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1‐1

プロローグと同時に2話更新しています。

設定等、ゆるーく見ていただけると嬉しいです。


 ダドリー伯爵の二番目のむすめであるセシリー・ネヴィルは幼い頃より活発な少女だった。


「ねえ、ルウ、見て!」

「ちょっと、待って……」


 父親のダドリー伯爵の領地にある、ハシバミの生える小高い丘のうえを上っていた少女は、後ろからついてきているはずの少年に弾むように声をかけた。濡れた土色の髪を風になびかせ、街娘のような簡素なドレスの裾をはためかせた足取りの軽い少女と反対に、赤茶色の癖の強い髪をあちらこちらに跳ねさせた少年は渋々といった様子で坂を上っていた。ようやく、ルウと愛称で呼ばれているルーファスが少女に追いつくと、少女は黒い瞳をちかちかと燦めかせ、丘の麓に広がる景色を眺めていた。朝日が顔を出しはじめ、あまねく、領地に光が射す。朝がはじまる。


「わたし、この時間が一番好きだわ」


 うん、とちいさく頷いた少年は、少女の方へとちらりと視線をおくる。少女の瞳は光が入ると黒から茶色に色を変える。きらきらとした表情で景色を見つめる彼女の輪郭が朝日に溶けていた。ルーファスもまた、この時間が一番好きだった。おそらく、口に出すことは一生無いだろうけれど。


「セシリー、そろそろ戻らないと、怒られる」


 朝日が上りきると、ぽつりぽつりと家々から煙が上がるようになり、人の声も風に乗って届くようだった。

 セシリーはまだ、その様子を眺めていたかったが、ルーファスを無理矢理連れて、家から抜け出してきたのはその通りだったので、仕方なくその言葉に頷いて見せた。


(わたしより、ひどく怒られてしまうのはルウだもの)


 セシリーの乳母の息子であるルーファスとは、幼い頃より双子のように一緒に育った。セシリーはルーファスをあれこれと振り回し、ルーファスはそれに言われるままに付き合っている。朝の弱く小柄で物静かな彼は、朝早くから連れ出されたり、体力を使うことに関しては渋々といった様子ではあったけれど、それでも嫌だと拒否することはなかった。セシリーもそれが分かっていて、本当に嫌がるようなことは誘わないように気をつけている。

 胸いっぱいに朝の空気を飲み込んで、セシリーは深く吐き出した。身体中の空気が入れ替わってゆくようだった。


「ルウ、急いで戻りましょう」

 そう言って、セシリーは駆け出した。植物の生えていない、茶色の土が顔を出している細い道のうえを踊るように軽やかに走ってゆく。ひとつ振り向くと、ルーファスに「早く!」と声をかけ、笑みを溢した。下ろしたままの髪が、風にさらわれてゆく。

 その後ろ姿をぼんやり眺めていたルーファスもまた、その笑顔に手を引かれるようにセシリーの後を追いかける。その後ろ姿の眩しさに、目を眇めた。




「お嬢さま! また抜け出しましたね!」

 こっそりと厨房に続く裏口から邸に戻ったはずのふたりを待ち受けていたのは、乳母のマリアだった。仁王立ちでふたりに厳しいまなざしを送っている。これはとても怒っている、とセシリーはちらりとルーファスを見やれば、彼は表情を変えずに母親の方を見ていた。


「ごめんなさい、マリア。朝日が昇るところを見たかったの」

「ええ、ええ、そうでしょうとも! まったく、勝手に居なくなるのはやめてくださいと何度申しあげたら」


 ふっくらとした身体を揺するように怒る様子に、セシリーは申し訳なさを感じつつ、しおらしく頷いてみせた。


「次からはちゃんとそうする」

「良いですか、ちゃんと大人に相談して、一緒に行くんです。書き置きだけでは駄目ですからね」


 考えを先回りされたセシリーはため息とともに、ふたたび頷いた。


「分かったわ、マリア」

「ルーファスも、ちゃんとお嬢さまを止めなさい」


 矛先が自分に向けられたルーファスは、僕じゃセシリーは止められないよと諦めたように呟く。その様子をじとりとした視線で見ていたマリアたちのところへ、やわらかな笑い声が届いた。


「そうねえ、ルーファスではセシリーは止められないかもしれないわね。わたくしでもきっと無理よ」

「アマベルお姉さま!」


 セシリーとよく似た黒い髪と瞳を持つ姉に、セシリーは咎めるようにその名を呼んだ。厨房の入り口から顔を覗かせたアマベルはその様子にふたたび、ころころとした笑い声を落とし、セシリーとルーファスをやわらかなまなざしで眺める。彼女にとっても、彼らは手のかかる妹弟のようであったので。

 アマベルの言葉に背を押され、ルーファスは「言った通りじゃないか」という表情を浮かべていたが、それを口に出すことはしなかった。彼は、言葉よりまなざしや行動によく感情が現れる。


「ルーファスまで! もう知らない!」


 セシリーは、ルーファスのまなざしの意味に気が付くと、その瞳に燃えるような光を宿した。もういい、とすべてを遮るようにして、厨房の入り口の方へと向かう。その乱雑な足取りに「まだ話は終わってませんよ」とマリアの声が後を追いかけてきたが、セシリーは止まるつもりはなかった。早足で立ち去り、自室の方へと向かうつもりで階段を上ったところ、足を止めた。


(そういえば、ルウは大丈夫だったかしら)


 セシリーのせいで彼がひどく怒られていると考えると、気が滅入った。少女にとっても、彼は大切な弟のようなものだった。


(ルウの様子を見に行ってみよう)


 少女は踵を返すと、上ってきた階段をふたたび降りる。ルーファスが母と庭師をしている父とともに暮らす、使用人棟へと足を向けた。


 使用人棟は、セシリーたちの部屋がある本棟からすこし離れたところに建っていた。

 ルーファスは食事なども、他の使用人とともにとる。ネヴィル家の姉妹の遊び相手をしながら、忙しい時には細々とした仕事を任されていた。空いている時間は庭師の父に捕まり、手伝いをさせられていることが多い。そういう時はアマベルやセシリーが彼女たちの用事に付き合わせても良いということを、少女たちは知っていた。そして、それらを逃れることができたときには、こっそり漏れ聞こえるアマベルたちの授業を聞いていたり、図書室で本を読んでいることも。


 ルーファスにとって、知ることは楽しいようだった。セシリーには、その感覚のすべてを理解できるわけではなかったけれど、瞳を輝かせ、僅かに口角が緩むその表情だけで、彼がそれを楽しんでいることは良く分かった。


 使用人棟は本棟と比べると静かだった。みなが出払っているので人の気配がなく、鮮やかな色合いの模様の壁紙もなく、絨毯の敷かれていない床は歩くたびに軋んだ音を立てる。そっと移動し、二階にあるルーファスたちの部屋の扉を叩いてみるが、反応はない。まだ戻ってきていないようだった。ふたたび外へと戻り、使用人棟の近くに佇む。木の枝に小鳥が止まり、囀っていた。セシリーの話相手になってくれているようで、微笑ましい。


「ごきげんよう」


 話かけて見ると、小首を傾げるような仕草が返ってくる。


(恥ずかしがり屋の少女かしら、それとも、側にひとを寄せ付けない女王さまかしら)


 どちらにしても、小鳥の姿では愛嬌に溢れているようだった。餌になるようなものを持っていないのが、残念でならない。背後からテンポの早い軽い足音がしたので振り返ると、ルーファスが急いで駆け寄ってくるところだった。


「なにしてるの、ここで」


 不機嫌そうなその声音が、実際のところそうではないことを、セシリーは長い付き合いで知っていた。彼の話し方はいつも淡々としていて、乾いた枯れ葉を連想させる。


「ルウがマリアに怒られる前にちゃんと逃げ出したか気になって」


 その言葉に、ルーファスはセシリーをまじまじと見つめた。


「わざとだったの、あれ」

「ううん、怒ったのはほんとう。でも、すぐに冷静になって、大丈夫か気になって」

「大丈夫」


 良かった、とセシリーは安堵のため息とともにゆるやかに微笑んで見せた。


「今日の授業のあと、庭でお茶会をするの。ルウも来てね」


 絶対よ、と燦めいた瞳を残して、セシリーは軽やかな足取りで本棟へと戻ってゆく。

 そうやって、彼らの日々がゆるやかに過ぎていった。




 庭の片隅に布を敷き、木製のトレイに保温用の術式を敷いたカップに注いだ紅茶と茶菓子を用意して。そうしてセシリーは植物の陰に隠れるようにしながら家庭教師に出された課題を睨むように見据えていた。身体を動かすことが好きなセシリーは、ダンスの授業は好んでいても、マナーの授業は不得意だった。それでも、魔術の授業だけはその不思議な力に魅せられて以来、積極的に努力するようにしている。


 魔術には、魔力と術式のふたつの要素を必要とする。どちらが欠けても成り立たない。術式は、魔力を用い、なにを行うかを指示した図のようなもの。それに必要な魔力を適切に流し、効果を発揮させる。他人の描いた術式でも発動することは可能だが、魔術としての的確な効果を得るには魔力の制御と相性の良さが必要だった。

 魔力は先天的に体内に保持できる魔力量が決まっており、人により異なる。膨大な魔力を持つ人間も居れば、まったく持たない人間も居る。セシリーの体内魔力量が平均値よりもだいぶ多いことが発覚したのち、彼女には魔術師による先生が付けられていた。


 すっとセシリーの視界に影が落ちる。それがルーファスであることに気が付いていて、彼女は眉根を寄せたまま、そっと隣にスペースを作った。その意図を理解して、ルーファスは静かに腰を下ろす。ルーファスの動作はいつも軽やかで静かだった。日だまりの底がちいさく揺れる。


「この術式をうまく動かせないのよね」


 セシリーは独りごとのように口に出した。それを、ルーファスがちゃんと聞いてくれていることを分かっていた。返事のひとつも返ってこなかったとしても。

 邪魔をしないように黙って焼き菓子のひとつに手を伸ばしていたルーファスに対し、セシリーは、瞳を燦めかせて向き直る。少女が、何かを思いついた時のその表情に、ルーファスは戸惑うように僅かに身を引いた。


「ね、試しに、ルウがやってみてよ」

「え、僕が?」


 ルーファスも魔力を持っていることは周囲の人々も知っている。それが、殆どなにもできない程度の力であることも。


 5歳になると、魔力の測定が行われる。それは平民でも貴族でも関係がない。セシリーはそこで魔力量が多いことが判明し、ルーファスもまた僅かながらに魔力を持っていることが分かっていた。

 魔力量の多い人間は貴族に多い。貴族たちは、魔力を持つ人間と婚姻し子を成すことで、魔力を持つ子孫を残そうとする。平民のなかにも魔力量の多い子どもが生まれることがあるが、大抵は魔力が少なく簡単な魔術しか使えなかった。


 ええ、と抗議をするような声を上げていたルーファスも、最終的には仕方がないと言った様子で課題の術式に手を伸ばした。そうして、身体の裡にあると思われる魔力をその術式に篭めた時、ふたりは頭上からなにかを叩きつけられた。衝撃と冷たさ。大きな水瓶いっぱい程度もある水がばしゃんと降り注いでいた。


「きゃあ!」


 驚いたセシリーは悲鳴を上げ、咄嗟に近くにいたルーファスに抱きついていた。ルーファスもまた、なにが起きているのか理解できないというように、ただ目をまあるくしたのち、ふたりは気が付けば顔を見合わせて笑っていた。

 ふたりとも、なにからなにまでびしょ濡れで、お茶もお菓子もひっくり返り、課題の書かれた紙もぼろぼろで。なにひとつ、無事なものが残っていなかったので。


「ルウが魔術を使えるなんて知らなかった」

「僕もさっき、はじめて知った」


 ひとしきり笑いあったそのあとで、セシリーはこっそりルーファスに尋ねた。彼の瞳がきらきらと瞬いたのを見て、少女はそっと息を飲んだ。夜の色をした瞳のなかで、星が瞬くようだった。


 ***


「ルーファスの魔力の再検査を行いましょう」


 ずぶ濡れになったルーファスは、カントリーハウスを取り仕切っている家令のオリバーに呼ばれ、彼の部屋の片隅に佇んでいた。オリバーが机に向かい、なにかを(したた)めているのを眺めていると、彼がゆっくりとした口調でそう告げる。オリバーは白髪の増えた髪を撫でつけ、丸い眼鏡をかけた物腰のやわらかい男性であったが、怒らせたら怖いことをルーファスも知っていた。


 彼はルーファスの方にちらりと視線を向け、ひとつ頷いてみせ、それから視線を手元に戻す。書き終えた紙を一読したのち、オリバーはその紙と術式の書かれた紙を重ね、そっと魔力を篭めた。手紙に書かれていた文字がさらさらと砂のように零れて消えてゆく。領地から離れた王都にあるタウンハウスに居る伯爵夫妻にルーファスの件を報告する知らせを飛ばしたのだった。


「魔力が増えることなんてあるの?」


 オリバーはその問いにルーファスに厳しい視線を送る。その視線の意図に気が付いたように、彼は「増えることがあるのですか」と言い直した。その様子に、オリバーはため息をひとつふたつ溢した。お嬢さまたちに甘やかされすぎている!とその瞳が告げていた。


「可能性がないわけではないようですね」

「分かっ……分かりました」

「再検査の日程は、追って連絡します」


 まあでも、とオリバーはそこで、僅かに表情を和らげた。


「魔力を持っていることでできることも増え、あなたの将来も広がるでしょう」


 もし魔力量が多く魔術を使用できるのならば、この屋敷で伯爵の下に仕え続けて生涯を終える必要はない。一定量を超える魔力を持つ人間は須く学院に通うことになっており、そのまま魔術師となる道も開ける。優秀な魔術師であれば、宮廷魔術師を目指すことも貴族に婿入りすることもできる。良くも悪くも世界は広がるはずだ。


 その、本当の意味も理解できないまま、ルーファスは曖昧にうんと頷いた。急に手を離された子どものような、寂しげな色を孕み、それは軽い音を立てて床のうえを転がっていった。


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