森と包丁とそれから私
「な、なんだこれ‥‥」
目をぱちくりさせながら周りを見てみる。
いつも俺の捌いた肉を大切に保管してくれる冷蔵ショーケースも、昔っから愛用しているミートチョッパー(肉をミンチにする機械)も、壁に大事に貼ってある授業の一環で見学しに来た小学生たちがお礼にくれた可愛らしい手書きの肉の井上ポスターも何もない。
その代わりにあるのは木!木!!木!!!それも針葉樹でも広葉樹でもない、どれも不思議な形状をした木ばかりだ。
それによく見ると、水色や紫といった奇抜な配色をした、食えるとは思えない木の実が沢山実っている。
まるでファンタジーRPGだ。
「一体どういうことなんだ‥‥?ん?」
重い体を持ち上げようとすると、俺はある事に気付く。右手に包丁を持っていたのだ。
よく見かける包丁とはかけ離れた、肉を叩き切る事に特化した四角く重い無骨なフォルム。まるでナタのようなその包丁をクレーバーナイフと言う。フック用の穴が空いてるのも特徴だな。
ただこのクレーバーナイフには他にはないもう1つの特徴があった。柄の部分には何故か、この包丁には不釣り合いの円形の宝石が埋め込まれていたのだ。角度を変える度に7色に輝く美しい宝石。何故指輪じゃなく包丁に使ったんだ、もったいないぞ。
「これ俺が普段使ってるやつじゃないよな?それにここ何処だ?服も制服のまんまだし‥‥」
とりあえず思い出してみよう。確かさっきまで普通に店に居たはずだ‥‥
「お釣りは20円ね。いつもウチの肉を買ってくありがとよ、おばちゃん。」
「他のどの店よりも、龍ちゃんの捌いたお肉の方が美味しいからねぇ。また来るからねぇ」
そう言いながら、若鶏モモ肉に豚バラと豚トロ、牛カルビが入った袋を片手に店を出ていくおばちゃん。今夜は家族で焼肉かな。
「時間だし、今日はもう店じまいにすっか。」
外はもう真っ暗。シャッターを閉めようと外に出たとたんあまりの寒さに思わず声が漏れてしまう。吐く息が白い、もう冬なのだなと改めて自覚する。
「今夜は鍋にしよう。こんな寒い日には温かい鍋を食うに限る。確かちょうど鍋の元と鴨肉があったよな‥‥」
シャッターを閉め終わった後。急いで俺は台所に移動する。
今日の食材は前に買ってた鴨肉、俺手作りの鶏つくね、常連のおじいちゃんがくれた野菜たち
。そしてみんな大好きマロ二ー〇ゃん!
気分を高揚させながらただひたすらに野菜を切る。とても大きく切るたびにザクッザクッと心地よい音を奏でる白菜に、断面がまるで秋の紅葉のように真っ赤な人参。甘味が強く、時折見せる辛味がたまらない曲がりネギなどなど‥‥あのおじいちゃんの育てた野菜はどれも一級品だ。実際にウチの方で販売してたりする。
と、野菜を一通り切り終わり、鍋に前に買った寄せ鍋のだしと野菜、肉類、マロニー〇ゃんを入れ蓋をする。
あとはガスコンロを用意するだけだ。俺は記憶を頼りに、ガスコンロをしまった押入れがあると思われる和室に足を運んだ。
「にしても1人鍋かぁ‥‥1人鍋ってなんか虚しいんだよな。彼女とかが居ればもう文句ナシなんだけど‥‥‥‥‥‥ん?なんだこれ」
押入れの戸を開けガスコンロを探していると、俺は隅の方でポツンと置かれている木箱を発見した。
手に取ってみると、その木箱は薄い長方形をしていた。若干黒ずんだ色からしてかなりの年季物と見える。その上蓋の所には筆で何かよく分からない文字が書かれおり、まるで封印するためのお札にでも使われるような不気味さを感じる文字だ。
「こ、これは‥‥」
開けたら絶対にマズイものだ!!
一瞬でそう察知する。
だがしかし、人間というものはやってはいけないと言われたらやりたくなってしまう生物だ。
押すなと書かれたボタンを押すように、ダイエット中にも関わらずお菓子を食べてしまうように。
それにもしかしたらこの中には想像も絶するお宝が入っているかもしれないじゃないか。例えばそう‥‥時代劇とかで見るような小判とか!
「ごくり‥‥」
思わず息を呑む。
開けるべきか開けないべきか、鬼が出るか仏が出るか。
じっくり5分悩んだ末、俺は‥‥
「‥‥えぇいままよ!!」
勢い良く蓋を開けた。
思わずぎゅっと目を瞑る。
が、しかし1分経っても何も起きない。不審に思い、恐る恐る目を開けて見るとそこには紫色の布で丁寧に包まれた何かがあった。
「包‥‥丁‥‥?包丁か、これ?」
布をゆっくりとめくると、中からは封印された妖怪でも金色に輝く大判でもなく、柄に宝石が埋め込まれた肉切り包丁が出てきたのだ。
だが刃はボロボロに錆びていたり、欠けていたりで、元の包丁の原型をとどめてなかった。それに恐らく肉を切る前に刃が折れてしまうだろう。
あまりの残念さに正直ぶん投げたくなった。刃物だからしないけど。
「‥‥アホらし。何さっき1人で盛り上がってんだか」
でも調べてみれば何か分かるかもしれない。
そう思い包丁を手に持った瞬間。
「あれ‥‥?」
何故か急に激しい眠気に襲われ、俺の意識は海に突き落とされたかのように沈んでいった。
「思い出した‥‥俺寝落ちしちまったんだ。」
包丁を持ったまま寝てしまうだなんて危険極まりない。よほど疲れていたのだろうか?
だとしたらこのちんちくりんな森は夢の中なのだ。
一瞬で別の場所に移動するだなんて現代化学ではまだムリだし、見た事もない果実が実ってる事にも頷ける。
そして何より、さっきまでボロボロだった包丁が新品同様に様変わりしているのだ。レモン汁で錆びが取れるとよく聞くが、いくらなんでも新品同様にさせるのは無理だろう。
という訳でこれは夢。夢なのだ!
「こんな夢久しぶりに見るなぁ‥‥。小学生の時はヒーローになって怪人をボコボコにする夢とか沢山見てたが、大人になった今じゃ夢も見ずに爆睡だからな。」
鍋にちゃんと蓋をしたから大丈夫だろうと思いつつ、俺は森の奥へと進んで行った。