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3-4


 アンとセシリーは昼食のために食堂へと向かっていた。廊下で、友人たちと話をしているロイと目があったときの物言いたげな様子を思いだし、合流できるようにしておきましょうと囁きあったのだった。


 学院内は皆平等である、という建前はあるものの、食堂内は暗黙の了解として貴族と平民で席が分かれている。衝立で仕切られた数人分の席に別れているのが貴族席、長机を分け合って使用しているのが一般席だった。とはいえ、貴族のなかには気にせず長机を使用しているものも居るし、寮の自室や空き部屋に食事を用意させるものも居る。噂では皇族やその周囲の人々専用の個室もあるとか。セシリーには縁がないので、詳しいことは知らないけれど。


 アンとセシリーは基本的には周囲に気をつかわせてしまうのが嫌で貴族席を使用するが、ルーファスが一緒のときは一般席でも気にせず使用するし、食堂側が用意してくれているランチボックスを持って外で食べることもある。今日は、後からロイが来る可能性も踏まえ、貴族席を選ぶ。


 食堂は、複数の料理から好みのものを選ぶことができ、貴族席は給仕にお願いすることが多い。一般席では、自らが取りに向かうが、種類があるなかから好みのものを選び、受けとるのも新鮮な体験で好きだった。あれもこれも取りたくなってしまうのを、いつもアンやルーファスに止められている。


 セシリーは魚料理、アンは肉料理をメインに選んだのち、ふたりはさっそくお忍びの日のことについて口を開いた。


「ルーファスがあなたを連れていったあと、わたしたちだけでポム夫人のお店に行ったり、ロイさまのお知り合いのお店に顔を出したりしたの。とても楽しかったわ」

「ルーファスの見つかるつもりはなかったの。本当にごめんなさい」


 ふわりと、その後の夢か現か分からない出来事を思い出し、セシリーは言葉を詰まらせた。薄紅に染まった頬を眺め、アンが微笑みを深くする。


「なにかあったのね?」

「な、なにも無かったわ……」


 ふうん、と相槌を打ったアンがさらに追求する前に、「遅くなって申しわけない」という声が落ちてきた。


「ごきげんよう」


 ふたりが挨拶を返すと、ロイも微笑みを返し、ふたりの対面の席へと腰を下ろした。まなざしがやわらかい。ロイとともに注文していた料理が届く。ロイはふたりの料理を見比べたのち、肉料理を選んだようだった。そして、手振りで先に料理に手を付けるように促すと、お忍びのことについて触れる。


「家の方にも、丁寧に挨拶に来ていただいたようで」

「こちらこそ、ご迷惑をおかけし、申し訳ありません」


 そう、ルーファスが最後に、挨拶に伺いますと言っていたことを思い出す。頭を下げると、セシリーの髪がするりと落ち、ふわりと香水が燻った。


「むしろ、セシリー嬢の方は大丈夫でしたか? 勢いよく連れ戻されてしまったけど」


 そうですね、と昨日の余計なことを思い出しかけ、セシリーは言葉を飲み込んだ。動揺を表に出さないように、微笑を浮かべる。白身魚を焼いてソースをかけた料理をナイフで切り分けるのに集中するように手元に視線を落とした。切り分けると僅かに湯気が立つ。


「勝手に出歩いたことで怒られてしまいましたが、その後、疲れていたようで、馬車のなかでうたたねしてしまいまして……気が付いたら朝だったのです」


 お恥ずかしながら、とセシリーは眉尻を下げてみせた。


「アマベル嬢の様子を伺うこともできず、失敗に終わってしまいましたね」


 ロイの言葉に、セシリーは同意するように頷いた。


(結局、ふたりが一緒にいるところを見ることはできなかったし、ふたりの関係もどうなったのか分からないままだわ……)


 まなざしを膝のうえの掌に落とし、セシリーはため息を吐いた。しばらくは、ルーファスのことを頭のなかから追い出してしまいたい気持ちもある。けれど、何度追い出したところで、彼はすぐにセシリーの真ん中に戻ってきてしまうのだった。

 哀愁を帯びたセシリーのため息はどこか色気を孕んで、テーブルのうえを転がっていった。


「一度、アマベルさまのことでなく、セシリーのことを考えましょう」


 空気を変えるように、アンが明るくそう切り出した。


「わたくしのこと?」


 セシリーが顔を上げてアンを見つめると、少女は力強く頷き返す。


「ええ、あなたのこと。アイリーンさまの婚約のことも含めて、噂が絶えないでしょう。気が付くと、アマベルさまに関する噂が増えているような気がするの。直接は関係ないけれど、セシリーだって、その噂に巻き込まれて困っているでしょう」


 アイリーンの様子と、小言を言うご令嬢たちの様子が頭を過る。そして、まとまることのなかった縁談のこと。


「それは、そうね……。たしかに、困っているわ。噂なんて、すぐに興味を失って消えてしまうと思っていたけれど、なぜか新しい噂が増えていつまでも囁かれ続けている」


 すこし、気になったことがあるのですが、とロイが歯切れ悪く切り出した。


「アイリーン嬢のご実家は急速に拡大し始めた商家であることはご存知ですよね?」


 存じております、と頷いた。アイリーンの父が営む商会は貴族のあいだをうまく立ち回り、力を付け、爵位を買ったと噂されている。実際、アイリーンは男爵令嬢として学院に通っている。


「レオン殿に近づいたのも、鈴蘭商会を狙ったのではないかという噂はご存知ですか?」

「鈴蘭商会を?」


 ええ、とロイは深く頷いた。


「鈴蘭商会は緻密な術式を取り扱っています」


 術式の販売には国の認可と、優秀な魔術師が必要になる。商会を立ち上げた際に、ルーファスがアマベルに依頼されて術式を作成していたはずだった。それは今も細々と続いている。ルーファスの構築する術式は評判が良い。魔力を篭めたときの挙動がスムーズで、そして、時折、思いがけない術式を作り出す。鈴蘭商会でも、人気のある商品のひとつ。そのうえ、術式の解読がされないように特殊インクを用い、さらに術式を見えないようにする術式を重ねがけしていた。ルーファス自身はどちらでも構わないようだったが、アマベルがそうすることを強く主張したのだった。ルーファスの術式を守るために。


「それを狙って、ということですか?」


 セシリーが物思いを巡らせているあいだに、アンが尋ねる。


「あくまで、噂ではあります。独自の輸出入のルートもお持ちのようですし」


 それは、アマベルの欲しい茶葉を手に入れるためのルートだった。外に出しても良いと認められている術式を輸出し、代わりに茶葉を輸入する。

 ただ、とロイは続ける。


「これは答えなくても結構ですが、鈴蘭商会はアマベル嬢とレオン殿がふたりで立ち上げた商会ではありませんよね?」


 その問いをセシリーは曖昧に微笑んで受け流す。女性が商会を立ち上げ商売に口を出すことは良しとされていない。そのため、アマベルには隠れ蓑が必要だった。


「それで、アイリーンさまとの婚約が進んでいない、ということ、でしょうか」


 それは問いかけの形をした確信だった。アイリーンの気持ちは知らないが、アイリーンの親が必要としていたのは鈴蘭商会で、それが手に入らないとするならば、婚約を進める必要はなくなる。そして、レオンもまた、アイリーンに爵位や商会について、正しく伝えていなかった。レオン自身、商会については理解していなかったかもしれないが。


「可能性はあります。まあ、それをアイリーン嬢が知っているのかは、分かりませんが」

「正直に申し上げれば、分かっていないような印象がありますね」


 そうでしょうね、とロイもまた頷いた。


「アマベル嬢が婚約の邪魔をしているという噂を流しているのは、アイリーン嬢かその周囲のご友人だと思いますし、それがどういう意味を持つのかまでは思い至ってない様子ですから」

「もし、その話が本当なら、お姉さまが婚約の邪魔をしている、というのも強ち間違いではないのですね」


 それは、ひどく滑稽なことのようにセシリーには思えた。意図せず、彼らはその噂に踊らされている。


「それはそうですね」


 笑いを堪えるような声でロイも同意する。そうして、笑い飛ばしていかなければ、セシリーはあれこれと囁かれる言葉に捕らわれてしまいそうだった。


「それらの噂を消すにはどうしたら良いのでしょう」

「一番良いのは、新しい噂で上書きしてしまうことでしょうね。セシリー嬢やアマベル嬢の前向きな噂であると良いとは思いますが……」


 そこでロイは口を閉ざした。眉間に皺が寄っている。なにか、と問いかけるように小首を傾げると、ロイが口元を隠すように手を当てる。何か言いたくないことがありそうだった。


「ただ、そうですね、アマベル嬢の噂を利用し、何か企んでいるような気配があるので……」

「たくらんでいる?」

「これは悪い意味ではないのですが、私にも今、言えることが少なくて。ああ、そうですね、試金石なんです」


 試金石。以前、ロイと話したことを思い出す。貴族社会の穏やかに見えて激しい海を泳ぎ切れるかどうかを試されている。


「この噂で篩いを振ろうとしているひとがいるということですね。分かりました。もう少し、耐えてみます。わたくしの婚約者は卒業までに決まれば良いのですし、焦ったところでなにもありませんものね」

「それは……そうですね」


 ロイが力のない相づちを打つと、それまで黙っていたアンが口を開いた。


「今までだってそうだったけれど、しばらくはわたしと一緒に過ごしましょう。ルーファスも顔を出さないし、セシリーをひとりにしないようにするわ」


 それくらいなら、わたしもできるもの、と微笑むアンの力強さにセシリーは救われたような心地になって、視界が滲んでゆく。零れてしまわないように、ぱちぱちと瞬きを繰り返し、そっとアンに抱きついたのだった。ふわり、とやわらかな香りが燻る。


(わたしはアンのことが大好きだわ)


 察したように頭を撫でてくれるアンの手が優しかった。


ここで3章が終わりです。

このあたりのロイくんに纏わる話は、どこかで書くつもりです。

次の更新は、8/19 12:00の予定です。よろしくお願いします。

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