愛の伝道師④
◆
皆黙りこくってしまった。
エアコンの稼働音がブウゥンブウゥンと響く。パイプ椅子に腰掛けた七名の人間と、円の中心に立った進行役の計八名が、合計八秒間、誰一人として口を開かなかった。
八秒間の沈黙というのは数字にすると大したことがない。しかし集団の沈黙における八秒は個人のそれとは質が違う。一人なら八秒は一瞬だ。八人が同時に黙る八秒は一分にも感じられる。
水沢汐里が口を開いた。
「鈴木さん、ありがとうございます。とても…正直な方ですね」
否定から入らないあたり、汐里はこなれている。
「さて、今日の心の解放セミナーはこれで終了です。皆さん、ご参加いただきありがとうございました。次回は来週の同じ曜日、同じ時間に開催いたします。お気軽にいらしてください」
参加者達が立ち上がり、各々帰る準備をしていくが──その表情はどれも朗らかとは言い難い。よしおの事を、まるでキチガイを見る目で見ている。まあ当然だろう、こういう場であんなことをいいだすなんて、キチガイ以外の何物でもないし、なんだったらよしおは普通にキチガイなのだから。イエス・キリストですらよしおをキチガイと罵るであろう。よしおがキチガイでなければ一体全体他の誰がキチガイだというのか。
「お世話になりました」
よしおは丁寧に一礼して、最初に退室した。
階段を降りる足音が二階のフロアに微かに響き、やがて消えた。よしおの足音が完全に途絶えた瞬間、残された七名の間に堰を切ったように息が漏れた。
そして──。
・
・
・
先ほどのセミナーに参加したスーツの中年男は駅のホームにいた。
セミナーを出てから約十二分。雑居ビルの階段を降り、商店街を抜け、最寄り駅の改札をくぐり、上り線のホームのベンチに座った。ここまでの行動に淀みはなかった。
電車が来たが、男は立ち上がらなかった。
次の電車は七分後だ。あるいはその次でもいい。妻のいない家に帰る速度に意味はない。
それに、思うところがあったのである。
男はよしおの顔を思い出していた。穏やかな顔。善良な顔。あの顔のまま「相手の全てを咀嚼して嚥下して血肉とする」と言った男の、あの穏やかな顔を。
頭がおかしい。
それは間違いない。あの男は頭がおかしい。三十年間営業畑を歩いてきた人間には人を見る目がある。少なくとも五十二歳まで管理職を務めた実績がそれを裏付けている。あの鈴木という男は危険だ。関わるべきではない。
──だが。
男のこめかみの裏で、よしおの言葉の断片が鋸の歯のように往復していた。
技術不足です。技術は学習で補えます。
──技術か。確かに。
三十年間、男は営業の技術を磨いてきた。新規開拓の技術。プレゼンの技術。クレーム処理の技術。上司を宥める技術。部下を叱る技術。顧客の決裁権者を一発で見抜く技術。あらゆる技術を習得した。
しかし「夫」の技術だけは、一度も訓練しなかった。
当然だ。誰がそんなものを訓練するというのか。結婚生活は研修会場ではないし、妻は顧客ではない。営業スキルを家庭に持ち込む男は碌な目に遭わないと相場が決まっている。
遭わないのだが。
──今度は失敗しないために、と言っていたな
あの男は元妻のために愛を学び直すと言った。全員の前で堂々と宣言した。カニバリズムを連想させる狂った哲学を開陳した後に、それでもまだ元妻を愛していると言い切った。
それを狂気だと断じるのは簡単だ。しかし三十年の勤続と引き換えに得た退職金を切り崩しながら、妻の去った家で一人暮らしを続けている五十二歳の男が、果たして他人の狂気を笑える立場にあるだろうか。
──いや、ない。
男は自分の滑稽さに気づいて唇を歪めた。
ならば。
愛を技術として学び直すという発想は──あの男の発言の中で唯一まともに聞こえた部分だけを切り取るならば──そんなに的外れだろうか。三十年間営業を学べた。ゴルフだって学んだ。エクセルもパワーポイントも学んだ。それなのに「妻を愛する技術」だけは学ばなかった。学ぶ必要があるとすら思わなかった。
もし三十年前に戻れるとしたら。
男はその思考を振り払おうとした。こめかみの奥が微かに疼いている。セミナーの部屋の蛍光灯のせいだろう。安い蛍光灯は目に悪い。三十年間オフィスで働いた男はそれをよく知っていた。
電車が来た。今度は立ち上がった。車両に乗り込み、吊革を掴んだ。窓に映る自分の顔は疲れている。いつも通りだ。
だが、いつも通りのはずの帰り道の中で、あの男の穏やかな声がこめかみの裏に薄く張り付いて剥がれなかった。
◆
介護離職の女性はバスに乗っていた。
座席は空いていたが立っていた。座ると眠ってしまう。眠ると乗り過ごす。乗り過ごすと母の夕食が遅れる。夕食が遅れると投薬のスケジュールが崩れる。スケジュールが崩れると夜間の不穏が悪化する。不穏が悪化すると徘徊する。徘徊すると警察に連絡しなければならない。
因果の鎖だ。介護とはつまり因果の鎖に繋がれた生き方のことであり、鎖の長さが行動の半径を決定する。バス停からの距離。薬局の営業時間。デイサービスの空き状況。担当ケアマネの連絡がつく曜日。それらが鎖の環であり、環はひとつでも外れると全体が瓦解する。
女性はバスの窓に映る自分の顔をちらりと見た。老けている。二十八歳にしてはひどく老けている。三年前の写真と並べたら他人に見えるだろう。
頭の中で時計が回っている。バス下車まであと十四分。徒歩八分。着替え三分。三十三分後には母の部屋に立っていなければならない。
そのカウントダウンの隙間に、よしおの声が滑り込んできた。
──相手の全てを自分の中に取り込む。
女性は眉を顰めた。あの男の話は気味が悪かった。自分の傷を「貴重なデータ」と呼ばれた瞬間に椅子を引いた自覚はある。あの男には近づかないほうがいい。間違いなく頭がおかしい。
──でも。
相手の痛みを自分の痛みにする。
それは彼女が三年間毎日やっていることそのものだ。
母の失禁は彼女の洗濯だ。母の嚥下障害は彼女の刻み食の調理だ。母の昼夜逆転は彼女の不眠だ。母の徘徊は彼女の午前三時の捜索だ。母の認知機能の低下は彼女の社会的孤立であり、母の排泄の介助は彼女の腰痛であり、母が娘の名前を忘れた日は彼女が泣いた日だ。
境界線はとうに消えている。
自分がどこまでで母がどこからかという区分はもうない。自分の生活と母の介護を切り分けることは、今の彼女には不可能だ。
よしおはあの場で「一つになること」を愛の最高形態だと述べた。二つの器がひとつになれば裏切りの概念は消滅すると。
彼女と母は、もうひとつの器になっているのではないか。
であるならば、この三年間は──眠れない夜と終わらない洗濯と繰り返される徘徊の三年間は愛の完成形ではないのか。
──そんな事あるわけないでしょ。
そんな馬鹿な話があるわけがない。あるわけがないのだが、しかし。
バスが停留所に着いて女性は降りた。
歩きながら、自分がなぜあの男の名前を覚えているのか不思議に思った。鈴木よしお。苗字と名前をセットで記憶している。普段ならセミナーで会った人間の名前など翌朝には消えているのに。
理由は分からなかった。
低血糖のせいだろう、と女性はもう一度自分に言い聞かせた。
◆
水沢汐里はパイプ椅子を畳んでいた。
既存信者の三名が片付けを手伝っている。四名目は用事があると言って先に帰った。実際のところあの男にだけ用事があるとは考えにくく、よしおの発言に当てられて早々に退散したかったのだろう。責めはしない。
「汐里ちゃん」
信者の一人が声を潜めた。五十代の女性。入信三年。温厚だが心配性。
「あの人、次回も来るのかしら」
「さあ…」
「怖かったよね。咀嚼して嚥下するって…」
「大丈夫ですよ。少し変わった方だっただけです」
汐里は笑顔で答えた。プロの笑顔だ。
嘘だった。
少し変わった方。そんな生温い言葉で括れる存在ではない。あの男は──鈴木よしおは根本的に何かが歪んでいるのだ。
だのに。
汐里は同じ椅子を三度目に拭いている自分に気づいた。
愛は行為である──先生の教えだ。
汐里の血肉に溶け込んだ信仰の根幹。
自分と相手が同じ肉と魂になってしまえばいいんです──鈴木 よしおの言葉だ。
二つの文を並べた瞬間、汐里の背筋を冷たいものが走った。なぜなら、後者──よしおの言葉の方が救いに近いと思ってしまったからだ。
先生の教えは段階を踏む。心の解放、触れ合い、魂の交感。接触の密度を高め、皮膚を通じて魂が溶け合っていく。それが教義の骨格だ。
よしおは段階をすべてすっ飛ばした。皮膚の接触ではなく肉の咀嚼。融合ではなく吸収。先生の教えを百倍に濃縮してフィルターを外したらよしおの哲学になる。
もしも教義の延長線上にあの男の結論があるのだとしたら。
汐里はその思考を振り払った。
「真心の泉」のホームページ。本URLは作者の手により作成された、「鈴木よしお地獄道」のフレーバー・ページです。HTMLにより作成されたページをクラウドフレアにデプロイしたもので、実際の宗教法人の宣伝等ではありません。
https://magokoro-no-izumi.pages.dev/




