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────一体何が起きたのか……理解出来なかった。
「な、なに……これ……」
ベルは、突如として轟音と共に現れた断崖を眺める。巨大な崖を見下ろすと、底が見えないほど深い。森が完全に消えていた。小屋を出るのが数分……数秒遅かったら三人まとめて死んでいただろう。
ルフトラグナも、グランツも、理解が追い付かずその光景を眺めることしか出来なかった。
「と……とにかくここを離れましょう! またこの亀裂が生まれるかもしれませんし……!」
「そう……だね、そうだよね。町も心配だし、急ごう!」
「ああ、周囲の警戒を怠るなよ」
「わかってる……っ!」
ベルは薬団子がしまってあるポーチに手を添え、地面を凍らせながら坂道を滑って町へ急ぐ。今の森消滅で、魔力が充満している。魔物がその影響で凶暴化しないうちに森を抜けたいところだ。
* * * *
しばらくして、町が見えてきた。ここに来るまで魔物との遭遇はない。やけに静かだ。
「……っ、遅かったか」
氷の上を滑りながら、グランツは町を見て顔を歪める。遠くからだとわからなかったが、建物はボロボロで、嫌な寂寞が町を包み込んでいた。
────町に入れば、その全貌がよくわかった。
「焼き竜屋の……おじさん……? ギルドのお姉さんも……」
町にいくつも転がっているのは、血まみれの人間。ここで何があったのか想像もしたくない。
「────あら、生きていたんですのね」
「ッ、誰だッ!」
建物の影から現れたのは長身の女性。黒く艶やかな長髪に、漆黒の瞳……そして、尖った耳。見たところ丸腰のようだが、その手には、人間の右腕があった。綺麗に断たれている。
「そうでしたわ。まずはこちらから名乗るのが礼儀というものですわね……」
そう言って口角を引き上げ、不敵な笑みを浮かべた女性。その隣に突如鏡が現れ、淡い金髪の女の子が鏡面から出てくる。左側だけお団子状に髪を結っていた。
「兄さん、挨拶しないと」
女の子が鏡に向かって話しかけると、鏡面から巨大な手が現れ、鏡から巨人が抜け出す。巨人は赤黒い皮膚に、顔全体を覆い隠す兜。そんな兜を突き破って、右側にだけ大きな角が生えていた。体長は約十メートルといったところだ。
「アア マダ コロシテイイノ カ?」
「その前によ」
「……オレ ヴェルト」
巨人・ヴェルトはカタコトで名乗る。
「私はシュピー。このおっきいのが兄さんよ。よろしくするつもりはないわ」
黒い腰羽に、尻尾を揺らし、シュピーも兄に続いて名乗る。シュピーを取り囲むように四枚の鏡が浮遊し、既に攻撃態勢に入っていた。
「初めまして、魔龍殺しの愚か者。わたくしはシュナと申しますわ」
人間の右腕を横へ投げ捨て、黒い女性もそう名乗る。
(何……この……言い表せないような雰囲気……)
この三人が町を襲ったことは明白。言動から、焔魔龍の仲間だとベルは直感した。
「さて、ベル。まさかわたくしの一撃を回避していたとは……悪運が強いですわね。嬉しいですわ。簡単に死んでもらっては、楽しくありませんもの」
「……ッ」
余裕の笑みで話すシュナを見て、ベルは鳥肌が立つ。殺意という鋭いナイフで突き刺されたようだった。
────身体が動かない。
「痛めつけて、苦しませて、ただただ残酷に殺して差し上げようと思ったのですけど……あなた本当にイグニを殺したんですの? 体内の魔力、常人以下の量しかないじゃありませんか」
「でもシュナ、私が見たのは確かにこいつよ?」
「……金色の魔剣、強い力を感じるのですわ。ということは、魔剣の力に頼ってイグニを殺したということなのかしら?」
「マケン コワス カイケツ?」
謎の三人は、どうやら狙いをベル本人から金色の魔剣にシフトしたようだ。
「……さて、先程から何の反抗もないわけですけど。もしかして殺されたいの?」
シュナの右手が伸ばされる。艶めかしくゆっくりと手が開かれ、ベルを捉えた。……このまま立ち止まっていたらきっと死ぬだろう。
「殺されたいわけ……ないッ!」
空間魔力をありったけ掻き集め、ベルはしゃがんで地面に手を触れる。
「【ボーデンフ・エクセプロジオ】ッ!」
「ヴェルト、お願いしますわ」
「ワカッタ」
ベルの土魔法による地震。シュナら三人を狙い、その地面を砕かんとする。────だが、同時に巨人、ヴェルトが地面を殴った。
「打ち消された! ベル、次だッ!」
振動に振動をぶつけて中和された揺れは、ベルたちとシュナたちの中間地点で暴発し、土が盛り上がって弾ける。
既に弓矢を引いていたグランツは、そう指示して矢を放つ。
「まさかそんな棒切れで私を殺せると思ってるのかしら、【リヒトア】」
そう言ってシュピーは指先から光を撃ち、鏡に反射させてグランツが放った矢をいとも簡単に折ってみせた。
「【ヴァッサーユ・エクスプロジオ】ッ!」
グランツに続いて、ルフトラグナは巨大な水刃を形成する。あの巨人には、通常の魔法では攻撃が通らないと予想したのだ。エクスプロジオで強化して放つ。
だが、それすらも…………。
「ア ミズガ カカッタ」
「無傷……!? そんな……!」
相手は予想以上に別格だ。超危険災害級と言われてもいいレベルなのではないか。
「くっ、でも────ッ!」
ベルは金色の魔剣に、ありったけの魔力を込める。もう、初撃必殺に賭けるしかない。
「今度はどんな芸を見せてくれるので?」
「────エアストライトォォーッ!!!」
光が溢れ、震える。膨張した光刃は夜を照らし、シュナに振り下ろされる一撃は誰が見ても必殺級だ。
避けられてもいい。相手はこれが初撃限定だとは知らないはずだ。だから、この一撃を避けても警戒さえしてくれれば、それをうまく利用して戦える。
だがベルは、相手の方が一枚上手であることを知ることになる。
「アニムスマギア、【分断者】」
刹那……光が消えた。金色の魔剣の出力が急激に低下したのだ。理由はすぐに理解した。
(さっきまで溜めてた魔力がない……!?)
金色の魔剣に蓄積していた魔力が、綺麗さっぱり消えていた。まるで元より蓄積していなかったように、まるで撃ち終えたかのように、金色の魔剣は鎮静化してしまった。
「予想以上……ですわ」
シュナはため息を吐く。
「そうね、予想以上に弱すぎる」
大きな鏡を、指先でクルクルと回転させて遊ぶシュピーは言う。
だが、ベルたちが弱いのではない。敵……シュナ、シュピー、ヴェルトが強すぎるのだ。どの攻撃も思うように通らない。逃げようにも、背を向けた瞬間に命を絶たれるだろう。
「興冷めですわ。イグニを殺せたのも単なる奇跡と偶然が重なったのでしょうか?」
そう言ったシュナの手に、バチッと黒い稲妻が走ったように見えた。空気がずっしりと重くなったような感覚がベルを包む。嫌な予感がする。
「あの魔蝕の子も、この町の人間も、わたくしも含めて……どうやらあなた方を過大評価しすぎたようですわね」
シュナは右手の長手袋だけ取り、真っ白で綺麗な肌を露出する。紅い爪が不気味だ。
「さようならですわ」
黒い稲妻が無数に弾け、刹那轟音と共にそこは分断される。魔木の森に出現した断崖と同じく、跡形もなく深々と地面を斬っていた。
「さ、帰りますわよ」
「はーい! ……あれ、兄さん? どうかしたの?」
シュピーはヴェルトを見上げて首を傾げる。シュナにより二つ目の巨大な亀裂が生まれた場所を、じっと見つめている。
「ナンデモ ナイ シュナ ヤッパリ スゴイナ」
「褒めても何も出ませんわよ? それよりほら、置いてかれたくなかったもっと寄りなさい」
「アァ」
そうして、三人はどこかへ消える。ユナイの町はほぼ壊滅。全体の三分の二が、シュナによって断崖絶壁の谷となってしまった…………。
* * * *
……三人は、図書室で俯きながら今後の対策を考えていた。
本当にギリギリのところで、ルフトラグナのアニムスマギア【隔離図書室】で直撃を回避出来たのだ。今、外がどうなっているのかは容易に想像がつく。
「……セフィー」
ベルはシュナの言葉を思い出す。確かに魔蝕の子と、彼女は言っていた。つまりセフィーがシュナの前に立っていたということなのだ。無事であることを祈りながら、本棚にもたれかかる。
「……もし、あの三人が魔龍の仲間なのだとしたら。またどこかに現れる……。ギルドに報告して……それから、対抗……。対抗か……出来るのか、アレを相手に……」
苦虫を噛んだような苦渋の表情で、グランツは額に手を当て、寸前の戦いを思い出す。……いや、戦いにすらなっていなかった。向こうはまだまだ余力を残していたようだし、何より勝つ算段が思い浮かばない。
「…………強い気配が消えました。もう、出ても大丈夫だと思います」
とはいえ今ここで解除すると、元の場所に戻ることになる。もしあの一撃で森の半分が斬られたように亀裂、断崖が出来ていれば、真っ逆さまに底まで落ちていく。
ルフトラグナは唯一本棚が置かれていない壁に手を触れると、扉を作り出す。それを恐る恐る開くと、崖ギリギリ……残った町の道に繋がっていた。
「……あ、グロウスさん! 無事だったんですか!」
ルフトラグナの隔離図書室から出るとすぐ、ベルは知った顔を見つけて少し安心する。どうやら隠れてやり過ごした住人が少なからずいるようだ。
「悪い……何も出来なかった……」
「し、仕方ないですよ! あんなの……」
「────違うんだッ! あの嬢ちゃんは町を守ろうとしてたってのに……オレたちはビビッて見ているだけだった……! 町どころかあの子すら守ろうとしなかったんだ……ッ!」
「え……? じゃあ、セフィーは……セフィーはどこ?! ねぇ! グロウスさん!!」
ベルはグロウスの肩を掴み、声を荒げる。まさか、なんてことは考えたくない。それでも、グロウスの表情は厚い雲がかかったこの空と同じように暗い。嫌でも察しがついてしまう。
「そんな……なんで、魔蝕症を治せる薬だって作って……私は……! 元気なセフィーを見たくてここまで来たのに……っ!」
ベルの瞳に涙が浮かぶ。そんなベルを慰めるように雲が晴れ始め、青い月が顔を出した。深い爪痕が残る町を照らす。
「ベル……あれ……って…………」
何かに気づいたルフトラグナが、声を震わせて指を差す。青い月に照らされているのは、月の色とは真逆の真っ赤な地面。乾き始めた血が黒ずみ、何か赤いものが落ちているのがわかる。
「あ……ぁ…………セフィー……セフィー……っっ!」
それは、セフィーが身に付けていた赤いリボン。血溜まりの中で、極小さな肉塊と一緒に沈んでいたそれは、唯一形が残ったものだ。
ベルは血溜まりに足を踏み入れる。グシャッと、若干の弾力のある血溜まりで両膝を着くと赤いリボンを拾い上げた。
「ぅ……あ……ごめんっ、ごめんね……っ!
ぅ、っ………うぁぁああああああああああッッッ!」
リボンを握り締め、溢れる涙を堪えきれずに血溜まりに零す。涙は止まらない。止まるはずなかった。
ベルは声が枯れようとも、構わず泣き叫ぶ。青い月の下で、紅い地の上で、仲間と共にセフィーを想って涙を流す。────今はそれしか、出来ない。
〈Episode21 : 慟哭しか出来ぬ者〉




