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1‐3


 ルーファスとセシリーのふたりで魔術の授業を受けはじめて、数年が経った頃、ルーファスはセシリーに魔術を使ってみせ、そして彼女が苦手なところを辛抱強く教えるようになっていた。セシリーは内に秘めた魔力量は多かったが、それを丁寧に扱うことや線ひとつでも誤ってはならない術式を描くことは苦手としていたので。


 ふたりはよく、庭の片隅で課題と向き合っていた。室内で魔術を使用しないようにするのは、最初の段階で学んだことだった。室内を水浸しにし、家具を焦げ付かせ、風で窓にはまった硝子を割ってしまったのちに。

 セシリーとルーファスは敷き布のうえに並んで、時折、お行儀悪く寝そべりながら、課題の書かれた紙を眉根を寄せて眺めていた。ふいに、ルーファスが課題のひとつを指さす。


「これ、線が繫がってない。だから、思うように効果が出ない」

「同じに見えるけど」

「本当はこう」


 ルーファスはそう言って、土がむき出しの地面に指で線を描く。迷いのない指先は、踊るようにひらひらと。ここ、と彼は一本の線を示した。


「この線が繫がらないと、魔力を篭めた時に力が循環しない。だから、効果が継続しない」


 うそ、と呟くようにセシリーの口から漏れた言葉に、ルーファスは、嘘じゃないと唇を尖らせるように言い返し。そして、地面に描いた術式に僅かに力を篭めるような仕草をした。ちいさな竜巻が術式のうえに現れて、くるくると何度か回ったのち、しゅっと姿を消した。


「ほんとう……」

「力と動きの指定はきっちりしないと思うように動かないことが多いから」


 今回で言えば、風を繰り返し回し続けるような指定をする必要がある術式において、繰り返し部分の指定ができていなかった、ということらしい。

 うん、と軽やかに頷いたルーファスは特段気にもせず、自分の課題と向き合っている。その様子に、セシリーは気が付かれないようにため息を溢した。ルーファスに指摘されることは悔しい、とても。それでも、実際にルーファスから学ぶことも多い。


(悔しいけれど、でも、ルーファスが楽しそうにしているところを見るのも嬉しいのよね)


「ね、ふたりとも、休憩にしない?」


 庭の片隅でふたりの様子を眺めていたアマベルが声をかけた。彼女の動きに合わせて、豊かな黒い髪がさらりと揺れる。彼女の前のテーブルには既にお茶や焼き菓子の準備が整っていた。アマベルは魔力を殆ど持たなかったが、植物への興味関心が強く、庭の一画に専用の花壇を作っていて、花やハーブを育てていた。領地の農家に頼み、希望の植物を育ててもらえるように契約をする予定があるらしい、とセシリーも聞いた気がするけれど、どこまでその話が進んでいるのか彼女自身は知らなかった。


 セシリーとルーファスが課題の書かれた紙の束を抱えるようにテーブルへと近づいてゆく。


「今日は、趣向を変えてみたの」


 見て、とアマベルがきらきらした笑みを浮かべて示したのは、硝子製のポット。そのなかには紅茶とともに、柑橘類などの果物が浮かんでいる。ポットの下には術式が書かれた紙が置かれ、ポットのなかを温め続けていた。アマベルは魔術が使えないので、魔術を使えるメイドにお願いしていた。

 紅い滴がアマベルの笑みと並んで、輝いて見える。


「果物の甘みが染み出しておいしいのですって」


 柑橘類を多めにしたから甘すぎることはないと思うけれど、と言いながら、アマベルが茶漉しをセットしティカップに紅茶を注いでゆく。そのひらひらと舞うような迷いのない手つきを、セシリーはぼんやり眺めていた。アマベルは魔法を使うことはできないけれど、こうして美味しいお茶を淹れることのできる魔法の指を持っている。それは間違いがなかった。


「はい、どうぞ」


 ふたりの前にそれぞれティカップを置くと、アマベルは様子を伺うように笑みを浮かべた。セシリーがそっと口を付けてみる。確かに、紅茶と果汁を合わせたような、仄かな甘みが飲みやすい。


「おいしい」


 良かった、と安堵したように深く息をひとつ吐いて。アマベルは焼き菓子に手を伸ばした。


「セシリーの課題は難しいの? いつも、難しい顔をしているわ」

「わたしはちいさな誤りが多いの。それで、躓いてしまって」

「セシリーは急ぎすぎるんだ」


 黙って座っていたルーファスが口を挟む。


「急ぎすぎる?」


 アマベルが先を促すように繰り返すと、ルーファスはうんと頷いた。


「ひとつひとつを丁寧に追えば、絶対に分かるのに、早く先に行きたくて一気に飛ばして進もうとするから間違える」

「ふふ、セシリーはちいさい頃からすぐに飛び出してしまうものね」


 セシリーの幼い頃に巻き起こした事件を思い出すように、アマベルは楽しげに微笑んだ。木に登って落ちたこととか、タウンハウスから帰ってきた両親を迎えるために勢いよく部屋を飛び出して階段を転がり落ちてしまったこととか、誕生日のプレゼントが気になって、ディナーではしゃぎすぎてしまったこととか、そういうことを思い出すように。


 ちいさい時のセシリーはよく、お守り代わりの術式を持たされていた。それは単なるお守りに過ぎなかったが、もし怪我をしたときに近くに魔術師が居ることがあれば治癒をしてもらうことができる、ほんものの術式を。実際、セシリーはそうやって治療が施された傷痕が残っている。幼い頃に怪我をしたときのことをセシリー自身はよく覚えていない。ただ、太ももに伸びる傷だけが、彼女に刻まれている。


 そう、と相づちを打つルーファスとアマベルを眺めながら、セシリーは唇を尖らせた。


「ルウの言うことも分かるような気がするけれど、実践しているときは気が付かないんだもの」

「自分のことは、特に分からないものね」


 そういいながら、アマベルは目の前の皿から貝のかたちをした焼き菓子をひとつ摘まむと、そっとルーファスの手のなかに滑りこませた。戸惑うようにそれを見下ろしたルーファスに、アマベルは「これはルーファスの分だから」と頷いた。


 手のなかに落ちてきた焼き菓子を見下ろして、ルーファスは「うん」とちいさく応えた。それが寄る辺のない子どものようで、セシリーは思わずルーファスの手に触れた。そのまま消えてしまうのを恐れるように。


「お茶もお菓子も、ルウの分よ」

「そう、ルーファスとセシリーのために準備したんだもの。食べてくれなくちゃ」


 ルーファスが、母であるマリアからアマベルやセシリーと一線を引くように言われていることは気がついていた。主従の関係を保つように。魔術に関するときは気にしたことのないそれを、ルーファスは同じテーブルにつくときや食事を供にするときに意識するようだった。それでも、少女たちはルーファスに今まで通りでいてほしいと願っていた。


「ありがとう」


 ゆっくりとルーファスはそれを口にして、そうして僅かに口角をゆるめるとおいしいと呟いた。


「たくさん食べて良いからね。もっと大きくならなくちゃ」


 ルーファスは同じ年頃の少年たちに比べると、すこし小柄だった。彼自身は気にしていないようだったが、それをネヴィル家のひとびとは気にかけていた。ルーファスの両親は「そのうち大きくなる」と朗らかに笑うばかりだったけれど。


「そのうち伸びるよ、たぶん」

「ルーファスはアマベルに振り回されて動き回るくらいがちょうど良いのかもしれないわね」


 お菓子をルーファスの前にひとつ追加しながら、アマベルはそう微笑んだ。そうかもね、と応じるルーファスの様子を、セシリーは不思議な心持ちで眺めていた。ふいに、胸のなかに訪れた寂しさが、どういう感情に寄るものか、少女はまだ気が付いていなかった。




 セシリーはルーファスと一緒に魔術師になる約束を胸にしまいこみ、大切に抱え。ルーファスが教えてくれたことを身につけられるように努力を続けた。しまいこんだ約束は次第に膨れ上がり、双子の片割れへの愛情から恋心に少しずつかたちを変えていった。

 それを自覚すると同時にセシリーはその恋を失うことになったけれど。


 その日はひとり、図書室で課題に出された本と向き合っていた。彼女は文字で情報を得ることが苦手で、実践して理解をする質だった。それだけでは駄目なのだと分かってはいて、こうして先生に言われた本はきちんと読むようにはしている。とりあえず目を通すことだけは。


 書かれている内容が頭に入らず、くらくらとした頭を抱えながら、セシリーは図書室の窓から庭を眺めた。庭に咲く花のあいだに見え隠れしながら、ふたつの影が寄り添っているのが見える。アマベルとルーファスであることはすぐに気が付いた。ルーファスが術式に魔力をこめ、アマベルに何かを見せている。それに対し、アマベルが何かを話しかけ、ルーファスがやわらかな瞳で微笑みながら頷いていた。ふいにアマベルが何かを囁くようにルーファスに近づき、離れるとルーファスの耳の先が赤く色づいてゆく。


(これは……見てはいけないものよ)


 セシリーは咄嗟に顔を背ける。ふたたび、視線を窓の外にやりたい気持ちを抑え、窓から無理矢理、身体を引き離すように離れる。一歩踏み出すたびに、身体の奥のやわらかい場所に痛みを伴った。床がやわらかさを持ち、セシリーの踏み出す足を掬い取ろうとでもするように、思うように動かせない。


(ルーファスは、アマベルのことが好きなんだわ)


 気が付いてみれば、彼は確かにアマベルのことを熱を帯びた瞳で見ていたような気がする。アマベルとセシリーが一緒に居るときにルーファスがこちらを見ていることもあった。そういう時に。


(わたし、ルーファスのこと好きだったのね……こうなってから気が付くなんて)


 寝室へと逃げ込んだセシリーは着替えることもせずにベッドに飛び込む。皺になってしまう、と思いはするが、身体が重く動かない。涙が止まらない。少女は嗚咽を必死に抑えながら、ただ涙を流し続けた。拭うこともせず、頬に流れる熱を感じる。胸が痛い。身体が千切れてしまいそうに痛い。なにもかもを、見なかったことにしてしまいたい。そのたびに、先ほど見た光景がまなうらに蘇って、消えてくれない。繰り返すうちに、ますます鮮明になってゆくようで、強く目を閉じた。

 ひとしきり泣き続け、セシリーは重くなった頭を上げた。


(大切なひとと大好きなお姉さまが結ばれるのなら、応援だってできるわ。きっと。そうすべきよ)


 そう決心をしたものの、しばらくはぐらぐらと揺れる胸の裡を隠すように、殆ど部屋から出ることなく過ごした。アマベルをはじめとする家族、屋敷の人々やルーファスも、心配しながらもそっとしておくことに決めたようだった。


 暗い表情をしながら授業を受け、終わるとすぐに引き籠もり。それを、ルーファスは物言いたげな瞳で見ていたが、セシリーは気が付いていないふりをすることに決めていた。長い茶色の髪で幕のように視界を遮ってしまって。その優しさにすこしでも触れてしまったら、身体の端から粉々に砕けて、風に吹き飛ばされて散って消えてしまう。


 本棟にある自室に閉じこもってしまえば、ルーファスと遭遇する機会は殆どなかった。セシリーは時折、窓の近くまで椅子を引いてゆき、立てた膝に顔を埋めるように座り、屋敷や庭から聞こえる音に耳をすませた。まるで、屋敷とひとつになるように動きもせず。そうして、ふと窓から庭を見下ろすとき、庭を横切ってゆく猫背の黒い影や庭の隅に座って本を読んでいる影を見かけるのだった。かさりと、静かな足音を聞いたような気がして、セシリーはちいさく息を飲む。胸の裡に広がるあたたかさと痛みに引き裂かれるような心持ちに、冷静になれずにいた。


 そのようなことを幾度も繰り返したのちの朝、セシリーは小鳥の声を聞いた気がした。ルーファスが魔法で作り出す小鳥の影によく似た白い鳥が窓に止まっている。ふと思い立ち、寝台から滑り落ちると、侍女を呼ぶこともせずに寝室からするりと抜け出した。隣の部屋に置かれた机に向き合うと、術式をひとつ書きはじめた。


「力と動きの指定は正しく」


 ルーファスが何度も繰り返した言葉を思い出す。セシリーが同じ失敗を繰り返しても、諦めずに原因を教え直してくれたこと。


「ひとつひとつの線を丁寧に」


 繋げるところと繋げないところを明確にすること。

 時間をかけてゆっくりと書き表された術式を眺め、セシリーは満足げに頷いた。魔力を篭めてみるかを、しばし悩み。少女はその術式を書いたインクが乾くのを待って、くるくると巻き上げてしまう。そうして、鍵のかかる机の抽斗に入れた日記帳の隣に、滑り込ませたのだった。


(もしかしたら、いつか使う日がくるかもしれない。その日までのお守りみたいなものよ)


 そう考えみると、すっきりとした気持ちになって、セシリーはひとりで着替えられるドレスを纏い、朝食のために食堂へと向かったのだった。


 穏やかな表情で久しぶりに顔を出したセシリーに、領地に戻っていた両親もアマベルも安心したような表情を浮かべながら、なにがあったのかを問うこともせずに少女を受け入れた。


「今日は天気が良いようだ。どうだ、セシリー、一緒に遠駆けでも行かないか?」


 やわらかな瞳とおだやかな声音で問いかけるダドリー伯爵に、セシリーはゆっくりと頷いてみせた。セシリーはちいさい頃から、乗馬は得意だった。特に、領地内を移動するには馬に乗ることができると便利なことも多い。


「はい、お父さま。ご一緒させてください」


 ダドリー伯爵が童顔であることを気にして伸ばしはじめた口ひげが嬉しそうに持ち上がる。


「あら、ではバスケットに軽食を用意してもらいましょうね」


 隣でダドリー伯爵夫人が、少女のようにころころとした楽しげな声をあげた。幼馴染み同士であったふたりは幼い頃からの婚約者で政略結婚とは名ばかりの恋愛結婚であったことをセシリーは知っていた。それは羨ましくも、眩い輝きをしていた。


「お願いすることにします」


 蕾が綻ぶように笑みを浮かべたセシリーは、その時、自身が緊張していたことにようやく気がついたのだった。

 家族のあいだに流れる空気の居心地の良さに、セシリーはミルクをたっぷり入れた紅茶に口をつけながら、わたしは大丈夫と唱え直した。


(大丈夫、アマベルたちのこともちゃんと応援してあげられる)


 その日、セシリーはダドリー伯爵と穏やかな日を過ごしたのだった。




 遠乗りの翌日、魔術の授業のためにセシリーが部屋に入ると、ルーファスがすでに本を読みながら待っていた。物音に誘われるように顔を上げた猫背の影と目が合う。彼はセシリーの表情を見て、ハッとしたように息を飲むと、それから瞳を溶かして僅かに微笑んだ。親しい人だけが気が付くような僅かな変化で。


「セシリーが笑っていると、安心する」


 湿度の高い、やわらかな声が、セシリーの耳朶からするりと入り込み、身体の裡を巡って溶けてゆく。零れそうになる涙を振り切って、セシリーは笑みを返した。少女がひとつ、大人の階段を上った、儚げな笑みをしていた。


「心配してくれてありがとう。もう大丈夫よ。魔術だって、ルーファスには負けないんだから」


 ルーファスはその笑みに、なにも言えなくなってしまって。すこし間を置いてから、うん、と頷いたのだった。



 しかし、セシリーの決意もむなしく、アマベルは14歳になるとレオンとの婚約が決まり、少女たちは政略結婚について意識をするようになった。アマベルと平民であるルーファスが結ばれることは難しいことも、理解し。セシリーはルーファスへの気持ちを鍵をかけた宝箱に慎重に厳重にしまっておくことにしたのだった。ただの、仲の良い幼馴染みとして一緒には居られるのだから、と言い聞かせて。


プログラミングで言う、For文のミス……括弧を綴じ忘れると動かなくなったりするんですよね。。

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