Episode9 : 内にある殺意
魔龍戦を終えて……。
窓から射し込む朝日に、ベルの顔が歪む。眩しい光から逃げようと、身体をもぞもぞと動かして反転させる。
が、フワッとした何かが顔に埋まる。
「すぅぅぅぅぅ…………」
それが何か一瞬で理解したベルは、息を大きく吸い込むように匂いを嗅ぐ。お日様の香りだ。
……でもちょっと煙臭い。
「ベル、起きたなら水浴びでもしてこい」
「……ちっ、バレてたか」
「ルフトラグナも寝たフリしてないで……」
「す、すぴー!!」
そんなに匂いを嗅がれるのがイヤだったのか、ルフトラグナは顔を赤くさせたまま大きな声で寝息を叫んだ。
「ぐぁんふはん、こひゃぶひだっぷぁんだむぇ」
「とりあえず一旦翼から顔を離せ……」
「ぷはっ! グランツさん、小屋無事だったんだね」
何事も無かったようにベッドから起き上がったベルは、背伸びをしながらそう言った。ルフトラグナも起き上がる。……翼で身体を覆い隠しながら。
「……奇跡的にな。おかげで野宿せずに済んだ」
「……昨日のは夢……じゃ、ないか」
壁に立てかけられている金色の魔剣が視界に入り、ベルは俯く。死んでいたかもしれない……という可能性に、ベルの身体は震える。
「み、水浴びしてくるよ!」
「今度は身体を拭いてから服を着てくれ」
「は、はーい!」
なるべく笑顔を保って、ベルは小屋の外へ出る。扉を閉めて、下唇を噛んだ。
(殺す恐怖も殺される恐怖も……ある。……やっぱり私は生きてるんだ)
生きていることへの自覚。ファンタジーな世界に、どこか夢であると思っていた。アインの言葉も含め、全ては夢なのだと。そうやって生きること……いや、死ぬことから逃げようとしていた。
それでもあの時、誰かに逃げるなと言われた気がした。どうしようもなく怖くても、その言葉が背中を押した。ベルを現実へ突き落としたのだ。それが良い意味なのか悪い意味なのか、ベルにはわからない。それは先の未来へ進まない限り、知り得ないことだ。
(どうするべきか……。いや、最初から決まってるか)
身体を水で濡らし、布で拭きながら、ベルは答えを見つけた。身体を拭き終えたベルは、ブカブカの男物の服に着替え、服の裾を縛って長さを調整する。
「よし! 生きるっ!」
ここに来る前、アインに言った言葉だ。答え……というよりかは、生物の本能だが。今出来ることといえば、それしかない。死ぬために生きるのではなく、何かを得るために生きる。そのために────。
ベルは小屋の扉を勢いよく開き、真剣な面持ちでグランツに近寄る。
「グランツさんッ! 私に、剣を教えてくださいッ!」
土下座でそう頼み込んだ。グランツはその意味不明なポーズに一瞬困惑の色を見せるが、言葉の覚悟は伝わったようですぐにベルを睨む。
「生きる術を、君に教えろと?」
「はいッ!」
「君は魔龍を討ち取った。それでもまだ自分は未熟だと思うのか」
「それで満足していたら、いつか必ず死にますッ! 私は死にたくないですッ! それに、ここで留まるわけにはいかないんです! これがスタートなんです!」
その言葉に、グランツは忘れていた過去を思い出した。……いや、忘れようとして、忘れたフリをしていただけの記憶だ。
「俺はスタートラインに立ってすらいなかったか……」
「へっ?」
「こっちの話だ。ベル、君の始まり……見させてもらうぞ」
グランツはそう言うと、金色の魔剣の隣に立てかけられていた両刃剣を掴む。
「それって…………」
「……君の師匠になるということだ。教えたことなんて一度もないから期待はするな。でも全力で来い」
「は、はい!! グランツ師匠!!」
「いや師匠呼びはやめてくれ……なんだかむず痒い。……グランツでいい」
「で、でもさすがに呼び捨ては……ほら、結構歳の差もあるし……」
グランツは固まった。ベルとルフトラグナには、歳の差という言葉に反応したように見える。禁句だったのかと震える。これでやっぱり無しと言われてしまえば、ベルは小屋を追い出され、魔物がうじゃうじゃいる森の中で野宿をする羽目になる。それだけはイヤだと、すぐさま頭を下げて謝ろうとする。
「ごめ────!」
「俺は二十五だ……まだ、おじさんと呼ばれるわけにはいかない」
「す………すみませんでしたァァ!!!」
────ベルとの歳の差、八歳。想像より十歳も若かったことに驚きながら、ベルは全力で土下座を継続した。
* * * *
────某所。宮殿のように豪華な装飾が施された場所に、一枚の鏡が出現する。
「今帰ったわ!」
ニュッと鏡面から淡い金髪の少女……シュピーが、可愛らしい紙袋を手に持って飛び出す。
「ご機嫌ね、シュピー。相変わらず、気が抜けると見た目相応の表情を見せてくれるのですわ」
「あっ、も、申し訳ございません。シュナ様」
シュピーは気が緩んでいたことを恥じ、尻尾を下に垂らしながら謝罪する。まるで親に怒られた子供のようだ。
「怒ってるわけじゃないんですのよ。わたくしは、あなたのそういう所が好きなのですわ」
シュナと呼ばれた女性はそう言うと、黒い長手袋を着けた手を伸ばして、不意にキュッと握る。
『ピギィッ!!!』
シュピーの背後から、断末魔が部屋に響いた。ボトリ、と力無く落ちたそれは、気味の悪い形をした生物だった。肉片は真っ二つにされており、紫色の血が床を汚していた。
「……っ!? こ、これ……!」
「魔物……ですわね。でも人間の魔力を感じますわ。……使い魔と言ったところでしょうか」
「追跡されていたとは知らず……! 申し訳───」
「こら。今はいつものシュピーちゃんでいるのですわ」
「……う、うん。でもここがバレたら私のせいよ……?」
不安そうに聞いてくるシュピーに、シュナは微笑みかける。
「人間如きにここはわかりませんわ。それに魔物と言っても危険度低級。もし、わたくしたちの正体を知っていて使い魔を付けたのなら、もっと強い子を使うのですわ。考えられるのは、危険度低級しか手懐けられない召喚師または調教師…………」
シュナはそうやって、有り得る可能性の全てを思考する。
「……それか、シュピーちゃんの魅力に一目惚れした畜生……ですわね♪」
「そんなのに惚れられても嬉しくないわ」
「まぁそんな輩がいたらわたくしが殺しますわ♪」
「いや、兄が既に…………」
「妹思いのいいお兄さんですわ」
「ええ、本当に。……そういえば兄はどこへ?」
シュピーは部屋をキョロキョロと見回す。しかしそこに兄の姿はない。
「ヴェルトは別件ですわ。前に行ったあの村……今頃あそこは戦場ですわね」
「……あー、魔石の処理ね」
「無色の魔石でしたけど、楽に潰せそうでしたので変色しないうちにヴェルトに任せましたわ」
「理解したわ。じゃあ兄さんが戻ってくるまで買ってきたお菓子でも食べて待ってましょ!」
シュピーは笑顔でそう言って、紙袋からクッキーの入った箱を取り出した。
「シュピーちゃんセレクトですわね!」
「うん! ニンフェで見つけたの!」
その国の名を聞くと、シュナから笑顔が消える。その反応をシュピーは予測していた。
「…………誰が作りましたの?」
「安心して、ニンフェで見つけたけどエルフが作ったものじゃないわ」
「………………そう。ならいいのですわ♪」
シュナにパッと、再び笑顔が戻る。一瞬冷めた空気に、シュピーは飛び跳ねそうだった心臓を落ち着かせる。
「じゃあお茶淹れるわね。どうする?」
「んー、それもシュピーちゃんセレクトでお願いするのですわ!」
「はいはい、ちょっと待っててね」
お茶を用意するため、シュピーはクッキーが入っていた紙袋を光で焼滅させて隣の部屋へ向って行った。
そんなシュピーを見送り、シュナは箱から出したクッキーを一つ摘んで口に運ぶ。
(さて……ヴェルトが戻ってきたらイグニを殺した人間を見つけなきゃですわ)
その瞳に光はなく、鋭い殺意が宿る。それは、仲間を殺されて怒る者の目だった────。




