幕間「茜崎陽」
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巫祓千手の本部施設は東京都多摩地域のA市にある。
表向きは「一般財団法人千手総合研究所」という看板が掛かっており、外観からすれば地方自治体の外郭団体が入居していそうな三階建ての地味な建物だ。実際に訪れた者がまず驚くのはその地味さであって、日本最大の霊的対応組織の中枢がこれかと拍子抜けするだろう。
しかし地上部分の三階建てというのは偽装であり、本体は地下に広がっている。地下4階まで掘り下げられた施設の総床面積は約12,000平方メートルに及び、これは東京ドームのグラウンド面積とほぼ同等だ。
茜崎陽は本部に呼び出されていた。
呼び出しの理由は分かっている。隠し鬼の一件に関する事後報告だ。
陽はこれが純然たる報告で終わらない事も分かっていた。なにしろ巫祓千手が二十年以上手を焼いてきた案件を、外部のフリーランスが片づけてしまったのだ。組織の面子に関わる事態であり、それはすなわち上が動くという事を意味する。
陽は廊下を歩きながら、ふと溜息をついた。
制服ではない。今日は白いブラウスにグレーのスラックスという恰好で、これは巫祓千手の「内勤時標準服装」に準拠している。なお三巫女は本来この服装規定の適用外なのだが、陽は本部に来る時だけは合わせるようにしていた。
理由は単純で、座主の前で派手な格好をすると小言を言われるからだ。
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座主の執務室は地下3階にある。
座主とは巫祓千手の最高指導者であり、その名を知る者は組織内でも限られている。予知に近い先見力を有し、霊的災害の発生を事前に感知して構成員を配置するという、いわば将棋の指し手のような存在だ。
扉を開けた陽の目に映ったのは、座主ともう一人の男の姿だった。
黒いスーツを着た中年の男。巫祓千手の事務方の幹部で、名を椎名という。陽はこの男が苦手であった。椎名は霊力を持たない純然たる事務屋であり、予算と人事と省庁間調整を担う実務家だ。霊的な才能は皆無だが政治的な嗅覚は獣並みに鋭く、総務省との折衝においては座主以上の影響力を持っているとすら囁かれている。
つまりこの男がいる時点で、今日の議題が純粋な事後報告ではない事が確定した。
「お待たせいたしました」
陽が一礼すると、座主が軽く頷いた。
「掛けなさい」
座主の声は老人のそれだが、張りがある。齢幾つかを陽は知らない。知っている者がいるのかすら怪しい。
陽が椅子に腰を下ろすと、椎名が手元の書類に目を落としたまま口を開いた。
「茜崎。隠し鬼の件、改めて現場の所見を聞きたい。特に鈴木よしおの戦闘能力と行動原理について」
来た。
陽はそう思ったが、顔には出さなかった。
「鈴木よしおの戦闘能力は、率直に申し上げて規格外です。少なくとも私では及ばないかと」
陽は淡々と答えた。
「ふむ」
椎名は顔を上げた。
「率直に聞こう。鈴木よしおを巫祓千手に取り込むことは可能か」
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巫祓千手がフリーランスの祓い手を組織に取り込もうとした事例は、実のところほとんどない。
そもそも巫祓千手が勧誘を検討する水準の祓い手がこの国に何人いるかという話であり、答えは片手で足りる。組織の外にいながら組織が無視できない実力者というのはそれほど稀な存在なのだ。
過去に勧誘が試みられたのはたった3例。
1例目は志賀知子。一部界隈では日本最強の霊能力者として名を轟かせている女だ。彼女に関する情報は極端に少ないが、巫祓千手が全力で動いた案件を単独で処理した実績が複数あり、座主をして「あれは人ではない」と言わしめたという逸話がある。勧誘は門前払いだった。
2例目は「ZERO様」を名乗る霊能者。黒ずくめのスーツに金髪というおよそ祓い手には見えない風体で、左手だけに黒い手袋を着けている。見た目はホストか何かのようだが、その実力は本物で、独自の除霊法を駆使し個人で相当数の案件を捌いている。傲岸不遜の権化のような男であり、勧誘は一蹴された。この男は現在も都内を中心にフリーで活動しているが、巫祓千手との関係は良好とは言い難い。
そして3例目が鈴木よしおだ。
結果は周知の通り、西の姫巫女が鼻骨骨折と右腕の複雑骨折を負うという惨憺たる結末を迎えた。
この3例に共通しているのは、全員が組織を必要としていないという点だ。
そしてその惨憺たる結末を身をもって経験した西の姫巫女が、今まさに再度の取り込みについて意見を求められているのだ。
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「無理です」
陽は即答した。
椎名の表情に変化はなかった。おそらくこの回答は想定内だったのだろう。
「理由を」
「彼は組織に属することができる人間ではありません」
陽は言葉を選んだ。
鈴木よしおの実力を否定するつもりはなかった。否定できるはずもない。現に隠し鬼を祓ったのは彼であり、陽はあの戦いにおいて砲台以上の役割を果たせなかった。
実力は認めている。
認めているからこそ、無理だと断言できるのだ。
「椎名さんは現場をご覧になっていないから分からないのでしょうけれど」
陽の声に僅かな棘が混じった。
「あの人は戦闘中に泣くんです。泣きながら、自分の元妻の話を始めるんです。敵の口の中に腕を突っ込みながら、不妊治療の話をするんです。頭がおかしいんです。完全に意思疎通不可能というわけではないのが余計にタチが悪い」
陽は一度言葉を切り、呼吸を整えてから続けた。
「指揮系統に組み込めない戦力は戦力ではなく災害です。鈴木よしおを組織に入れるというのは、安全装置のない不発弾を弾薬庫に保管するようなものだと私は考えます」
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ここで座主がようやく口を開いた。
「陽」
「はい」
「放置もまた危険だ。ゆえに取り込むのではなく、繋がりを保て。お前が窓口になれ」
陽は目を見開いた。
「私が?」
陽は反論しようとして、やめた。
座主の言葉には逆らえない。それは命令だから従うという意味ではなく、座主の判断がこれまで一度も間違っていなかったという実績に基づく信頼だ。
「……わかりました」
陽は頭を下げた。




