愛の伝道師⑤
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結局よしおは入信した。
「入信」という言葉の響きからは荘厳な儀式とか額突く信者とか天井から光が降り注ぐとか、そういった劇的な絵面を想像するかもしれないが、実際の手続きはA4用紙一枚の記入だ。市区町村の図書館カードを発行するのと大差がない。
氏名。鈴木よしお。住所。記入。電話番号。記入。職業。ビルメンテナンス清掃業。入会のきっかけ。
よしおは少し考えて、こう書いた。
「愛を学びたいため」。
入会受付を担当した五十代の男性信者が書類を確認する手を一瞬だけ止めたのは許されるべきだろう。入会のきっかけ欄に「愛を学びたいため」と堂々と書く人間はおそらく教団八年の歴史において初めてだった。通常この欄には「人間関係を改善したい」「心の平安を求めて」「友人の紹介」等の穏当な文言が並ぶ。「愛を学びたいため」は正直に過ぎた。正直であることと異様であることは時として紙一重なのだ。
入会金は五千円。月会費は三千円。宗教法人としては良心的な部類に入る。無論この価格設定には理由がある。入口のハードルを下げて門戸を広く開け、信者を定着させてから徐々に「感謝の供物」の額を引き上げていくのが真心の泉のビジネスモデルだ。携帯電話の二年縛り契約と構造は同じである。
よしおは財布から五千円札を一枚取り出し、受付の男に手渡した。
「よろしくお願いします」
角度、タイミング共に申し分ない完璧な礼であった。
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ところで、何故よしおが入信を決めたのか。
あのセミナーで場の空気を完全に破壊してから三日後の事だ。よしおは自宅アパートの床の上で胡座をかいて考えていた。光沢度五十三。いつも通りだ。
よしおの分析は以下の通りだった。
第一に、あの教団には愛を求めている人間が集まっている。全員が何かを失い、何かを渇望し、何かを取り戻そうとしてもがいている。よしおと同じだ。目的を共有する者はたとえ方法論が異なっていても同志と呼んでいい。
──仲間だ
よしおの胸の中で何かが微かに温まった。施設育ちのよしおにとって「仲間」という概念は常に手が届きそうで届かない蜃気楼のようなものだったが、あの場の人間達は少なくとも同じ砂漠を歩いている者同士だった。方角は違うかもしれない。目指すオアシスの名前も違うかもしれない。だが砂漠を歩いているという一点だけは同じだ。
第二に、心の解放セミナーは愛に関する一次情報の収集拠点として極めて優秀だ。参加者が自発的に自身の愛と喪失の経験を語ってくれる。わざわざ取材に出向かなくても情報が向こうから来る。証券マン時代でいえば顧客が自ら注文を持ってきてくれる夢のような環境であり、よしおはこの効率性を高く評価した。
第三に月会費三千円。安い。喫茶店のコーヒー四杯分で月四回のセミナーに参加できる。一回あたり七百五十円。立ち食い蕎麦と同じ価格帯で愛の一次情報が入手できるのだから費用対効果は申し分ない。
よしおの入信は以上三点の合理的判断の結果であり、信仰心とは一切関係がない。
彼は教義を信じて入信したのではない。教義に興味がないから入信したのだ。
教義を信じている人間は教義に縛られる。教義に興味がない人間は教義に縛られない。縛られない人間が閉鎖的なコミュニティの内部で自由に動くと何が起きるか。
その答えは六週間後に判明する。
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第二回のセミナーにもよしおは参加した。
この日のテーマは「感謝の共有」だった。日常の中で感じた小さな感謝を参加者が順番に語る形式だ。既存信者の女性が「スーパーのレジで前の方が落とした小銭を拾ったらありがとうと言われて嬉しかった」と語り、別の信者が「電車で席を譲ったら笑顔をいただけた」と語った。
よしおの番が来た。
「今日、現場のエントランスホールを清掃した際に光沢度が四十六から五十一に上がりました。床に感謝しています」
「……何に感謝しているんですか?」
汐里が訊いた。
「床にです」
沈黙。
よしおは真顔だった。笑わせようとしているのではない。光沢度を五ポイント上昇させるという事は床がワックスを適切に吸収しバフ研磨に対して良好な反応を返したという事であり、床との信頼関係なくしてこの数値は達成できない。よしおはこの信頼関係を「愛に近い何か」だと認識している。
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セミナーの帰り道。よしおは考えていた。
自分はこの場所に受け入れてもらったのだ。ありがたい話である。
自分に何ができるか。
答えはすぐに見つかった。あの集会所の床は死んでいるのだ。光沢度は推定で十二。クッションフロアの表面に黒ずみとヒールマークが蓄積し、ワックスは半年以上塗り直されていない。ビルメンテナンス技能士の目には物理的な死体だ。
翌週のセミナー後、よしおは汐里に声をかけた。
「水沢さん。ここの床の清掃をさせていただいてもいいですか。仕事柄、得意なんです」
「え……ありがとうございます。気づいた時にしていただければ助かります」
汐里の想定はモップがけだったに違いない。
数日後の土曜日、よしおはレンタカーのトランクからポリッシャーを降ろした。続いて剥離剤、リンレイのハイテクフローリングコート、バケツ、スクイジー。総重量約二十五キロ。「気づいた時のモップがけ」の装備ではない。
たまたま集会所に来ていた信者が二名、この光景を目撃した。
「……何か手伝えることありますか」
「ありがとうございます。バケツに水を汲んでいただけますか」
一時間後にはさらに三名が加わった。ポリッシャーの音を聞いて覗きに来た者もいれば、通りがかりに足を止めた者もいる。よしおが剥離と洗浄を担当し、信者達がモップで水を回収し、乾燥を待ってワックスを二度塗りした。四時間。
光沢度は五十三。蛍光灯の光が床面にくっきりと映り込んでいた。
なお作業中、一階と二階を繋ぐ階段の踊り場でよしおの右腕の産毛が逆立った。一秒にも満たない瞬間。空気の温度が局所的に二度ほど低い箇所があったのだ。よしおは手を止めなかったが、その場所だけは記憶した。
翌週のセミナーで足元の光沢には全員が気づいた。土曜に手伝った五名がその経緯を語る。一緒に汗を流した相手を全面的に警戒し続けることは心理的に難しい。共同作業の記憶は警戒心の溶剤だ。
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第三回セミナーからお茶の時間が導入された。
セミナー終了後の三十分間、菓子と飲み物を囲んで信者同士が自由に交流するのだ。教団としてはコミュニティの結束を強化する目的だったのだが、ここに一つの想定外が紛れ込んでいた。
鈴木よしおである。
よしおはお茶の時間によく喋り、よく聞いた。矛盾ではない。喋りながら聞くことができるのが証券マンだ。相手に喋らせつつ自分の主張を通す技術は十年のキャリアで骨肉に染みついている。
感染は静かに始まった。
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最初の感染者はスーツの中年男だった。
いまや男にはここしか居場所がない。妻のいない家。減り続ける口座残高。返信の来ない転職サイト。その中で唯一、自分の話を聞いてくれる場所がこの集会所だった。
お茶の時間によしおが男の隣に座った。たまたまだ。空いていた椅子がそこにあっただけだ。これ幸いと男はよしおに話しかける。言いたい事があったのだ。
「先日のお話を……少し考えたんです」
男が切り出した。
「どのお話でしょう」
「技術、という言葉です。愛は技術だと」
よしおは重々しく頷く。
「僕は三十年間、営業の技術ばかり磨いてきました。新規開拓、プレゼン、クレーム処理、上司を宥める技術、部下を叱る技術、顧客の決裁権者を一発で見抜く技術。で……考えたんですけど、それを一度も家庭で使おうとしなかった」
「分かります」
「分かりますか」
「僕もそうでした。証券マンの技術と夫の技術は別物だと思い込んでいた。でも本当にそうでしょうか。相手のニーズを把握する、相手の不安を言語化してあげる、信頼関係を時間をかけて構築する。これは営業の基本であると同時に愛の基本でもあると僕は考えています」
男は紙コップの中のぬるい麦茶を見つめて黙った。
「……一理あるかもしれないな」
一理。
一理あるかもしれない。
この「かもしれない」が厄介だ。
「一理ある」と言い切るよりも「あるかもしれない」と留保をつける方が人間の防衛線は容易に突破される。全面的に同意した人間は翌朝「いや待て」と我に返れる。しかし「一理あるかもしれない」と思った人間は「あるかないかを検証しよう」というフェーズに入ってしまう。検証とは思考することだ。思考するとは対象に時間を割くことだ。時間を割くほどに「一理」は「二理」に育ち、いつしか「三理」が芽を出す。雑草の増え方と同じだ。
翌週のセミナーのお茶の時間で、男は別の参加者にこう言った。
「愛も技術だと思うんですよね。鈴木さんの言う通り……」
先生の教えではなく。
鈴木さんの言う通り。
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二人目は介護離職の女性だった。
第四回セミナーのお茶の時間。女性は部屋の隅の椅子に座って俯いたまま麦茶を飲んでいた。今日も泣いた。泣くことしかできない自分が惨めで、その惨めさをここに晒すしかできない自分がまた惨めで、惨めさの入れ子構造の中で女性は黙っていた。
よしおが近づいた。
「この前は失礼なことを言いました。すみません」
よしおが頭を下げた。女性は少し面食らった。
「……いえ」
「あなたのお話をずっと考えていたんです」
「私の……?」
「はい」
よしおは穏やかに言った。
「あなたはお母様の介護を三年間されている。毎日、休みなく。それは……僕の言葉で言えば、愛の実践です」
女性の手が止まった。
「僕はここに来て愛を学ぼうとしています。本を読んで、映画を観て、人の話を聞いて。ですがあなたのように愛を毎日実践されている方の前では僕の勉強など机上の空論です。あなたの三年間は僕にとっての教科書です。僕が百冊本を読むよりもあなたの一日の方がずっと多くの事を教えてくれる」
女性の目に涙が溜まった。
三年間。誰にも言われなかった言葉だった。
母の主治医は「大変ですね」と言った。ケアマネージャーは「無理しないでくださいね」と言った。数少ない友人は「偉いね」と言った。全部が優しい言葉で全部が労いだった。だが、あなたがやっていることには価値がある、とは誰も言わなかった。
よしおは教科書だと言った。
無論、よしおの真意は「あなたの経験は僕が愛を学ぶための一次情報として極めて有用です」であり、つまるところデータが欲しいのだが、そんな事実は今この瞬間には何の関係もなかった。
女性は初めて自分の介護を「失っているもの」ではなく「持っているもの」として認識した。
認識の転換だ。三年間の苦痛が突然「意味」を帯び始めた。
これは危険な事だ。
なぜ危険かといえば、意味を与えてくれた人間に人は依存するからだ。無意味な苦痛に意味を見出させる行為はあらゆる宗教の根幹であり、カルト教団が信者を獲得する際の最も効率的な兵器でもある。真心の泉もまた園田律子に意味を与えることで彼女を取り込んだ。
だが今この場でその兵器を振るったのは教団ではない。鈴木よしおだ。
教団の兵器庫から教団の弾薬を持ち出して教団の敷地内で教団の管轄下にある標的に向かって教団とは無関係に発砲した男がいる。
これを問題と呼ばずして何を呼ぶのか。
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六週間が経過した。
鈴木よしおが真心の泉に入信してから六週間の間にセミナーに参加した延べ人数は四十二名。内訳は新規参加者十一名、リピーター三十一名。
四十二名のうち、お茶の時間によしおと三分以上の会話を交わした者は十七名。
十七名のうち、会話の中で「体系」「技術」「一次情報」「方法論」のいずれかの語彙を自発的に使用した者は九名。
九名のうち、翌週以降のセミナーで「先生の教え」よりも「鈴木さんの考え方」に言及した回数が多かった者は六名。
六名。
よしおは教団を乗っ取ろうとしているのではない。
無いが──しかし。
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最初に異変を言語化したのは例のテスティモニアルの男だった。既存信者の四十代、穏やかな顔の男。名を工藤という。入信三年の中堅信者で汐里とは別種の教団の要だ。汐里が新規獲得の槍ならば、この男は信者定着の盾である。
第六回セミナーのお茶の時間。工藤の耳にスーツの中年男が新規参加者に向けて発した言葉が飛び込んできた。
「鈴木さんの言う通り、愛を技術として体系的に学べたら……」
鈴木さんの言う通りというフレーズが、男の表情にぴしりと罅を入れる。
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翌週。工藤はセミナー前の集会所の廊下でよしおを待ち構えた。
よしおは清掃を終えたばかりでモップを手にしている。光沢度は五十三を維持していた。
「鈴木さん。少しよろしいですか」
「はい」
よしおはモップを壁に立てかけた。
「率直にお聞きします。先生の教えをどう思われていますか」
穏やかな声だが目に力がこもっている。質問の形を取った警告だ。
「素晴らしいと思っています」
嘘ではない。愛は行為──まさにその通り。
「では皆さんとお話される際に、先生の教えとの整合性は意識されていますか」
要するに「お前は教義と矛盾する事を言い触らしていないか」と問うている。
よしおは二秒間黙った。
証券マンの二秒は一般人の二十秒に匹敵する。この男はかつて二秒で一億円の売買を決断していた。
「僕は先生の教えと矛盾する事を言ったつもりはありません。先生は『愛は行為である』と仰っている。僕もそう思います。ただ、行為には技術が伴います。技術は学習で習得できる。つまり愛は学習可能である。これは先生の教えの延長線上にあるのではないでしょうか」
工藤は反論しようとしたが、言葉が出なかった。
「愛は行為である」→「行為には技術が必要」→「技術は学習で身につく」→「ゆえに愛は体系的に学べる
そう、よしおは教義を否定していない。教義を土台にして、その上に自分の構造物を建てているだけだ。
「……確かに、筋は通っていますね」
工藤が認めた。
認めてしまった。
敗北である。
工藤は今後、信者の前でよしおの主張を教義に反するものとして退ける根拠を一つ失った。論理で負けた人間に残される手段は感情的否定か権威への訴えかの二択だが、どちらの手段も有効ではないどころか事態を悪化させかねない事が理解できる程度には男は賢かった。
よしおは微笑んで言う。
「僕は先生の教えを否定したいわけではないんです。もっと具体的に、一人一人が日常で実践できる形に落とし込めたらいいなと思っているだけです。だって皆さん、愛を求めてここに来ているんですから」
愛を求めてここに来ている──まさにその通りである。
皆寂しいのだ。
悲しいのだ。
愛されたいし、愛したいのだ。
だからこそ工藤もここにいる。
結局、彼はよしおを追求する事はできなかった。
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水沢汐里は困惑していた。
困惑の種類が問題だった。伝道師として四年のキャリアを持つ汐里は新規信者の問題行動には慣れている。酔って暴れる者、他の信者に絡む者、セミナー中に眠り込む者。そういった類の問題であれば対処法は確立されている。
鈴木よしおは暴れない。絡まない。眠らない。
毎週来る。遅刻しない。他の参加者の話を真剣に聞く。お茶の時間には積極的に交流する。集会所の清掃までしてくれる。
模範的な信者だ。模範的な信者が、教義とは無関係の思想を教団内部に浸透させている。
問題を一文に要約するとこうなるが、この一文を報告書にまとめる作業に汐里は三日を要した。
宛先は地区責任者の高梨だ。三十代後半の男でO区を含む都内西部の五箇所の集会所を管轄している。汐里の直属の上司であり、月に一度各拠点の運営報告を受けている。
汐里は何度も書いては消した。
「鈴木という信者が教義と異なる事を言っている」──正確ではない。教義と矛盾する事は一言も言っていない。教義の延長線上の事を言っているだけだ。
「鈴木という信者が他の信者に影響を与えている」──事実だが、影響を与える事それ自体は問題ではない。教団はむしろ信者間の相互影響を推奨している。
問題は影響の方向だ。教団のコントロール下にない方向へ信者達が動いている。
汐里は最終的にこう書いた。
「入信六週の新規信者・鈴木よしお氏について。氏の言動は教義に反するものではありませんが、他の信者の発言に教義外の語彙の増加が見られ、セミナーの方向性に微妙な変質が生じています。現時点では問題行動とは断定できませんが、念のためご報告いたします」
汐里は報告書をメールに添付し、送信ボタンを押した。
画面を閉じ、椅子の背もたれに身を預けて目を閉じた。
足元の光沢が瞼の裏に浮かんだ。ぴかぴかの、磨き上げられた床である。
──鈴木さんが来てから、床だけは確実に良くなっていますね。
まあ、床だけはそうだろう。
床だけは。




