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5‐2

ほんのり背後注意です。

 人混みに紛れてしまっても、視線はいつまでも纏わりついてくる。それらを厭うて、彼らは会場のバルコニーへと逃げ出した。夜とは異なり、闇に紛れることはできないけれど、周囲の視線が遮られると、ようやく一息吐くことができた。


「驚いたわね。こんなことになるなんて」

「予想はしていたんだ。前回の婚約破棄に重ねて、ふたたびパーティで何かをしてくるんじゃないかって」


 ただ、とルーファスは言葉を濁す。先を促すようにセシリーが繰り返すと、彼は苦々しい口調で告げた。


「思っていた以上に騒がしくなってしまった。何かあれば助けて欲しいとウィルにお願いはしていたんだけど、まさか堂々とやり合うなんて」

「お願いしていた?」


 セシリーが小首を傾げながら、その言葉を口のなかでころころと転がした。ルーファスが第二王子をウィルと愛称で呼ぶ関係であることに驚きながら。


「そう。僕はほら、術式を構築するのが得意だから、王家ともそれで関わりがあって。ウィルとは以前から付き合いがあるんだ。今回もパーティに招待されていると聞いて、頼んだ」

「それは……王家の依頼で術式を構築しているってこと?」


 ルーファスが優秀であることは、セシリーも知っていた。外部からの依頼も、学院や鈴蘭商会を通した話だと思っていた。知らない間に、王族からの依頼も受けていたと聞いて、途端にルーファスを遠くに感じてしまう。それと同時に、自分が同じように魔術師になるのは無理だったのかもしれない、とも。


「まあ、簡単に言うとそう」

「そんなことを、していたの……」


 ふたりの間に、沈黙が落ちる。背後から聞こえる喧噪が、寄せては引く波のようにさざめいている。


「それでね、セシリー。君からの話を聞く前に、僕からも話があるんだ」


 並んで立っていたルーファスがセシリーの方へと向き直る。その真剣なまなざしに射貫かれて、セシリーはまばたきもできずに息をとめた。昼に墜ちた星のなかに落ちていきそうになる。


「ルーファス?」

「セシリー、僕と婚約してほしい」

「わたしと?」


 そうだ、とルーファスは深く頷いた。「お姉さまではなくて?」という問いかけの言葉を、セシリーは飲み込んだ。ルーファスの瞳のなかに灯った熱にあてられて。ルーファスに求められているのは自分なのだと実感して、胸の裡からこみ上げてくる熱が溢れて、視界が滲んでゆく。


「うれしい、とても嬉しいの」


 囁くように零れる言葉。顔を覆った掌をルーファスがゆっくりと剥がし、その指先を握りしめる。でも無理よ、と続けようとセシリーが口が開くより前に、ルーファスがそっと湿り気を帯びた声音を落とした。


「婿入りできるように、卒業前に宮廷魔術師になった。両親にも旦那様と奥様にも話を通した。あとはセシリー、君の許しを得るだけなんだ」


 熱を持った溶けたまなざしを注がれて、セシリーは何も言えなくなる。その用意周到さに頭がくらくらとする。


 セシリーはルーファスの言葉で、宮廷魔術師は爵位こそないものの、貴族と同列の扱いを受けることに思い至った。伯爵家との婚姻も可能になる。それは、貴族ではないルーファスがセシリーと婚約を結ぶために必要なことだった。ルーファスは、王族からも認められる術式を構築する技術があり、宮廷魔術師が所属する王立魔術研究所からの覚えも良い。元々、卒業したらという話だったのが、少し早まっただけだ。


「ルーファス、あなた……」

「僕に、許しをくれる?」


 いくらでも、と応えた声は歓喜に震えていて、セシリーはちゃんと頷けたのかどうか自信がなかった。身体から溢れてゆく熱が止まらない。そっと引き寄せられたルーファスの胸元で、落ち着くまでひとしきり泣いたあと、ルーファスにより眦にひとつふたつ口づけを落とされる。その熱に誘われるように顔を上げれば、とろりと溶けるような瞳がセシリーを見ていた。湿度の高い声が耳元で囁く。


「ねえ、すごく頑張った僕に、ご褒美がほしいな」

「ご褒美?」


 ちいさい頃に、セシリーに褒められたい時に強請ったときのような子どもっぽい表情で囁くので。セシリーは彼の丁寧に整えられた頭に手を伸ばし、そっと撫でる。幼い頃によくそうしていたように。整髪剤のついていない、やわらかな髪が恋しくなる。


「違う」


 不満そうに応じた彼に、「どうしてほしいの?」と問いかけるまえにルーファスの顔がセシリーに近づいて。そしてそっと唇にやわらかいものが触れると離れていった。それが、ルーファス自身の唇だと気がついて、セシリーの頬が薔薇色に染まってゆく。


「こ、これはご褒美なの?」

「ご褒美だよ。僕はもっとたくさんでもいいくらいだけど」

「る、ルーファスがそうしたいなら……それでも良いわ」

「ねえ、そういうこと、僕以外に言っちゃだめ。……この場合は僕でもだめかも」


 どういうことかと聞き返すより先に、ルーファスがセシリーの腰をぐっと引き寄せる。そして、僕の部屋に行こうと落ちた声が耳朶を掠めてゆく。それが、心の裡の襞をやわらかくなぞった。


 ルーファスは転移魔法の術式を展開させると、そのまま男子寮の自らの部屋へと転移する。王立学院の寮は基本的に一人部屋になる。下級生のうちは二人部屋の生徒もいるが、貴族の子息子女は一人部屋を使用する。もしくは、侍女や家令、その後継者との二人部屋だった。


「まだパーティの途中だわ」

「もう充分。顔だってきちんと出した」


 それよりも、とルーファスは甘えるようにセシリーに強請ってみせる。バルコニーの続きだ。


 セシリーはそっと唇を寄せる。ひととき、それを楽しんで離れようとすると、ルーファスがセシリーの頭を抑えた。ルーファスの唇が何度も彼女の唇に触れ、啄んでゆく。


 「ん……」とちいさく零れた声に反応するように、ルーファスの唇が僅かに離れると、彼女が息をするために開いた口にそっと舌を差し入れた。誘われるままに、セシリーは舌を絡ませた。身体の深いところに熱が落ちて、溜まってゆく。

 くるしい、とルーファスの胸元を弱々しく叩くまで、それは続いた。息ができない。


「ねえ、セシリー。子どもの頃みたいにルウと呼んで」

「る、ルウ……」


 あまやかな声で耳元で囁かれ、セシリーは呼吸を整えるあいだにその名を呼んだ。幼い子どものような辿々しさで。ちいさい頃、セシリーはルーファスをルウと呼んでいた。呼ばなくなったのは、これは恋だと自覚して、その恋は叶わないものだと理解したとき。それが、今ではこうして身体を預けている。


「余計なことを考えてる。ね、もう一回」


 そう言って、ルーファスはセシリーに軽い口づけを落とすと、彼女を抱え上げた。ふいに浮きあがった感覚に、セシリーは慌ててルーファスに抱きつく。それもすべて受け止めて、ルーファスは寝台のうえへと彼女を運んだ。


 寝台に腰かけたルーファスの膝のうえにゆっくりと彼女を下ろしたあとに、ふたたび唇に触れる。セシリーの後頭部に添えられていたルーファスの手がゆっくりと移動する。項に熱を感じたとおもうと、すっとなぞられ、セシリーの身体がぞくりと震えた。

 するりと、ドレスの裾からルーファスの手が入り込む。それは、ゆっくりと足をなぞりながら、太ももにある傷痕に辿り着く。


「見ても良い?」


 セシリーに近しいひとにしか見せたことのないそれを、露わにするには勇気が要る。それが、両想いであると自覚したばかりの相手であるならば特に。そのことで、失望させたくはなかった。


「大丈夫。そんなことにはならないよ」


 セシリーの心の裡を読んだようにルーファスは力を込めて抱え込む。その熱を、やさしさを感じ、セシリーは僅かに頷いてみせた。

 その微かな応答に、そっとルーファスのゆびさきがドレスを捲る。セシリーは、どんな反応をされるのか不安になりながらその動きを見守ってゆく。無意識のうちに、ルーファスの服の裾を握りしめていた。


 引き攣った痕がドレスのなかから顕れると、ルーファスはその痕をそっとなぞった。まるで、大切なものを見つけたように。それをくすぐったく感じ、セシリーは知らず知らずのうちに止めていた息を吐きだした。


「ごめん、セシリー。僕がもっとちゃんとできていたら、痕なんて残らなかったのに」

「ルウ?」


 今のはどういう意味だろう。セシリーはルーファスの表情を伺うように顔を上げる。しかし、ルーファスはセシリーの肩口に顔を埋めていて、どんな顔をしているのかを見ることはできなかった。


「セシリーは覚えてない、とおもう。あの日、僕を庇ってセシリーが怪我をして、僕は初めて魔術を使って怪我を治した。でも、魔力消費に無駄が多くて、中途半端にしか使えなかったから痕が残った」

「ルーファスも覚えてないって……」

「魔術が使えることが分かって、しばらくしてから思い出したんだ。でも……怖くて誰にも言えなかった。セシリーの怪我も傷痕も僕のせいだって」


 ルーファスの様子に、雨の日にずぶぬれで迷子になっているちいさな子どもを連想し、セシリーはゆるやかに口角を上げた。そして、肩に額を押し当てている、赤毛の子どもの頭をぽんぽんとやわらかく撫でた。


「わたしのこと、助けてくれてありがとう。だから、魔術が使えることが分かるのが遅くなってしまったのね」


 恐らく、この一件でルーファスは魔力を使い果たし、魔力を調べる際にだいぶ小さく数値が出てしまった。だから、魔術は使えないと思い込んでしまった。再度、調べたときと結果が大きく変わったのはそういうことなのだろう。魔力を持つと、5歳の時に分かっていれば、ルーファスの生き方も変わっていたかもしれなかった。


「そんなの、大したことじゃない」


 セシリーの怪我に比べれば、と漏らす、このちいさな子どもが愛しくてたまらなくなり、セシリーは身体を捩じり向きを変えるとその身体を抱きしめた。背中をあやすように、一定のリズムでやわらかく叩く。


「殆ど覚えていないけれど、誰かが大丈夫って言い続けてくれたことだけは覚えてる。それがとても心強かったことも。痕は残ったかもしれないけれど、わたしを助けてくれたのはルーファスだもの。ありがとう」


 うん、と落ちた言葉がセシリーの裡に溶けてゆく。セシリーの身体を抱きしめる腕に力が籠る。それから、ふたたび、むき出しになった白い肌のうえに伸びる痕をゆっくりとゆびさきがなぞった。


「ふふ、擽ったいからそんなに撫でないで」

「痛い?」

「痛みなんて、もう殆どないわ。雨の日に、少し痛むかなとおもうくらいよ」


 それを聞いたルーファスは、あたためるように掌をそっと乗せる。それから、ふいにセシリーの身体は持ち上げられ、寝台のうえにゆっくりと下ろされた。なに、と問いかけるよりも早く、ルーファスはそのうえにのしかかるように再び、唇にキスを落とすと、そのままの流れで傷痕にも唇を落とした。

 その様子をぼんやり眺めていたセシリーは、顔を上げたルーファスと目が合い、星空の色をした瞳のなかに落ちてゆくと、恥ずかしさのあまりに顔を覆った。


「この痕も、僕との思い出のひとつかと思うと、愛おしくなるね」


 セシリー、と甘ったるい声が名前を呼ぶ。いつから、この幼馴染みはこんな風に甘い声で名前を呼んでいただろうか。思い返してみれば、いつもそうだったような気がしてくる。アンが以前言っていた、ルーファスはセシリーに対してだけは声の響きがやわらかいという言葉が蘇り、ますます恥ずかしさが募ってくる。頬が赤く染まっている自覚があった。


「顔、隠さないで。ちゃんと見せて、ね」


 ずるい、とセシリーは吐息とともに溢した。ずっともう、ちいさい頃から、こうやって子どもみたいに甘えられることにセシリーが弱いのを、ちゃんと分かってやっている。指の隙間からルーファスの様子を覗けば、彼女の様子を伺うように上目遣いで眺めていた。その瞳のなかに灯る熱は、子どものものではない、欲がある。

 セシリー、と熱を帯びた掠れた声で呼ばれると、もう意地をはれなくなる。顔を覆っていた手を、ルーファスがゆっくりと引き剥がすと、その指先に口づけた。


「君のぜんぶ、僕がもらってもいい?」


 ひどく甘やかな声が耳元に落とされた。その熱にすべてを絡め取られてしまう。ルーファスの色気に当てられて、セシリーはちいさく頷いた。それが合図だった。


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