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平井太郎

前略平井君

作者: ふりまじん

前略 平井君


君がこれを読んでいるなら、地獄の下期試験も終わった所だろう。

一段落ついて、白梅軒に私の姿がない事に少しは心配をしてくれたろうか?


私は、現在、鳥羽に来ている。

友人の口利きで紀本(きもと)様の冬の屋敷の司書に収まっている。


紀本男爵は、真珠で財を成した方で、現在、私が厄介になっている屋敷は、男爵の冬の保養地になる。


近年、外国人との付き合いも増え、保養地の来賓が増えた事による私設図書館の洋書の拡張の手伝いに駆り出された訳だ。


期間は春までで、こちらは大阪より暖かく、空気が旨い。


仕事は基本、9時〜8時にと、少し長いが、昼の休み時間も長いから、海を見ながら読書三昧と洒落ている。


と、これが私の少し前の現状だ。

少し前、と、前置きをしたのは、現在は少し、困った立場に立たされているからだ。


ここからが本題なのだが、平井君。

君は、大学の休みに仕事を探していると聞いたが、決まったろうか?


もし、決まってないのなら、こちらで家庭教師をしないか?


生徒は、13才の男爵令嬢椿様と、10才のお付きの少女、キクちゃんだ。


椿様は自宅学習。キクちゃんは尋常小学校を卒業して奉公に来た。


君が彼女たちに教えるのは英文学だ。


紀本様は司書を雇うほどの本好きだ。

つまり、こちらに来れば、日本で入手困難な洋書が読み放題…になる。


どうだろう?西洋文学を学ぶ君に相応しい職場だと思わないかい?


と、良いことばかり書いていては、疑われそうだ。

白状しよう。


実は、私が教える予定になっていた。

が、私は数日で帽子(シャッポ)を脱ぐことになった。


ところで、君はウェブスターと言う女流作家を知ってるだろうか?


『トム・ソーヤの冒険』のマーク・トウェインの親戚筋の娘さんだ。


彼女の小説を気に入った紀本家の次男 芳次郎(よしじろう)さんが、洋書を取り寄せて、少女用に翻訳、出版しようと思いつき、

まずは、親族の娘たちの反応と英文学を学ばせるために私が、解説を頼まれたのだが…


これが予想以上に大変だった。


笑い事ではないのだよ。

私は、姉妹の多い君と違い、少女との接点が無いものだから、これほど骨がおれる事だとは知らなかった。


まず、挨拶からいちいち指南が飛ぶんだ。

挨拶が紳士的でないとか、ハンケチがよれているとか…


世にいる世話女房と呼ばれる女性ですら、これほど口うるさくは無いだろうと思うほどなんだ。


そして、題名からつまずく…


ああ、件のウェブスターの作品の題名だが、

『Daddy Long-Legs』と言うのだよ。

直訳すると、『長足オヤジ』と言ったところだが、

昆虫好きの君なら、既に理解している通り、

これでは、翻訳ミスになる。


これはザトウグモの事だ。

だから、私は、そうお嬢さんたちに説明したのさ。

蜘蛛と聞いて、令嬢は嫌な顔をして

「ワタクシ、蜘蛛の話など読みたくありません。」

と、こうだ。


私が困っている事を察して、キクちゃんは、この蜘蛛についてご令嬢に説明してくれたよ。


蜘蛛は、害虫を食べてくれる善い蜘蛛もいて、

イネカリ蜘蛛は、人に悪いことはしないと、そう言うんだ。


キクちゃんは、山形の下級武士の家系なんだ。

ふるさとの山形では、虫や自然に囲まれて生活をしていたようだ。


ここで、一度、この本を読む必要性を感じたよ。


自分を援助してくれる、そんな大人を蜘蛛に例える少女の物語など、教育上、読み聞かせてよいものか、見極める必要を感じたからね。


芳次郎さんが言うには、とても浪漫のある話らしいのだよ。

なんでも、主人公の娘は、その金持ちの支援者と結婚するらしい。


よくある恋愛小説の類いだよ。

が、キクちゃんを見ていて心配になってきたのだよ。

主人公のジュディと言う少女もまた、キクちゃんのように虫好きだったら、その度ごとに、男爵令嬢の金切り声に悩まされる事になるのだから。


が、予想を反して、物語はとても順調に、虫の登場もなく進み、

読み終えた私は、次の授業の成功を確信したのだよ。


が、世の中、そんなに甘くはない。


しっかりと準備をし、予習をしてもなお、予測不可能な事は起こり得るのだ。

その日、暖かなテラスで我々は授業をする事にした。

そして、題名から躓いてしまった。

ザトウグモが嫌だと言うから、『長足オヤジ』で題を決めようとしたら、オヤジは嫌だと椿嬢から指摘をされてね、

しばらくは…大人げないはなしだが、言い合いになってしまったんだよ。


で、椿嬢に題をつけさせる事で話が折り合ったんだ。

『文月の君へ』に決まった。

ああ、なぜ文月なのか、なんて無粋な事は聞かないでくれたまえ。

私にも理解不能なのだから。


ここまで、結構な時間を費やしたが、本編に行けることに私は、気を緩めたよ。

が、それはほんの一時で消え去った。


私と椿嬢の言い合いを見るのに飽きたキクちゃんが、庭で本の題名のモノを見つけたんだ。


そう、キクちゃんの手の平いっぱいに足を広げた蜘蛛を。


「お嬢さま、ほら、大人しいものでしょ?」

キクちゃんは得意気にそう言って、お嬢様の目の前に蜘蛛を差し出したりするから、紀本家の屋敷には絶叫が響き渡ったのだよ。



私は、お嬢様の教育係から暇を貰い、代わりを探すことになったのさ。


私は、君を推薦したよ。

こちらは暖かいし、交通費も出してくれるそうだ。

是非、受けて欲しいと願っているよ。


返事は受け取り払いの電報でくれるとありがたい。

こちらは、美しい海と、海産物がある。

醤油が上手いから、つまみが活きる。

君と、海を見ながら酒を酌み交わせる日を楽しみにしているよ。


                          明智小五郎


追伸


もし、無理だと思ったなら、私に構わずに断ってくれても良いからね。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 秋の公式企画から拝読させていただきました。 面白いです。 明智小五郎から江戸川乱歩への手紙という題材もいいですが、「あしながおじさん」の翻訳で苦労しているというエピソードも楽しいです。
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