Episode3 : 片腕の天使に教えてもらった
「あいたたたぁ……」
突然目の前に本棚が現れ、止まれなかった少女は豪快に衝突して、ぶつけたおでこをさする。顔からいったが鼻血は出ていない。
結構痛いこと以外は問題なかっ……いや、少し気を失って、この世界に来る前のことを思い出した。ドラゴンといい突然現れた本といい、本当に異世界に転生したんだと、少女は再認識する。
すると、そんな少女に背後から声をかける人物がいた。
「あ、あの……すみません。咄嗟だったので……大丈夫…です?」
「あ、うん。へーきへー……き?」
少女は振り返って、声の主を確認する。
────刹那、息を飲んだ。
くせっ毛なのか、くるくるして乱れている白く長い髪。だが、太ももまであるその髪よりも、その子の背中にあるものと右腕に目が離せない。
(天使……だ……)
それが第一印象だった。背中には大きな、髪と同じ真っ白な翼。ふかふかしてそうで、思わずモフりたくなる。……だが、所々に傷があるのが見えた。
そして何より、右腕が一番気になる。無いのだから、気になりもする。
「え……ってあなたの方が重傷!?」
その神秘的な美しさに我を失っていた少女は、ハッとして改めて目の前でキョトンとする天使の状態を確認する。
まず一番は右腕……欠損。肘あたりまで無くなっている。血は止まっているようだが、天使の着ている白い服に付着した血痕はまだ乾ききっていない。最近血が止まったのだろう。
翼は切り傷や火傷がここからでもいくつか確認出来る。
(そんな状態なのに、見ず知らずの私を助けてくれたのか……いい子だな……)
少女は天使の銀色の瞳を覗き込んでそう思った。
今すぐ翼をモフりたい欲をグッと堪えて。
「え、えっと、とりあえず助けてくれてありがとう。……うーんと、助けた方がいい?」
「あっ、だ、大丈夫です! お気になさらず! それより自己紹介しないとですね。わたしの名前はルフトラグナ……ルフトラグナ・アンフェルイス、です!」
天使、ルフトラグナはそう名乗って少女に笑顔を向ける。気にするなと言われてしまえば、そうするしかない。そもそもこの少女は傷の手当が出来る訳でもないし、するための道具もない。
少女は自分の無力さに悔しさを覚えながら、少し考えて口を開く。
「私は……ベル」
相手が横文字の名前だったので、こちらもパッと思いついた横文字の名前で対応する。この世界の知識がないので、相手に合わせていこうとしているのだ。
少女……ベルは、ルフトラグナに手を差し出す。
「よろしくね、ルフトルグナ」
異世界で初めて会った……いや初めて会ったのはあのドラゴンだが、意思疎通の取れる相手とやっと会えたというのに、ベルは盛大に噛んだ。ベルが思い描いていた始まりとは、かなり遠くへかけ離れてしまったようだ。
「あぅ……ご、ごめん」
「ふふっ、大丈夫ですよ。気軽にルフと、呼んでください」
「う、うん! えっと、じゃあルフちゃん。それで、この部屋は……?」
「……? わたしのアニムスマギアです。も、もしかしてさっきぶつけた時に記憶が……!?」
(あー、これ世界的常識なんだー)
なるべく怪しまれないよう動きたかったベルは、早速つまずいた。しかし、これはチャンスなのではないか、と、そうポジティブに思う。……ヤケクソと言ってもいいが。
「え、えぇーっと、実は田舎から出てきましてですね。はい。ここの事は全くわからんのですよ」
焦ったせいか変な口調になってしまうが、ルフトラグナはそれを気にすることなく、ベルの言葉を理解したようで。
「《星果の大地》生まれじゃないんですね!? なるほど、それなら知らなくても当然です!」
また新しい単語が出てきてしまった。が、話の流れからして《星果の大地》とは、今ベルがいるこの場所、この土地のことだろう。今は図書室にいるが……。
つまりアニムスマギアなる力は、少なくともこの大地に生きるものにとっては常識的な能力ということだ。
「本当にここ以外にも陸があるんですね……!」
「あ、あー。うん、すっごい遠いとこだよー」
嘘を吐いたことに罪悪感を感じる。ルフトラグナの無邪気な笑顔がよりベルの心に突き刺さっていた。
しかし、転生者が当然の世界であるかどうかわからない以上、下手に情報は出さない方がいい。もしかしたら実験台とか、研究材料にされるかもしれないのだから。
「だから、助けてもらっておいて図々しいけど……ここのこと、教えてもらえないかな?」
この天使は見るからに善人。聞けばきっと教えてくれるとベルは思ったのだ。
それに、傷のことも気になる。助けてもらった恩もあるので、出来ることなら助けになりたい。
「いいですよ。ここは安全ですし、ゆっくりお話しましょう! ああ……こうして人とちゃんと話せるなんて思いもしなかったです」
「人と……?」
「……あっ、すみません。話をしなきゃですね」
やはりこの天使には何かある。だが、それを聞く勇気はベルにはなかった。とりあえずは、情報を得ることから始めて、それから考えればいい。そう思って、今のルフトラグナ言葉を頭の片隅に置いたベルは、耳を傾ける。
「まずは……そうですね、この力……アニムスマギアのことをお話しましょう」
ルフトラグナはその日出会った人間に、心優しく情報を与えてくれた。
まず一つ目。必ずではないが、ここに生きるもののほとんどが持つ超能力、アニムスマギア。
この世界に存在する、魔法や魔術のそれとは違う、未だ正確には解明されていない能力だ。
今、ベルとルフトラグナがいるこの図書室。これはルフトラグナのアニムスマギアで構成されたものだ。ルフトラグナ曰く、まだ部屋に入ることしか出来ないらしい。
「ホンットだ! 本……全く、動か……なッ!」
試しに一冊の本を取ろうとしたが、棚と一体化でもしているかのようにビクともしない。ベルは手が滑って、後ろで座っていたルフトラグナの太ももに頭が乗る。
「もう、危ないですよ」
「あ、あはは、ありがとうルフちゃん」
ベルは寝心地のいい枕から頭を退けて、話を聞き続ける。
二つ目。───魔法。これは何となく理解していた。
起源不明の不思議な力。空気中に漂っていたり、何かに蓄積されたりしている魔力使って放つ。奇跡の力だ。全部で八つ、属性がある。覚えてしまえばベルにも使えるだろう。
「あとは、さっきの竜ですね。あの竜種は、地竜、ドラゴンです」
「そ、そのまんまドラゴンなんだ」
「他にも竜種は沢山いますが、地竜はこの魔木の森に多く生息する子ですね。ベルが会ったのは多分この辺のボスです。なんで追いかけられてたんですか?」
(じゃあいきなりボス戦だったのか!?)
鼻先で寝ていた。なんて馬鹿な話は墓まで持っていきたい。
「ちょ、ちょっと気になってちょっかいかけました」
そう言った瞬間、これは寝ていたよりも馬鹿なのではとふと思う。わざわざ自分から危険へ飛び込んだのだ。それを助けられて、こうして話まで聞かせてもらっている。さすがにこの天使のような子も幻滅するか?
「いいですか、地竜はまだ温厚です。ちょっかいかけても追いかけて、ちょっと頭突かれるだけですけど。魔龍と会ったら絶対何もせずに逃げてくださいね?」
そんなことはなかった。天使、ルフトラグナはベルに向かって、ちょっとムスッとした顔で説教をした。
しかしまた物騒な名前が出てきた。明らかに普通じゃないものだ。
「魔龍って……?」
「異種魔龍型……とりあえずそういう風に分類されています。生態不明、何もかも未知な存在。数は……一匹。その名は焔魔龍 《イグニアス・グ・ロードヘル》……。
過去、何度か襲来して各地に被害を齎した……超危険災害級です」
ルフトラグナが神妙な面持ちで話した魔龍という存在。災害と言われるのだから、相当な被害が過去にあったのだろう。名前も何とも魔龍っぽい。
(絶対に関わりたくない……)
ベルはそう強く願った。
届かぬ願いとは知らずに────。
❀次回もお楽しみに!!!!