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 この世界に転生してきて3か月。


 かしやかたのぼっちゃまの世話係(以下ナニー)を務めるわたしの朝は早いです。夜明けのまえに起きて身支度をし、夜明けと同時にぼっちゃまのお部屋を訪ねます。


 重厚なカシノキでできたドアをノックするとなかからなにか柔らかいものがドアにぶつかる音がします。


 あわててドアを開けました。


 飛んできた二発目がみごと顔面にヒットしました。


 ぽすん、と軽い音を立て床に落ちたそれを拾いあげます。タオル地でできた白いくまのぬいぐるみ。先週仕事で母星に一時帰国された旦那さまがおみやげに買っていらしたものです。おしりふきの乾燥を防ぐ機能からミルク用のお湯を保温しておく機能、おかゆを裏ごしする機能にほうれん草の味をごまかす機能まで赤ちゃんのお世話に必要なおよそ思いつくかぎりすべての機能が搭載されていますが、どれも中途半端で役に立たないのでわたしが使っている機能はひとつだけです。


 くまのおなかを押すとクラシック音楽のオルゴールが流れ出しました。


 赤ちゃんの知的好奇心を刺激し静かで深い眠りに導く効果があるそうです。そのふたつの効果は矛盾していると思われる読者は少なくないでしょうし、わたしもその考えに全面的に賛成です。ぼっちゃまがこのオルゴールではしゃぐことはあってもおとなしく眠ってくれたことは記憶にありません。


 部屋に入り、ふわふわと宙に浮かぶおもちゃたちをひょいひょいと器用に避けながら壁際に置かれたベビーベッドをのぞきこみます。


 まんまるな瞳がこちらを見上げています。


 目と目があうとぼっちゃまはにっこり笑いました。


 そうですよね。起きてますよね。……と、いうことは。


 カエデの葉のように小さくてかわいらしいおててがわたしに向かって伸ばされます。その手の動きにあわせるように、部屋のなかに浮かんでいたおもちゃたちがいっせいにわたしめがけて飛んできました。


 プラスチック製のガラガラに二足歩行するブリキの兵隊、けがをしないよう角がまるくなっているつみきなんてまだかわいいもので、最後に飛んできた『銀河の物語全集』第八巻が脳天にクリティカルヒットしたわたしはばったりと床に倒れ伏しました。




 おむつを替えたぼっちゃまを抱きかかえ食堂に入ると、朝食の支度はすでにできていました。旦那さまが母星から連れていらした屋敷しもべロボットたちがちょこまかとパンを焼きコーヒーを淹れてくれます。


「あ、ぼっちゃま」

「ぼっちゃまはやいですー。みるくみるくみくる……」

「おはようございます」

「おはようございます」

「おはようございます、ぼっちゃま。よいあさですね」

「みるくのじゅんびできましたですー」

「おはようございます、ぼっちゃま。おはよう、なにー」

「おはようございます、みなさん」


 ちなみにこのロボットたちを屋敷しもべロボットと呼んでいるのはわたしだけで、旦那さまの故郷でそんな呼び方をすると動物愛護団体やら全宇宙PTA連合会やらOS Z教orange派やら人工知能の人権を保護する会やらから苦情が殺到するそうです。


「おはよう、クゥ。いい朝ですね」


 ダイニングテーブルで新聞をひろげていた旦那さまが顔を上げました。


 旦那さまは山羊の頭に鴉の翼、蛇の尾をもっています。地球人類には『オーバーロード』と呼ばれているそうです。わたしが以前いた世界では悪魔と呼ばれていた架空の生き物に非常に酷似した容姿です。なかなかに衝撃的なルックスですが、ここかしさとは辺境の辺境のさらに辺境というのどかな片田舎なので、里の人々はたんに『樫の木館の学者さま』と呼んでいます。旦那さまは地球人類の文化と歴史について研究する学者さまなのです。


「おはようございます、旦那さま」


「おはようございます、ナニー。いい朝ですね」


 旦那さまのおそばにお連れするとぼっちゃまは山羊のような角に手を伸ばしきゃっきゃっと笑いました。


 本日の旦那さまはグレーの背広を後ろ前に着ていらっしゃいます。どこかの偉くて年寄りで頭が硬い人と面会するときの服装です。ふだんは長い一枚布をくるくると巻きつけてブローチで留めているのです。背中に翼があるので背広を着るのはかなり難易度が高いのですが、偉くて年寄りで頭が硬い人というものは背広を着てネクタイを締めて革靴を履いていない者の話にはいっさい耳を傾けないものですし、残念なことに偉い人というのは大抵の場合において年寄りで頭が硬いものなのです。


 ちなみにぼっちゃまの外見はいたってふつうの地球人類の0歳児のそれです。どうやらぼっちゃまのお母さまはごくふつうの地球人類の方だったようです。


 ぼっちゃまを日のあたるゆりかごに寝かせミルクやらおしぼりやらを受け取って戻ってくると、ゆりかごのうえには薄く切ったパンにバターを塗ったものが舞っていました。蝶のように四枚合わさって羽をぱたぱた動かしながら蜂蜜の壺やミルクのピッチャーを避けて優雅に飛んでいます。このところのぼっちゃまのおきにいりです。


 ぼっちゃまの魔法は日に日に高度に進化しており、わたしの頭痛の種は増える一方です。いや、これがわたしの仕事なのでしかたないんですけどね。かわいいですし。


 ぼっちゃまは現在生後6か月。ほっぺたぷくぷく、おててもあんよもぷっくぷく。たいへん愛くるしいです。


 特技は寝返り。できるようになったばかりのころはひっくり返って元に戻れず泣き、せっかく仰向けに戻してあげたにもかかわらずすぐにまたひっくり返って元に戻れず泣き、のくりかえしでした。


 おもちゃを宙に飛ばすことができるのに自分は飛べないというのがよくわからないのですが、不条理のかたまりである旦那さまやぼっちゃまにそれを問うても納得のいく回答は返ってきません。ただそういうものとして受け止めるまでです。


 とにかくうつ伏せになるとなにが困るってミルクを吐き戻してしまうんですよね。後片付けは清掃ロボットと洗濯ロボットの仕事ですがおなかを空かせたぼっちゃまにミルクのおかわりを飲ませるのはわたしです。でも最近は寝返り返りをマスターし吐き戻すこともなくなりました。目下ハイハイの練習中です。


「ところで、ナニー。来週の週末に引越をするのでご自分の荷物をまとめておいてほしいのですが」


 旦那さまは使用人相手にも物腰がていねいでお給金もよく福利厚生もよくたいへんすばらしい雇用主でいらっしゃいます。見た目は悪魔ですが。


「なにかあったのですか」


 ぼっちゃまにミルクをあげながら訊ねました。


 旦那さまは開いた新聞をわたしのほうに差し出してこう仰いました。




「ハイウェイバイパス建設のため、この里は取り壊されることが決定しました」

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