表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/19

2-1

プロローグ後に時間軸が戻ります。ここから、2章です。

 王立学院にある薔薇園の奥に、ひっそりと佇む四阿がある。濃厚な香りと華やかな花弁に隠されるように、制服である紺色の簡素なドレスを纏ったセシリーは四阿のなかでため息を落とした。ひとりきりであることは確認したので許してほしい、とそこに存在しない誰かに向かって許しを請いながら。


 アマベルの婚約破棄の一件は、王立学院を飛び出して王都中を駆け巡り、貴族だけでなく平民にも伝わっているようだった。


『婚約者だった伯爵令嬢が、何度も嫌みを言ったらしい』

『お茶会にも呼ばず、無視したとか』

『水をかけたり、わざとぶつかったりしたと聞いた』


 そのような噂が嫌でも耳に入ってくる。

 今日はあの夜会以来、長期休暇を挟んだ初めての登校日。気が重いこと、このうえない。


 王立学院は、貴族の子息子女のみならず優秀な人間に対し広く門戸を開き、生徒を受け入れていた。貴族であれば入学しなければならない、ということはないが、小さな社交場としての機能を重視し、入学させる貴族が多い。


 その一方で魔力を持つ人間は必ず入学することが定められていた。魔術を行使できるこの力は、正しく使われるべきであるという考えの元、必ずこの王立学院に入学し、正しい知識を身につけることが求められた。そのため、魔力のない生徒は婚姻のために退学することが許されていたが、魔術を使える生徒は卒業後に結婚をするように婚約をする生徒が多い。早くて12歳、通常であれば16歳で入学し、18歳で卒業する。

 セシリーは魔力の持つ生徒として16歳で入学が決まり、通い始めた学院生活は18歳の卒業まで楽しいものであったはずなのに。それなのに。


 姉のアマベル、そして元婚約者のレオンが卒業する際の最後の夜会で、婚約破棄は恙なく行われ、下級生である残されたセシリーは重い心を引きずって、長期休暇が終わった学院に戻ってきていた。学年が上がり、セシリーたちは最終学年になる。そして何よりも問題となるのが、アイリーンはセシリーと一緒に授業を受ける同級生であった。


(気まずい、なんてものじゃないわ。居たたまれない)


 学院での今日からの生活を思い、セシリーはもうひとつふたつため息を落とさないわけにはいかなかった。


「朝から、なんて顔してるの」


 セシリーの前に、ふわりと薔薇とは異なる柑橘の香りが漂う。その香りを感じるたびに、セシリーは夜を思い出す。しんと静かな冬の夜の香り。夜の部屋のなかで聞いた、彼の声で話す小鳥の影。聞き慣れた呆れたような声音にセシリーは姿勢も正さずに応じた。


「ルーファスもお姉さまのことは知っているでしょう。教室に向かうのが、気が重いのだもの」

「アマベルはどうしてる?」


 ルーファスはセシリーの向かいに腰をおろした。肩まであるやわらかい癖のある赤茶色の髪を適当に後ろでひとつにくくり、大きな丸い眼鏡をかけている。ルーファスは学院に入るときに、目立ちたくないからと眼鏡をかけはじめた。正直に言えば、魔術の優秀さで目立ってはいるが、眼鏡と伸ばした髪で整った顔立ちが隠されているのは良かったのかもしれない、とセシリーは思っている。その眼鏡の奥に夜の星空のような瞳が隠れていることを知っているのは、セシリーとアマベルだけだった。


 彼は休暇のあいだ、カントリーハウスの方に呼ばれ領地に戻っていたので、会うのは久しぶりだった。勉強がてら、領地の仕事を任されているらしい。魔術が扱えることが分かってから、ダドリー伯爵の計らいで特別にセシリーと一緒に家庭教師から勉強を学んでいたルーファスはあらゆる知識をするすると吸収し、取り込んでいった。セシリーが羨ましくおもうほどに。


 それでも彼が一番得意だったのは魔術だった。術式の構築に秀いで、無駄を省いた条件指定と今までにないような構造をした術式を作る。そして、自ら描いた術式を適切に使用することができる正確な魔力制御を行う。ルーファスはこの学院が始まって以来の秀才だと呼ばれていた。


「しばらく、タウンハウスの方に引き籠もるって言っていたわ。様子を見て、領地の方へ向かうみたい」


 そう、とルーファスは丸い眼鏡の奥で心配そうに瞳を揺らしながらセシリーを見つめる。


「実際のところは?」


 実際のところ、とセシリーはちいさな吐息とともに、その言葉を繰り返す。この双子の片割れのような男は姉妹のことをちゃんと分かっている。諦めたように、彼女は唇を僅かに湿らせたのちに囁くように告げる。


「男爵家のむすめと婚約して、彼はどうするつもりなのかしらと小首を傾げただけで、そのあとはいつも通りよ。鈴蘭商会と領地の植物や薬草を気にして、折角だから早く領地の方へ行きたいわと楽しそうにしているところ」


 実際のところ、アマベルは婚約破棄のことは気にしていない。凜として美しい見目のセシリーの姉の中身は、ひどくマイペースで飾り気がない。植物を愛し、その植物から生成した化粧水やルーファスの構築した術式などを主商品とした鈴蘭商会を王立学院に在籍しているあいだに設立し、楽しく過ごしている。今は取り寄せた茶葉のブレンドをするのが楽しいのだとか。セシリーもその恩恵に預かり、好みのブレンドを作ってもらっていた。


 元より、家の都合で結ばれた婚約でしかなく、ふたりの間に距離があることはセシリーも気が付いていた。最低限の贈り物とエスコート。そして、婚約者以外の女性との親密な関係。それが、婚約破棄に至るほどであるとは思ってもみなかったけれど。

 婿入りする予定であったレイ伯爵の第三子であるレオンが男爵家のむすめと婚約してどうするのかは、セシリーも興味がある。ほんの少しだけ。彼は伯爵位は継げないし、父親の持つもうひとつの爵位は第二子である兄が継ぐことになっているはずだった。

 君は、とルーファスは口籠もりながら問いかけた。


「君は、大丈夫なの?」

「わたしは気が重いだけ。ああ、でも、ルーファスがお姉さまと婚約したいなら、今のうちよ。しばらくお姉さまの噂は消えないだろうし、婚約を申し込む人もいないだろうから」


 どういう理由であれ婚約破棄をされて傷がつくのは女性のほうだ。今回のように、公衆の面前で行われたものであるなら余計に、尾びれ背びれを付けた噂が自由に泳ぎ回っている。アマベルの元へ、まともな縁談の申し入れはしばらくないだろうとおもう。どこぞの後妻や随分と年上の男性との婚姻ならいざ知らず。


 いや僕は、というルーファスの言葉を遮るように、セシリーは目を伏せる。睫の影が瞳のなかに落ちてゆく。ルーファスがアマベルを好いていることをセシリーは知っている。アマベルを見つめるときのその瞳のなかに灯る熱も、仲の良い気安い空気もすべて。それらに気が付いてしまうくらいずっと、彼のことを見ていた。それを思うたび、セシリーは胸のうちに疼くちいさな痛みに気がつかないふりをしている。今もそう。


「元々、お姉さまの婚約者に婿入りしていただく予定だったから、その予定が狂ってしまって。わたしはもう魔術師になるのは無理ね。家に入ってくださる相手を見つけて婚約することになるでしょうし」

「ちょっと待って、どういうこと?」

「だから、わたしが家を継ぐ必要があるということよ」


 ネヴィル家には、アマベルとセシリーの姉妹しか子どもが居ない。そして女性は家を継ぐことができない。後継者に悩んだ彼女たちの父が、アマベルの婚約者であったハワード家の三男であるレオンに婿入りしてもらえるように決めたのだった。元々、レイ伯爵とは王立学院時代の友人だったのだと言う。しかし。今回の婚約破棄で後継者が居なくなったことをうけ、セシリーに白羽の矢が立ったのだった。


 頼む、と告げた父の顔を思い出す。分かってはいるのだ。これまで、魔術が使えることで自由にさせてもらってはいたが、本来であれば家のための結婚をすべきであることくらい。姉であるアマベルだって、受け入れてきたのだから。


 セシリーは王立学院を卒業したのち、宮廷魔術師として王立魔術研究所への配属を希望していた。魔力を生かし、国のために働き。そうして、そのうちに婚姻ができれば良いと。すべて、砂上の城であったけれども。


 そしてもうひとつ。セシリーには幼い頃に負った怪我の痕が太ももに残っていた。貴族の子女の傷は受け入れられないことがある。セシリーはそれもあって、婚約をすることに後ろ向きだった。

 ちいさい頃に、ルーファスと交わした「一緒に魔術師になりましょう」という約束も叶えることができない。それは、彼女の初恋に対するたったひとつのよすがであったのに。


「それは……」


 ルーファスは言葉を選ぶように唇を噛み、そして何も言えずにその口を閉じた。


「仕方ないわ。そういう定めだったのでしょう」

「セシリーが諦めるなんて、そんな似合わないこと……」


 仕方ないのよ、とセシリーはもう一度唇を震わせた。自分自身に言い聞かせるように。その言葉に、ルーファスは視線を落とし、睫の影を落とした。沈んだ空気を吹き飛ばすように、セシリーはぽんと胸元で両手を合わせた。今思いつきましたと主張するように。


「ね、今度の休日、時間ある? 一緒にタウンハウスに来てほしいの」


 セシリーもルーファスも、普段は学院内の寮で生活している。休日も殆どを寮で過ごしていた。しかし、今は姉のことが気になって彼女が日々を営んでいるタウンハウスに顔を出すことにしたのだった。ルーファスに一緒に来てほしいのは、心細いこともあるけれど、もうひとつ。


(なんとしても、この機会にお姉さまと結ばれてもらわなくちゃ!)


 心の裡で強く拳を握りしめて決意を固めるセシリーに気が付かず、ルーファスは分かったと頷いた。


「僕も、母に話がある」


 タウンハウスには、ルーファスの母であるマリアも働いてる。ルーファスが学院に入学したタイミングでカントリーハウスからタウンハウスへと移ってきていた。


(まさか婚約についての話かしら)


 もしそうであれば、セシリーの願いの通りである。そのはずなのに。先ほどの決意がしなしなと萎んでゆくのを感じ、少女は自らの身体に力を入れ直した。


「さて、もう行かなくては。講義の前に図書館に寄りたいの。先に行くわね」


 それでは、とセシリーは微笑みを浮かべると、濃厚な薔薇の香りのなかへと足を踏み出した。足首までの長さのあるドレスを翻さないように気をつけて、革靴が大きな音を立てないように緩やかに。瑞々しく華やかな薔薇の香りを纏い、女王になった心持ちで胸を張って。そうして居なければ、彼女の虚勢が今にも剥がれて粉々に砕かれてしまいそうだったので。



ブクマやいいねなど、ありがとうございます!

とても嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ