5‐3
私生活の方が忙しくなってしまい、だいぶ時間が空いてしまいました。
申し訳ありません。
あと数話で完結の予定です。よろしくお願いいたします。
熱に包まれて、セシリーが目を覚ましたときにはもう、窓の向こう側は夜になっていた。慌てて身体を起こそうとすると、ぐいと腕を引かれ、元の位置にぽすんと戻らされる。隣には、穏やかな表情をしたルーファスがセシリーのことを見つめていた。
「まだここにいて」
茶色の髪を弄りながら、あまい声を出すルーファスに頬を染めつつ、セシリーは頷いた。そっと、ルーファスの胸元に頬をくっつけた。すこし早い心臓の音に、声もなく笑みを漏らす。緊張しているのは、ルーファスも同じらしい。
「君が、他の男のエスコートの申し出を受けたと聞いたときは、本当にどうしようかとおもった」
ふいに、胸元に付けた耳から直接ルーファスの音が響いてくる。それをもっと聞いていたかった。
「他の男って……。だって、ルウが学院に居ないから。お願いするつもりはあったのよ。最後に一緒に踊りたかったから」
「最後って?」
セシリーは顔を上げると、うつ伏せに体勢を変えた。頭だけを持ち上げ、上から見下ろすルーファスの表情は不機嫌そうに眉根が寄っている。
「わたしは家を継ぐことができるひとと婚約するつもりだったから」
「うーん、セシリーはロイ・シーモアのことを分かってないよ。あいつ、ウィルの従弟でクレイ男爵本人って知っていて婚約の申し込みを受け入れたの?」
「殿下のいとこ……?」
セシリーはロイが男爵子息だと思っていたし、殿下の従弟であることも知らなかった。自らの貴族の家柄に関する知識のなさが恨まれる。衝撃のあまり、ぼんやりと繰り返された言葉に、ルーファスはため息をひとつ落とした。
「おそらく、ロイ・シーモアはウィルの指示でセシリーに近づいたんだと思う。僕は詳しいことを聞いてないけど。ただ、まあ、婚約しろとまでは指示をされていないと思うから、そこは本気だったかもしれない……僕が阻止したけど」
最後の言葉はぽつりと囁くような声で、セシリーは思わずそれを聞き逃しそうになってしまう。それを慌てて拾いなおし、そっとルーファスに突き返す。
「もしかして、わたしの婚約が決まらないのは、ルウのせい?」
「半分は僕、半分はアイリーンとレオンかな」
「どういうこと?」
眉根を寄せて聞き返せば、ルーファスが眉間に寄った皺を伸ばすようにやわらかく撫でた。そのゆびさきを捕らえ、セシリーは軽く口づける。ルーファスのゆびさきはそのまま、ふにふにとセシリーのくちびるをなぞった。
「アイリーンたちが流した噂を信じて縁談の話を断った家もあると思うし、僕もいろいろと手を回して、なかったことにした」
「そ、そんなこと……」
ルーファスのゆびさきを好きにさせていたセシリーもおもわず、その手を抑え込み、ルーファスの顔を覗き込んだ。星空の瞳がとろけるように熱を帯びているのが分かる。
「だって、僕が宮廷魔術師になる前に君が婚約したら困る」
「言ってくれれば良かったのに」
「魔術師になって、ずっと一緒に居てくれるって言ったじゃないか」
(そ、そこまでは言ってないはずだけれど……)
言ってないとは言い切れないセシリーは、拗ねたように唇を尖らせる幼馴染みを眺め、そのやわらかい赤い髪をくるくると弄る。そうして、まあ良いかと思い直したのだった。
「それで、どうして僕がアマベルのことを好きだって、セシリーは思っていたわけ?」
ルーファスは深いため息を吐くと、ひとつずつ話をしようと作り物だと分かる笑顔を浮かべた。その表情に、セシリーはぞくりと背中を震わせる。
何に続く「それで」なのか、セシリーには理解できなかったが、こうやってルーファスの気持ちに触れてみると、追及されたくない事柄でもあった。
「……お姉さまと楽しそうに話をしているし、熱を帯びた瞳で見つめていたじゃない」
気まずい沈黙ののち、渋々という様子を隠すこともなく、セシリーは口を開いた。その答えを聞き、そうだったかなあとルーファスは頭を抱えた。アマベルとルーファスのあいだにあるのは、それこそ共犯者のような乾いた肌触りのそれだ。湿り気を帯びた感情など、ひとつもない。
「でも、大抵、アマベルとの会話はセシリーのことだし、見つめてるのもセシリーのことだったよ」
「花だって、贈っていたし……」
ああ、あれね、とルーファスは微かに顔を顰める。確かに、頼まれて何度か花束を届けたことがある。
「頼まれたから仕方なく……でも、アマベルは贈り主が僕じゃないって知ってるよ。セシリーの分は僕からだけど」
その言葉に、セシリーは耳の先を赤く染め、顔を隠すように枕に顔を埋める。露わになった項へ、ルーファスはそっとゆびさきを沿わせる。セシリーの身体が微かに震えた。
(情緒が、情緒が忙しいわ……!)
拗ねたり照れたり、セシリーの表情はくるくると変わってゆく。それを、ルーファスは擽ったい気持ちで眺めていた。
「アマベルへの花はウィルからだよ。外出のときも、ウィルがこっそりついてきて、本当に大変だったんだから……」
何かを思い出したようにげっそりとした表情を浮かべると、甘えるようにセシリーの腕に額をつけ、犬のようにこすりつける。髪がセシリーの肌をくすぐり、少女は吐息のような笑い声を溢した。顔を上げれば、ルーファスがセシリーの表情を伺っていた。
「もしかして前に街で会ったときに言っていた、監視って」
「そう、僕はウィルの監視役ってわけ。きっかけはセシリーだけど、僕がアマベルについて歩いていることを知ったら、良いように使われて」
ルーファスの言葉で、セシリーは以前、アンから聞いたアマベルの話を思い出す。学院で仲の良かったひとがいたこと。そして、パーティでのウィリアムの言動から気が付いたこと。
「お姉さまと殿下は仲が良いの?」
「学院で知り合ったって聞いたよ。でも、アマベルには婚約者が居たから、ただの友人同士だった。仲の良いね」
その返答は、セシリーの想像を裏付けるもので。だからこそ、一歩だけ、少女は踏み込んだ質問を投げかける。
「レオンさまと婚約破棄した後は?」
「……一応、仲の良い友人同士かな。そのための監視だからね」
「そう。そういうことなのね」
ぽつりと相槌が落ちた。含みのあるルーファスの言葉は、つまり。ウィリアムには公にしていない想いがあり、アマベルもまたその想いに等しい気持ちを持っているということを示していた。片思いをしていた幼馴染が好きな相手は姉ではなく、姉もまたセシリーの知らないところで好意を抱いていたひとが居たのだった。
様々な感情が押し寄せてきて、セシリーは身体の力を抜いて、寝台に身を沈めた。
「そもそも僕はアマベルを好きになっていないし、アマベルも僕にそういう感情を抱いていない。ねえ、僕が好きなのはアマベルじゃなくてセシリーだって信じてくれた?」
「信じるわ、もちろん」
「じゃあ、これにサインしてくれる?」
ひらりとルーファスがベッドの脇のサイドテーブルから引き寄せた紙を、セシリーに見せる。差し出された婚約の誓約書には、すでにダドリー伯爵と、ルーファスの父の代わりに王立魔術研究所長のサインが書かれていた。外堀をしっかり埋められていたことに気が付いて、セシリーはため息をひとつふたつ。誓約書を受け取るために手を伸ばすと、ルーファスのゆびさきに絡めとられる。
おねがい、と上目遣いをされたら、もう、セシリーには選択肢がなかった。もうずっと、この瞳に囚われ続けている。
「ペンをちょうだい」
諦めたように告げたその言葉に、ルーファスは弾むように頷いて。そうして、婚約の誓約書にはふたりのサインが並んだのだった。
誓約書を大切に仕舞いこんだのち、ルーファスは脱力するようにセシリーを抱きしめた。そうして、夢みたいだと囁いた言葉が落ちた。そのふわふわとした髪の毛を遊ぶように、セシリーは頭を撫でる。きっと、ずっとこれからも、わたしたちはこうやって生きていくのだろうとおもいながら。




