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きみに魔法を

作者: 野太

ちょっとだけ実話を混ぜました。






私の祖母は魔法が使えた。


隠れておやつを食べたことも帰って手を洗わなかったことも、何もかも千里眼のようにお見通しだった。

いい事をすれば夕食に好きなものを出してくれた。

テストの百点は先に予知されてしまった。


そして祖母はおまじないを沢山知っていた。

それも良く効く即効性のある最新の風邪薬のようなおまじない。

何が起きたかも全部分かった上で、祖母は私の気持ちを問うて、本当に必要な時だけとっておきのおまじないをくれた。



「ななちゃんが、ななちゃんがね」

「ゆっくりお話してごらん」

「ななちゃんがお洋服を、おばあちゃんの作ってくれたお洋服を汚したのよ。大切なお洋服だったのに」

「あらあら、道理で泥んこなんだねえ」

「だから、もうしらないって、もうお友だちじゃないってしたの」

「うんうん、それで」

「でも、でも、あいちゃんね」



拙い私の言葉を急かすでもなく続きを促す、祖母の優しい目と声。

私は、幼い“あいちゃん”は、一生懸命に続きを話すのだ。



「あいちゃんね、とってもとってもつらいの。ななちゃんと明日もあさってもあそべないの、とってもとってもさみしいの」

「うん、うん」

「どうしよう、どうしよう、おばあちゃん」



泣きじゃくる私の言葉はどんなに聞きづらかっただろう。

きっと祖母は魔法を使ったのだ。



「どうしたらいいの、おしえておばあちゃん」

「あいちゃんは、どうしたいの」



そう問われて、願った。

こっちから切った筈の関係を、今頃惜しんでいるのだと告白して、どうか元通りにして欲しいと自分勝手に願いを伝えた。

すると決まって祖母は、言うのだ。



「どうしたいか決めるのは、あいちゃんよ」



やがて身勝手な“あいちゃん”は、自分のしたことと相手の気持ちを客観的に理解し、求められる解決策を導き出す。

実のところ、ここに魔法はない。

本当に必要なのは、その解決策を講じる時なのだから。



「でも、できるかな。ななちゃん、きいてくれるかな」

「きいてくれるよ、きっと」

「でも、きいてくれなかったら?」

「きいてくれると思うのだけれど」

「でももし、きいてくれなかったら?」



不安がる私に、祖母は救いの手を差し伸べる。



「それじゃあ、おばあちゃんのおまじないを教えてあげるよ」



時には「黄色いハンカチを3回お空に投げてみて」。

時には「地面に足で大きな丸を描いて、その真ん中で跳んでごらん」。

そうしたらきっと、願いが叶う。



「きっと“ごめんね”も、上手に言えるよ」



祖母のおまじないはいつも効果覿面で、最高の結果をもたらす手助けをしてくれた。

おまじないがあれば、“あいちゃん”は何だってやり遂げた。

それは間違いなく、今の私を形作っている。



「おばあちゃん、おばあちゃん」

「聞こえているよ」

「あのね、大好きよ」

「うん、うん、分かっているよ」






***






小さい頃から両親は海外出張で、祖母に預けられていた。

祖父は私が生まれる前に亡くなったし、もう片方の祖父母も同じだ。

だから私は純粋なおばあちゃん子になった。

それは自然な流れだったし、それで幸せだった。


物心ついた時から祖母のおまじないは私の味方で、テニスの試合で全力を出し切ることも、ピアノの発表会で最後まで演奏することも、おまじないの力を借りてやり遂げた。

祖母はいつでも一番近くにいて、千里眼で私を見守っていた。



中学生の時、受験を目前に両親が離婚した。

身勝手で娘のことを一切考えない2人の大人が大嫌いで、大声で悪態をつきながら部屋に閉じこもった。

大事にしていた下敷きを折って、お気に入りのぬいぐるみも放り投げた。

世界が一転して憎らしくなり、祖母から逃げるように布団に潜り込んだ。



「あいちゃん」

「あっち行って!」

「あいちゃん、ご飯だよ」

「要らない!」



優しい声を拒絶して、後々どんなに後悔したか。

それでも当時女子中学生の“あいちゃん”は、有り余るエネルギーのままに、憎しみを爆発させていた。



「父さんも母さんも大嫌い!どうせ要らないなら産まなきゃよかったのに!」



そう怒鳴って、部屋の扉の向こうの存在に気付く。



「あいちゃん」



魔法使いはまだそこにいた。

そこにいて、きっと悲しい顔をしていた。

それが分かるのは私にも千里眼が伝染し始めていたからだろうか。



「あいちゃん、ごめんねえ」



か細い声だった。

心臓が止まるほど、静かな声だった。


そうして離れていく足音に反比例して、涙が溢れてきた。

嗚咽も止まらないまま、布団を跳ね飛ばした。

雨みたいに涙が滴り落ちる。

袖でぐいと拭って、黄色いタオルを放り投げた。

3回お空に投げてみて、うまく取れたら大成功。



「おばあちゃん!!!!」



目をまん丸にした祖母が、こちらを見ている。

手付かずの夕食が、2人分。

涙と鼻水で顔がスースーした。



「おばあちゃん、ごめんなさい!!」



私の母は祖母の娘だ。

祖母を悲しませないわけがなかった。

今なら分かるが、当時は分からなかった。

ただただ、祖母には笑っていて欲しかった。


そして、その時も祖母のおまじないはバッチリ効いた。






高校生の時、受験から逃げ出した。

担任と周りの大人に期待されている大学に行くことはできた。

実際手続きを踏んで、後は試験を受けるだけだった。


それなのに、どうしても諦めきれなかった。

私は被服デザインに憧れていたのだ。

それだってきっかけは祖母だったのだけれど。

人が着ているだけで元気が出る魔法のような服が作れたらと思っていた。

その夢が、どうしても。


試験当日、祖母に見送られて、特製のおにぎりを持たされて家を出た。

電車に乗って、試験会場に向かった。

そして、降りなかった。


あまり使ったことのない路線の私鉄はどんどん街から遠ざかって行く。

窓の向こうに畑が増えて、山ばかりになっていく。

こんな子供じみたことをして、こんな所まで来て、一体私はどうするつもりだったのだろう。

『いってらっしゃい』を言う祖母が思い出された。

鼻の奥がツンと痛くなった。


終点で降りると、とっくに昼過ぎを回っていた。

何て遠くまできてしまったのだろう。

降りた人気の無いホームそのまま、ベンチに腰掛ける。

こんな時でも、ぐうとお腹が鳴った。



「はあ…」



溜息が出た。

祖母のおにぎりなら、空腹もこの遣る瀬無い気持ちもどうにかしてくれるかも知れない。

そう思って取り出し、一口かじった。


途端に涙が溢れた。

塩気のあるおにぎりが、どんどんしょっぱくなる。

呆然と目を向けたままの景色が歪んで認識できない。

本当は食べる資格の無いおにぎりだった。

『受験がんばれ』と祖母が作ってくれたおにぎりを、こんな場所に逃げ出して食べるなんて、裏切りもいいところだと思った。


震える手で、携帯を取り出す。



《もしもし》



呼び出し音はとても短かった。

きっと祖母は着信を待っていたのだ。



「あのね、おばあちゃん、私…わたしね…」

《あいちゃん》



嗚咽が漏れてしまいそうになる。

急いで謝罪と現状の報告をしなければと焦って息を吸う。

詰まった呼吸が聞こえていなければいい。

しかし相手が悪かったらしい。



《帰っておいで》



堪えていた気持ちはいとも簡単に決壊した。

人のいないホームのベンチで泣きながら謝罪を繰り返す私を、遠目から駅員が心配そうにうかがっている。

どうして祖母に悟られてしまったのか、今も分からない。

それでも何から何までお見通しのようだった。



《お腹すいてるでしょう。おにぎり食べて、帰っておいで》

「ごめんね、おばあちゃん、せっかく作ってくれたのに、私、おばあちゃんの気持ち、裏切った」

《そんな難しいこと、おばあちゃん考えていないわ》

「おばあちゃん、でもね、私…」

《あいちゃんが元気なら、何でもいいんだもの》

「ごめんね、ごめんね…」

《ごめんねより、ただいまが聞きたいわ》



そこから電車に飛び乗って、帰った。

電車の中も、駅からの走り抜けた道も、涙は止まらなかった。

祖母は嬉しそうに『おかえり』をくれた。


これからのことはその日の夕食で沢山話した。

私は夢を諦めきれない自分を恥ずかしく思っていたが、祖母は随分喜んでいた。

どうやらファッションデザイナーは祖母の夢でもあったらしい。

その事実は私の新たな糧になった。


魔法のおにぎりが無ければ、あの時どうなっていただろう。

祖母の魔法は、私の気持ちを掬い上げるのに最も効果的だ。






そうして入学した専門学校で、私は存分に被服の勉強をした。

バイトを掛け持ちして祖母との生活に備えた。

昼は学校夜はバイトで目まぐるしい日々だった。

祖母との時間は減ったが、それでも充実していた。


時折母の弟を名乗る男が金を無心しに現れた。

少額で満足するので祖母に渡すためお金を用意した。

祖母は自分の息子の行いに心底申し訳なさそうだったが、祖母を支えられるようになったことが純粋に嬉しかった。

叔父の存在は目の上のたんこぶとなった。

しかし祖母との平穏な生活のためなら気にならなかったのだ。



成人式、祖母が大事にとっておいたお下がりの振袖を着た。

古臭い振袖だと気にしていたものの、私は誇らしかった。

きっと写真の中の私は今までで一番の笑顔だったろう。



やっとの卒業間近、いつものようにコンタクトレンズを揃えるため通院した眼科で、緑内障と診断された。

主治医は慌てて目薬を数種類出してきた。

現実味が、無かった。


命に別状は無いだろう。

不自由になるが、生活できないほどではない。

しかしファッションに携わる仕事は、絶望的だった。

色を失うということは、追い続けてきた夢と今までの軌跡を簡単に握りつぶしてしまう。



「おばあちゃん」

「なあに」

「もし私が急に、お洋服の仕事やめるーって言い出したら、どうする?」



そんな私には、祖母の魔法があった。



「次はお菓子屋さんなんて、どうかしら」

「はは、お花屋さんもいいね」

「かわいいわねえ、おばあちゃんどっちも好き」

「迷っちゃうね」



祖母の言葉は魔法の言葉だ。

いつも私の暗い気持ちを、簡単に追い払ってくれる。

その次に踏み出す力をくれる。

先の未来を楽しみに思う強さをくれる。






ある日、祖母が倒れた。

夕食の後、炬燵でテレビを見ていた祖母がトイレから帰ってこなかった。

見付けてすぐに通報したが、搬送先でも意識はなかなか戻らなかった。

心が千切れてしまうんじゃないかと思うほど、苦しい夜だった。


分かっていたのだ。

祖母である以上、別れは親より早い。

分かっていなければいけなかった。

が、それを理解するには祖母の存在が大き過ぎた。


学校を休んで昼間は病室に篭り、夜はアルバイトに出掛ける。

そんな生活を続けたが、辛くはなかった。

祖母を失う恐怖が夜も眠らせてくれなかったから、むしろ好都合だった。



「おばあちゃん、おばあちゃん」



返事のある日が減っていく。

食べられる食事が減っていく。

声の大きさも、手の温度も、何もかも、無くなっていくものばかりだ。



「おばあちゃん、どうしたらいいの、私…おばあちゃんがいなくなったら、この先どうしたら…」



私は徐々に、しかし着実に幼い“あいちゃん”へ還っていった。

気持ちに整理をつけられず、駄々をこねる幼い少女。

困らせることでしか表現を知らない、なんて稚拙で厄介な存在!



「たすけてよ…おばあちゃん…」



突っ伏したまま、目を閉じる。

このまま眠ってしまおう。

眠れる場所は此処にしか無い。

いっそ一緒に目が覚めないままでいたい。



「あいちゃん」



眠くて目が開けられない。



「あいちゃん、おばあちゃんね」



こういう時に限って話したがりなのは昔からそうだ。

見たいテレビがあるのに、宿題したいのに、お喋りに誘われたりおやつをこれたりしたのだから。



「おばあちゃん、あいちゃんに最後のおまじない、かけていくよ」



おまじないもとうとう最後か、なんて呑気なことを考えた。

でも祖母のおまじないの強さは実証済みだ。

何も心配は要らない。



「あいちゃんが、これからもずっと、元気で、幸せでいられますように」



優しい声が大好きだった。

大切な唯一の家族だった。

世界で一番の味方だった。



「あいちゃんを苦しめているもの、おばあちゃんが全部、向こうに持っていくからね。もう、大丈夫だからね」



苦しめているものなんて、あっただろうか。

私は祖母との生活に満足していたから、何も思い当たらない。

抑えられない眠気が押し寄せてくる。



「ありがとうねえ」



目が覚めた時、心音停止の警告音が鳴り始めていた。

ナースコールより先に看護師や医師が駆けつけてくれた。

祖母がまた笑うことは2度となかった。






祖母が亡くなって、貯金と遺族年金を受け取った。

1人で暮らしていくには十分助けになるお金だった。

家事が増えた分アルバイトは減ったけれど、それでも生活苦にはならない。


また翌日、叔父が死んだことを知った。

心臓麻痺で路上で発見されたらしい。

これでもう無心に来られることはないだろう。

何とも無様な終わり方だと思った。


一ヶ月後、眼科の定期検診に行った。

薬が効いたのか、進行が止まっていた。

むしろ少し回復の兆しすら見えるため、もしかしたら前回の検査で見間違えたのかも知れない、と担当医はホッとしたように笑っていた。

これでファッションの仕事は続けられる。

絶望的状況はあまりに呆気なく消えていった。



あの日見た夢は、あまりに心地よかったことしか覚えていない。

語りかけられた内容も、その声も、正直なところ既にぼんやりとしている。

でもきっと祖母は、最期まで私を案じてくれただろう。

祖母の魔法は最期まで、私を守ってくれたに違いない。



私の祖母は魔法が使えた。


両親の離婚で自暴自棄になった時も、夢を諦めきれず受験から逃げ出した時も、何もかも千里眼のようにお見通しだった。

何が起きたかも全部分かった上で、祖母は私の気持ちを問うて、本当に必要な時だけとっておきのおまじないをくれたのだ。



「おばあちゃん、おばあちゃん」

「聞こえているよ」

「あのね、大好きよ」

「うん、うん、分かっているよ」



今はもう祖母はいない。

だが黄色いタオルは手元にあり、おまじないは私の中に残っている。

いつか自分も家庭をもったら、誰かにおまじないをかけるのだろうか。

願わくば、あの優しい魔法使いのように小さな誰からを守られたら、と心から思う。






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