り出す。
水だ。それをお椀型にした手の中に入れ猫の前に差し出す。猫は、最初人間の手にびっくりして寄らなかったが、次第に気を許し近寄って行った。猫は舌を出しぺろぺろと水を飲んでいる。
「わぁ!猫が水を飲んだ!!お爺さん、ありがとう!!」
子供は爺さんに笑いかけた。
その笑顔に、爺さんはなぜか少しびっくりしたような表情をした。
レインは子供と一緒に猫を見ながら、その表情の変化に少し口角を上げた。
オレ様はその一部始終を見て驚きを隠せなかった。
オレ様の言うことは聞かなかったのに、子供の言う事は聞くと言うのか!?
内心腹立たしい気持ちでいっぱいだがそこは素晴らしく美しい猫であるオレ様は、そんな事おくびも出さない。
「やっぱり喉が渇いてたのかなぁ。あ、あとご飯を食べなきゃ。猫のご飯って何を食べるのかな??スーパーだったら、売ってるかも。」
そう言い子供はランドセルから小さいポーチを取り出した。それは車が描かれた小銭入れで、勢いよく中身を取り出す。出てきたのは10円玉2枚と50円玉一枚だった。
「あ…。」
子供はしゅんとして、猫を見つめる。
その様子を爺さんは、眩しい物を見るように見て居た。まるで、宝物を見つめるかの様に。
不意に爺さんは、スーパーの中に入って行った。5分程経つと、何やら紙袋を片手に出てきた。
「ほれ。」
子供に袋を広げて中身を見せた。子猫用のウェットフードだ。それを猫の前に差し出す。
水の件で爺さんを信用したのか、猫はすぐ猫缶に口をつけた。
「おじさん、ありがとう!!おじさん、優しいんだね。僕の名前は、田谷裕太!よろしくね。ねえねえ、おじいさんは名前なんて言うの。」
「……名乗る程の者じゃねえ。」
「えー、なんでー?おじいさんの名前教えてよ〜。」
怖い見た目に反して、一連の行動で信頼出来る人だと思っているみたいだ。
何度も話しかけていく様子に、流石に折れたのか爺さんは答えた。
「鶴海葉蔵だ。」
「じゃあようちゃんだ!!よろしくね。」
そう言い、手を差し伸べてきた。
それを見た爺さんは、僅かに右手を差し出して…またポケットにしまった。
「坊主、お前その猫の飼い主探すのか?」
「うん!!新しい飼い主さんを探そうかなって。僕の家はマンションだから猫飼えないし…、この猫ちゃんだって、ひとりぼっちは寂しいと思うし。」
そう言って猫を撫でるとニャアと鳴いた。
「よし、僕とようちゃんで猫の飼い主探しをするぞー!!」
「はぁ!?なんで俺まで…」
爺さんは声荒げたが、裕太を見ると何も言えないみたいだった。
「そうこなくっちゃな。オレ様も仲間のピンチに協力してやるとは、中々良い子供では無いか!」
オレ様は悠太の周りをウロウロと歩く。
「んー?なんだろ、今なんか変な感じがしたような??」
きょとんとしている悠太。オレ様達は人間には見えないが、たまに子供や死期の近い大人には気配を感じたり見えたりする。悠太も姿は見えないが、気配を感じているみたいだ。
その後裕太達は、スーパーのお客さんに声を掛けて行った。
「あの、捨てられた猫が居るんです。良かったら、飼ってくれませんか?」
ここは都会。マンションに住んでいる人が多いせいか、申し訳なさそうに断る人ばかりだ。
それを見かねた爺さんが助け舟を出した。
「坊主。ここら辺はマンションばかりだ。猫を飼えない奴が多いだろ。もっと住宅街の方に行ったほうが良いだろ。」
「分かった!ねえ、ようちゃん!住宅街って何処ら辺にあるの??」
そう問いかけると、爺さんははぁとため息をつき住宅街へと向かった。
◇
「疲れたー!」
足をだらんと伸ばし、その場に座り込む悠太。
最近の人間は情けないな、とオレ様は思った。
ここは近くに住宅街のあるコンビニだ。入り口から少し離れた所で少し休んでいた。
あれから、住宅街に行き声をかけたが中々飼い主は見つからない。時刻は、15時を回っている。
「坊主、飲み物買ってやる。何が良いか。」
「わー!やった!ありがとう!じゃあ、コーラが飲みたい。」
そう言い、爺さんは悠太を置いてコンビニに入った。その後猫と一緒に待っていた悠太だったが、「僕もようちゃんと一緒にコンビニ行きたい」と中に入って行った。
コンビニから出た瞬間だった。
「あ!猫ちゃん!」
小学生の男の子達が、何やら猫の周りで集まっている。よく見ると猫を木の棒で叩いて遊んでいたのである。猫は、怖いのかよく鳴いている。
「そこの坊主ら!!猫で遊ぶんじゃねえ!!」
そう爺さんが声をかけると、小学生達はびっくりした様に逃げていった。
「猫ちゃん…。」
「すぐ見つけたから、命に別状は無さそうだな。」そう言って、オレ様はは声をかけた。
「坊主、俺も悪かった。」
ハッとした様に顔を上げる悠太。
「違うよ!!ようちゃんは悪くない。僕が目を離したから…。」
「…。」
「こうやって、簡単に傷つけてくる人って居るんだね。僕気づかなかった…。これからは気づいてあげないと。大切な人や物を守れるように」
その言葉に、爺さんはハッとした様に悠太を見た。
その後も飼い主探しを始めた。
悠太の表情は、先ほどよりどこか凛々しく感じた。
そして、ついに。
「え、飼ってくれるんですか!?」
飼い主を見つけたのである。住宅街に住む、母親と幼稚園くらいの女の子が家から出てきて玄関口でお話をする。
「ええ、良いわよ。」
母親はニコニコ微笑んでいる。女の子は笑いながらダンボールに入っている猫に声をかけた。
「よろしくね、猫ちゃん。」
親子と悠太の会話を離れたところで見ていた爺さんは、気の抜けた顔をしていた。
「爺さん、時間はあとほんの少ししか無いぞ。本当にやり残したことは無いのか?」
オレ様は、思わず声を掛けた。
「クロ。少し昔話をしても良いか?」
悠太は、親子と猫の話で盛り上がっている。
騒々しい周りと比べて、小さな声で話し始めた。
「50年前、妻と息子を亡くしてるんだ。あれは…忘れもしない。息子の誕生日の日だった。仕事が長引いていたあの日、俺は息子の誕生日に一緒に過ごせなかった。そして、妻が息子の誕生日をレストランで祝った帰り道、酔っ払いの車に信号無視で突っ込まれたんだ。即死だった…。」
声が僅かに震えている。
「…今まで、俺はなんで生きてるんだろうなと思って生きてきた。ずっと後悔ばかりで、犯人が憎たらしかった。きっと妻も息子も痛かったし、怖かったはずだ。もっと生きたかった筈だ。…それなのに、犯人は10年前刑務所から出てきた。傷つけた奴は簡単に、生きていくんだよな。」
そして、一息つき声をしゃくりあげた。
「裕太を見ていると、息子を思い出すんだ。元気で、とても優しくて大切な息子を。…悠太は凄いな。後悔した事があっても、前向きに生きる事が出来て。俺は…ずっと後悔ばかりで、死にたくて仕方なかった。あの時一緒に死にたかったんだ……。」
オレ様は、それに何も答えられなかった。
◇
周りはオレンジ色に染まっていて、もう夕方になっていた。そろそろ子供は帰る時間だ。
「ようちゃん、今日は本当にありがとう。」
「礼には及ばない。」
「本当にありがとうって思ってるんだよ??それに、ようちゃんと友達になれて嬉しかった。また遊ぼうね!!」
そう言った瞬間だった、我慢していたものがポロリと零れ落ちて行った。
爺さんの目から涙が、溢れ出した。
「え、ようちゃん、どうしたの?痛いところでもあった??」
爺さんを心配そうに問いかける。
爺さんは、悠太の問いに答えられなかったみたいだ。口を開いては、閉じて。
俺はもうすぐ死ぬんだ。
そう言いたくて、言えなくて。
また口を閉じてしまった。
そして、言えない言葉の代わりに祈る様に話しかける。
「悠太、これから起きることはお前のせいじゃない。……俺は、お前に出会えてよかったと思う。本当にだ。……だけど、これは俺のわがままだな。この後のことを考えたら……ああ、本当は会わないほうが良かったんだ。お前に辛い想いをさせてしまう…」
それに対し、悠太は強く言葉を出した。
「なんで??だって会わなかったら、友達になれなかったでしょ!」
「ああ、そうか。そうだな…、そうだよな。」
そう言い、涙を手で拭くと初めて笑顔を見せた。
「もう大丈夫だ。夕日が目に沁みたみたいだ…。また、会おうな。」
「うん!!ようちゃん、またね。」
悠太は太陽みたいに微笑んだ。
それから何度も後ろを振り返り、手を振りながら帰っていった。
その様子を爺さんは、呆然と見つめ呟いた。
「ああ……また後悔が出来ちまった。」
ふらふらと覚束ない足で、歩いて行った矢先…
歩道に突っ込んできた自動車にぶつかり、亡くなった。
◇
悠太は呆然とニュースを見ていた。
朝起きて、学校に行く前いつも見ているニュースがある。そのニュースで近くの歩道に突っ込む自動車の事故をやっていた。
被害者は…鶴海葉蔵。ようちゃんだ。
テレビに映る顔は、昨日会った時より若く知らない人みたいに見える。犯人は、若者が猛スピードで突っ込んだと言う。
大切な人は簡単に、傷つけられてしまう。
その後すぐ違うニュースに変わっていった。
悠太は、混乱した頭で思い出す。
“お前に辛い想いをさせてしまう”
そんな事無いよ。本当だよ。
きっとようちゃんは全ての顛末を知っていた。
それでも、それでも。
きっと会えて良かったんだと思う。だって、優しくしてくれた事も、友達になれた事も凄く大切で宝物だから。
そう思うのだ。
だから、やっぱり気づいてあげないと。大切な人を守れる様に。
悠太の人生は続いていく。
◇
「ところでクロ。今回はいつも以上にお客様に積極的に関わってましたが、どうしたんですか?」
「お、オレ様は、レインに凄い猫だと思われたかったのだ!!」
「そんな事、とっくに思ってますよ。」
レインはずっと昔を思い出した。天界で一人で歩いている時、雨が降っている道端でクロは捨てられていた。それを拾ったのは、レインだ。それからの毎日は、素晴らしいものだった。
そして、レインは思い知ったのだ。今までの毎日は孤独で、辛く痛いものだったと。
「フフ、本当に凄い猫だと思ってますよ。」
だって、レインの鉛のような心を溶かしたのはクロなのだから。