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2-3

 学院は必修科目と選択科目に分けられ、各自で必要な講義をうけることになる。講義内容も魔術の有無や成績により選択できるものが変わってゆく。魔術に関する講義は座学と実習があり、座学は魔力の有無に関わらず聴講でき、実習は魔力がある生徒のみが対象となっていた。


「ルーファスの術式は、ほんとうに綺麗ね」


 セシリーの隣に座っている、友人のドーマー子爵令嬢であるアン・ドーマーは惚れ惚れするように呟いた。アンの魔力は少なく実習は苦手だったが、うつくしい術式を見るのが好きなのだと、よく周囲に話していた。

 今も、実習中にルーファスが手本として描き出した術式を眺め、ため息をひとつふたつ溢した。それがまるで恋する乙女のようで、セシリーの形の良い口角が僅かに上がる。アンがルーファス自身に興味がないことは、ずっと一緒にいるあいだに良く分かっていた。彼女は、ルーファスの描く術式しか見ていない。


 セシリーも、実習室の中心で術式を描きだすルーファスを見つめる。その真剣なまなざしを術式に向かって落とす横顔を視線でなぞった。


(術式もそうだけど、わたしはルーファスの使う魔術の痕跡の方が好きかもしれない)


 ルーファスは秀才だと周囲に言われている通り、無駄のない術式を構築する。しかし、魔術を使うときにきらきらと爆ぜる光のうつくしさや柑橘の香りのする魔力を、セシリーは好んでいた。

 そしてなにより、セシリーは秀才と呼ばれる彼がそのうつくしい術式を構築するまでに試行錯誤を繰り返していることを知っていた。ひとつの術式にのめり込み、納得のいくまで構築しなおす。その努力のうつくしさを知っていた。

 魔力を持たないひとでも使用できる術式、という今回の課題のために彼が書いているのは、アマベルのために何年もかけて作りこんだ術式だった。それを、惜しげもなく披露し。


「今回の術式でポイントとなるのは、ある程度の魔力を含有させることです。しかし、ただ魔力を持たせようとすると少しずつ空中に放たれてしまうため、一定期間保持するような仕組みを作る必要があります」


 術式を書き終えたルーファスが、普段よりも丁寧な言葉で淡々と解説を加えてゆく。長いゆびさきが曲線を示しながら軽やかに動き、それを彼の乾いた声が追いかける。セシリーとふたりで庭の片隅で課題を熟していた頃が懐かしく、その声音の心地よさに身を委ねかけたセシリーは隣に座るアンにそっと腕に触れられて、ハッと意識を前方に戻した。

 そのとき。説明をしていたルーファスがゆるやかに顔を上げ、その視線がセシリーのことを貫いた。息を溢すように微かに笑ってみせたルーファスは何事もなかったかのように、彼の隣に立つ教師に視線を向けた。心臓がひとつ、大きな音を立てたような気がして、セシリーはさりげなく胸を押さえる。ルーファスが笑ったと気が付いたのは彼女だけであると思うくらい、ほんとうに微かな変化だった。


(わたしの気持ちも知らないで、そういうことをするのよ)


 セシリーは心の裡にこぼれた言葉は誰にも届くことはない。ルーファスもまた、教師に話しかけていた。


「いかがでしょうか」

「いや、素晴らしい。よくできている。課題に対する解答はひとつではないが、これはスマートな一例と言える。皆も参考にすると良い」


 かつて、王立魔術研究所で所長も務めていたという先生が手放しで褒めるのはルーファスくらいだった。しきりに長く伸びた白いあごひげを弄り、機嫌が良いことが伺える。こういうときの講義は決まって、少し早めに切り上げられる。生徒たちにとってそれはたいへん喜ばしいことで、今日もそのようにして講義終了の時間前に解散となった。



「今日の講義後に時間ある?」

「どうかして? なにかあった?」


 次の講義まで少し時間があるからとセシリーとアンは講義室でおしゃべりに花を咲かせていた。移動をする必要がない講義のため、ゆっくりと過ごすことができる。そこへ、ルーファスが静かに近づいてきて、声をかけた。セシリーがひとりでない時に声をかけてくるのは珍しく、アンも興味があるようにルーファスを眺めている。


 セシリーとルーファスは受ける講義はほぼ同じであったが、講義室で会話をすることは殆どない。親しい人々はふたりの関係性を知っていたが、余計な詮索をされないように身分のないルーファスが伯爵令嬢であるセシリーを避けているようだった。


「アマベルと街に行ったときに、頼まれていたお菓子を買ってきた」

「あら、ありがとう。今日の講義後なら空いてるわ。いつものところでも?」


 うん、と頷いて、ルーファスはそっと離れていった。ひどく静かな気配が、講義室の喧噪のなかに溶けていくのを見守る。知らないあいだにアマベルとルーファスが出かけていたことに寂しくなると同時に、ちゃんと頼んだものを買ってきてくれたことが嬉しくなる。


「ルーファスって不思議よね。セシリーと話しているときだけ、声がやわらかい」

「そうかしら?」

 そうよ、とアンは深く頷いた。気が付いていないのは、きっとセシリーだけね、とも。


「ルーファスは、普段からあまり話をするタイプではないし、女子生徒に話しかけることなんて滅多にないじゃない。でも、セシリーとは違うでしょう」

「それは、ちいさい時から一緒に育って来たんだもの」


 そうかしら、と疑うようなまなざしで、セシリーはたっぷりと見つめたのち、「それで?」と尋ねた。


「どうして、あなたの思い人はお姉さまとお出かけしているの?」

「お、おもいびとって……」


 さっと、顔が熱を帯びる。アンにルーファスへの気持ちを話したことはないし、気が付かれているとも思っていなかった。さらっと指摘するアンの瞳が、意地悪げにわずかに燦めく。


「セシリーを見ていれば分かります。一緒に行けば良かったのに」


 それは、とセシリーは言葉を濁す。口のなかで紡がれる意味を持たない音が零れてゆく。困ったように眉尻を下げ、それから渋々口を開いた。子どもが言い訳をするようにしどろもどろな口調で。


「その、ルーファスは……お姉さまのことを好きなのよ。だから、この機会に良い仲になれば良いと思って」

「それは、本気で言ってるのよね?」


 疑うようなまなざしが注がれて、セシリーはわずかに肩を落とした。背筋も丸くなってゆくようだった。


「ほんとうよ。ずっと、ルーファスのことを見て来たのよ、間違いないわ」


 そうなの、とアンは眉根を寄せ、頬に手を添える。ふくよかな頬がすこし潰れているのが可愛かった。すこし考えをまとめる時間をちょうだいとアンが告げると同時に、教師が講義室に入ってくる。この話の続きは、寮に戻ってからになりそうだった。先生が入ってくるタイミングの良さに安堵の息を溢しつつ、セシリーはちらりと周囲を見回す。アンとセシリーの話は誰にも聞かれていないようだった。


(こんなこと、だれかに聞かれたら困るもの)


 ついと視界の端に引っかかるルーファスの影をなぞりながら、セシリーは誰に聞こえないように息を溢した。この気持ちは無かったことにしてしまえば良いのだ、本当は。それができないことが、セシリーを苦しめる。でも、忘れたくないのもまた事実なのだった。




 薔薇園に足を踏み入れると、あちこちから薔薇の花たちの囁き声が聞こえてくる。


「もう来てるわよ」

「本を読んでる」

「すてきなひとねえ」


 小鳥のように姦しいそのおしゃべりな声を聞き流し、セシリーは先へと進む。他の場所と比較し外魔力の気配が濃い学院のなかは、魔力の影響を受け不思議なことが起こり、いつも賑やかだった。その魔力の濃さ故に、学院はこの場所に建てられたのだと言われている。


 薔薇たちの囁く通り、四阿にはすでにルーファスの影があった。赤い髪を無造作に結わえた猫背の後ろ姿が腰を下ろしている。生徒たちの話し声が遠くから聞こえ、静けさの底で揺蕩うように彼は本を読んでいた。領地では当たり前のように隣に座っていたけれど、今ではもうそんなことはしない。


 邪魔をしないようにそっと近づいていったセシリーが向かいに座るまえにルーファスは顔を上げた。


「別に待ってない」


 セシリーは唐突に言われたその言葉に、緩やかに口角を上げた。セシリーが待たせてしまったと気に病んだと思ったのだろう。素っ気ないもの言いが、ルーファスらしかった。


「そう。でも、ありがとう」


 ぱたん、と本をとじ、四阿に設置されているテーブルの隅に押しのけると、ルーファスはいくつかの包みをテーブルのうえに広げはじめた。頼んだ焼き菓子の箱と、アマベルの商会の印の入った箱。そして。はい、とルーファスに渡されたのは白い封筒だった。


「手紙は旦那さまから。焼き菓子は頼まれてきたもの。時間保持の術式もかけてるから、1ヶ月は保存が効く」


 それから、と商会の箱を指さした。


「お茶会の時に使って、ってアマベルが。新商品のお茶とお菓子だって。こっちも時間保持がされてる」


 なるほど、とセシリーは頷いた。セシリーのお茶会の時に使用して、あわよくば商品を注文してもらおうと言うことらしい。アマベルは時折、お茶会で商会の商品を使用していたことを思い出す。自分の商会のものであることを告げることは無かったけれど。

 時間保持は、対象の時間を止める術式だった。術式の内容と力量で止まる時間は異なるが、ルーファスが1ヶ月に調整してくれたようだった。


「あら、ありがとう。お姉さまに何かお返ししたいわね。そうよ、ルーファスも一緒にお姉さまに何か贈り物をしましょうよ」

「え?」


 戸惑うように声を上げたルーファスを見なかったことにして、セシリーは口角を上げた。良いことを思いついたと言うように。


「そうだわ、すこしでも良い思い出を作りたいもの」

(ルーファスがお姉さまになにか贈り物をする口実もできるし)


 それは、素敵な考えのようにセシリーには思えた。贈るならなにが良いだろうか。アマベルは花が好きだし、髪飾りなども良いかもしれない。あれこれ思い描いていると、心が弾んでくる。


「セシリーが贈り物をするのは良いかもしれないけど、僕からは別に……」

「でも、お姉さまは喜ぶと思うわ。ね、そうしましょうよ」


 うーん、と唸ったのち、ルーファスは考えておくよと渋々と言った様子で頷いた。これはもう少し押す必要があるかもしれない、とその様子を見てセシリーは思う。それは今ではないはずだとも。


「ところで旦那さまの手紙は、できるだけ早く返事が欲しいみたい」


 うん、とひとつ頷いて。セシリーは封を開ける。ルーファスが話題を変えたいと思っていることがひしひしと伝わってきて、それに逆らうことなく手紙を開いた。


 ダドリー伯爵は今、タウンハウスに居る。婚約破棄されたのが社交シーズンの終わる頃だったため、そのままカントリーハウスに戻らず、タウンハウスに滞在しているのだった。その分、ルーファスがカントリーハウスの方の手伝いに駆り出されたのだけれど。


 セシリーは姉とともに夜会を後にし、家に帰ったときのことを思いだす。


 両親と妹が揃った場で、アマベルはひどく冷静な口調で夜会での出来事を報告した。淡々と、枯れた言葉が降り積もる。婚約破棄だなんて、と告げたきり、言葉を失ってしまった母の肩をそっと抱き寄せながら、アマベルにどうしたいか尋ねた父の顔は冷静でそれでいて表情が乗っておらず、大変恐ろしく見えた。


(とても怒っている……お父さまのこんな顔、初めて見た)


「婚約の解消を受け入れます。婚約を続けたとしても、わたくしたちに穏やかな未来は待ってはいないでしょうから」

「このような形での婚約破棄はアマベルにとって不利になる。良くない噂が囁かれるだろう。私たちは、そのすべてから守ってあげられない。それでも?」


 はい、とアマベルは躊躇なく頷いたのだった。


「構いませんわ。わたくしには結婚よりも楽しいことがありますもの」


 分かった、と深いため息とともに父はそう、低く鋭い声で告げた。


「それならば、わたしたちもアマベルのためにできるだけのことをしよう。我が家も大変、馬鹿にされたものだ」


 それから、と父は多少表情を緩めたのち、セシリーの方へと視線を向けた。固いまなざしをしていた。


「セシリー、アマベルの婚約がこういう形で無くなった以上、今後はセシリーも婚約者を探し、おそらくはその婚約者に家を継いでもらうことになるだろう」


 セシリーはそう言われるまで、その可能性に思い至らなかった。ずんと重たいものが身体の裡に落ちてきて、ちいさく息を飲んだ。これは仕方の無いことだという思いと、すべてを諦めて家を継ぐために結婚をするなんて嫌だと言う思いが交錯してゆく。すぐには返事ができず、セシリーは口を噤むことしかできなかった。その様子に、ダドリー伯爵は「すまない」と。そして「頼む」と苦しげに告げたのだった。


 セシリーが魔術師になりたいという夢を持っていることを家族は知っていた。そして、それができるのだから、と夢を応援する気持ちもあった。しかし、それはセシリーが家を継ぐことを考えなくて良い次女であったからだということを突きつけられてしまう。


 少女は、すべてを飲み込んで、仕方のないことだと自分に言い聞かせ、「わかりました」と頷いたのだった。


「ただ、その、わたくしの怪我のことは……」


 幼い頃に負った怪我の痕のことは、婚約では不利にならざるを得ない。それでも、魔術師という貴族令嬢以外の立場を手に入れることができれば、それをすこしは帳消しにできるのでは、と思っていた。


「そのことも含め、良い縁談を探すつもりだ」


 苦渋に満ちた伯爵の表情に、セシリーはふたたび「わかりました」と繰り返すことしかできなかった。


 その時のことを思い出すたびに、何度でも胸が苦しくなる。でも、それはどうしようもないことだった。結婚相手が理解のあるひとであれば魔術師として働くことも認めてくれるかもしれない。その淡い期待を胸に、セシリーは婚約者を探すしかなかった。


 ダドリー伯爵の手紙には、婚約者についての相談のため、タウンハウスに帰ってくるように書かれていた。


「旦那さまはなんて?」

「婚約者選びについて、話したいらしいわ」


 そう、とルーファスは固い声を落とした。セシリーはその意外な声音に顔をあげ、ルーファスの表情を伺う。しかし、表情は変わらないまま、感情が乗っているはずの瞳は前髪と眼鏡で良く分からない。


「休日に、またタウンハウスに帰らなきゃ」

「僕も一緒に行こう」

「あら、そう? じゃあ、一緒に行きましょう」


(アマベルとの関係を確認して、それからまた作戦を考えなくちゃ。アンに相談に乗ってもらおうかしら……)


 ふいにルーファスが手を伸ばし、セシリーの眉間にそっと触れる。眉間の皺を伸ばすようにゆっくりと動いた。その仕草に驚いて、セシリーは瞳をまあるくさせる。


「眉間に皺が寄ってる。婚約のことなら、そんなに悩まなくても……」

「え?」


 咄嗟に前髪とともに額を抑える。触れられたところが熱を帯びる。それから自分が悩んでいるのが婚約のことではなく、アマベルとルーファスのことなのだと言うわけにもいかず、咄嗟に頷いてしまう。


「ええ、そう、そうね、婚約のこと。できれば、良いひとだと良いわね。今後も魔術に関わることを許してくれるひとだとか」

「セシリーは、魔術師になることを許してくれるひとが良いの?」


 うん、とセシリーはゆっくりと頷いてみせた。言わなくても良いことが咄嗟に口から滑りおちてしまった自覚がある。これは、誰にも打ち明ける必要のない、弱音みたいなものだった。

 しかし、その返事にルーファスはどこか嬉しそうに頷いていた。僅かに口角が上がっている。その様子に、戸惑いを覚えながら、この話題が蒸し返されることのないように、曖昧に微笑んでいたのだった。

アンはセシリーとルーファスのことをよく見ているので、「ルーファスがアマベルのことを好き」とセシリーが言うのを聞いて、「何を言ってるのか、分からない……」と頭を抱えています。

おっとりしているように見えて、しっかりしている可愛いご令嬢です。

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