第1話 私達はゴミでも花だ
この世界は人間にとって優しくない。空を飛べば翼をもつものに捕まり雛の餌になる。森を通れば小さな虫の毒にやられて植物の苗床になる。川に潜れば肉食の魚達によって骨以外の全てを食われる。洞窟に入ればそこを縄張りにしているもの達によって肉塊にされる。穴を掘り地下で生活したとしても、土の中で生活するもの達によって丸のみにされる。
人間は虫より強い、魚よりも強い、鳥よりも強い。
だが、それでも人間は脆い。
敵はいつも複数でやってくる。一対一なら勝てるとしても、数が多ければ殺される。奇襲され、不意を突かれて、捕まり……餌にされる。
一対一でも勝てない相手もいる。こちらがいくら攻撃しても効かない相手、なのに向こうはたったの一撃で人間を潰せる。
それが、最も人間を殺している人類の天敵、界物達だ。
奴らに慈愛なんてものは期待してはいけない。
人間は全員ではないにしろ、相手の気持ちを理解し、なるべく苦しませずに殺すことをする者もいる。
だが、奴らは違う。
そんな無駄なことはしない。
奴らは捕まえた獲物を生きた的にする。周囲を明るくするための火種にして、火種がもがき苦しみ徐々に焼けていく姿を見て楽しむ。種族繁栄と己の快楽のために相手が息絶えたとしても犯し続ける。
捕まえた獲物が〝駄目になるまで〟奴等はできることの全てをやる。
それが界物と呼ばれる所以。
生物にとっての不倶戴天の敵。
奴らは人間以外の生物も襲う。そのせいでいくつもの動物達が絶滅していった。界物達がいる限り、本当の意味で人間が安住の地と呼べる場所は存在しない。
「ハァ……ハァ……」
「クソッタレ、なんで、なんでこんなに強いんだよ!」
何故なら、界物は今まさに人間の住処を襲っているのだから。
「これが、人間と界物との差かよ」
硬い鎧に鋭い剣や槍を持った六人の男達は、たった一匹の異形の存在に立ち向かい、傷き、しかし誰一人それに傷をつけることもできず。
奴の力は甚大、されどこちらの力は貧弱。
「これが、人間の限界……俺達の限界、なのか……」
この場で誰もがこの場にいることに絶望した。剣を持ち、鎧を纏い、自民を守ると誓ったあの時の自分を心底憎んだ。
過去の色鮮やかな青春を泥水で上書きして、人を守る騎士に夢見て憧れた時代に悔恨を残す。
彼らは自らの夢を自ら嗤った。
――こんな化物に、どうやって勝てばいいんだよ!
増援は来る様子がない、遠距離の矢は使い切った。残るのは、なまくらな剣だけ。
背後にある壁の奥には必死に自分達が守っているというのに呑気に談笑している者達がいる。苦しんでいるのに、死にそうなのに、彼らは笑っている。
どんな絶望も、どんな最悪の結果も、なにも特別な事じゃなかったと何時もの事だと彼らは笑いながら思い出にするはずだ。
「くそ、クソォオオオオ!」
「ま、待て!」
自棄になった数人の男達が棒切れにも等しい武器を持って強者に向かって行く。
「ゴハッ!」
冷静さを欠いた愚か者は上段の構えで向かって言ったせいで腹に強力なだけ気をくらい、血反吐を吐く。まだ勢いは収まることを知らず、彼はまるで小さな子供が投げたボールのように飛ばされた。
「アルカ!」
急いで飛ばされた仲間の元へ一人の兵士が駆け寄る。
「……ぅ」
「よかった。まだ生きてるぞ」
「あぁクソが! どうすりゃいいんだよ! まだ何にもなしてねぇんだぞ! こんなところで死ぬのかよ!」
「どうするんだよ! 戦うのか!? 逃げるのか!? どっちにすんだよ隊長!」
「……」
この部隊を指揮する男は部下の悲痛な叫びに答えようと必死に思考を巡らせる。
どうしたらこの界物を倒せるのか、どうしたらここから生きて帰れるのか。
奴の目的は? 相手の弱点は?
どこを攻撃すればいい。どうすれば隙が生まれる。どうすれば逃げるだけの時間を稼げる。
だが、いくら思考したところでいい案というものは早々浮かぶはずもない。そのことに男は音がするほどに歯を食いしばる。
「……!」
草むらで何かが動いた。
風は吹いていない。それなのに草が揺れたということはそこに何かがいるということ。
今度は何が出てくるんだと運命を呪っていると、草が動いた。
「なっ!」
草むらからは何とも可愛らしい布でできた動物の顔が現れた。
否、可愛い動物の顔が描かれたフードを被った小さな幼女が顔を露わにした。
「な、なぜこんなところに民間人が!」
「んなこと知るかよ! あぁ! ま、不味い!」
茂みが動く音に男達だけではなく界物までもが気が付き、振り向いてしまう。当然、界物は幼女と目が合う。
「界物が、あの子に気が付いてしまったぁ!」
目の前にいる手間がかかってしまう大きくて硬い肉、草むらから出てきた柔らかく一呑みにするにはちょうどいい大きさの肉。
――どちらを喰らうかは……明らか!
「総員、戦闘を再開しろっ! どんなことをしても、界物の注意を我々に向けるんだ!」
今まで強烈な暴威に晒されていたにもかかわらず、彼らは瞳に強い意志を滾らせた。
彼らは何をするために兵士になったのか。
かっこよかったから。収入が多かったから。理由は異なるが、偶然にも彼らの思いには大小様々だが、同じ感情は確かにあった。
「了解!」
目の前の敵が強大過ぎて怯えていた。かなわない相手を前にして絶望していた彼らは、だがその思いの全てを捨て去って、同時に同じことを考えた。
――俺達は、人を助けるために、兵士になったんだ!
「こっちをむけぇ、獣野郎が!」
「この腐れど畜生が! 大人しく豚の餌でも喰らっていやがれ!」
聞こえているか、聞こえていて言葉を理解しているかどうかわからないが、男達は界物に向けて罵声を飛ばす。
大声を出すことで己を鼓舞して恐怖を払拭して見せた。
もう、刃に震えはない。
しかし、界物は彼らを無視した。
「なッ! あいつ、俺達を無視しやがったッ!」
「いけないッ! おい、そこのお前! 早くその場から逃げるんだッ!」
自分達に注意を向けることは不可能、そして界物が少女に向かうのを阻止することもできないため、彼らは少女に逃げてもらうように促す。
だが、少女はその場から動かない。
「クソッ! 足がすくんだのか!? こんな時に!」
だが、無理もない。
見たところ少女は十歳になっているようには見えない。そんな幼い子供がいきなり自分を襲う化物を見れば足が竦むのは当然と言える。
「グォオオオオオオ!」
「あぁ! だ、駄目だ! 間に合わない!」
間に合わない。
その場にいる誰もが幼い少女が無残に喰われるシーンを想像した。
界物が目の前の柔らかい餌に齧り付こうと大口を開ける。流れる鮮血、飛び散る柘榴。
その光景は作り上げる界物は……、――轟音と共に殴られた。
「うるさぁあああい!」
何が起きたのか、彼らには分からなった。
気づいた時には、彼女は傷一つなく逆に界物は地面に倒れ伏していた。
何かが起きた、奇跡が起きたと誰もが思うであろうが、彼女のしたことは誰もができる事であった。
怒号と共に茂みの中から飛び出した少女は、たった一発の上からの拳骨だけで界物を無様に地面に這い蹲らせたのだ。
ありえない、誰もが口を揃えてそう思う。だが彼らの目の前で、自分達の半分も生きていないような小さな子供が自分達が大人が協力して戦っても倒せなかった奴を、倒してしまったのだ。
「まったく、しずかにしてよぉ。今ごはん探してるんだからぁ!」
腰に手を当てて怒っていますと体全体で表現している。
そんな少女の目の前で頭を強打したにもかかわらずに界物は四本の足で立ち上がろうと力を入れる。
「もう、こうなったら」
少女は憤慨したというように苛立ちの声を上げると左の掌を下に、右の掌をその上に重ねた。すると、少女の目の前に六芒星の模様が浮かび上がった。
「これは、召喚魔法!」
読んで字のごとく、契約した相手をその場に呼び出せる魔法。
「いでよ、フーちゃん!」
声高らかに明るい声音で少女が召喚した相手。
「ホー」
(フクロウだ)
青色の毛並みをした通常よりも数倍の巨体を持つそれはまさしく夜行性のフクロウであった。
「いけフーちゃん! ごはん探しの邪魔をするあいつをやっつけちゃって!」
「ホー!」
召喚主の命令を聞くと同時にフクロウは両翼を大きく広げ一鳴きする。
持ち前の鋭い嘴を相手に当てるべく大きく体を後ろに傾かせて、素早くそして勢いよく体を前傾させる。
瞬間――ドゴンッという鈍い音とともに、嘴をくらった相手は地面にめり込んだ。
「……」
男達の目の前にはあり得ない光景が広がっていた。
少女の首だけが地面から生えている。
「ねぇ、フーちゃん。なんで私にこうげきしてるの?」
「ホー」
「ホー、じゃないよね! なんで! ねぇなんでなの!? あれ! 昼に呼び出したのが駄目だった? でもさでもさ、地面にめり込ませなくてもよくない?」
「ホー」
地面にめり込み視線だけを向ける少女をフクロウは上から見下ろす。
フン、無理やり起こされたんだ。八つ当たりしてもいいだろう? という目をフクロウはしていた。
「まぁ~りぃ~かぁ~~!」
「うん?」
別の所から、少女の名前らしきものを呼ぶ声と、誰かが地面を踏みしめる音が聞こえてきた。
「あんた何遊んでんのぉ!」
走り寄ってくるのはまた今埋もれている彼女よりも少し背の高いオレンジ色の長い髪をした少女だった。
腰に木剣をさしながら彼女は焦ったように走っている。
「グラァアアアアアア!」
倒れていた界物が起き上がった。
「いけない! このままだと本当に彼女が喰われてしまっ」
「あんた邪魔ッ!」
「グルゥア!?」
恫喝とともにひ弱な手で振るわれた木剣が界物の横顔から直撃し、界物は奇妙な悲鳴を上げながら再び横に倒れてしまった。
「ふんっ! あ、あぁぁああああ!」
倒した敵を目の前にしながらも、現れた少女は悲鳴を上げた。
当然、その場の全員が彼女に視線を向ける。
「私の、私の剣がぁあああ!」
少女の手には、叩きつけた衝撃に耐えきれなかったのか、真ん中で折れた不格好な木剣が握られていた。
いくら硬く作り上げられていても所詮は木、硬い物に叩きつければ当然、折れる。その力が界物をも昏倒させられるだけの腕力ならば言わずもがなであろう。
「まじで、マジで何なんだよあいつら……」
「まるで、子供の遊び道具みたいに……」
自分達は傷を与えるばかりで倒せない相手を、まるで赤子の手を捻り、叩きつけるかのような執行をする少女。しかし、少女はそんな本来ならあり得ない出来事すら忘れて絶叫した。
「せっかく、せっかく盗んだのにぃ!」
「えっ!? リリちゃん、前それ自分で作ったって……」
「ギクッ! え、えぇっと……」
「お~い! まりかぁ! アマリリスー!」
嘘をついていたことがばれてどう誤魔化すか冷や汗を流しながら考えていた少女を救ったのはまたもや幼い少女の声だった。
声のした方角には今度は三人の少女達が……、――逃げていた。
「まてぇ! この悪ガキどもがぁ!」
「誰が待つかってんだ! このどんくさい豚共が!」
「あらら、またヒナが汚い言葉を言ったわ。アヤメ、いったいどうしたらいいと思う?」
「あわわわ! こ、恐いよぉ~ ヒナちゃん、ダリアちゃん!」
ヒナと呼ばれた青い長髪をした少女は後ろから追いかけてくる大人に向かって中指をたてて威嚇する。その姿を見て微笑むダリアと呼ばれたウェーブのかかった白い長髪をした少女と、恐ろしい目にあって動揺している、アヤメと呼ばれた少女は茶色の短髪で鳥の足をしている少女も、ヒナの後ろについていった。
三人は、それぞれ自分の身長よりも大きな袋を担ぎながら走っていた。
その中でヒナだけは、空いている片手に豪華な宝石が付いた杖を持っている。
「ねぇ、リリちゃん。早くここから出してよぉ」
「ホー」
「あぁ、私の、私の剣がぁ~」
誰一人、すぐ近くに自分を殺せる存在がいるということに緊張感を持っていない。
それぞれが全く別の事に関心を持ち、視野が狭まっているためだ。
「グアァアアアア!」
「ひっ!?」
「˝あぁん?」
突然の咆哮のおかげで、自分達の進行方向に化け物がいることに三人は気が付いた。
一番気弱なアヤメは足を止めようとしたが、ヒナは彼女の手を握り無理矢理走らせた。
「ピーピーうるせぇなぁ、この餌がぁ! そんなに怒鳴ってたら血圧あがっちまうぜぇ? そうなる前に……大人しく人間様の血肉になりやがれぇ!」
「ふぬぬッ! ぬ、抜けないぃ」
そのあどけなさの残る顔を不気味に歪ませながら威勢よく吼えたその汚い言葉を聞きつけたのか、それはヒナの姿をその目に収めた。
その界物の最も近い場所にいるリリは必死に地面に埋まったまりかの頭を掴んで地面から引きずりだそうと力んでいる。
「ガァアアア!」
「相棒直伝のぉ」
「あっ! ヒ、ヒナちゃん! 手ぇ! 手、離して!」
走り高跳びの要領で跳躍したヒナは空中で横に回転。
ヒナのその手には盗んだ物とアヤメがいた。彼女は必死に手を放すように懇願するが、当人は目の前しか見えていないためか一切聞こえていない。
「あ、あとちょっとぉっ!」
「回し蹴りだぁあああ!」
「グォォッ!」
全速力で走った速力を乗せた回し蹴りは見事界物の胸元に直撃した。その時、何か硬い物が折れた感触がヒナに伝わった。界物の体は衝撃に耐えきれずに、くの字に折れ曲がり後方へと体を傾かせた。
「抜けたぁあああ!」
「グラァッ!」
直後、力んでいたリリは真っ直ぐではなく斜めに力を入れた途端、埋まっていたまりかの体は地面から勢いよく抜け……――界物にまりかの蹴りを食らわせた。
鞭のように動かされたまりかの足は勢いそのまま斜めに移動し、後ろに傾いていたそれの背中に見事な蹴りを食らわせたのだ。
「あら?」
ヒナの隣を走っていたダリアは持ち前の俊敏さと身体能力を駆使してそれを飛び越えようと考えて飛でいた。だが、後ろに倒れていくはずだったそれが、再びこちらに倒れてきたために予定が崩れ、結果ダリアの進路は界物の顎ととなった。
しかし、彼女は空中で体を器用に動かして、それの頭を踏みつけた。
「ヒギィ!」
同時に、ヒナに手を引かれて無理矢理移動していたアヤメは意図せず界物の顎に頭突きを食らわせた。
足と頭でサンドイッチににされたそれは、悲鳴を上げることなく目を回しながらその場に倒れた。
「あぁ~、アヤメ……だいじょう」
「待てやこの屑共がぁ!」
若干罪悪感を感じたのか、頬を指でかきながらアヤメの安否を確認しようとしたが、邪魔が入った。
「チッ、もう追いついてきやがった。ほら、オメェら、早く逃げんぞ!」
荷物を背負いなおすと、ヒナはすぐさまその場にいる全員を先導するかのように先陣に立ち近くの林の中へと入っていく。
そしてそれを追うように周りの小さな幼子達もついていった。
「フーちゃん! あとでお説教だからね!」
「ホー!」
大きなフクロウの頭の上に乗りながら頭を叩くまりかとそれを怒るフクロウ。
「これ、くっつくかな」
折れた木剣を元に戻せないと分かっていながら何度も折れた部分同士を合わせているアマリリス。
「あらら、アヤメ、大丈夫?」
「ほろはらひれ~」
二人分の袋を軽々と片手で持つダリアと、その荷物の上で頭を回しているアヤメ。
彼女達は止まることなく奥へ、さらに奥へと進んでいく。
林の仲は木々たちが太陽の光を遮っているめかなり暗くなっており、少女達は闇の中へとその姿を眩ませた。
「クソっ、まてやこらぁ!」
「待て、もう間に合わねぇよ」
「あぁ、最悪だ。今度こそ捕まえれると思ったんだが……うん? おぉっ! おい、見ろこれ!」
「˝あぁん? おぉっ!」
子供ばかりに見ていたために界物の存在に気づいていなかった彼らは今ようやっと倒れているそれに気が付いた。
「こりゃすげぇ。あ、あんた達がやったのか。いやぁ、すげぇもんだな兵士って!」
彼らはこの界物を倒していない。どうやら彼らは少女達の姿をしっかりととらえることはできていなかったようだ。
「あぁ、いっつもただつっ立ってるだけだと思ってたぜ」
あんまりの言い草に傷だらけの兵士達は少々イラついたが、大体がそうなので否定しずらかった。
そして、兵士達は考える。ここで自分達が倒していないなどと言ってしまえば、役立たずだなんだと言われる可能性がある。また、本当のことを言っても信じてもらえるかどうかすら怪しい。
ただの少女が界物を倒したなんて、見たらともかく聞いただけなら信じる者はいないだろう。
「あぁ、え~っと、あ、あの子達は何者なんだ?」
考えた結果、彼らは話を逸らすことにした。
「うん? あぁ、さっきの連中か。あれはスラムのガキどもですよ」
「スラム……」
この街にもスラムと呼ばれる所謂日陰者達が住む空間がある。
親から勘当されて行き場のなくなった浮浪者や、生活が苦しくて自分の子供を捨てる者、社会に適応できず、失敗して落ちぶれてしまった者、その者達が集まり掃き溜めの世界。貧民街と呼ばれている。
「変な奴らでしてね。あいつら、自分達の事をこういってるんですよ。『ゴミの花』って。ほら、変でしょう?」