チャプター4 エリベルシカ・フラグスカヤ
目処千のバァちゃんがいなくなって、三日が過ぎた。あれから、明里さん達もずっと探し回ったみたいだけれど見つからず、警察にも届けたそうだ。誘拐、という最悪のケースも考えられたのだけれど、身代金を要求するような連絡はいっさいなく、こつ然と、目処千ナツはこの世界から消えるように、いなくなってしまった。
俺が心配したところで何の解決にもならないのは分かっていたけれど、それでも心配せずにはいられないし、結局、授業の内容は俺の右耳から入って左耳から抜けていく、目の荒すぎるザルのような日が続いている。
ただ、幸いにも、どこかで事故にあったとか、倒れていたとか、そんな連絡もないから、無事かどうか分からないけれど、少なくとも無事でないことは確認されていないという、そこだけが救いだった。
俺がそんな心配の渦中にあるせいで、数日前から続いていたであろうクラスの異変に気づいたのは、ようやく今日になってからだった。俺の周りが妙に静かだ。そういえば、ここのところ、教室で誰かとろくに会話をした記憶がない。静かな原因は、一つしかなかった。鬼庭が話しかけてこないんだ。
毎日、なにかと絡んできた鬼庭が、どういうわけか、近寄ってこない。鬼庭、昼休みだというのに暗い顔をして、弁当を持ったままこそこそと教室を出ていこうとしている。
いつも食べてる北原とも一緒じゃないのか・・・? 俺はまだ開けていないカツサンドとアンパンの袋を無理矢理ポケットにねじ込むと、鬼庭の後を追った。
鬼庭はしょんぼりとうつむいたまま、ひとけのない校舎裏の方へ歩いている。俺はその後ろ姿を見て、なんだかイライラしてきた。元気のない鬼庭なんて、肉のない肉じゃが、つまり単なるじゃがでしかなく、鬼庭を鬼庭とせしめる一大要素が、失われているも同然だった。肉のないじゃが鬼庭をそれ以上見てられなくて、
「鬼庭ぁ!」
俺は大地も轟かんと全力でダッシュし鬼庭の背後へ駆け寄る。と、その勢いのまま盛大にスカートをめくった。
違う。あらかじめ否定しておくと、違うんだ、これは。
鬼庭のパンツなんかに俺は一ミリも興味はないし、見えたモノに喜びを感じるとか、そういう感慨はない。ただ、見られてはいけないものが見られるという、非日常的意外性をもって、鬼庭に元気を出してもらいたかった。それだけなんだ、本当に。
「白と水色、せめぎ合う縞柄、か・・・。」
と、キメ顔でつぶやき、鬼庭の反応を待つ。この反応を待つ、間、が楽しい。
「早乙女ぇ・・・。」
空手部で鍛えられた、鬼庭の腹パン覚悟で身を固くした俺なのに、あろうことか、鬼庭は泣きそうな顔で笑っている。
「鬼庭・・・。スカートめくられて、そんなに嬉しかった、のか・・・?」
「違うわよ! めくられて嬉しいわけないじゃない! 変態かっ!」
「でも、今、嬉しそうに笑っただろ。」
「笑った理由はそこじゃないよ。」
「じゃあ、どこにあるっていうんだよ。だいたい鬼庭、この二、三日おかしくないか? 元気がないっていうか。」
「うん・・。」
俺はポケットのパンを、鬼庭は弁当を食べながらで話を聞くところによると、二日前からおかしなことになっているらしい。二日前というと、目処千のバァちゃんがいなくなってしまったその翌日だ。おかしなこと、とは、鬼庭が、じゃない。鬼庭の周りが、だ。急に周囲が鬼庭を相手にしてくれなくなったらしい。相手にしてくれない、とはもっと直截にいって、無視されるということだ。
「無視・・・? 何で? 何かしたのか?」
「分かんない・・・。別に北原と喧嘩をしたわけじゃないし、他の子達だって、陰口を言ったとか、何か不親切なことをしたとか、そういうこと全然ないんだよ。それなのに、急に口もきいてくれなくなって・・・。」
「そうか・・・。けれど、鬼庭に自覚がなくても、何かやらかしてたとか、そういうことはないのか?」
「やらかして・・? やめといた方がいいって言われてたのに、早乙女と絡んでたこと、くらいかな・・。」
「う・・・。」
そこを原因にされると、痛い。
「でも、早乙女と話すのだってかなり前からのことだし、今になって急に、っていうのも訳が分かんないよ・・・。」
「そうだなぁ。そうか。無視か・・。無視はきついな。」
「早乙女も何か、心ここにあらず、って感じで明後日の方を見つめてて、声、掛けづらかったし。だから、こうやっていつもどおり話ができて、すっごい嬉しいんだよ。」
その言葉どおり、鬼庭は嬉しそうに笑う。こうして笑うと、それなりにかわいい感じになるものだから、俺は慌てて鬼庭を意識しまいと、茶化すように返す。
「だからって、スカートめくられて喜ぶのもどうかと思う。」
「喜んでないって、言ってるでしょ! 構われたことの方が嬉しかったのよ。早乙女なんかが相手でもね。」
「なんかって言うな、なんかって。ところで、俺、そんな明後日の方向、見つめてたかな。」
「うん。いつにもまして、ぼんやりしてた。」
「いつにもましてって・・。・・・いや、実はさ。」
俺は、目処千のバァちゃん、失踪事件のことを鬼庭に話した。伏見園でのバイトについては、二ヶ月ほど前、うっかり鬼庭に話してしまって、けれど、鬼庭は今日に至っても、そのことをクラスの誰にも言っていないみたいだ。誰にも言わないでくれと俺が頼んだわけだが、そこを律儀に守るあたり、義理堅い奴なのだ。
「ええ? その目処千のおばぁちゃん、どこにもいないの? 家族のところとかは?」
「バァちゃんに家族はいないよ。旦那さんや子供には、先立たれたって・・。」
「あ・・。そう、なんだ。でも、どこにもいないって・・。どこか、遠いところに出かけたとか?」
「遠いところって。出かけるにしても、事前に話くらいするだろ。しかも、廊下に倒れていたところから、いきなり遠出するって、いったいどんな理由に追われたっていうんだよ。」
「失われた時を求めて、とか。」
「いや、何だその理由は。自分の過去をたどる旅ってことか? それにしたって、いなくなり方が不自然だ。」
「まぁ、確かにそうね。いなくなり方は不自然ね。心配。」
「心配だよ。警察にも届けてるし、できることなんて限られてるけど・・。また、近所を探しに行こうと思ってる。」
「・・・よしっ。じゃあ、私も探す。」
「私もって、部活はどうするんだよ。」
鬼庭は空手部で、結構上位の帯をしめている。
「活動は週三だよ。今日は稽古、ないもん。」
練習じゃなくて、稽古っていうんだ。その言葉の響きに、武闘系運動部であることを感じる。
「そっか。じゃあ、手伝ってもらうよ。ありがとう、鬼庭。」
「へぇ? へへへ。」
「何だよ、にやにやして。」
「いや、早乙女にしては素直に礼を言うんだなぁと、思ったわけで。」
「俺だって礼くらい言うよ。」
「ありがとう、と言ったら負けとか、そういう偏屈なポリシー持ってそうだもん。」
「そこまで変人扱いするなよ。」
「変人でしょ、十分に。高校生にもなって、いきなりスカートめくりとか。その行為をして変人でないとは言わせないわ。」
「めくりは男子のロマンだろ。それくらい分かってくれよ。」
「分かんないわよ。そんなところにロマンを感じないで欲しいわ。だいたい、めくりって、略すな。」
「見えてはいけないものが見える、禁忌へのしめやかな反抗。恭順に逆行する姿勢こそが、現代人に求められているんだよ。」
「それをスカートめくりに昇華するのもどうかと思う。昇華って言い方が合っているのか知らないけどさ。」
「分かってないなぁ、鬼庭は。」
「分かりたくもない。」
「ところで、鬼庭。目処千のバァちゃんを探すの、手伝ってくれるのはいいとして、お前の方はどうなんだよ。思い当たる節もないのに、みんなから無視されるようになるなんて、やっぱりおかしいだろ。」
「ああ、うん・・・。でも、どうしたらいいか分かんないし・・・。何か思い当たるところがあれば、謝るとか、行動をあらためるとかできるんだけど。」
「そうだなぁ。」
俺はそれを見たからといって、解決策があるとも思えなかったのだけれど、携帯を取り出して見た。
「あのさ、早乙女。一緒に悩んでくれるのは嬉しいけど、ネットに解決策は載ってないと思うよ。」
「だろうな。いや、それは分かってるけど、何かヒントに近いものでもあればと思ってさ・・・。あ。」
「何?」
「メールが来てた。」
ここのところ、生活全般、上の空ですごしていたものだから、メールの着信にすら気づいていなかった。
『お悩み解決』
『一千万円を贈呈する準備があります』
『貴女に会いたがっている高収入の男性がいます』
あたりはまだいい方で、
『あなたは呪われています』
なんていう、迷惑この上ない迷惑メールを次々に削除していく中、一通だけ目を引くタイトルがある。
『石鷲高校通信』
自分の高校の名前がタイトルにあるものだから、その一通だけはスルーできず、思わず開いてしまった。
「・・! なんだ、これ。」
「なになに?」
鬼庭がのぞこうとするのを、俺は慌ててさえぎった。
「いや、何でもない!」
「何でもないって、そんなあからさまに隠されたら、気になるじゃない。」
「何でもないって言ってるだろ。」
これは、鬼庭へ見せられない。
「何でもなくないから、隠すんでしょ。見せてよ。」
「見せない。」
「エッチな写真でも送り付けられた?」
「え、エッチな写真て、何だよ。」
「男子の間で流行ってるらしいよ。ネットから落としてきた悩殺写真をいきなり友達に送り付けて、それを見た反応を笑うんだって。」
「何だ、そのうらやましい流行は。」
あいにく、俺にそんなメールが来たことは一度もない。
「それだったら嬉しいけど、そんなんじゃないって。」
「どうしても見せないつもり?」
「ああ。」
「何がなんでも?」
「なんでも。」
「あ、そう。」
あれ? 意外にあっさりとあきらめた、と思いきや、鬼庭の手が素早く伸びて、俺の手から携帯を抜き取ってしまう。速い! 伊達に正拳突きを繰り返してるわけじゃなかったんだ。
冗談混じりにごまかそうとしたのは、かえって失敗だった。そのメールを鬼庭に読まれたくなかったのは冗談抜きで、本気だった。
メールを読んだ鬼庭の顔は心無し青ざめ、そのままの姿勢で固まった。
「・・・読むなって言ったのに。」
とは言いながら、これは鬼庭も知っておくべき事実だったのかも知れない。
石鷲高校通信と銘打たれたそのメールにはひとこと、こう書かれていた。
鬼庭と話をするな
差出人のアドレスは、フリーで作れるアカウントで文字と数字の羅列、そこから意味は読み取れない。鬼庭を名指しするあたり、学内の誰かがこれを送ったのだろう。俺以外の奴らにも同じようなメールが送られた可能性がある。
けれど、何のために? 鬼庭当人は心当たりがないというし、実際、俺が見てても鬼庭が嫌われるとは思えなかった。体育会系の単純女子だ。あるとすれば、運動能力の高さに対する妬み、嫉みの類い、逆恨みというやつくらいだろう。
・・・いや。違う。逆恨みにしたって、こんなメールのひとことで、鬼庭を無視しよう、とはならない。もともと鬼庭が大勢から嫌われているならまだしも、その逆。メールを送られた人間に動機がない以上、おいそれとは従わない。何か「弱み」でも握られていない限りは。
「地鏡・・・。」
「え?」
鬼庭が携帯から顔を上げた。思わずつぶやいてしまったが、幸い、鬼庭には聞こえていなかったみたいだ。
「い、いや。たちの悪いいたずらだよ。」
「こんなメールのせいで・・? でも、誰が送ったの?」
「さぁ・・・。それは分からないけど。鬼庭に心当たりがないなら、逆恨みでも買ったのかも知れない。」
「逆恨み?」
「運動神経がいいとか、その辺りに対する。」
「そんなこと言われたって・・。どうすればいいのか・・・。もっと運動音痴なふりをしろってこと? そもそも、逆恨みの対象が運動神経であれば、って前提だけど、その前提、合ってるの?」
「そこまでは・・・、俺も分からないよ。けど、少なくとも、鬼庭がほんとにみんなから嫌われたわけじゃないってことは、確かだ。誰かに言われて、そうしている。その線が一番、ありうる話だってことだろ。」
「何のために?」
鬼庭に、じっ、と見つめられる。俺の瞳の中に答えが潜んでいるかのごとく、まばたきひとつせずのぞいてくる。
鬼庭に言うべきか?
このメールの送り主は、地鏡の可能性が高い。これは相手の弱みを握っていることが前提の「指示」だ。俺だけじゃなく、クラスの連中の弱みを握った上で、指示を出す。送り主は定かでないけれど、何となく地鏡なんじゃないか、という想像がみんなの頭に浮かぶ。この、「何となく」っていうところが重要だ。はっきり地鏡だとは分からない。けれど、ばらされたくない、突かれたくない弱みがある以上、従わざるを得ないし、アンチ地鏡で、横の連携を作って奴を糾弾ということもできない。地鏡がメールを送ったという確証がないからだ。えげつないやり方だ。
そこまで考えて、俺はもう一度、鬼庭に焦点を合わせた。鬼庭は、地鏡がいい奴だと思っている。このことを話せば、鬼庭が持っている地鏡への幻想を崩すことになるわけで、しかも、ここで俺が鬼庭と手を組んで歯向かえば、園でバイトしているという秘密が、地鏡によってばらされるかも知れない。
すがるように見つめてくる鬼庭だった。俺は目を逸らしてごまかすことが、どうしてもできなかった。
「地鏡。」
「え?」
「メールを送ったのは、たぶん地鏡だ。」
「地鏡ちゃんが? あの?」
「そう。あの地鏡。」
「ちょっと待ってよ、早乙女。それって、一番あり得なくない? 何で地鏡ちゃんがこんなメールを送んなきゃなんないのよ。」
「・・・あのな、鬼庭。今から話すこと、誰にも言わないでくれるか。」
「う、うん。」
俺は地理準備室で見た倉田と地鏡の一件から、園のバイトが地鏡にばれたこと、奴にカツアゲされたこと、倉田にしろ、俺にしろ、裏では奴の手中にあること、すべてを鬼庭に話した。
「嘘・・・。」
「嘘じゃない。普段の地鏡からは信じられないかも知れないけど、全部ほんとだ。」
「あの地鏡ちゃんが・・。」
「だから鬼庭。俺とお前がこうして連携したことがばれると、どんな報復をされるか分からない。このことは絶対に、誰にも言うな。」
「うん・・・。私、地鏡ちゃんに嫌われたのかな。」
「そこは・・・。そうだな。俺にもよく分からないんだ。地鏡が裏で糸を引いてるとして、なんで鬼庭相手にこんなことをするのか。これは俺の予想なんだけどさ。」
「何か思い当たることでもあるの?」
「お前って、なんか地鏡派のグループとは独立してるじゃん。それでいて、鬼庭とその仲間達、的な勢力を保ってるもんだから、潰しにかかられてるんじゃないか?」
「勢力って、別に私そんな勢力、作ったつもりないよ。」
「作ったつもりはなくても、現にそうなってるんだから、奴の攻撃対象になった可能性がある。きっと、これまでもそうやっていろんなグループを自分の勢力に組み込んできたんだよ、地鏡は。どうなるかまだ分からないけど、きっと、奴から鬼庭に対して、あるいは誰かを間にはさんで、何か働きかけてくるんじゃないか。今は、それを待つしかないだろう。」
「はぁ。勢力って・・・。なんか、メンド臭いことになってるのね。というかさ、早乙女。」
「何だよ。」
「よくそんなとこ、見てたわね。さすがに圏外男子のだけのことあるわ。よっ、傍観者。」
「褒めてんのか、けなしてんのか、どっちなんだよ。」
「へへへ。褒めてんのさ。よしっ。私、行くね。こうやって、早乙女とご飯食べてるとこ見られても、まずいわけだしね。」
「そうな。今のタイミングで、誰かに見られるのはよくない。」
鬼庭は勢いよく立ち上がると、
「放課後、サゴジョウの裏で待ってる。」
そう言って駆け出した。
途中振り返って、
「ありがと、早乙女!」
手を振る鬼庭は、ちょっと元気になったみたいだった。
それで放課後。俺は学校を出ると、サゴジョウに向かった。サゴジョウというのは駄菓子屋のことで、何でもそこのバァちゃん、西遊記の大ファンだとか。つけた店の名はなぜかサゴジョウ。悟空でも三蔵法師でもないところが、ファンとしてのこだわりを感じる。学校から少し歩くものだから、生徒の間でも穴場的たまり場となっている。
幸い、小学生くらいの女の子が一人、棒アイスを口にくわえたまま、店先の商品をながめているだけで、学校の連中は来ていないみたいだった。
ダークブラウンのコットン・・・、ワークキャップ、っていうのか? をかぶりフリルの入った膝丈ワンピースにブーツといういでたちで、何より目を引くのが、そのつややかな赤い髪の毛だった。
外国の子、だろうか・・・。この辺りでは珍しい雰囲気を持つその子を何気なく見ながら、俺はサゴジョウの裏手に回った。
「遅いよ、早乙女。」
裏手にあるクヌギの木にもたれかかって、鬼庭が言った。う○い棒でもかじっていたのか、残りカスが口元についている。
「悪い。橋本先生につかまって、プリントのコピー手伝わされてた。」
「橋本センセは目についた生徒、誰でもかまわず手伝わせるからね。むしろ、自分から手伝いたいって子も結構いるんだけどね。そんで、どっから攻める?」
鬼庭、携帯の地図アプリを開いて、俺の目の前にかざした。この町の地図が表示されてる。
「そうだな。バァちゃんの行きそうなところはだいたいまわったから、あとはそれ以外の場所だろうな。」
「目処千のおばぁちゃんが、どこか目的の場所があっていなくなったのなら、場所ベースで探すのもありだろうけどさ、そうじゃないとしたら?」
「どういうことだよ、鬼庭。」
「あてもなく歩いてしまって、それを見つけた誰かがとりあえず家に招いてくれたとかさ、そういうこともあるんじゃない?」
「そうか。そういう可能性もあるな。」
「そうそう。だから、ほらあれ、ドー、なんとか。あんな風に探せばいいと思うのよ。」
「ドー、なんとか?」
「バームクーヘン状のさ。」
「同心円?」
「それよ、それ。早乙女のバイトしてる園を中心にしてさ、蚊取り線香みたいにぐるぐる回っていけばいいのよ。」
「蚊取り線香は同心円じゃないが・・。まぁ、それはそれとして、いいな、その方法。よし、そうしよう。鬼庭にしては冴えてるじゃないか。」
「私にしてはって、何よ。私はいつも冴えてるのよ。」
「そうか? 鬼庭、成績悪いだろ。」
「うっ・・。せ、成績と頭の冴えは別腹なのよ。」
「そこで別腹って、おかしい気もする。じゃあ、俺は中心側から回るから、鬼庭は外側から回ってくれよ。」
「え? 別々に探すの?」
「だって、一緒に歩いても二人で探す意味がなくなっちゃうだろ。手分けして探そうぜ。」
「あ、いや、でもさ。ほら、二人なら目玉の数も四つに増えるわけで、見落としも減って確実になるじゃない。」
「目玉の数って・・・。そんなもんか? 効率悪い気もするんだが。」
「そんなもんよ。それに、もし目処千のおばぁちゃんを見つけたとき、二人の方が行動しやすいでしょ。一人はついてあげて、もう一人は助けを呼びに行くとかさ。だから。」
「そう、なぁ。まぁ、鬼庭がそこまで言うなら、別に一緒でもいいけど。」
「やっ・・! うん。こほん。じゃあ一緒で。行こ、早乙女。」
妙に機嫌のいい鬼庭へついて行くようにして、俺は伏見園に向かった。
園の近辺は閑静な住宅街で、人通りはあまり多くない。日の傾きかけているせいもあってか、辺りはよけいに森閑としていた。
「でもさ。目処千のおばぁちゃん、なんでいなくなっちゃったんだろうね。」
鬼庭は歩きながら、ちょっと目を伏せて言った。
「さぁ。それが分かんないから、みんな苦労してるんだけどな。それに、自分の意思でいなくなったのかどうか、それすらも分かんないわけだし。」
「嫌なことでもあったのかな。」
「嫌なこと・・・。園では楽しそうにしてたけどな、バァちゃん。」
「早乙女もかわいがられてたんでしょ。孫みたいに。」
「ああ。」
「大きな不満がないのに、いなくなるって・・・。何か、昔のこととか思い出したのかも。」
「昔のこと?」
「昔のつらい思い出とか。それで、いても立ってもいられなくなって、さすらいの旅に、とか。」
「旅に行くにしても、唐突すぎだろ。」
「でも、長い旅に行く時なんて、いつも唐突だって、うちのおじさんも言ってたよ。」
「おじさん?」
「うん。若い頃から、ふら、っといなくなっちゃって、そんで一年後くらいにまた突然戻って来るの。どこ行ってたのー、って聞くとさ、アジア、とかオセアニア、とか、ものすごい漠然とした答えしか返ってこないんだけどね。」
「ふーん。旅行好きなんだな、鬼庭のおじさんは。」
「旅行というか、旅よ、旅。旅行なんて規模じゃないもん、おじさんの場合。でね、そのおじさんが言うの。」
「何て?」
「旅は死に似てるって。」
「なんか、重い話だな。」
「でも、条件つきの死だって。人って死んじゃったら生き返れないけど、旅に行ってもいつかは帰ってこれる。人とのしがらみ、地域、国、学校、職場、家族、友人、あらゆる関係をほっぽりだして、世界とのつながりを一時的に失う状態に、自分を持って行くわけでしょ、旅って。すべての束縛から解放されるというか。でも、ほんとに死んじゃうのと根本的に違うのは、帰ってこれるということ。一方通行じゃないところが、大きな違いだって。なんか、難しい言葉でおじさん言ってたけど、えーと、カギャクセーのある死、とか何とか。」
「へぇ。確かにそれは一理あるかもな。自分の持ってるすべてを一度リセットしたいとか。旅はそういう時の選択のひとつかも知れない。でも、それが今回の件に当てはまるのか? うーん、当てはまんない気がするけど・・・。」
「分かったようでいて分かってないのが人ってやつよ。早乙女だって、目処千のおばぁちゃんのこと、分かったつもりでいるだけじゃない?」
「え? ・・・ああ。そうかも知れない。バァちゃんとよく話はしたけど、昔のこととか、あんまりよく知らないし。」
生きていればつらいことだってあっただろうに。先立たれた家族のこととか。バァちゃんはいつもにこにこしたまま、そういう話をほとんどしなかった。
鬼庭と一緒に、園を起点として蚊取り線香状に道を行き、途中、ちょっと無理してでも壁に登ってその上を歩いてみたのだけれど、やっぱりバァちゃんの姿はどこにもなかった。
日が暮れようとしている。
「・・・いないな。」
「うん・・・。」
「ああー、どこ行っちゃったんだよ、バァちゃん。いなくなるならいなくなるで、せめて書き置きとか、そういうもの残してくれればいいのに。」
「神隠しにでもあったみたいね。」
その言葉の持つ、あまりに非現実な響きに俺は、それを実感としてうまく理解できなかった。
神隠し。
子供や若い女性が、ある日こつ然と姿を消してしまう、日本の昔話や民話に出てくるアレだ。人が何の理由もなく、いきなりいなくなるという不可解な現象に、どうにか、神様のしわざだという理由をつけて納得するしかなかった。現象としての神秘性というより、俺は、残された者の焦りと落胆をむしろ、この言葉から印象として受けるのだった。
車一台がやっと通れるくらいの狭い道同士が交差する十字路にさしかかったとき、薄暮の闇に紛れるようにして、小さな人影が角のところに立っていた。
「あれ? あの子・・・。」
見覚えがあると思ったら、さっき駄菓子屋、サゴジョウの前にいた女の子だ。塀にもたれかかって、つま先で地面の石ころをもてあそんでいる。
「どうしたの、早乙女?」
「いや、あの子さ。さっき、サゴジョウにいたんだ。何してんだろ。人でも待ってるのかな。」
「暗くなってきてるし、用事がないなら早く帰った方がいいよね。」
鬼庭は言うなり、女の子のところへ行くと身をかがめるようにして話しかけた。
「ねぇ、こんなとこで何してるの? 暗くなってきたから、早く帰ろ?」
「・・・・。」
女の子は不思議そうな顔で鬼庭を見つめた。
「人通りも少ないし。あ、お姉ちゃん、途中まで一緒に帰ったげる。」
鬼庭に手を差し出されても、やっぱり女の子は無反応のままだ。
「もしかしてさ、日本語、通じてないんじゃないか? 外国の子みたいだし。鬼庭、ちょっとどいてろよ。」
「何よ、英語で話しかけるっていうの? この前のテスト42点しか取れてなかったじゃん。」
「何で俺の英語の点数を知ってんだよ。いや、こういうのはボディランゲージというか、とにかく身振りを大きくすれば、何となく分かり合えるものなんだ。」
俺は言ってから、女の子の視線の高さへ合わせるように片膝をついた。
「えーと。こんにちは。君さ、家はどこ? 家。ホーム。」
両手で屋根の形をつくる。
「暗くなってきてるし、この辺は人通りもないから。」
周囲を指差し、人がないない、と首を振って、
「帰った方がいいよ。迷子じゃないんだろ。お兄ちゃんと一緒にね。さぁ。さぁぁ。」
女の子に迫る俺を、鬼庭が小突いた。
「やめ。それじゃあ、まるで変態お兄さんじゃないの。おびえちゃうでしょーが。私に任せておきなさいって。」
「何で俺じゃだめなんだよ。俺だって妹がほしい。」
「この娘はあんたの妹じゃないっ。」
「何だよ、鬼庭のケチ。」
「ケチってるわけじゃないわよ。倫理の問題よ。都条例的な意味で。」
「妹を欲するのが倫理上の問題とは思えないね。」
「赤の他人を妹化しようとする行為を、正しくないと言わずに何が正義か。」
「正義は妹にあるんだ!」
「あのねぇ。妄想も大概にしなよ。」
それまで、ぽかんと口を開いたままでいた女の子が、おもむろに俺を見て言った。
「貴殿は・・・。」
「貴殿・・? あ、え? 何だ。言葉、通じるじゃないか。うん。なになに?」
「幼女が好きなのか?」
「ええ? いやぁ、照れるなぁ。」
「いや、別にほめてないんだけど。」鬼庭が白い目でつっこむ。
「なにゆえ?」
と、女の子は興味津々という風に続けた。
「なにゆえ、貴殿はあてのことが好きか? 興味を持つ対象として、あては貴殿から年が離れすぎていると思うに。むしろ、そちらの女性くらいの年頃相手に欲情するのが、自然ではにゃーか。」
「よ、欲情って・・!」
何を思ったのか、鬼庭、顔を赤くしてもじもじしている。
俺は鼻で笑いながら、
「っは。それはないない。こんな小学生男子がスカートはいてるような奴相手に。」
と、思いっきり否定した。
「ぬぬ・・。」
なぜか鬼庭が俺をにらむ。女の子は、
「ふむぅ? では、その男子っぽいのはダメで、あてならよい?」
と、首をかしげる。
「男子っぽいのって・・!」
「いや、君の場合はさ、なんというか、妹にしたいというか父性を刺激されるというか。猫みたいにかわいがって、ぺろぺろしたいという気持ちが湧いてくるんだよね。」
「ぺろぺろ? あてを?」
「そうそう。」
「それはよいのか?」
「何が?」
「都条例的に。」
「いや、現実的にどこまでオッケーか知らないけど、少なくとも願望を持つまでは犯罪じゃないんだよ。実行したらアウトだろうけどさ。」
「なるほど・・・。あては貴殿が持つ妄想の具材になっていると。」
「そういうことさ。じゃあ、さっそく、ぺろぺろしてもいいかい?」
「実行したらアウトって、自分で今言ったじゃん。そういうことさ、じゃないわよ。」鬼庭の的確なつっこみに、俺はあやうく我に返った。
「おっ、と。そうだった。危ない、危ない。ところで、君さ。」
「エリ。」
「ん?」
「名前はエリ。そう呼称してくれて問題にゃーが。」
「呼称て・・。 あ、ああ。そう。エリちゃん。ここで何してたんだ? 早く帰りなよ。怖い人が声をかけてくるかも知れないよ。」
「早乙女とかね。」と、鬼庭。
「俺は怖い人じゃない。」
「じゃあ、キモい人ってことで。」
「キモくない。こんな変態紳士をして、キモいとかありえないだろ。」
「認めてるじゃん。紳士がつこうがつくまいが、変態に変わりはないでしょーよ。」
俺と鬼庭がにらみあうところへ、割って入るようにしてエリと名乗る女の子が言った。
「ちょいと待った、お二方。貴殿、今、名は何と?」
「え? 俺? 早乙女だけど・・・。」
「早乙女久郎四郎殿か?」
「うん。」
「ぉお!」
エリは歓声を上げながら、ぴょん、とジャンプするようにして俺に、変態紳士と自称してしまったこの俺に抱きついて、みぞおちあたりに顔をぐりぐりしてくるのだった妹よ。
あっけにとられた鬼庭が、俺とエリを見比べながら言う。
「え? 何、エリちゃん、早乙女の知り合い?」
「うんにゃ、今初めて会ったぞな。」
「初めて? なのに、早乙女の名前知ってるって、どゆこと?」
「探しておったに。早乙女殿を。」
「俺を探していた? 何で?」
俺はそのままエリを抱き上げて、頬をすりすりしたい衝動をやっと抑えながら言った。
「主人の命令ぞ。早乙女久郎四郎殿を探して、連れて来いとな。大変だったに。中肉中背、たいへんなイケメン高校生で、優しくおおらかな理想の殿方と聞いておったものだからな。貴殿は、あまりそういう風には見えにゃーが。」
「イケメン(笑)」くっ、と鬼庭が笑うのを気にせず、俺はうなずいた。
「ほほぅ。優しく、おおらかな、理想の殿方。もしかしてそのご主人というのは、女性の方か?」
「そのとおり。早乙女殿、ご足労をおかけするが、あてと一緒に来てくれるか? 歩いて行ける距離だに、面倒はかけにゃー。」
「行く行く。どこへだって行くさ。」
「ちょ、早乙女。私も行く。」
エリはにっこり笑って、鬼庭に言った。
「もちろん、鬼庭殿もご一緒に。早乙女殿のご友人とあらば、主人も歓迎しよう。ささ、お二方、ついてまいられ。」
エリはご機嫌な様子で俺達のちょっと前を歩き出した。
鬼庭は小声で、
「ねぇ、早乙女。どういうことよ。」
と、しごくまともな疑問をぶつけてくる。
「あのエリって子、早乙女のことを探してたんでしょ。そもそもあんた、誰かに探される覚えなんて、あるの?」
「まったくない。」
「でしょ。普通について行っちゃって、大丈夫なの?」
「大丈夫だろ。まさかこれで、誘拐されるとも思えないし。」
「エリちゃんはいい子そうだし、ひどいことなんてしないだろうけどさ。あの子に早乙女を連れて来いって言ったご主人。まさか、地鏡ちゃんってこと、ないよね。」
「え?」
ぎく、と衝撃が走った。ありうる。
「地鏡が? あんな女の子を使って?」
「そう。早乙女も、地鏡ちゃんのターゲットにされたんじゃない? 私と話すな、っていう指令を、こうして無視しまくってるんだし。」
「まさか・・・? いや、まさか。」
「このまま行ったら、地鏡ちゃんとその仲間達に取り囲まれるとか、そういうオチじゃあ・・。」
俺はなかなか不安になって、前を行くエリに、それとなくカマをかけてみた。
「ところでエリちゃん。」
「何ぞ?」
「君のその、ご主人、っていう人のことなんだけどさ。どんな人?」
「そうさの。優しい御仁だに。ちょっと、おっちょこちょいで慌て者だが、思いやりのある方ぞな。」
「優しくて、おっちょこちょいだけど思いやり・・・。」
お魚くわえた野良猫を追っかけながらつまづき、眼鏡のずり下がる地鏡というやつを想像してみた。うん。ありえない。
俺は鬼庭に囁いた。
「地鏡じゃないっぽいぞ。」
「まだ分からないわ。エリちゃんが本当のことを言っているとは限らない。」
俺はさらに駄目押ししてみる。
「エリちゃん。疑うわけじゃないんだけどさ。急について来いって言われて、正直驚いているんだ。そのご主人って人の写真か何か、ない?」
「写真? ふむぅ・・。写真はあいにく、持ち合わせておらなんだ。容姿という意味でなら、主人は美人ぞな。」
「美人?」
「たいへんな。」
「よし、行こう。絶対に行こう。何がなんでも行こう。」
鬼庭が小突いてくる。
「ちょっと、早乙女。何よ、美人て分かった途端さ。だいたい、そんな美人を前にしたら、どうせ、あうあう、ってなっちゃうんでしょ。いつものくせでさ。」
「そうなろうとも、男には前に進まなきゃならないときがある。」
「かっこよさげに言ったって無駄よ。美人と聞いて、ほいほいついてくだらしのない男じゃない。要は。」
背後でこそこそ話し合う俺達の方へ、エリはくるりと振り返ってそのまま後ろ向きに歩きながら言った。
「疑う気持ち、分からないでもにゃーが、主人は早乙女殿とひどく会いたがっておるに。危害を加えるつもりはにゃいで、ついてきてくれろ。頼む。」
年の離れた女の子に、真剣な顔で、頼む、なんて言われて断る神経を、俺は持ち合わせていない。危害を加えるつもりはない。今はその言葉を信じるしかなかった。
しばらく歩いた後、エリは山裾にある、荒れた空き地の中へと入って行く。辺りはずいぶん薄暗くなって肌寒さすら感じるのだけれど、それは日が暮れかかっているから、という理由だけのせいじゃなかった。
空き地はそこだけ空間が落ち込んでいるというか、とにかく何から何まで凹んでいる、そんな印象を受けるわけで、ひとことで言って陰鬱、それが空き地をみた俺の感想だった。
「うげ。ここは・・・。」
鬼庭がうめいた。
「何だよ、鬼庭。ここ、知ってんの? ただの空き地だろ。」
「空き地じゃないよ。ほら、よく見て。」
鬼庭の指差す方を見ると、伸び放題になっている雑草の中に折れた柱のようなものが二本、数メートルの間隔を開けて立っている。空き地の真ん中にはほとんど潰れかけた小屋。
「神社か・・・。」
途中から折れた柱は鳥居の残骸で、倒壊寸前の荒れ小屋は、社だった。
「どうされた? はよう。」
エリは笑顔を浮かべたまま、境内の真ん中あたりから手招きをして、入るに躊躇している俺達を呼ぶ。エリの変わらぬ笑顔が、かえって不気味に見えた。
「早乙女・・・。ここ、出る、って噂だよ。」
「出るって、何が。」
「お化けとか。祀ってくれる人がいなくなって、荒んだ神様だって話もあるけど・・。」
「荒んだ神様・・・。そっちの方が、悲壮感があってリアルにも思えるけど、まぁ、おおかた、ススキか何かを見間違えたんだろう。雰囲気ありきっていうかさ、幽霊、物の怪の類いの「出そうな感じ」が、そんな幻影を見せるんだろ。行こう。エリが呼んでる。」
「あ、ちょっと、早乙女。」
鬼庭はまだ二の足を踏んでいたけれど、一人で鳥居の外に取り残されるのも嫌なのか、泣きそうな顔で左右を見渡してから、小走りについてくる。
「こちらぞ。」
エリはそのまま、社の裏手に回る。日はほとんど落ちて、もう人の顔すらはっきりとは見えないくらいだ。
暗闇の吹き溜まりの中、人影がぼんやりと浮かんでいる。
「さ、早乙女・・! あれ・・・!」
鬼庭は俺の背後にすっぽりと収まって、制服のすそをつかみながらのぞくようにして前を指差す。
かさ、と草を踏み分けながら、影がゆらりと近づいてきた。
「く、来る・・! 来るよ!」
「あれが、エリのご主人・・・?」
影から口ごもったような、うつろな声が聞こえる。
「・・・ちゃん?」
げげっ。
影が走り出した。こっちに駆け寄ってくる。さすがに俺は、二、三歩後ずさるのだけれど、構わず近づく影は、目の前までやって来て俺の手をつかんだ。
「やっぱり、久郎ちゃんじゃ。会いたかったわぁ。」
「え? あの、どちらさま・・・?」
暗がりの中、清楚、としか形容のできない美少女が、微笑みながら俺の手を握るのだった。