灰被り王子
ぼくは考えることが何より好きだ。現実世界のどんなことよりも。
学校で起こることも、家の中で起こることも、世の中で起こることも、全てはぼくの頭の中で起こることのほうが何よりも好きで、色々なことを教えてくれる。ぼくにとって考えることは生きていくための道具なんかではない。その為に生きているとさえ思えるほどだ。
幼い頃からそうだった。小学校に上がる前からそうだった気がする。ぼくはすぐに自分の世界に閉じこもった。現実世界と自分の世界の2重生活をしていると、必ず自分の世界を優先していた。だから学校でも家の中でも、ほとんどの場所でほとんどの人から変人扱い、いや実際、変人のような振る舞いだった。
ぼくはよく約束を破った。それは意地悪で破るどころか故意に破ったことは一度も無かった。何か考え事をしている間にその約束のことを忘れてしまうのだ。そんなことが度々起こると同級生や兄弟たちからも疎まれていた。約束を破られた人は「お前は人のことを舐めているんじゃないか」とか「平気で約束を破れるなんて正気じゃない」と口々に言った。そう言われてぼくはすぐに謝る。ぼくは約束を破る気も人を傷つける気も全く無いことを言い訳するけど、2回か3回続くとぼくの言葉は誰も信じなくなって、徐々に約束自体をすることが無くなった。そんな時、ぼくは「人っていうのは他人の心を知ることはできない。でも行動という点から意思という線を見出し、いくつかの線をつないで面を見出し、それを人の意図と理解している。その面をつないで出来た立体を人格として理解するんだな。彼らはぼくの行動から意思を見出すところで間違えたんだ。ぼくは正気だし、人をバカにしたことなんて一度も無い。でも彼らは実際に有ったぼくの行動を基に架空の人格を作った。本当のぼくとは違う人格を見出した。本当は存在しない人格が、彼らの中には生まれたんだ。ある種彼らは勘違いし、騙されたんだ。でも人間同士の理解なんて皆そうなんだろう。じゃあどうして理解した気になってしまうんだろう」と自分の世界に新しい議題を送り込み、それを貪ってとても充実した気分になる。
ぼくは何かを覚えることが得意じゃなかった。考えることは好きだけど覚えることは好きじゃなかった。幼い頃から昔のことをいつまでも覚えていても仕方が無いんじゃないかと思って覚えることに意味を見出せなかった。でも中学校に上がるとそうも言っていられなくなって、気が付いたときにメモを取るようにした。ブログを書き始めたのもその延長だった。検索サイトにも引っかからない孤島のブログは議題やその解答を書くための、ぼく専用の日記帳だった。訪問者カウンターはぼくが日記を見返した回数を表していた。
世の中のニュースや動きはぼくにとってとても遅かった。たまに面白いこともあったけど、とてもじゃないけどぼくが満足するほどのスピードで世の中が変化していくことはなく、ぼくが成長するに従って自分の世界に閉じこもる時間は増えていった。
幼い頃からずっと残っている議題が1つあった。それは「宇宙の外側はどうなっているか」だった。ぼくは宇宙には興味が無かった。理科の時間に習う太陽系の説明はぼくが議題を差し挟む余地の無い面白みが無いものだった。「地球が丸いことを知らない時代に生まれたかったな。そうすれば海の向こうがどうなっているのか、ずっと考えることが出来た。知ってしまったら、理解する喜びがなくなっちゃうよ」ぼくは時々そう思っていた。しかし「宇宙の外側はどうなっているのか」という議題はぼくの世界全部を使っても全く歯が立たず、まるで美味しいお菓子を食べきれないほどもらったような、破裂しそうなほどの充足感をぼくに与えてくれた。ぼくは新しい議題に取り掛かりつつ、たまにこの、未解決の中で最も古い議題を出してきて楽しんだ。
ある日の授業中、又この議題のことを考えていた。
物体というのは境界線があるから「存在している」と言える。物が在るというのは「在る」っていうことと「無い」ということの両方が同時に起こっていることだ。リンゴが在るとわかるのはリンゴの内側を「リンゴ」とし、リンゴの外側を「リンゴでない」としたとき、「リンゴの内側」を「リンゴ」と呼び、そこに「在る」と言える。でもこれを永遠に繰り返すことは出来ない。宇宙の外側は「宇宙で無い」ものでなければ宇宙自体が存在しないことになってしまう。宇宙の外側に何かがあっても、その外側は何があるんだ。どうやっても論理不整合になってしまう。……そもそも「在る」とか「無い」とかいう概念の方に間違いがあるんじゃないだろうか。
「えー、ガリレオが慣性の法則を唱えたとき、当時のアリストテレス派の学者たちは反発しました。彼らにが今まで信じてきた、世界観というべきものとは大きく違っていたからです。これらのことは科学界では良く起こります。アインシュタインが特殊相対性理論を唱えたときも、『エーテル』という物質の存在を予想していた学者たちは反発しました。人は現象に対して当時受入れられる概念を仮説として建て、それを後から立証したり反証したりして緩やかに正確な解法を見つけていくんです」
若い先生の授業が耳に入ってきた。
ぼくは帰りの電車でもこのことを考えていた。ますます「在る」と「無い」の概念から脱することが議題になっていた。しかしそれは簡単なことではなった。そもそもそれに代替する概念が何も思い浮かばない。「在る」とか「無い」とか以外にどうやって物事を捉えればいいのか、全く思い浮かばなかった。
そういえばぼく自身はどうなんだろう。ぼくの皮膚の外側はぼくじゃない、内側はぼくだ。そういう意味では定義できるけど、意識の方はどうなんだろう。ぼくが今思考しているこの意識。この意識の外側ってどうなっているんだろう。あまり考えたことがなかったけど、この意識の外側は、無意識なのか? 物事が意識下から意識上に上がってくることは確かにある。地球で言う隕石のように。そういう意味では意識の外側は無意識ということでいいのかもしれない。でも無意識の外側には何があるんだ? どうしてぼくはこんなことも不思議に思わなかったんだろう。でも意識って物体なのか? 現象、とも言いきれない気がするけど……。
意識っていうのは外から何も刺激がないと何も動かないんじゃないかな。生きていれば刺激が無いなんて事はないから証明は出来ないけど、ぼくが今考えている事柄も言葉も、全部が全部自分で作ったものじゃない。ぼくが自分の世界に議題を送り込むように、ぼく自身も外から刺激をもらってそれを起点に動いている気がする。ぼくという意識の外側には無意識があって、その更に外側には感覚があるのかな。点となっている情報を線でつないで面にして、その面に抽象的な「危ない」とか「楽しい」とか「好き」とか「嫌い」とかの「色」をつけて意識に送っているのかもしれない。じゃあ無意識の外側にあるのは現実世界なのか? いや、もっと違う捉え方も出来るんじゃないかな。意識が細胞組織で出来ているものじゃないなら、それは時間という枠から半分飛び出している。時間という概念から飛び出し、意識外から刺激がないと動作しない「意識」からすると、自分の外にあるものを名づけるとしたら、それは……「未来」だ。
そこからぼくの記憶はいつになくあいまいだった。電車を駆け下りて全速力で家に帰ってきて、パソコンを付けた。
『意識の外側にあるのは未来かもしれない。宇宙の外側にあるものももしかして未来なんじゃないだろうか』
ぼくはこれだけブログに書いて投稿した。忘れないために。ぼくはきっとあと何年もこのことを考えるだろう。もし万一忘れてしまったら大変だから。訪問者カウンターは丁度1000になっていた。これが2000になるまでにはこの議題に決着をつけたいと思った。
次の日ぼくは珍しく寝坊してしまった。朝のニュースを見ることが出来ず慌てて登校した。
学校はいつになく騒がしかった。みんなはしゃいでいるように友達と話していた。ぼくが席に着くと隣の子の話が耳に入った。
「宇宙人が探している人ってどんな人だと思う?」
彼女はたしかに「宇宙人」と言った。なんだ、ドラマの話しか?漫画の話しか? 気をつけて周りの話しに耳を傾けると口々に「宇宙人が人を探している」とか「もうすぐ地球に来る」とか話している。
やはりドラマの話しかと思ってそれ以上興味がなくなった。その日も普段どおりに授業が始まり、終わった。
家に帰るとすぐにパソコンを着けて昨日の日記を確認した。するとすぐに異変に気づいた。カウンターが1002になっている。
誰も来れないはずなのにどうして……。いや、誰かが間違えてここにたどり着く事もありえないことじゃない。今まで無かっただけで……。
ぼくはTVを着けて夕方のニュースを見た。
そういえば朝のニュースは見れなかったな……。
夕方のニュースでは聞いたことがある話題一色だった。
「史上初めて、宇宙人が世界各地の電波基地局に対して交信をしてきました」
ぼくは呆気にとられながらもそのニュースを半ば放心状態で30分も見ていた。まとめるとこうだった。
宇宙からの電波は日本、アメリカ、ロシア、フランス、インド、中国でほぼ同時に受信された。それぞれの国の言語で発信され内容は、「私たちは現在約300光年ほど離れた星に住んでいる。この銀河の情報は全て把握しているが宇宙の秘密についてはいまだ全く解き明かせないでいた。しかし君たちの星の情報を収集していた時、ある人の発想が、我々に多大なヒントを与えてくれ、この程宇宙の神秘を解き明かすことが出来た。ついてはこの貴重な発想者にお礼と、我々のグループに迎え入れるためにそちらへ赴くことにする」というものだった。世界中はこのメッセージに半ば狂喜し、特に科学者達はその内容の精査と、「この『発想者』は自分だ」という声明を発表していた。
これはぼくのことだ……。
ぼくも他の例に漏れず、すぐにそう思った。ちょうど昨日、宇宙の秘密について「発想」し、それをブログに書いた。そして今日までに(きっと昨日の内に)誰かがはじめてブログに訪れていた。こんな偶然があるだろうか、とそう思った。
それからぼくはこのニュースをずっと追いかける日々が始まった。この宇宙人がどうやって「発想者」を特定するかはわからないが、いつも部屋のカーテンは開けておくべきだという話しがインターネット上であると、ぼくもそれを真似た。宇宙人が見つけやすいように普段行かない場所には出歩かず、できるだけ家にいるように、という意見があると、ぼくもそれに習った。ぼくが学校で授業を受けている最中でも、いつ迎えが来るかと期待していた。今ニュースで流れているのはぼくのことなんだ。
2日ほど経った時、「宇宙人が迎えに来た。さようなら」と書き残して失踪した人がいるというニュースが入った。この時ほどニュースにがっかりしたことは無かった。しかし1週間ほど経つと世界中で同じような事件が多発した。
あるサイトでこれらの情報を検証していた。この人はあらゆる情報をまとめて、実際に世界中を飛びまわって事の真偽を探偵のように確かめまわっていた。実際に最初の失踪者を探し出し、この人間は単に家出しただけで、宇宙人の件とは関係がないということを暴いていた。ぼくはこの人のサイトをいつも見ていた。
この人がまとめた情報によると次のようだった。
・宇宙人が交信して来たのは最初1度だけ。
・世界中で失踪者がいるが本当に宇宙人が迎えに来たことが確認されたのはない。
・世界中に交信した宇宙人が実際に人を連れ去ったらもう一度交信してもいいものだがそれもない。
・宇宙人に連れて行かれたという失踪者も実際はただの家出人であるケースは多いが、全てを調べきれてはいない。
ぼくは自分の世界に割く時間が徐々に少なくなっていき、この事件を追いかける時間が増えていった。
それから更に1年が経った。世間ではたまに話題が出るくらいで新しい失踪者の話題も無くなっていった。例のサイトは不定期だが更新を続けている。
今から考えればぼくの発想は大してすごいものでもなかった。きっと以前に誰かが思いついていてもおかしくない。訪問者カウンターの件も偶然が重なっただけだし、ぼくはこの件で夢を持った、その他大勢の一人に過ぎなかった。
ぼくは何度かこう考えつつも、今もカーテンを開けて待っている。
完




