部費がない!
放課後。
授業後の生徒たちの遊び時間と言っても過言では無いだろう。
ここ、県立波木高校では、午後四時過ぎからがその時間に当たる。
一目散に帰宅する人もいれば、友達と待ち合わせて近くの娯楽施設に遊びに向かう人もいる。だが、この高校で一番多いのは、部活動に向かう人だ。
大天広夢もその一人である。
のんびりと荷物をカバンに纏め、静かに教室を出た。
広夢がゆっくりやって来たのは、図書室や調理室などが並ぶ特別棟の一階、その一番奥。
出入り口近くには、「第二化学室」と書かれた室名札が取り付けられている。
ここが、彼の所属する部活の部室である。
後ろのドアをゆっくり開けて入室する。普通の教室よりいくらか広い部室内には、すでに二人の部員がいた。二人はまだ、広夢が入室した事に気付いていないようだ。広夢は、
「おつかれー...」
と、控えめに挨拶をする。
返事はなかった。
代わりに、声量の多い会話が耳に突き刺さってきた。
「だーかーらー!わたしは人体切断がいいと思うの!」
「何を言われても、私がやりたいのは瞬間移動よ。譲れないわ」
会話の主は二人の女子部員。
机を挟んで向かい合い、椅子に座ったまま話している。というか、言い争いをしている。
会話の内容を把握した広夢は、この会話に関わらん方がいいな、と悟った。一瞬帰ろうかと考え、それも癪だと思い直す。
ひとまず、可能な限り気配を殺し、手近な椅子に腰掛ける。言い争いが終わるまで静観しようという魂胆だ。
が、如何に化学室が広いとはいえ、所詮は教室の括りの中での話である。
当然、見つかるまでは時間の問題だった。
「「いいところに来たわ!」」
二人の視線がバッと向けられる。広夢は小さく、
「......うへぇ」
と声を漏らした。
経験上、こういう時にロクなことがない事を、広夢はよく知っている。
「「どっちのマジックがいい?」」
「ちなみに、選んだらどうなる?」
息のあった二人の声に、広夢は念のためにと問い返す。もっとも、答えに予想はついているのだが。
「そのマジックの用品を買う!」
予想と一言一句違わぬ答えを聞き、広夢は小さなため息を吐く。
買う、という事は、必要になるのは部費だろう。
そう考え、広夢ははっきりと言い切った。
「買うのは認めん。絶対に、だ」
「えー!なんでよー!」
上がる叫び。彼女はそのまま広夢を睨むように見やる。
束の間の静寂。
この間に広夢は、やっぱり帰るべきだったか、と少し後悔した。
どう答えるか考えていると、ドアが開く音がした。
「......おや、終わったかい?」
一人の男子生徒が、三人を見ながら、悠々と入ってきた。
もちろん、彼も部員だ。
「お前な、聞いてたなら最初から入って加勢してくれないか?」
「僕はいなくても解決できるじゃないか」
「いや、まあそれはそうだが......」
「それに僕は面倒事には巻き込まれたく無いからね」
「お前な......」
広夢は、呆れたようにため息を吐いた。
「広夢、ため息ばっか吐いてると幸せ逃げちゃうよ?」
さっきまで叫んでた女子部員が、広夢に告げる。広夢は、いったい誰のせいだ、と言いかけたが、すんでの所で飲み込んだ。
さて、以上で部員は揃った。
大天広夢。
この部活の部長である。
ご覧の通り、部活内ではいつも振り回されている。明るい茶色の髪は、少し癖毛気味である。
月沢弓美。
先程、人体切断マジックを推していた方の女子部員。
いつも明るく元気。納得するまで意見はなかなか曲げないので、だいたい誰かと衝突する。
長い髪をポニーテールに結っている。
三倉穂月。
先程、瞬間移動マジックを押していた方の女子部員。
物静かだが、押しは強い。しかも飽きっぽい。それはもう、どんなに推していても1ヶ月以内には飽きるぐらいだ。
透き通るような髪を、ミディアム程度に伸ばしている。
名代幸樹。
飄々としており、目立ちたがり屋。
様々な事に首を突っ込む。そのくせ発生した厄介ごとからは積極的に逃げる、この部のトラブルメーカーである。
男子にしては長い髪の下で、今日もその目は怪しく笑っている。
以上四人が、部員である。
ちなみに、全員一年生である。
マジック・手品を研究する部──略して、マジック研究部。
それが、四人の所属する部活だ。
「で、なんで買えないんだい?」
幸樹は、広夢を見つめ、薄く笑いながら問う。
その言葉を聞き、弓美がハッとする。対照的に、広夢の顔が固まる。
「そうよ、なんでダメなのよ!?」
思い出したように、弓美が言う。
「部費がもう尽きてるんだよ」
広夢は、ため息まじりに答えるのだった。
マジック研究部は今、一つの問題に直面している。
それは、部室の有無でも、活動不足でも、部員不足でもない。もっとも、四人で部員が十分とは言い辛いが、今はさして問題ではない。
目下最大の問題、それは資金不足。それもかなり深刻な。
「なんで部費がもう尽きてるのよ!?」
弓美の疑問も無理はない。
何故なら、今はまだ九月。夏休みが明けて一ヶ月も経っていないのだ。なんなら、今年度はまだ半分もある。普通は、部費が使い切られている時期ではない。
心当たりがないのだろう。穂月と幸樹も、弓美に同調するように頷く。
しかし、広夢からすれば、ここで全員が頷く事が既に大問題である。
「......そんなに知りたいか?なら教えてやるよ」
広夢は、幸樹に視線を向ける。
「どこかの誰かが、勝手にいろいろ買い込んだせいだ」
それを聞き、三人は、いかにも自分ではないという風な顔をした。
「幸樹、お前だぞ」
「僕かい?心外だね」
鳩が豆鉄砲を食ったような顔、とはこう言う顔を指すのだろう。広夢はそんな事を思いつつ、また、ため息を吐いた。
広夢の言葉を聞き、弓美と穂月が幸樹に目を向ける。
三人から視線を浴びた幸樹は、ふむ、と顎に手をあて考える素振りを見せた。それから、
「じゃあ僕はこれで。家でUFOを整備しないといけないからね」
と言い、カバンを手に立ち上がった。
「えっ、UFO!?」
「いるわけねーだろ、もうちょっとマシな嘘をつけ!」
驚いた声をあげる弓美。それに覆い被せるように、広夢がツッコミを入れた。
幸樹は、やれやれと言うように手を振り、
「君はもっと夢を見なよ」
と言い、再び席についた。
そんな幸樹に、弓美は寂しそうに尋ねる。
「UFO、ないの...?」
「うん。無いね」
しかし幸樹はそれをばっさりと切り捨て、微笑んだ。
「いや、ショック受けるなよ.....」
背後に「ガーン」という文字が見えそうな様子の弓美に、広夢は呆れたような声をかけた。
数分後。
「とにかく、無いものは無いんだよ」
広夢は改めて、弓美と穂月に言う。その横で幸樹は、実に気まずそうに目を逸らした。
不満そうな弓美の前に、広夢は紙を差し出した。
「これは?」
弓美の横から穂月も覗き込む。
そこには、様々な商品名と、一部のものには使用用途も書かれていた。
「幸樹が買った物リスト。幸樹はそれだけの物を買い込んだ。それも俺たちに言わずにな」
幸樹に、女子から非難の目が注がれる。
「僕は無駄のある買い物はしてないんだけどね」
三人から目を逸らしつつ、幸樹は言い訳をする。それを聞き、女子は改めてリストを見た。
なるほど、確かに部費の残額は0になっている。無計画に買い物をすれば起こらないだろうし、限られた資金のやりくり、という意味では、無駄のない上手い買い物と言えるだろう。
買った物が必要な物であればだが。
「買い物そのものが無駄なんだが?」
「フフ、ごめんね」
「だいたいお前、部費を勝手に使うのは人としてだな......」
広夢が説教を始め、幸樹はそれを薄く笑みを浮かべながら聞き流す。
その頃二人の後ろでは、弓美と穂月が相談をしていた。
「──つまり、部費は生徒会が配ってるのね?」
「だいたいそういうことよ。
つまり、生徒会を懐柔できれば」
「部費が増える可能性はあるんだね!」
二人は顔を見合わせ、深く頷いた。
「わたし、ちょっと生徒会とお話してくる!」
弓美はそう言うが否や、第二化学室を飛び出し、走り出して行った。
「あっ、おい待てバカ!」
広夢も慌ててそれを追い、教室を後にした。
「健闘を祈るわ」
「任せたよ、月沢さん」
幸樹と穂月は、弓美に全ての望みを託すことにした。
二人からの期待を背に走る弓美。しかし彼女は、ノープランで生徒会室へ向かっているのだった。
生徒会室。
休日以外の放課後は、生徒会のメンバーが、全員ではないが集まっている。
特に、会長と副会長は、放課後になると必ずと言っていいほど滞在している。
今日も例に漏れず、会長と副会長の二人が静かに作業をしていた。
二人とも物静かなため、生徒会室は落ち着いた雰囲気が漂っている。
そんな生徒会室のドアが強くノックされた。
会長が「どうぞ」と言い切るよりも先に、ドアは一気に開かれた。ノックの主は勢いよく入室し、これまた勢いよく言った。
「部費の増額を要求しますっ!」
その言葉に、一歩遅れてやって来た広夢は、
「開口一番がそれかよバカ......!」
と呟き、頭を抱えた。
そんな二人を見て、会長も副会長も、キョトンとする他なかった。
「さて、どういうことなのか、改めて聞かせてもらおうかな?」
広夢と弓美は、席に通され、会長達二人と対面していた。
二人の正面で問いかける生徒会長の清川めぐみは、あんな押しかけ方をした弓美にも態度を変えず、落ち着いた雰囲気で座っている。彼女と面識の少ない広夢は、その雰囲気に少し気圧されていた。品行方正が服を着て歩いているとまで言われる彼女の様子に、ごくりと唾を飲む。
そんな様子を察し、副会長の山波成一は二人に微笑みかける。そして、
「まあ正当な理由があれば認められることもあるからね」
と言い、眼鏡をクイっと掛け直した。
「部費が足りな」
「ああ、俺が説明します」
広夢は弓美の言葉を遮った。
「ちょっと、何割り込んでんのよ!?」
「弓美、お前どうせ『部費が足りないから』みたいな雑な説明する気だっただろ」
「えっ、なんでわかったの!?」
「マジでいう気だったのかよバカ......」
広夢は咳払いをし、説明を始めた。......もちろん、部員が勝手に使ったという点だけは隠した。
「.......っていう感じなんですけど、部費を増やしてもらうことって可能ですかね?」
「ふむ」
説明を聞き終わり、めぐみはお茶を少し飲んだ。
そして言った。
「却下だ」
当然であった。
この展開を予想していた広夢は、特になんの引け目もなく、
「ですよね。ありがとうございました」
と言い、立ち上がった。
弓美の方を振り返り、
「ほら、行くぞ」
と促す。
しかし。
「納得しきれません!」
弓美は、無謀にもまためぐみに食ってかかった。
広夢は「このバカ......」と小声で呟く。
当然と言えば当然だが、納得していないのは弓美だけでは無い。生徒会側にも疑問はあるのだ。
「では聞くが、どう使えばこの時期に部費を完璧に使い切れるんだ?」
成一の問いに、広夢はサッと目を逸らした。
「部員が勝手に買い物をしました!」
堂々と答える弓美。
何故堂々と言ったのか、とか、もっと言い訳してもいいだろ、とか、思うことは多くあったが、広夢はすんでのところで飲み込んだ。
この答えを聞き、成一と広夢は呆れた顔をした。
めぐみは動じる事なく、
「完全にそちらの不注意ではないか。
特別扱いして部費を増額する理由にはならんな」
と言った。
まさに正論である。
弓美は「うぐぅ!」といった声を漏らし、たじろいだ。
「だがまあ、部費を手に入れる手段もないわけでは無い」
めぐみがこう言い足すと、弓美の表情に希望が戻った。
「その方法は何ですか!?」
勢いよく問う弓美に、めぐみは静かに言い渡す。
「来月にある文化祭。そこでお金を稼ぐ事は認められている」
それは、部費不足に陥った部活への救済措置。
もちろんだが、稼ぐことは容易では無い。
客にお金を払ってもいいと思わせるのは、当然だが難しいのだ。広夢はそれがわかっていたし、やる気もなかったので提案しなかった。
だが、弓美は違う。
稼いでいいという事を単に知らなかっただけ。そして、自分の出来ることが理解しきれていなかった。
「じゃあマジック研究部は、文化祭でお金を稼ぎます!」
だから彼女は、声高く宣言した。
「待て弓美。どうやって稼ぐ気だ?」
「当たり前でしょ?手品を有料で見せるのよ」
「バカ、俺達レベルの手品の腕前で金取ったら苦情が来るぞ!」
小声で言い合う二人に、めぐみは言った。
「決まりだな。マジック研究部は文化祭に企画参加。そういう事ならこの書類を書いて期日中に提出するといい。
必要分のお金が稼げる事を祈っているよ」
かくして、マジック研究部の忙しく騒がしい日々が幕を開けたのであった。