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アマベルが婚約破棄された卒業の夜会が終わり、アイリーンとセシリーの3年目の学院生活が始まり。平穏とは言い難い学生生活が過ぎゆき、ふたたび、冬の長期休暇が待ち受けていた。休暇前にはパーティが開かれる。セシリーは卒業式の夜会のことが忘れられずにいたし、今は新しい噂も広がっている。今はその噂をどうするつもりもなく、放置していることもあり、必須参加ではないことを言い訳に欠席するつもりでいた。パーティで、ふたたび噂の渦中に身を置くのは、不安が大きかった。しかし。
「折角ですもの、思い出を作りましょうよ」
わたしたちの最後の一年なんだもの、とアンに誘われて、パーティの準備は半ば強引に進められていた。
親友であるアンに、そう潤んだ上目使いでお願いされたら、セシリーも強く断ることはできない。最後の一年であることは事実で、学院を出て貴族として正式に社交界に出るようになれば、生徒同士の頃のような付き合いは保たれることがないことは分かっている。結婚し、相手の家に入ればより付き合いは限られる。
パーティに出るとなれば、ドレス、アクセサリー、髪型、化粧……決めることも悩むこともたくさんあった。だれと参加するかも含めて。セシリーの部屋でセシリーとアンについているメイドも交え、あれこれと決め、ドレスは手持ちのものを着ることにし、アクセサリーの手配を進めることになったのち。
「あら、あなた宛ての荷物だわ」
「わたし宛て?」
セシリーの部屋から自身の部屋へと戻ろうとしたアンが扉の横に立てかけられた荷物に気が付いた。その箱を持ち上げて、ふたたびセシリーの部屋のなかへと戻ってくる。
「なにかしら?」
箱の外に丁寧に添えられたカードには、セシリーの名が流れるようなブルーブラックのインクで書かれている。銀が散りばめられた紺のリボンで飾られたその荷物のなかには、一着のドレス。夜空のようなグラデーションに、裾には星のようなちいさな硝子の粒が散りばめられている。
「きれい……」
「とても、素敵ね」
セシリーはそのドレスを眺め、惚れ惚れとしたあと、送り主の名前を探す。カードにも、どこにも送り主の名前が書かれていないそのドレスを前にして、セシリーは途方にくれた。
「送り主の分からないドレスなんて、とても着れないわ」
「どちらにしても、ドレスは選ばなければならないのだもの。このドレスにしましょうよ」
セシリーの身体にそのドレスをあてて、アンはにこりと微笑む。きちんと採寸されたように隙もなく彼女の身体に合う。オーダーメイドで作られたドレス。アンはとても似合うわ、と瞳を蕩けさせた。
「それなら、アクセサリーを決め直さないと」
アンはふたたび、瞳の奥を燦めかせ、セシリーとあたらしいドレスとアクセサリーを前に、腕を組み直したのだった。
「送り主がエスコートもしてくれたら良いのだけれど」
アンとセシリーは学院の中庭にある四阿でささやかなお茶会を開いていた。肩肘の張らない、親しい友人によるお茶会。セシリーの元に届いたドレスの話でひとしきり盛り上がったのち、アンがしみじみと呟いた。それを聞いて、セシリーは紅茶を口に含んだ。
(そう、エスコートよ)
学院で開かれるパーティでのエスコートは必須ではない。婚約者や家族、親類がエスコートをするのが望ましいが、同時期に学院に在籍しているとは限らないのが主な理由だ。学院内の行事のエスコート相手は、社交界のそれとは異なり、自由に選び、お願いすることができる。互いに婚約者が居なければそのまま婚約することもあり、互いに親密な間柄であることを周囲に知らしめることにはなるのだが。
彼女が気軽にエスコートを頼めるルーファスはこのところ、学院にすら来ていないようだった。彼の友人に尋ねても、忙しそうにしているが理由は知らないと言う。ただ、寮の部屋に帰ってきているときも、夜遅くまでなにやらしているようだとも。
馬車での出来事は都合の良い夢だったに違いない。記憶が曖昧で自信もないし、夢なのであれば、その後に特になにも言ってこないことも頷ける。セシリーはそう思うことにしていた。
しかし、折角なら、婚約者が決まる前にルーファスが最後のエスコートをしてくれることを僅かに期待もしていたのに。ルーファスがずっと姿を現わさないとは思わなかった。
「そうね、でも、婚約者の居ないわたしはエスコートは必須ではないし、当日までに申し込まれたら受けることにするわ」
少女たちの囀りに誘われたように、軽やかな足取りでロイが薔薇のあいだから姿を現した。ロイは彼女たちの話を聞いていたのか、どこか悩ましげな表情でセシリーに近づく。
「セシリー嬢、もし新入生歓迎パーティにおひとりで参加されるなら、僕にご一緒させてくださいませんか」
なぜ、という言葉が唇から溢れるより先に、彼が緊張したように固い口調で告げた。以前からセシリーがきれいな薔薇をやわらかい瞳で見つめるのが気になっていた、出かけた際に見せた無邪気な笑顔が忘れられない、と。
「お待ちになって」
慌てるアンを尻目に、セシリーは軽やかに頷いてみせた。ロイがそう思っていたことは知らなかったが、彼と居るのは居心地が良いのは確かだったので。
「よろしければ、ぜひ」
ちくりと胸のなかに刺さった痛みを気にしないふりをして。
(だって、もうルーファスのことを忘れた方が良いのよ。彼にはお姉さまがいるのだし)
ありがとうございます、と嬉しそうに微笑む彼は、幼く見えた。その笑顔がかわいく見えて、セシリーも微笑み返す。
「もし、楽しいひとときを過ごすことができたら、婚約者に立候補させていただけないでしょうか」
その申し出にセシリーは、ほんのひととき呼吸を止めて。ゆっくりと数度、瞬きを繰り返した。不安そうに揺れる瞳とぶつかって、セシリーは言うべき言葉を取り戻した。
「お申し出に感謝いたしますわ。それでは、父の方にお願いいたします」
拒絶されなかったことに安堵したように、軽やかな微笑みを浮かべると、彼は失礼と声をかけて、踵を返した。その後ろ姿に、喜びとともに尾を振り回す子犬の姿が重なって、セシリーはあまりの純粋さに頭がくらくらした。弟を見るようなやわらかいまなざしをしていたことに、少女自身は気が付いていなかった。
「本当に良いの?」
アンがセシリーの様子を伺うように尋ねる。薄青色の瞳が不安げに揺れていた。
「なにが?」
「エスコートをロイさまにお願いして。ルーファスにお願いするわけではないの?」
「ルーファスとはなにも約束していないわ。それに、ああ言ってくださる方は他にいらっしゃらないもの」
でも、とセシリーはそこで表情を暗くする。もし本当にロイが婚約を申し込むとして、伝えていないことがある。セシリーの太ももの傷痕について。彼はそれを聞いて、どういう反応をするだろうか。それは、ひどく心配でもあった。彼の方から無かったことにして欲しいと申し入れてくるかもしれない。
パーティの日に、婚約を申し込まれる前にきちんと伝えようと、セシリーは心に決めた。
(もし、婚約とはならなかったとしても、ロイさまとは良い友人で居たい。それは、間違いない気持ちだもの)
セシリーの思考がエスコートのことから離れてゆくのを引き戻すように、アンが問いかけた。
「前に言ったけれど、ルーファスとはちゃんと話をした? 街歩きの日だって、きちんと話ができたわけではないんでしょう? わたし、ふたりがすれ違ってしまわないか心配なの」
「すれ違う?」
そうよ、とアンは力強く頷いた。
「ルーファスはあなたのことを大切に思っているのは間違いない。それに、アマベルさまが本当にルーファスと婚約したいと思っているのか、ずっと気になっているの」
それは、セシリーにとってひどく衝撃的な言葉だった。
(お姉さまがルーファスと婚約したいと思っているかどうか……?)
考えてみれば、アマベルの気持ちを考えたことが無かったような気がする。ふたりが結ばれるように祈りはじめた、失恋して引き籠もっていた直後のことはよく覚えていないが、婚約破棄されてからは、片隅に追いやっていた。アマベルはどんな眸でルーファスを見ていただろう。どういう表情で。
婚約者の居たアマベルと愛を結びつけられなくて、セシリーは浅く呼吸をした。そんな、と呻くような声が漏れたのを、そっと口を噤んで抑えこむ。
「ね、そうでしょう。セシリーはアマベルさまのことを大切にしているから、故意に無視してとかではなかったと思うのだけれど」
それにね、とアンは声を落とし、セシリーの方へと身体を寄せる。
「お姉さまに聞いたのだけれど、アマベルさま、学院に居た頃に仲の良い方がいらしたのですって。アマベルさまには婚約者もいらしたし、仲の良い友人という感じではあったそうなんだけれど、もしかして……」
「どなた?」
セシリーの声が震える。そのような話をアマベルからひとつも聞いたことがなかった。
「それが、お姉さまも教えてくれなかったの。頑固な方だから、こうと決めたら絶対に教えてくださらないのよ。ただ、おふたりとも周囲に気をつかわれていたから、気が付いたひとはそう多くはないだろうってだけ」
わたしがセシリーと仲が良いからこっそり教えてくれたみたい、と囁き声が空気に溶けてゆく。
(お姉さまにだって、そういうひとが居てもおかしくない。わたしがそうであるみたいに。ずっと気が付かなかったけれど)
「わたし、どうしたら良いのかしら……」
おろおろと上げ下げを繰り返すセシリーの手を、アンのやわらかな掌が包み込んで止める。それから、おだやかなまなざしで、セシリーを見つめた。
「もう一度、セシリー自身の気持ちを考えて、それからルーファスともアマベルさまともお話してみて。セシリーは、ひとりで駆けだしてしまうから、一度、立ち止まることも必要なのよ」
そういえば、以前、ルーファスにも似たようなことを言われたことを思い出す。あれは、魔術が思うように使えなくて悩んでいるときだった。
(もうずっと、わたしは変わっていないのね……)
それがひどくおかしいことのように思えて、口角が上がる。アンから見ると、それは悲しげな微笑みに見えた。
「ありがとう、アン。わたし、ちゃんと自分と向き合ってみる。でもきっと、エスコートはロイさまにお願いするわ。わたしには、家を一緒に継いでくれる婚約者が必要だし、それはルーファスでは難しいもの」
婚約破棄されたアマベルならできるかもしれない、とふたりの仲を近づけるようなことをしたけれど、家を継ぐことになる予定のセシリー自身とは無理なのだから。
「うん、わたしはなにがあっても、セシリーの友人よ。近くにいるわ」
ありがとう、とアンの手を握り返す。そのぬくもりがいつでも心地よくて、笑みを溢した。
アンは、ドレスの贈り主を察してます。。




