作者の愚痴に等しい馬鹿な人生の依存で病んでる感情のこと
小さい頃は、漫画も親に買ってもらえなかったし
お小遣いもあるようなないような感じで親が買ってくるジャンプを読んでるくらいだった。
たぶん、ゲーム機もあったしドラクエも親がやってるし
親が自分で買った、手塚治虫の漫画とかたくさんあった
たぶん、大人向けとかいろいろ読んだ、まだ十代だったし
エロさとかわからなくて、わかってたのかもしれないけど
きれいな女の人の絵を真似して書いてた、だから漫画家にあこがれたこともある。
国語は苦手で、きっとこの文字も読みづらいことだろうなと思う。
親とはうまくやれてたかもしれないし、反抗期さなかのようなうまくいかなさもあっただろう
それなりに、愛されてたんだろうとは思ってる……でも、ダメだった
小学生には、引きこもり気味になり、中学では保健室に通い
小学生のころには、図書館で借りたポプラ社の本を読みこんでいた
漫画は、あまり読まなかったからだ。
はだしのゲンとかは、怖くて読めなかった、歴史漫画はそれなりに好きだった。
中学のころ、若干オタク系の友人ができた、初めての友達だ
たぶん、いろいろ迷惑をかけたと思う、残念ながら今は友達じゃない。
そのころの友情を別に軽んじるわけじゃないし、大事には思ってた。
中学でも、図書館の本を借りてそのころはコバルト文庫を好んでたように思う
でも、割となんでも読んだ、読んでる間は幸せだから。
わかる人は思うことだろうけど、結局友情を知らずにきて
友情の薄っぺらさというか、意味のなさがわかる、別に助けてもらえたりはしないし
守ってくれたりはしないし、同じ趣味の話でもりあがれるだけだ。
たぶん、そこでちゃんとなれるチャンスだったんだと思うけど
なんか、ダメだったある意味、自分が自分らしくないって思えた
親に八つ当たりする年齢でもなかった。
素直に言うことを聞けるわけでもなかったし、とにかくすべてを拒否してた。
そのころには、漫画を買うようになったたぶん友人の影響だったんだろう
ゲームソフトは有名どころの2作品だけ、いまだに続けて買ってる。
ネトゲには高校のころにガッツリはまった、姉が始めたゲームを一人でも続けてずっとしてた。
廃人というには、たぶん違ったんだろうけど、素直にいいたいことを話せて
人生で一番他人に素直に甘えられた時代だったと思う。
あのころは、現実の人間関係が悪かったわけじゃなかったけど
よくもなかった、たぶん自分がダメだったんだろうなと思うけれど……
何がどうダメなのか、一般論はわかっても、意味がないことだけはわかってた。
このころに、パロ小説を書いてた、いや、初めて書いたのは
小学生のころに、ファンタジーを書いてたような気はするし
中学のころには、作詞家になりたくて詩のサイトを作ってみたりもした
高校は、はまったアニメのファンをやっていた、好きなキャラのCPを作って
姉がはまった作品の絵を描かされたり、小説を書いてたりした。
キャラを好きになるのは、なんか楽だったんだって思う
人間なんか好きになれなくて、2次元は裏切らないとか無意識にあったはず。
好きなサイトさんに通い詰めたり、そういうこともした頃だけど
書いてることが幸せだったんだ、そのころに小説家になりたかった
でも、長文はかけなかった、作品を好きだといわれても
キャラが好きだからとか、サイトの縁続きだろうって思ってた。
たぶん、今でも思ってる、こっそり好きなサイトにSSを送ったこともある。
でも、自分は国語がダメで、いまだに句読点とか使いこなせないから
高校をでたら専門学校に行きたいって言った。
でも、無意味だった、お金もないし、親の理解もないし、人生に不器用だったから
失敗した、登校拒否をなんとか改善して高校に通ったら
もう普通に生きられるんだろうって、父親は理解してくれなかった。
卒業後、無気力になって、家に引きこもったら、会社で恥をかくから
働けといわれた、別に無情でもなんでもないんだろうとちゃんとわかってたけど。
二度目の挫折に、小説を書くことさえやめてしまったから
惰性で、アルバイトを始めてみても、人としてダメな自分は
結局同じ失敗を繰り返した、また引きこもって。
親もあきらめて、ネットでも引きこもりを馬鹿にするけど
じゃあ、働いてても馬鹿にするのはなんなんだろうって思う。
人としてうまく生きられない、たぶん、些細なことなんだろうけど
他人に迷惑かけないだけマシだろって思ってた。
親に迷惑をかけてるとか、人間として生きてる意味がないとか
そんなことはどうでもよかったし、今でもどうでもいい。
人との距離の取り方がわからないとか、思い入れ過ぎておかしくなるとか
自分でちゃんとわかってるから、かかわらないほうがいいって。
じゃあ、ちゃんと生きるってどんなことなんだ。
別に誰かが答えをくれるわけでもない、せんなきことだと思う
支えてくれる人がいるなら、ちゃんと立ち直るべきだと思う
でも、ネットでも馬鹿にされて、現実でも馬鹿にされて
たぶん、逃げ道どころか、居場所さえないのに生きろって
ただの残酷さだと思う。
人と違ってて、自分がおかしいって、苦笑いして言葉にすると同時に
誰も理解してくれないって、知ってるって思ってる。
たまに、本音を言うけど、憎しみも怒りも何もかも超えて
言葉になんかしたくなくなって、叫びたくなって、泣きたくなって
でも、生きてるんだって知るだけなんだ。
ネットなら死ねって言われたことは、何度もある
現実で気持ち悪いとか、たぶん、数えたって意味がないほど
心理学の実験と同じだ、狭い空間で一度出来上がった立場に
沿うようにできてる、そこに意味はないし排他的な意味もない
何もおかしいとは思わないだけで、追いつめられるほうが悪いと思ってる。
今頃、相手は覚えてもいないだろうし、憎しみは風化してしまった
目の前にいても殺意はわかないだろう。
でも、昔は、死ねって言う奴は死ねるんだよなって思った
死ぬ覚悟のないやつは、誰にも死ねって言うもんじゃないって
これに関しては、今でもずっとそう思ってる。
死ねっていうのは、殺してくれだよなって
こういうのが、たぶん頭がおかしいんだろうなって思う。
おかしいんだろうなって、他人事になるのも、自分がおかしいって思うんじゃなくて
他人だったらそう思うだろうなって思うからだ。
たぶん、だから生きづらいって知っている、開き直って
自分が、愛してるものだけでいいと、理解すれば幸せなんだろう。
歪んでしまった自分が嫌いだから、幸せになれない
自分がされて嫌なことでも、されてる人には我慢しろってみんな当たり前に思うんだ
本音で、じゃあ同じことをしてあげようか?って語れば
いや、それは勘弁してって、みんな言う、違った人はいないし
違う人には、会えるのかわからないけど、限りなく0%に近いと思う。
一度だけ、無性に惹かれる人にであったけど
自分のことも精一杯で、幸せになろうとしてる人だった
でも、よくわからないけど、ただ惹かれた人だ会ってみたかった。
いろんな人と話せるのは、ネットのいいところだけど
自分がいままで、好きだとかそういうんじゃなくて
強く惹かれたのはその人だけだから、たぶん、わかってくれる人だと
いまだに何年たってもそう思う。
あの人が友達だったら、幸せになれたのかもしれないと思いつつ
きっと不幸にしてしまっただろうって思っている。
誰かを幸せにしようとしても、きっと疲れてしまう
ネットで、素直になれたけど、同時に前より歪んだ
幸せにする方法がわからないから、ただ尽くしておかしくなる自分を知って
結局、不幸にするか、自分から離れて、苦しくなる。
それが、恋慕ではないと、たぶんわかってたけど
恋愛依存症だとも、そういう風になるのは、そういう風に愛情をかけられたから。
染まり切った自分を、理解してるから、愛してるんじゃないのだ
愛されたいと実感するために、粉々にしたくなるのだ。
小説にするのは好きだった、そういう感情を書きなぐれば
深い愛に等しいんだから、現実で誰も傷つけなくても
ただの深い愛情で終われるんだから。
愛ゆえに傷つける必要もなく、あぁ、でも殺したくなるほど愛してるって
わかるような、そんな依存症は、愛じゃないと嗤える。
ゲームで、恋愛ってバカバカしいと思う人もおおいだろうけど
見た目を否定されると、そんな偶像しか愛されないし
愛せないし、現実で愛はないから、身体を重ねるようなことも
たぶん、意味が見いだせないままだ。
だから、繰り返し偶像を愛して、傷つけて、逃げ出して
壊れた自分を自己愛で、傷ついた自分を語ってまた、依存して
愛してほしいけど、愛してほしいんじゃなくて、愛を全部そそいで
裏切ってほしいんだ、壊れるんならもっと壊れてしまうか
治るんなら、ちゃんと生きられるようになおってしまいたいんだ。
女友達は、中学高校とたぶん居たんだと思う……
でも、なんか、自分を振り返るとわかるんだ、独占欲とか
愛にも恋にも、友情にも、ちゃんと生きられない自分が
子供のまま育ってしまって、大人の感情を求められて
あいまいな顔をして、会話に目が泳いで、ちゃんと顔をみられなくなって
自分がどんどん、ダメ人間になるのがよくわかった。
働いたことがないのかといわれる、働いたことはあるよという
自分が上滑りしていく、そのままの自分に価値なんか認められないから。
たぶん、そんな自分でも生きてる限り幸せになれて
今はたぶん、しあわせ?というものなんだと思う。
でも、いろんな過去を捨てられなくてこだわって
風化したといいながら、許せないまま生きている。
自分のことはよくわかる、人のこともなんとなくわかる
優しいといわれることもわかる、きつい人だといわれることもよくある
怯えてるだけで、怖がられるのはよくある
失敗も山ほどある、うまくやれないことを責めるってのはあまりしない
なんかわかるから、でも、相手にわかってもらえたことがほとんどない。
わかるなら、望むようにしてやれよっていわれる
でも、さ、愛がなくて、切れかけた電池みたいになってるのに
ずっと尽くして生きないと、必要とされないのかな
他人が、好きに生きて笑ってるときに、犠牲にされないとだめなのか。
誰だってわかるだろう、楽に生きていたいんだ
社畜って、適した言葉だよな、都合のいい存在がいっぱいいたら
その人は、ずっと楽に生きられて、いらなくなったら
ごみ箱にクズを捨てるように、興味もないんだろうし。
そうなりたくないけど、うまく笑えないし、のりきれないし
いっそ死にたくなっても、そんな覚悟もない。
ぐるぐる出口のない道を歩いてる。
失敗しても、あきらめなくて強くないと生きられなくて
素直じゃなければ、馬鹿にされても、きつく言われても
当然らしい、考えられないくらい愚かだったらよかった。
頭が悪いなら悪いなりに、もっと頭が悪くて
人の言いなりに生きることが、苦痛じゃなければよかった。
半端に自分の考えをもって、それなりに五体満足で幸せだと思えとか
食べられることを幸せだと思えとか、心は死んでも生きてられるけど。
ほかにもいろいろ思うんだけど、ネット小説でも漫画でも物語でも
成長していく人とか、ダメな人とか、見た目がださいとか
あれが、誰かの心のひとつなら、たぶん、救われたいんだと思う
恋愛依存症って、すっごく愚かなことをしてると思う
でも、本当は救われたくて、救われるのが怖くて、自分で投げだす。
結局、不幸なのは自分が作りだしてることで、傷つけることに傷ついて
幸せになれないのは、自分が悪いんだと知ってて。
そして、それを忘れるために、誰かを好きになったふりをする。
他人も自分もごまかす。
そして、悲しい恋の話に涙をする。
昔は、ハッピーエンドが好きだった、今はバットエンドも好き
素直な主人公は今でも好き、悪役じゃない悪役は悪役じゃないと思う。
でもたぶん、素直な主人公になれないから、好きになるんだろうと思う。
自分のことを、ちゃんと自分で愛してあげれば
そんなに不幸にはならない。
うまく自分を愛せなくて、他人に愛してもらおうとして
こんな自分を好きなはずがないって、不幸酔ってるのを繰り返す。
本当に好きになってくれた人を、不幸にする繰り返しで
不安のすべてを投げつけて、疲労させて、傷つけている。
わかることが苦痛だといっても、誰かに通じたりしない
意味がない、自分を好きになって、許せない限りは。
人の顔色なんか窺わなくっていいんだって、受け入れられるまでは
親に愛された自信がなくて、だから繰り返す自分も知っても。
愛し方を知らない、愛されることが不安しかない
そして、相手を幸せにしてあげられないことが、胸をいつもえぐる。
だから、壊れた自分の思いを形にして、幸せにしてあげたい
自分らしくなくても、おかしくなってしまうまでは、望むように。
それが、愛じゃないと思っているんだけど。
たぶん、幸福はないけど、不幸に酔っぱらって繰り返すよりも
小さな幸せを積み重ねるほうが難しいから。
死ぬまで、何も持たないままで生きるよりは
自分だけはちゃんと、自分を愛してあげてほしい。
狂ったほどに現実で、人を愛することはないほうがいいし
愛情に飢えてるほど、同じだけの愛がなくて、書く愛は憎しみに近くて
砂漠で、雨がふるようなもの、足りないまま生きていく。
焦燥感が、たぶん、焦げ付くようになくならないと思うんだけど
足りるだけ愛されることは、たぶん無いと思うから
もし、同じように、壊れかけてる人がいるなら
壊れきることができないなら、少しでも幸せに生きていてほしいと願います。