第3話 お、おおお化けなんかこわかねぇ!
目を閉じていても見えるのは暗闇ではなく瞼の裏側でしかない。光があれば前が見えないだけで、暗いとは言えない。
太陽を瞼越しに見れば血管が見える。カーテンを閉めても陽光が漏れる。
だが、今彼女がいるのは真の暗闇である。一切の零れ日も物音さえも聞こえない、その場所は自分の手さえも見えない完全な闇の中だった。
青色の光の次に待っていたのが再び黒という結果にメフィは舌打ちをうちそうになったが、寸前のところで取りやめ、内心で舌打ちをうった。
ここがどこで、何が起きているのか未だはっきりとしていない。
メフィの相棒と瓜二つの物と対談した場所も、考えても答えが出ない。もしくはただの夢だった可能性も捨てきれない。
もとより考えるのは彼女には向いていない。それはいつも教養のある相棒の仕事だった。
視界は無くても感覚ははっきりしている彼女は何か手に持っていることがハッキリと分かった。手足を伸ばそうとすれば何か壁のような物に当たって伸ばせない。頭は最初から何かが当たっている。後ろに下がれば背中がまた壁のような物に当たった。
だが、肌触りからして壁の正体が木だというのがなんとなくわかった。
木ならばと思い、腰に手を回して……、驚嘆した。
――銃がない!
いつも身から離すことなく持ち歩いていたもう一つの相棒の存在がないことに若干どころではない焦りを覚えた。
銃は人を殺すための道具であると同時に、自分を裏切らない絶対の守りでもある。
人を簡単に殺せるというだけで安心できる。殺せるなら、どんなに恐ろしい外見だろうが殺せば肉塊だ。
彼女が死なずに生きてこれたのも銃があったからに他ならない。
(まずは、ここが何処なのか)
監禁か、はたまた誘拐か。
彼女の相棒と彼女の二人しかいなかったあの場所がまだ本当に死んだ後の世界なのかすら可能性の段階でしかない。
「ふんっ! えい! 駄目か? う~ん」
一回、二回と木の壁を殴ってみるが、鈍い音が響くだけに終わった。
罅が入っているのかもよくわからない。
前が駄目ならばと右、左、更には後ろを殴ったり蹴ったり、石頭の自覚もないのにつつきをして鈍い痛みに悲鳴をあげそうになっりもしたが、彼女は未だに光に当たらない。
まだこの場にきて数十分もしていないというのに自分の息が荒れてきたのに違和感を覚えた。
いつもならば数十分間休憩なしで走り続けてやっと息がきれてくるはずなのに、たかだか狭い空間で少々騒いだ程度で息が荒れるのはおかしい。
「あれ、そういえば、空気はいったいどこから……っ!?」
そう考えた瞬間、真っ暗闇の中で彼女の顔が青白く変わった。
光が漏れていないのは自分を閉じ込めている何かが置いてある場所が暗いからだと思っていたが、もしそうでないのならば彼女のいる場所には穴がないといことになる。
穴がなく、完全な密閉された状態ということはつまり空気が通っていないということになる。そんななかで数十分も暴れていればどうなるか。
考えるまでもなく、呼吸するのに必要な酸素が無くなり、呼吸ができなくなる。
「おい! おぉい! 出してくれ! 誰かいないのか!? いたらここを空けてくれぇ!」
恥も外聞も捨てて喚き散らして木の壁を叩きながら助けを求めたが、返事は返ってこない。
それでも死にたくない一心で叫びながら彼女は叩くのを止めない。
叫んでも助けが来ないとわかったメフィは叫ぶのにも体力を使うと考えて黙り込み、黙々と壁を叩く。だが、いくら叩いてもこの壁は一切壊れる兆しが見えてこない。
「ふんぬぅぅっ!」
全力を出してもやはり壁はびくともしなければ軋む音さえしない。だが、ここで力を緩めれば再び全力出せなくなると感じた。
もう駄目だと、あきらめかけたその時、ガコッという音が前の壁から聞こえてきた。
今が千載一遇の好機、そう思った瞬間、全力を超えた更なる全力を両手両足に込めた。
「うおぉおおおおお! 私に力をぉ!」
格闘映画で見た強い一撃の打ち方の猿真似だが、それでもさけびながら彼女の全力をうった。
そして、彼女の目の前に念願の光が現れた。
「あれ? ふんっ! う、うぅ!」
代償として……、手が壁にハマった。
「ぬ、ぬぬ抜けないぃ! ふ~ん、ふ~ん!」
穴が開いて窒息の心配がなくなったはいいが、手が穴から抜けなくなってしまいそこ場から動けなくなってしまった。
「うわっ! ぬ、抜けた?」
いくら手を動かしても抜けなかった手が、外からのきた何らかの強い衝撃で抜くことができた。
いったい外で何が起きたのか気になったメフィは先ほどまで自分の手があった穴を覗いてみると……目が合った。
想像だにしない外の光景に思考が停止してしばらく一人と一匹は視線を合したまま硬直していたが、すぐに彼女は相手の正体を看破した。
それは瞳孔が縦に伸びた猫のような目に、ふさふさとした茶色い毛並み、鋭く長い牙を携えた突進しか能のない凶暴な動物。
「イノシシ?」
「ブモォオオオ!」
咆哮と灯り怒りを露わにした猪はその巨体で彼女を閉じ込めていた物に突進した。当然その中の彼女も無事ではすまなかった。
「うわっ、ちょっ、きゃっ! こ、このっ! むぎゃッ!」
縦軸に回転する中で彼女は何度も体を打ち付けながらも、自分が入っていた場所が正方形の木箱だというのがなんとなくわかった。
だが、そんなことが分かったところで箱詰めにされた彼女がどうにか助かるわけではないのだが。
「ブモォオオオ」
「いた、いた、いったぁい! 何故か毎回同じ所に当たって痛い!」
箱の中に入ったまま転がされるとかなり痛い、ということを学び、メフィは一つ賢くなった。
草が青々と生え見晴らしがよく風を遮るものがない広い平原の中、深い木々が生えている場所のすぐ隣、土色が剥き出しになっている一本道があった。何人もの人が踏みしめたそこは雑草一つ生えておらず、小石が混ざっている程度で大きな石はほとんど転がっていない。
「はぁ~」
大きなため息を吐きながら二頭の馬の手綱を握る御者がたった一人で馬車にのって移動している。
代り映えのしない景色、特に面白みのあることがないのどかな風景に御者は思わずため息をつく。それも仕方がないことだ。
代り映えのしない者は珍しい場所でも数時間と続けば飽きが出てくる。しかも、彼はこの仕事をし続けて数十年間同じ道を、数十年間一切変わらない道を永遠と往復してきたために、すでにもうどこになにがあるのかすら暗記している程なのだ。
「…はぁ~……?」
馬車が出す単調な音を聞き続けて瞼が重くなってきた。だが、彼は唐突に馬車以外の音を耳ざとく聞き取った。
木の擦れる音と共に、何か大きな物が転がる音と馬ではない何かの足音が徐々に近寄ってくるのを感じた。
ここで急いで馬を走らせるのが最善の策。だが、ここまで平和だったためと、ちょっとした好奇心が彼に鞭を震わせなかった。
そして、音の正体は現れた。
「ブモォオオオ!」
「ッ!?」
「ヒヒーン!?」
突然現れたイノシシに驚いた馬が慌てたため、反射的に御者は手綱を強く引っ張ってしまった。すると馬は理性を失くしていたために自分を引っ張る力に抵抗してしまった。
「っ!?」
「ヒヒーン!?」
結果は言わずもがな。
馬車は呆気なく横転し、積まれていた木箱や御者の男は意図も容易く馬車から落ちた。
その際に大きな音が鳴ったために馬車に突っ込んできたイノシシまでもが驚きその場で回転し、森の中へと引き返していった。
馬は御者が運よく手綱を話すことなくいたために大人しくすることができたため、興奮した馬に頭を蹴られて死ぬことはなくなったことに御者は安堵したが、折角持ってきた木箱たちが自分と同じように地面に転がってしまっていることに気づいてうんざりした。
「はぁ~」
ここにきて未だに溜息しか声を出していない御者は一人で何とか馬車を立て直し、倒れた商品の入った箱たちを再び荷台に詰め込んでいった。
「……?]
その中に一つだけ、穴の開いた木箱を見つけた。
穴が開くようなことは起きていない。ただ箱が地面に落ちただけで穴が開くとは到底考えられない。
本当ならここで中身を確認するはずなのだが、さきほどまで眠気と格闘していた男は未だにそれが抜けきっていなかったために中身を確認せず、また箱の数量も確認しないまま、荷台に乗せ、再び馬を歩かせた。
「ほへぇ~」
穴の開いた箱の中で目を回している少女の声は、馬車の音でかき消されてしまった。
小さな揺れと時たま起きる大きな揺れで目を覚ましたメフィはゆっくりと縮まっていた体を伸ばして、頭を打った。
次に体を起こして、同じ場所を打った。
「あぁ……いったぁ……はぁ、厄日か」
ぼそりと呟いてから周りを見渡して、自分が閉じ込められていることを思い出して溜息を吐いた。
穴から入ってきた日の光で中の様子が見えるようになっていることに気が付いた彼女は、冷静になった頭で考えてようやく自分が入っていたのが木箱だと理解した。
理解すると同時にイノシシがまだ近くにいるのではないかと思ったメフィはすぐに穴から外を見てみた。
そして、絶句した。
「なんだ、あの建物は?」
穴から覗いた外の世界には不可解極まりない光景であふれていた。
建物を構成しているのは煉瓦、だがその作りは酷いの一言に尽きる。彼女が暮らしていたスラム街でももう少しちゃんと作られていた。
その辺を歩いている人達が来ている服も、どこか違和感がある。彼らの着ている服にはチャックやボタンなどがまったく見当たらない。
そして何よりも、先ほどから時折見える、前時代的な武器である剣や、何に使うか分からない大きな宝石がついた杖をもった者が従来を何の恥じらいもなく堂々と歩いている。
(今日はコスプレ大会かなにかなのか?)
「○×★*¥■?」
「っ!?」
突然見知らぬ声が聞こえた瞬間、反射的に口を両手で押さえて穴から体を離した。
「○×$&■☆!」
(何語だ? 英語でも中国語でもない。ましてやフランスでもない。どこの言葉だ? って、いつまでもこんなところにいるのは不味い!)
最初にいたのは箱の中だった。意識がなかったのだから自分から入ったわけがない。つまり、自分は誰かにはこの中に入れられた。
視界が動いているということは動いているということ。つまり、彼女は現在運ばれている真っ最中なのだ。
(早くここから出ないと)
箱の上部に両の掌を付けてゆっくりと力をくわえていくと、気絶する前はあれだけ力を入れても動かなかった箱が、今回はいとも簡単に開いた。
(やった!)
開いた隙間から太陽の光が零れてきて、いざ外へと出ようとした時、メフィは外に出された。
「……へ?」
箱の蓋に位置する所だけを手に持った状態で硬直した彼女がそこにはいた。
イノシシの突進を何度も受けて釘が緩み、そこから馬車の揺れで更に悪化した箱は今まで絶妙なバランスで箱の形を保っていた。
だが、メフィが箱を開けたことでそのバランスが崩れ、箱が瓦解してしまったのだ。
「……」
「……」
目があった。
後ろでした物音が気になって振り向いた馬車に乗った男と木の板に乗って木の板を両手で持った状態で固まっているメフィが、予想外の出来事に脳が反応しきれず硬直した。
「やっば!」
「×#$%!?」
男が何かを喚き散らしているが、メフィには当然わからず、無視して馬車から飛び降りてひたすら走った。
走っているさなかにいくつもの気づくことがあった。
地面がコンクリートで舗装されておらず、土が剥き出しになっている。近代化が進んだ現在ではほとんどの所でコンクリートで土を覆い隠している。
なのに今走っている場所はそれがされていない。つまり、それほどまでに困窮した場所、もしくは他に何かの理由があるのかもしれない。
それに道を歩く者達が異様に背が高い。
彼女の身長は150cm。だが、周りにいる者達は自分よりも頭が5つか6つ、もしくはそれ以上の違いがある。ましてや子供と同じ身長。建物もその扉も大きすぎる。
ここは『巨人の村』なのだと言われても信用してしまうような光景ばかりが目に付く。
――ここはいったい……いったい何処なのよぉ!?
普段なら言わない可愛らしい言葉使いで一人の少女は心の中で嘆きの言葉を綴った。
家と家の隙間は影になっていて誰も近づきたがらない薄暗い空間を作っていた。
火事対策としてある一定の間隔をあけて建てられた家々の間は日中の明るい空間の中に一部分だけ暗い場所を作っていた。周囲が明るいためかそこが余計暗く人々の目に映って誰もが若干の恐怖を覚えてしまう。そんな場所がこの街にはいくつも存在した。
「はぁ、はぁ……」
そんな暗闇の奥深くで、手に汗をなじませて荒い息を吐くものがいた。
膝に手を置いて中腰になり汗が目に入るのを恐れて目を閉じている彼女は最後に一際大きな息を吐いた。
「はぁ……なんで、こんなことに……」
中腰になった状態から体を後ろに反らすようにして体を伸ばす。閉じていた目を開けて一番初めに目に映ったのは何一つ変わらない青い空だった。
忌々しげにこちらを見下ろしてくる白い球体は、いつも通りそこに鎮座している。
これ以上見続ければ目が可笑しくなってしまうと思い下を向いて、気が付いた。
「は? へ?」
顔を下に向けた瞬間に落ちてきたのは絹のような沢山の青い糸だった。
手でその束を持ち上げてみたが、まるで荒れを感じない。
一瞬頭に何か高級な布でも降ってきたのかと思ってしまった。それほどまでに目に入り、手に取った一本一本は素人の目でも綺麗な糸だと思えた。
「これは、いったいどこから……っ!」
立ち上がり顔を横に向ければ、そこには窓があった。
光の反射がなく日陰出会ったがために、そこに彼女が映った。
家の壁についていた窓は現代のよりも歪みが多く、均一な部分がなくどこもかしこもでこぼことしていた。それでも、人を映すのには何の影響もなかった。
「これが、私か……これが、これがか!?」
そこに映ったのは大人の姿ではなく、たがただ縮んでしまっているわけではない。
小さい頃の写真を彼女は持っていない。どころかこの世に存在していない。それでも、彼女は自分の姿は覚えていた。頭の中に入っている子供の姿とそれはまるで違った。
顔立ち、髪の長さと色、目つきも何もかもが違う。
別人。
「どうなってやがる。整形? これはウィックか? いてててっ! 違うか」
青い髪をいくつか掴み強く引っ張れば頭部に強い痛みが生じたのでカツラなどではないことが分かったが、ますます現状が分からなくなった。
気が付いたら箱の中、外に出てみれば昔のパリの展覧会でも開けるような家々しかない。
長方形のブロックを組み立てて家にしている。ブロックの形が歪で形が整ていないように見えるが、彼女が日々過ごしてきた場所では必ず家のどこかに銃弾や血の跡が残っていた。それに比べれば歪さなど些細な事。
「はぁ、もっと奥へ行くか」
一先ずここではない別の場所へと向かうことにした。
今いる場所はただの家と家の隙間でしかないため、道路から丸見えになっている。
現状わからないのは幾つもあるが、最初に知らなければならないのは自分の体。分からないことは調べなければ分からない。だが、路地裏で自分の体をまじまじと観察しているところを見られたら痴女扱いされる可能性がある。
今着ている服が灰色の布切れ一枚だけというのも問題だ。
それに確認するにしても鏡が無ければ細かく確認することができない。
(誰もいない場所で、鏡があるところ。もしくは鏡を手に入れなければ)
何の迷いもなく奥へと進んでいこうと決め、一回目の曲がり角を曲がった瞬間、変化が起きた。
「うん?」
服と言うなのただの薄汚れた灰色の布が青色に光だした。
否、光りだしたのは自分の胸元だ。
「これは……」
徐々に胸元の青い光が強くなってくると、布が徐々に膨れ上がってきた。
そして、それはあろうことか布を通り抜け始めたではないか。
「ッ!?」
布を透過してきたのは青く光る美しい玉だった。宝玉と言ってもいいそれは純度の高いサファイアのように輝いていたが、彼女にとってそれは不気味で仕方がなかった。
あまりにも非現実的で、理解の範疇を超えてしまった出来事に、彼女は――、玉を戻すことにした。
「えい」
そんな掛け声とともに玉を掴んだ彼女はそのまま押し込み、それを自分の体に押し込んだ。全てが押し込まれると光が消えた。だが、手を離すと再び玉が体から出てきてしまった。
出て入ってを数回繰り返すと、最後の最後に彼女は渾身の力を込めた一撃を玉の出所である部位に向かって躊躇なく殴った。
「ガフォアッ!」
予想以上の威力だったため彼女はその場に倒れこんでしまった。だが、怪我の功名なのか、玉は胸の中に入ったまま出てくるようなことはなくなった。
「はぁ、はぁ……よし」
「よしじゃねぇ!」
「˝あぁん?」
女性であるがまるでヤクザが喧嘩を売る時のような低い声を出した彼女は後ろを振り返り、硬直した。
「まったく、貴様は何を勝手なことをやっている」
そこにいたのは、相棒の瓜二つの人物であった。それが淡々と文句を口にしているが、その言葉は彼女の耳には入らなかった。
顔はやはりそっくりで、服装もと思って徐々に顔から視線を下に下げていく。
「ッ!?」
バッ、と彼女はその場を駆けだした。
後ろを見ずにただある道を進む。知らない薄暗くて異臭のする細道をわき目もふらずにひたすらに走った。
走っているさなかに生ごみやゴミ箱などを蹴飛ばしてしまうが、彼女は止まらない。
化物に追われている思え。黒いりローブを被った骸骨が大鎌をもって迫ってきていると思え。振り返ればそれまで、鎌で胴体が二つに分けられて魂を持っていかれると思え。
「どこへ行く!」
「イヤァアアアア! お、お化けぇえええ!」
彼女は目の前に突然現れたそれに恐怖を覚え、思わず叫び声をあげてしまった。
ただ、男が急に目の前にいただけなら彼女は恐れなかっただろう。
目の前に現れた彼の胸元から下が一切ない姿でさえなければ。
「誰がお化けだ馬鹿野郎!」
「お前だぁあああああ! うおぉ!?」
化けて出てきた男に対して律儀に返事をしたメフィは再び逃げ出そうとして踵を返したが、何か柔らかいものを踏んだ瞬間、彼女の視界は逆さまとなった。
下に青空、上に土が見える歪な背景の中に、自分が踏んだ物が目に入った。
それは、先ほど蹴飛ばした生ごみだった。