プロローグ:夜会での婚約破棄劇
初めての連載の投稿のため、至らないところもあるかと思いますが、見守っていただけると嬉しいです。
よろしくお願いします!
「アマベル、君との婚約を破棄させてもらう」
その浪々たる声は、さざ波のように寄せては返していた喧噪のなかに響き渡り、しんとした静寂をもたらした。ダドリー伯爵令嬢であるセシリー・ネヴィルは、その声に誘われるようにそっと顔を上げる。卒業を祝う夜会会場である王立学院のホールのシャンデリアが光を落とし、その燦めきの向こう側、二階テラスへと続く階段の上で、男性が傍らの女性の腰を抱きながら一カ所を見下ろしていた。
セシリーの傍らに、そっと赤毛の影が寄り添う。彼女のエスコート兼幼馴染みのルーファス・キャンベルだった。彼もまた、困惑するように様子を伺っている。
階段のうえに立ち、金の髪に灰青色の瞳を持つその男性はレイ伯爵の第三子にあたるレオン・ハワード。隣に立つ女性は金がかった薄紅の髪に碧の瞳を潤ませた、バーグ男爵令嬢のアイリーン・パーシー。近頃、勢いのある金羊商会の娘で、爵位を買ったのだと噂になっているのをセシリーも聞いたことがあった。
「理由をお伺いしても?」
レオンの宣言に対し、人々のなかから抜け出してきた女性が凜とした表情で尋ねた。セシリーの姉のアマベル・ネヴィルは、取り乱すことなく落ち着いた声音をしていた。艶やかな黒い髪を結い上げ、黒い瞳はまっすぐに上に立つレオンを射貫いている。紺紫の生地に金の刺繍が施されたドレスを纏ったアマベルは、背筋をぴんと伸ばしていた。その佇まいがうつくしく映えている。
「君がアイリーンに執拗に嫌がらせをしていたことは分かっている」
そうだね、というようにレオンは、アイリーンの表情を覗き込むように見つめた。アイリーンは、ちらりとアマベルの方に濡れたまなざしを送ったのち、そうだとゆっくりと頷いてみせた。レオンと近頃、仲が良いと噂になっているというアイリーンの姿は儚げな天使のようで、あちらこちらから吐息が零れ聞こえる。その様子に、どうだとレオンは胸を張ってアマベルへと視線を戻した。アマベルは表情を動かすことはないものの、深いため息をひとつふたつ、ゆっくりと漏らす。身に覚えがなにもない、と言うように。
「そのような覚えはないのですが……」
「嘘をつくな! 君がそのような女性だとは思わなかった。なにより、魔力のない人間との婚姻はごめんだ。よって、この婚約は破棄し、アイリーンと婚約を結び直すことにする」
アマベルの声に被せるように告げるレオンに、彼女はさすがに呆れたように眉根を寄せた。話を聞いてもらえないことに、心の襞が逆撫でられているようだった。なにより、魔力がないことを理由に挙げられたこともまた、身体のうちを重くしてゆく。
「嘘ではないのですが。わたくしのお話は聞いていただけないようですね……この件について、家には話が通っております?」
「そ、それは、これから話をする予定だ」
動揺するように紡がれた言葉に、落胆する心を隠せないままアマベルは視線を落とした。その哀愁を帯びた視線が、アマベルを艶めいて見せる。
そもそも、とセシリーもおもう。
(今日の夜会だって、婚約者なのに急にエスコートを断ってきたのはレオンさまよ。どう見たって、問題のある行動をしているのはあちらの方なのに)
信じられない思いで、この状況を見つめるセシリーに対し、姉のアマベルは淡々と言葉を紡いでゆく。
「承知いたしました。理由等を含め、父に正式に申し出ていただけますよう、よろしくお願いいたします」
それでは、とアマベルは話を切り上げ、緩やかにカーテシーを行うと、踵を返した。これ以上はこの場で話すつもりはないということだろう。セシリーは、呆然と姉の婚約が破棄される様を眺めていることしかできなかった。まるで、突然目の前で始まった劇でも見ているような心地で。アマベルの姿が会場から消えると、喧噪がふたたび戻ってくる。
「帰りの馬車の準備をしてくる。セシリーはアマベルを探して」
隣に居たルーファスがそっと囁くと、人混みを縫うように動きだす。ルーファスの言葉と喧噪の波に背を押されるように、セシリーもゆったりとした動きを装いながらも、できるだけ急いでアマベルの後を追いかけたのだった。