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「ハイウェイバイパス建設のため、この里は取り壊されることが決定しました」
旦那さまは開いた新聞をわたしのほうに差し出してこう仰いました。
「ハイウェイバイパスって……」
わたしはぼっちゃまにミルクをあげながら呆然とくりかえしました。
【バイパス】英: bypass
交通量の多い市街地の道路の混雑を避け、車を迂回させるために設ける道路。
いったいこの片田舎のどこに迂回しなければならない市街地が存在するというのでしょうか……。
樫の木の里はこのあたりではいちばん大きな里ですが、あくまでもこのあたりでは、という注釈がつきます。ハイウェイもバイパスもとても必要とは思えません。
このあたりはとても平和な土地です。人類の急激な発展に取り残され、戦争と混乱と歴史上の空白期間とそのあとに訪れたゆるやかな衰退にも取り残され、人々は農耕と牧畜を中心とするのどかな生活を送っています。ガスはとっくの昔に廃止されたそうですし、電気と水道は決まった時間にしか使えません。この世界では地球人類の生息数は減少しすぎて長期的には絶滅すら危惧されているそうなのでむべなるかななのです。
地球上に生息する人類の個体数は18世紀末の時点で10億人前後だったものと推定されるそうですが、産業革命以降その増加速度は急激に加速することとなりました。19世紀末におよそ16億人だったものが人口爆発を経て20世紀末には60億人に到達、そ のまましばらくのあいだ増えつづけていたようですが、24世紀の現在1億人を割りこんでいます。
これは危機的状況です。
事態を重く見た連邦政府が派遣されたのが旦那さまを含むオーバーロードの方々であり、本来は地球人類とその生息地を保護する立場であるはずです。
「地球人類はいちおう知的生命体ということになっていますから。内政干渉は基本的にしない方針なのです。もちろん限度というものはありますが」
「だったらなんのために派遣されてるんですか」
「データを残すためです。地球人類が絶滅してしまうとかれらの文明について記録する者がいなくなりますから」
そうでした。この方は学者先生なのでした。一般人の理屈は通用しません。
「だいたいハイウェイバイパスなんか作ってだれが通るんですか」
一般人は自動車なんて所有していません。まず化石燃料の流通が限られています。こんなご時世でも貴重な燃料を惜しみなく使って商売をされている方々はいらっしゃいますが、人数も少なく商売の規模も小さいようですし、とても採算があわないのではないでしょうか。
「太平洋のまんなかにある軌道エレベーターのことはご存知ですか。地球人類が管理している数少ない設備のひとつですが」
「いえまったく」
「中国から荷物を運んで銀河に輸出したいそうです。あと、観光客も誘致するつもりだそうですよ。うまくやればかなりのもうけになるでしょうね。なにしろ地球人類はもうすぐ絶滅するという評判ですから。希少価値は計り知れません」
わたしはげんなりしました。それはつまり、わたしたちが絶滅してしまえば商品の価値が上がるということではないのでしょうか。
「それにこれは連邦政府から交付された補助金で行われる事業だそうですから」
「なるほど」
その一言で納得します。補助金というものは年度内に使い切らなくてはなりません。貯蓄しておくことができないだけでなく、余剰が出るということはすなわち不必要だったと判断されて来年度の補助金が減額されてしまうおそれがあります。事業があるから予算が必要なのではない、予算があるから事業が必要となるのです。補助金がかかわる事業にそれ以上の存在理由などありません。
「とりあえず、手配はすべてこちらでしてあります。ナニーはご自分の荷物さえまとめておいていただければ、あとはクゥのお世話に専念してください」
「かしこまりました」
ミルクを飲み終えたぼっちゃまにげっぷをさせ、ゆりかごにおろしてから宙を舞っていたパンをつかまえてお皿に戻します。食欲はいまいちですがパンに罪はありません。足でゆりかごをゆらしながら食べはじめたところで旦那さまが再びいいました。
「そういえばあなた宛に荷物が届いていました」
前任のシッターロボットに紹介してもらった赤ちゃん用品専門店の通信販売カタログでした。(旦那さまは地球人類のこどもはできるだけ地球人類の手で育てられるのがよいというお考えのため、わたしが採用されたことで職を失ったシッターロボットは現在館の裏に住み着いた野良猫の世話を仕事にしています。なにかの世話をすることにみずからの存在意義を感じるのだそうです)
ぼっちゃまの粉ミルクや紙おむつは旦那さまの故郷からの通販に頼っています。もちろん里への物資の供給も維持されてはいますが不安定なので。
おむつは布おむつもありますし洗濯乾燥ロボットがいるのでないならないでべつにかまわないのですが、粉ミルクは死活問題なので絶対に切らさないよう多めに買い置きしておかなくてはなりません。
これがなくなると、わたしはぼっちゃまを背中におんぶして耳を引っぱられたり髪の毛を引っこぬかれたりしながら、ピッチャーを抱えてヤギを飼っているおうちを回らなくてはならなくなります。
旦那さまは気前がいいので里の人はおおむね好意的ですが、見た目が見た目なのでご近所の方々の心象を悪くするようなことはできるかぎり避けるにこしたことはありません。
食後のコーヒーにミルクをたっぷり注いでぼっちゃまが空っぽになったミルクピッチャー(ステンレス製)に気を取られているすきにカタログをめくります。
粉ミルク(2缶セット×2)、紙おむつ(Mサイズ×4パック)、離乳食レトルトパウチ詰め合わせ……
毎月のことなので申し込み用紙にチェックをつけるのも慣れたものです。カタログの裏表紙をめくると懸賞の応募ハガキがついているのもいつもどおり。賞品は毎回変わります。わたしはこれをみるのがいつもたのしみなのです。
【A賞】
1等:こぐま座β星9泊10日の旅ご招待〜青い海とすてきなビーチ〜(お住まいの地域から現地までの往復チケットと滞在中のホテルのセットです。滞在期間は現地時間となっております。なお紫外線アレルギーには非対応のためあらかじめご了承ください)
2等:ギャラクティカランド 1 day ペアチケット
3等:古代遺跡(お住まいの惑星にあわせてお選びいただけます)
4等:洗濯機(最新型子守り機能つき。お子さまがなかに入ってしまっても安心安全 ジェットコースターモードで遊ぶことができます)
5等:おおぐま座産最高等級ナナイロクマモドキ ステーキ用 10 kg
わたしは食べかけのパンとパンフレットに印刷された虹色のステーキ肉の写真とを見比べ、黙ってパンフレットを閉じました。
いいのです。どうせこのあたりにあたることはないでしょう。ダブルチャンスでB賞の特製ブランケットがあたればラッキーくらいの気持ちでいたほうがたのしいですし、懸賞というものは応募することに意義があるものですから。
朝食をすませ、記入の終わった通販の申し込み用紙と懸賞ハガキをロボットに託したあと、わたしはぼっちゃまを連れて散歩に出ることにしました。