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鈴木よしお地獄道  作者: 埴輪庭


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25/30

愛の伝道師②

 ◆


 日本には文化庁に届出のある宗教法人がおよそ十八万ある。


 コンビニエンスストアの店舗数が約五万六千であることを考えると、日本人は無宗教を自称する割にコンビニの三倍以上の宗教法人を抱えている計算になる。この大半は歴史ある寺社であり、いわゆる新宗教や新新宗教に分類される団体は全体の一割にも満たない。


 だがその一割の中に、途方もない地獄が紛れ込んでいることがある。


 宗教法人「真心の泉」は八年前に設立された。


 届出上の所在地は東京都O区の雑居ビル三階。届出上の代表者は鳥飼真人トリカイマサト。信者達は代表者を「先生」と呼ぶ。


 信者数は教団の自己申告で約二千四百人。実態はその六割程度と見るのが妥当だろう。正確な数字は誰にも分からない。分かっているのは、この八年間で少なくとも二十名の元信者が死んでいるという事実だけだ。


 二十名。


 千五百弱の集団から八年で二十名の死者。日本の自殺率は人口十万人あたり約十六人から換算すると、千五百人の集団における八年間の統計的期待値はおよそ二名だ。二十名は期待値の十倍。これはもはや統計の異常値ではなく構造的な殺人装置の出力と呼ぶべき数字である。


 だが、この二十という数字を一つの問題として認識した人間はいない。死因の内訳は自殺が十四名、孤独死が三名、事故死が二名、病死が一名。いずれも単体で見れば不幸な個人の不幸な最期に過ぎない。管轄はばらばら、時期もばらばら、遺族は教団との関わりを知らないか知っていても口を閉ざしている。二十の点を結ぶ線を引こうとした者がいないのだ。


 ◆


 真心の泉の教義は単純だ。


 ()行為(……)である。


 字面だけならフロムの主張と大差ない。教団のパンフレットには『愛するということ』からの引用が堂々と印刷されている。知的な装飾だ。フロムの名前を出すことでアカデミズムの外殻を被せ、参加者の知性を油断させる。初期のオウム真理教がインドの正統ヨーガ哲学を引用してエリート層を勧誘した手口と構造は同じだ。


 だが真心の泉がフロムから決定的に逸脱するのは「行為」が意味する内容だ。


 教団が説く愛の行為とは性交のことである。


 人間の魂は肌と肌の接触を通じてのみ交わることができる。言葉は嘘をつく。だが肉体は嘘をつかない。裸体は魂の発露であり、性交は魂の融合である──と教義は述べる。


 端的にいえばセックス・カルトだ。


 ただし、この教団の恐ろしさは教義の内容にあるのではない。教義に至るまでの誘導過程が精緻に段階化されている点にある。軍が兵士を訓練する際、いきなり実弾を渡さないのと同じだ。まず基礎体力、次に空撃ち、それから射撃場、最後に実戦。各段階で脳が新しい環境に順応してから次のステップに進む。真心の泉はこの段階的馴致を宗教に応用した。


 新規の参加者がまず案内されるのは「心の解放セミナー」だ。グループワーク形式で自己紹介と悩みの共有を行う。参加費は無料。茶菓子まで出る。市区町村が主催する婚活イベントと区別がつかない。


 次の段階が「触れ合いの儀」だ。参加者同士が手を繋ぎ、抱擁し、互いの体温を感じる。服は着たまま。照明は落とされ、ヒーリング音楽が流れている。


 孤独な人間にとって他者の体温は麻薬に等しい。これは比喩ではなく生理学的事実だ。皮膚への接触はオキシトシンの分泌を促進しコルチゾールを低下させる。不安が和らぎ幸福感が増す。この生理反応を「魂の応答」として教義に組み込んでいるのだから始末が悪い。


 そして「魂の交感」だ。


 信者同士が教団の施設内で性交する。先生の「直接指導」すなわち教祖自身が選んだ信者と寝る儀式もある。儀式と呼んではいるが別段の荘厳さはない。六畳の和室に布団が敷いてあるだけだ。


 無論これは最初の段階では開示されない。心の解放セミナーに参加した時点でまさかそこに辿り着くとは誰も想像しない。水に浸けた蛙を少しずつ加熱するように、二週間から一ヶ月の間隔で境界線を引き下げていく。人間の脳が新しい環境に順応するのに丁度いい期間だ。


 この勧誘プロセスはフット・イン・ザ・ドア技法の教科書的実践であり、ここまでの説明を読んで「自分は引っかからない」と思った者がいるとすれば、それはおめでたい自信というものだ。カルトに落ちる人間に特定の性格類型はない。唯一の共通項は「そのタイミングで孤独だった」という一点のみだ。


 ◆


 園田律子ソノダリツコという女がいる。


 四十三歳。真心の泉に入信して五年になる中堅の信者だ。


 律子は十一年間殴られ続けた。夫の名は省略する。どこにでもいる男だ。会社ではそこそこ有能で通り、近所には穏やかな紳士として知られ、玄関の鍵が閉まると豹変した。日本における配偶者間暴力の検挙件数は年間およそ九千件。暗数を含めば実態は十万件を超えるとも推計されており、こういう男は統計上どこにでもいるのだ。


 律子は三度警察に相談し、三度とも実効性のある対応は得られなかった。配偶者暴力相談支援センターにも連絡した。一時保護施設は満床だった。弁護士に相談する金もなかった。


 八方塞がりだった。


 社会は律子を見殺しにした。行政の窓口は機能せず、法の盾は間に合わず、左の頬骨に入った亀裂は自治体の相談票では修復できない。


 スーパーマーケットの駐車場でうずくまっている律子に声をかけたのは真心の泉の信者だった。


「大丈夫ですか」


 たったそれだけの言葉で律子は泣いた。


 その日のうちに教団の施設に匿われ、翌日には教団が費用を負担した弁護士と面談し、一週間後には離婚調停の手続きが始まっていた。教団は律子に一銭も請求しなかった。食事も寝床も無料だった。


 真心の泉は律子を救った。


 これは紛れもない事実だ。社会が十一年放置した問題を教団は一日で動かした。誰が律子を責められるだろうか。溺れている人間に浮き輪を投げたのは市役所でも警察でもなくカルト教団だった。浮き輪の下に鎖が繋がっていることを確認する余裕は溺死寸前の人間にはない。


 律子は現在、教団の中で穏やかに暮らしている。週三回セミナーの運営を手伝い、月に一度「魂の交感」に参加し、先生の教えを実践する日々だ。


 彼女は幸せだと言い切る。


 殴られた十一年間と比較すれば嘘ではないだろう。教団のベッドの上で名前も知らない信者と肌を重ねることに律子はもう抵抗を覚えない。体温が伝わるたび、ああ自分は愛されているのだと感じる。十一年間の暴力が骨に刻んだ凍傷が他者の体温で溶けていく感覚。それが治療なのか麻酔なのかという区別は痛みの中にいる人間には意味をなさない。


 なお律子は毎月の収入の三割を「感謝の供物」として教団に納めている。行き先は不透明だ。教団の外に友人は一人もいない。外出時には必ず別の信者が同行する。


 律子自身はこれらを「問題」だと認識していない。


 認識する機能が既に摘出されているのだから仕方のないことだ。


 ◆


 渡辺孝弘ワタナベタカヒロという男がいた。


 過去形で書いたのは、彼がこの世にいないからだ。


 三十五歳。独身。都内の中小IT企業でシステムエンジニアとして働いていた。年収は四百二十万。趣味はない。友人はほぼいない。休日は自宅のモニターを眺めて終わる生活を五年ほど続けていた。


 渡辺が真心の泉に出会ったのは駅前のファストフード店で一人昼食を取っていた時だ。声をかけてきたのは穏やかな笑顔の若い男だった。「人間関係に興味はありますか」と言われ、渡辺は「はい」と答えた。


 それだけだ。人生が狂うのに大仰な理由はいらない。


 心の解放セミナーでは他の参加者が渡辺の話に耳を傾けた。三十五年間ほとんど誰にも聞いてもらえなかった話を見知らぬ人間達が真剣な顔で聞いた。渡辺は泣いた。三十五年間で人前で泣いたのは初めてのことだった。


 触れ合いの儀では女性信者が渡辺を抱きしめた。渡辺は異性に抱きしめられた経験がなかった。母親にすら抱かれた記憶がない。体温が胸板を通じて臓腑の奥まで伝わった瞬間、渡辺の中で何十年分もの堰が崩壊した。


 三ヶ月後に魂の交感に参加した。


 渡辺にとっては初めての性体験だった。三十五年間の空白が教団の六畳間で唐突に埋められたのだ。相手は名前も知らない女性信者だった。儀式の後に女性は微笑んで「愛しています」と言った。渡辺はそれを本当だと信じた。信じたかった。信じなければ精神が瓦解するという直感があったからだ。


 半年後には収入の五割を教団に納めていた。


 一年後には退職し全財産を寄付して施設に住み込んでいた。


 ロバート・リフトンが定式化した洗脳の三要素がある。「環境コントロール」「神秘性の操作」「要求の純化」だ。要するに外部情報を遮断し、教団内部の体験を唯一の真実にすり替え、もっと捧げればもっと深い愛が得られると信じ込ませる。教科書通りの手順が渡辺の人格を解体していった。


 捧げるものが尽きた時、全てが終わった。


 入信二年目。渡辺の口座残高はゼロだった。退職済み。貯蓄なし。実家との縁は教団に断たせた。搾り取る価値のなくなった人間に教団は容赦しない。幹部が渡辺を呼び出して言った。


「自立の時が来ましたね」


 追放だ。


 渡辺は三十七歳。無職。無一文。友人なし。帰る場所なし。愛をくれた場所から蹴り出された男の精神にどんな轍が刻まれたかは想像に難くない。教団に精神の全重量を預けていた人間が支柱を引き抜かれたのだ。骨格を摘出された肉体がそうなるように、渡辺の自我は自重に耐えられず圧壊した。


 渡辺は安アパートの一室で首を吊った。


 発見されたのは死後十二日。

 

 真夏の夜の事だった。


 ◆


 水沢汐里ミズサワシオリ。二十六歳。真心の泉の「伝道師」。


 教団内における伝道師とは勧誘の専門職であり、信者の中から適性のある者が選抜される。適性とは要するに容姿と話術と善意の三つだ。容姿が良ければ初手で警戒されにくい。話術があれば会話の糸を切らさない。そして善意があれば嘘が顔に出ない。


 汐里はこの三つを高い水準で兼ね備えていた。


 伝道師の業務は明快だ。指定エリアに赴きターゲットを選定して接触する。一日のノルマは接触二十人、うち連絡先の交換が二人、セミナーへの参加承諾が一人。これを月に二十日。成功率は約四パーセント。街頭で百人に声をかけると最終的に〇・六人の新規信者が生まれる計算だ。百七十人に声をかけて一人。


 汐里はこの数字を「命を救う確率」だと認識している。彼女は本気でそう信じているのだ。


 汐里自身もかつて救われた側だった。大学時代に鬱を患い休学と復学を繰り返し、卒業はしたものの就職は叶わず、二十三歳の時に真心の泉と出会った。セミナーで泣き、触れ合いの儀で初めて人の温もりを知り、今は伝道師として教団の最前線に立っている。


 汐里の瞳に曇りはない。


 善意だ。純然たる善意。自分が救われたから他の人も救いたい。その動機に嘘はない。だがその善意こそがカルトにとって最も効率的な兵器なのだ。悪意を持つ勧誘員は見破れる。目が泳ぐ。声が上滑りする。善意から動いている人間の言葉にはそれがない。最も確実に標的を仕留める弾丸が精密誘導弾であるように、最も確実に人間を教団に引き込む兵器は悪意ではなく善意だ。


 善良、誠実、使命感。それが水沢汐里の代名詞と言えよう。


 なおこの代名詞を戴く女は昨日、書店の前で一人の冴えない中年男に「愛について学ぶ会」の話を持ちかけ、男が驚くほどあっさり食いついてきた事実を小さな成果として日報に記録している。


 ◆


 汐里はこの日の午後、集会所の準備に回っていた。


 集会所はO区の商店街から路地を二本入った雑居ビルの二階にある。看板は「コミュニティスペース 泉」。宗教色は微塵もない。


 階段を上がる途中で汐里はふと足を止めた。


 首筋を何か冷たいものが撫でた気がしたのだ。八月の終わりで空調は効いていない。にもかかわらず汐里の腕に鳥肌が立った。


 ……気のせいだろう。


 汐里は階段を上り切って二階のドアを開けた。


 室内にはパイプ椅子が円形に並べられ、中央の低いテーブルには菓子と紙コップとペットボトルの茶が用意されている。壁に掛かった横断幕には先生の言葉が印刷されていた。


「愛は言葉ではなく、行いのなかに」


 汐里にとって先生の言葉は呼吸と同じだ。吸えば生きる。吸わなければ窒息する。信仰とはそういうものなのだ。


 汐里はパイプ椅子の座面を一つ一つ布で拭き、角度を微調整した。今日の心の解放セミナーには新規参加者が三名来る予定だった。


 うち一名は昨日書店の前で声をかけた男だ。


 鈴木よしお、と名乗っていた。


 落ち着いた物腰の人だった、と汐里は思い返す。目元に疲労が滲んでいたが声に棘がなかった。「愛について学ぶ会」と切り出した瞬間に一瞬だけ見せたあの反応。


 飢えだ。


 何かに飢えている人間の目だった。汐里はあの手の目を何十回と見てきた。教団の門を叩く人間は例外なくあの目をしている。乾いて、渇いて、それでいて自分が何を求めているのかを正確には言語化できない類の飢餓。


 だから汐里は今日も椅子を並べる。


 だから明日も街に出る。


 水沢汐里は善い人間だ。これは皮肉ではない。


 善い人間が善い組織に属しているとは限らない──というだけの話である。


 ・

 ・

 ・


 ところで話は変わるが、鈴木よしおにとって愛とは何か。


 よしおは愛を裏切る行為を殺人よりも重い罪だと考えている。


 これは比喩ではない。文字通りの意味だ。


 よしおにとって、愛は人間が到達しうる最高の状態だ。


 愛は尊い──ゆえに愛を裏切る行為は、人間が犯しうる最大の冒涜である。


 殺人は肉体を壊す。だが愛への裏切りは魂を壊す。肉体は時間が経てば腐って消える。魂の損壊は消えない。


 愛を裏切られた者の魂は、裏切りの瞬間の形のまま凍結し、溶けることなく永遠に叫び続けるのだ。


 よしおは二十四時間三百六十五日──()()聞いているから知っている。


 ()()()()()()()()()()()()()()


 これは恐ろしい事だ。

 

 体験に裏づけられていない確信は修正が利かない。実際に愛した、愛された経験があれば「愛とはこういうもので、裏切りとはこういう痛みだ」と輪郭が定まる。輪郭があれば過剰な意味づけにも限度ができる。

 

 しかしよしおの「愛」には輪郭がない。

 

 輪郭がないまま無限に肥大した「愛の神聖さ」と、それを冒涜する者への断罪の感情だけがある。

 

 それは──とても恐ろしい事だ。

 


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