愛の伝道師③
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よしおはこの日、待ち合わせをしていた。
愛についての学びの機会を得られるということで話を聞くことにしたのだ。
だが脳みそにキ印の焼き印が刻まれてしまっているよしおといえど、胡乱な団体に「はいそうですか」と入団するほど愚かではない。
よりディープな、よりプリミティブな、そしてよりフェティッシュな説明が聞きたいと考え、この日面談の時間を設けた。
約束の時間は午後二時だった。
よしおが集会所の入った雑居ビルの前に到着したのは午後一時五十二分である。八分前。これは偶然ではない。よしおは初訪問の場所には八分前に着くようにしている。五分前行動が社会人の基本だが、初訪問の場合は道に迷う可能性を加味して三分を余分に計上する。証券マン時代に叩き込まれた習慣であり、祓い手としての裏稼業を始めてからも変わっていない。
彼は時間に几帳面なのだ。頭がおかしいが、マナーはしっかり守る。「社会人」という言葉は鈴木よしおの代名詞である。
O区の商店街から路地を二本入った場所にある雑居ビル。築年数は三十年前後と見える。外壁のタイルが数枚剥落しており、エントランスの集合ポストには錆が浮いている。一階はシャッターの下りた元・何かの店舗。二階が「コミュニティスペース 泉」。三階は税理士事務所。四階は空きテナント。
賃料はおそらく坪単価で八千円から一万円の間だろう、とよしおは見当をつけた。O区のこの辺りは築古の雑居ビルが多く、テナントの入れ替わりも激しい。宗教法人が賃貸契約を結ぶ際には用途を「集会所」と申告するのが一般的だが、大家が宗教活動と知っていて貸しているのか、知らないまま貸しているのかは五分五分だろう。知っていた場合、家賃を相場より高く設定されている可能性がある。
よしおがそんな事を考えるのは別に鋭い洞察でも何でもなく、不動産の賃貸構造について一定の知識があるだけだ。証券を売っていた頃にREITの説明で嫌というほど資料を読まされた名残であり、こうした知識が役に立つ場面は人生において驚くほど少ない。今がまさにその「驚くほど少ない場面」のひとつだった。
午後一時五十五分。ビルの狭い階段を上る。
二階のドアは半開きで、中からエアコンの稼働音が漏れていた。
「鈴木さん! いらっしゃい」
水沢汐里が笑顔で迎えた。昨日書店の前で声をかけてきた女だ。清潔感のあるブラウスにロングスカートという格好は昨日と同じだが、色が違う。昨日は白、今日はクリーム色。首元のペンダントは同じだ。教団の紋章らしきものが刻まれた小さなメダリオン。香水はブルガリかシャネルの控えめな何か。
よしおはといえば服装は清潔だが明らかに安い。量販店の無地のシャツと綿のスラックス。組み合わせに個性がないが問題はない。よしおは服装ではなく、トークで個性を出していくタイプだ。
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集会所の内部はよしおの想像通りだった。
約十五坪の空間にパイプ椅子が円形に並べられ、中央の低いテーブルに菓子と紙コップとペットボトルの茶が置かれている。壁には横断幕が一枚。
「愛は言葉ではなく、行いのなかに」
先生の言葉だという。先生が誰なのかはよしおには分からない。壁に写真はない。パンフレットにも顔写真はない。文字だけが掛かっている。
よしおはパイプ椅子のひとつに腰を下ろし、室内を見渡した。
参加者は全部で七名。新規がよしおを含めて三名、既存の信者が四名。汐里は進行役として立っている。
新規の一人目は五十代と思しき中年男性で、スーツのジャケットを着ている。平日の午後二時にスーツでここにいるという事実が、この男の現在の社会的立場について多くを語っている。目元の皺が深く、頬の肉が落ちている。体重が急激に減った人間の顔だ。持って半年というのがよしおの見立てである。
二人目は二十代後半の女性。化粧をしていない。長い髪を無造作に束ねている。服は清潔だが皺が目立つ。アイロンをかける気力がない、あるいはアイロンを持っていない。爪が短く切られている。介護をしている人間の爪だ。介護職の人間は爪を短く切る。利用者の肌を傷つけないためだ。よしおはビルメンの仕事で介護施設の清掃に入った経験が何度かあり、その時に職員の爪の短さに気づいていた。
既存信者の四名はいずれもよしおより年上に見えた。皆、穏やかな表情をしている。
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「それでは、今日の心の解放セミナーを始めさせていただきます」
汐里が円の中心に立ち、柔らかな声で切り出した。
「ここは安全な場所です。皆さんの言葉はこの部屋の外には出ません。今日は『喪失の共有』というテーマで、それぞれが心の中に抱えている痛みを──手放す、というと大げさかもしれませんが少しだけ、ここに置いていっていただければと思います」
喪失の共有。グリーフ・シェアリングと呼ばれるカウンセリング技法の一種だ。
本来この手法は臨床心理士あるいは認定カウンセラーの資格を持つ専門家が管理する場で実施されるべきものであり、素人が見様見真似でやると参加者の心的外傷を悪化させる危険がある。特に、他者の激しい感情表出に引きずられて自身のトラウマが再燃するセカンダリー・トラウマティゼーションのリスクは、専門家であっても制御が難しい。
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最初に口を開いたのはスーツの中年男性だった。
名前は伏せる。ここでは彼の名前に意味はない。
「去年の十一月に、会社を辞めました。辞めた、というか……辞めさせられました」
男の声は低く、乾いていた。
「三十年勤めた会社です。新卒から、ずっと。営業一筋で。上から数字を出せと言われれば出しましたし、出なければ出るまでやりました。管理職になってからは部下の数字も背負いました。で、早期退職の募集がきて……」
男は一度言葉を切った。
「妻には打ち明けられませんでした。三ヶ月間、毎朝スーツを着て家を出て、夕方まで図書館にいました。転職サイトに登録しましたが五十二歳の元営業管理職を欲しがる会社はほとんどありません。妻にバレたのは口座の残高が急に減ったからです。ローンの引き落としが……」
声が震えた。
「妻は怒りませんでした。怒ってくれた方がまだ楽だったかもしれない。ただ黙って、三日後に実家に帰りました。それから半年です」
既存信者の一人が男の手にそっと自分の手を重ねた。
「辛かったですね」
男は下を向いたまま、小さく頷いた。
ラブ・シャワーの第一段階である。ターゲットの吐露に対して即座に肯定と接触を返す。心理学的にはストローキングと呼ばれる行為であり、人間の承認欲求に対して最も原始的かつ効果的に作用する。温かい。確かに温かい。この温かさが本物か偽物かという問いは、凍えている人間にとっては意味を持たない。
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二人目は若い女性だった。
「母の介護を……しています」
声が小さい。俯いている。
「母が脳梗塞で倒れたのが三年前で、左半身に麻痺が残りました。最初はデイサービスと訪問介護でなんとかなっていたんですが、認知症の症状も出てきて……徘徊が始まってからは、仕事を辞めるしかありませんでした」
日本における介護離職者数は年間約十万人とされている。うち女性が約八割。介護離職後に再就職できた割合は三割に満たず、残りの七割は貯蓄を取り崩しながら無収入で介護を続けている。この国の介護制度は「家族がいること」を暗黙の前提としており、家族がいない場合、あるいは家族が一人しかいない場合、その一人に全荷重がかかる設計になっている。
設計ミスではない。設計通りだ。そういう制度なのだ。
「友達とも会えなくなりました。最初は連絡をくれていたんですけど……だんだん……」
女性の目から涙が零れた。
既存信者がティッシュを差し出し、隣に座る信者が女性の背中を撫でた。
「あなたは一人じゃないですよ」
セミナーの場としては模範的な展開だ。孤立した人間に「あなたは一人ではない」と伝える。これは嘘ではない。少なくともこの部屋の中では一人ではない。部屋を出た瞬間にまた一人に戻るという事実は今は棚に上げてある。
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三人目。既存信者の男が立った。四十代。穏やかな顔。穏やか過ぎる顔。
「僕も、ここに初めて来た時は同じでした」
声は落ち着いていた。
「妻と離婚して、子供にも会えなくなって。仕事はあったけど、何のために働いてるのか分からなくなった時期がありました。休みの日に一日中テレビを点けたまま何も見ていない。そういう日が半年くらい続きました」
男は穏やかに微笑んだ。
「でも今は違います。ここに来て、仲間ができて。先生の教えに触れて、愛というものが……愛が人と人を繋ぐものだということが、やっと分かった気がします。だから皆さんも、大丈夫です」
証言のフェーズだ。かつて自分も同じ苦しみの中にいたが、教団に出会って救われた──という実例を新規参加者に提示する段階であり、広告業界でいうテスティモニアル(体験者の声)と構造は全く同じだ。化粧品の広告が「※個人の感想です」と但し書きをつけるのは景品表示法の要請だが、宗教にはその義務がない。
スーツの男が顔を上げた。若い女性が涙を拭いた。
場の空気は温かかった。
傷を見せ合い、共感し合い、回復の実例を目にする。小さな共同体の一体感が、安いエアコンの風と一緒にゆっくりと室内を循環していた。
汐里は満足そうだ。セミナーは予定通りに進行している。新規三名のうち二名は確実に次回も来るだろう。勧誘のプロの目には既にそう映っている。
残るは一名。
「鈴木さんも、よかったら」
汐里がよしおに視線を向けた。
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よしおは姿勢を正した。
背筋を伸ばし、両手を膝の上に置く。表情は穏やかだ。声は落ち着いている。平時のよしおだ。善良で、誠実で、冷静で、丁寧語で話す三十代の男。
「僕は施設で育ちました」
最初の一文は静かだった。
「両親の顔を知りません。名前も知りません。施設の職員の方々には良くしていただきましたが……親というものがどういう存在なのか、実感として分からないまま大人になりました」
場の空気に同情が混じる。先ほどのリストラの男や介護の女性と同じ文脈だ。喪失。欠落。誰にも選ばれなかった孤独。参加者達は頷いている。
「その後、結婚しました。礼子という名前の女性です。僕は彼女を愛していました」
過去形。
「しかし離婚しました。原因は……複合的なものですが、僕の愛し方が未熟だったのだと思います」
ここまでは良い。ここまでは「喪失の共有」の範疇に収まっている。
しかし、よしおの話はここで止まらなかった。
「僕は愛を知らないんです」
声のトーンは変わらない。
「知らないから、学ぼうとしました。愛を知らない人間が愛を体得するにはどうすればいいか。僕なりに考えた結果、まず方法論を確立する必要があるという結論に至りました」
方法論。
この単語が出た瞬間、場の空気に微細な変化が生じた。
変化はまだ表面化していない。参加者達の表情にはまだ同情が残っている。だが同情の下に「ん?」という引っかかりが一粒だけ落ちた。喪失の吐露に「方法論」という単語は馴染まない。傷を見せ合う場で使う言葉ではない。
「書籍を読みました。エーリッヒ・フロムの『愛するということ』は三回読みました。三回とも途中で閉じましたが。映画も観ました。ハッピーエンドの映画を百本以上は観ていると思います。しかしそれだけでは足りなかった。なぜなら書籍も映画も他者の解釈を介した二次情報でしかないからです」
二次情報。
「足りない」ではなく「二次情報でしかない」。この言い回しは証券マンの用語だ。市場分析において一次情報(当事者から直接得たデータ)と二次情報(メディアやレポートを介したデータ)の区別は基本中の基本であり、よしおはこの分類を無意識に愛の探求に適用している。
「ですから、実地調査を行うことにしました。一次情報の収集です」
実地調査。一次情報の収集。
スーツの男の眉がわずかに動いた。若い女性が目を伏せたまま視線だけをよしおに向けた。既存信者の一人が隣の信者と目を合わせ、すぐに逸らした。
よしおは続けた。穏やかに。丁寧に。冷静に。
「愛にはさまざまな形があります。親が子を想う愛、子が親を慕う愛、夫婦の愛、友人の愛。僕はそのすべてに興味があります。すべてを知りたい。知って、分析して、体系化して、その中から真実の愛の形を見つけ出したい。見つけ出して──体得したい。体得して、礼子に届けたいんです」
体系化。
この男は、愛を体系化すると言っている。
喪失の共有の場で、泣いている人間達の隣で、愛の体系的習得について語っている。
「僕がここに来たのも、その一環です」
声は穏やかなままだった。目は澄んでいた。
「皆さんの喪失の経験は、僕にとっては──こう言うと語弊があるかもしれませんが──貴重なデータです。愛を失った方がどのように苦しみ、どのようにそれを乗り越えようとしているのか。そのプロセスを知ることは、愛の本質を理解する上で極めて有益だと考えています」
貴重なデータ。
極めて有益。
もし空気がべらぼうに読める者がこの場にいたならば、パキパキ、という音と主に空気が凍り付いていく様子が見られるだろう。
比喩ではない。室温が下がったわけでもない。エアコンは正常に稼働している。設定温度は二十六度。しかし参加者達の体感温度は確実に二度は下がった。
スーツの男が目を逸らした。三十年勤めた会社をリストラされ、妻に去られ、半年間の孤独を吐露した直後に「貴重なデータ」と形容された男の反応としては穏当な部類だ。若い女性はわずかに椅子を引いた。物理的な距離にして五センチ。五センチの後退は本人にすら自覚がないかもしれないが、無意識の防衛反応としては雄弁だった。
既存信者の一人が困惑の目で汐里を見た。
よしおは場の空気の変化を正確に感知していた。証券マンは相手の微細な反応を読み取ることで生計を立てる職業だ。顧客が腕を組んだら防御、膝を動かしたら退席の前兆、視線が泳いだら別の案件を考えている。よしおは相手の反応を読む能力においてはこの部屋の誰よりも優れている。
読めている。
読めているのに止まらないのだ。
止まる理由がないからだ。
よしおは嘘をついていない。場の空気を壊そうとしているのでもない。彼にとってこれは誠実な自己開示だ。打算を打算と正直に申告する。これ以上ないほど筋を通した発言であり、よしおの倫理観において「筋を通す」ことは「場の空気を読む」ことの上位に位置している。
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「不快に思われたなら申し訳ありません」
よしおはそう付け加えた。顔に笑みを浮かべている。穏やかな笑みだ。善良な笑みだ。
「でも、正直に申し上げた方が誠実だと思いまして」
誠実。よしおは確かに誠実だった。恐ろしいほど誠実だった。
「僕の元妻は、僕の元上司と不倫関係にありました」
唐突に核心が剥き出しになった。
参加者達が息を呑む気配があった。
「元上司は僕が信頼していた人間です。結婚式で祝辞を読んでくれた人間です。その人間が、僕の妻と寝ていた」
声は平坦だった。波がない。
「それから……僕は不妊体質です。子供が出来ない体なんです。検査でそれが判明してから、礼子との間に何かが変わった。何が変わったのか当時の僕には分からなかった。今も正確には分かっていません。ただ結果として彼女は去り、元上司との間に子供を産みました」
不妊。不倫。裏切り。子供。
確かに重い。
確かに瑕である。
だがよしおの吐露は他の者たちのそれとは質が違った。
何が違うのか。
痛がっていないのだ。
スーツの男は声を震わせた。若い女性は泣いた。彼らの吐露には傷口から血が滴るような生々しさがあった。しかしよしおの声には痛みの色がない。血が出ていない。傷口を開いて見せているのに、本人がメスを握っている側の目をしている。
「でも、僕はまだ礼子を愛しています」
よしおは言った。
「愛しているから、もっと良い愛し方を学ばなければいけない。僕の愛し方が足りなかったから彼女は去ったんです。技術不足です。技術は学習で補えます。だから僕は愛を学んでいるんです。学んで、体得して、もう一度礼子の前に立った時に──今度は失敗しないために」
スーツの男は完全によしおから目を逸らしていた。若い女性は膝の上で指を組み、自分の爪を見つめている。既存信者の一人は腕を組んだ。防御姿勢だ。もう一人の信者は口を半開きにして、何を言えばいいのか分からないという顔をしていた。
だがまあ、ここまでならなんというか、極端に空気が読めない奴がきたな、で終わるだろう。
しかしここで終わるなら鈴木よしおは鈴木よしおしていない。
そして、とよしおが語を続ける
「実は僕は一つの愛の形に未来を感じているのです。もしかしたらこれこそが真実の愛の形であるかもしれないと思いつつあります。それは机上のデータによって導き出された結論ではなく、実体験を伴って感得してきたものなのです。その愛の形とはつまり、一つになることです。無論、それは性行為を意味しません。僕の言う”一つ”とはすなわち、文字通りの意味で一つになることなのです。相手の全てを自分の中に取り込み、相手の記憶を、感情を、痛みを、喜びを、悲しみの一粒に至るまで余さず咀嚼して嚥下して自分の血肉とすることです。逆もまた然りです、僕の全てを相手に食べてもらう、僕という存在を構成する全ての要素を相手の中に溶かし込んで境界をなくす、そうして二つだった器が一つの器になった時にはじめて、与える愛も奪う愛も意味を失うと思うのです。だって自分と相手の区別がないのですから、与えるも奪うもない、ただ在るだけです。僕はそれを何度か体験しました、仕事の中で。相手の人生を丸ごと飲み込んで自分のものにした瞬間、確かに僕と相手の間にあった壁が消えた。相手の苦しみが僕の苦しみになり、相手の愛が僕の臓腑を温めた。あの感覚を礼子と共有できたなら、僕は礼子の中に溶け、礼子は僕の中に溶け、もう誰も裏切ることができなくなる。裏切るという概念自体が消滅するんです。だって自分を裏切る人間はいないでしょう? 自分と相手が同じ肉と魂になってしまえばいいんです。……少し分かりにくかったかもしれません、すみません」




