第5話 ファンタジー小説のくせに主人公がモンハンしない
(ジュニア)
伝説の英雄である父親と同じ名前だからと、少年はそう名乗った。
殿様は改めて立ち止まり、今さっき下りてきた山を振り返った。
それから傍らのジュニアを見て、無事で良かった、とまたしても独り言のように言った。
「ここに来る最大の難所だもん。話は前から聞いてたもん。想像してたのよりちょっと強い風だったけど。ボクだけで他の人が誰も落ちなくて良かったんだもん」
ジュニアは少々口を尖らせて言った。
「確かに今回のはいつもより少々強かったように思います」
ジュニアは黙ってしまった。今になって怖くなったのが顔に出ている。
「あの突風は『ドラゴンの寝息』と言って山の名物です。『ドラゴンの寝息』はいつも同じ方向に吹いて、しかも一度吹いたらいずれ必ず真逆の方向に返しが吹きます。とは言っても1シーズンに1回かせいぜい2回、風が原因で落ちた人の話は聞きません」
殿様はジュニアの様子を見ていたが、やがて屈んで顔を覗き込んだ。
「あの風に吹かれたら、山のドラゴンに祝福されたと言う人さえいるのです。春の芽吹きの濃い匂いに気が付きましたか。縁起ものと言われています」
「この辺りでドラゴンの姿を見た人はいるの?」
「おとぎ話レベルなら。ドラゴンがご覧になりたかったのでしたら、残念ながらこの地方ではちょっと無理ですね」
「ううん、それは構わないの」
ジュニアは身体に釣り合わない大きな背嚢を背負って、合流したキャラバンに遅れまいと、短い脚を忙しなく動かした。
殿様は逆に歩調を合わせてジュニアと並んで歩く。
「貴方はドラゴンを見た事あるの?」
「近くではないですね。遠くを飛んでる豆粒くらいのを見た事くらいはありますが」
「ボクは乗せてもらった事があるの」
「ああ、そうですね」
ドラゴンは希少生物の上、手綱を取って乗る事が出来る者は殆どいない。
伝説の英雄がドラゴンで帝都の城に直接乗り込み、反逆の第六皇子を討ち取ったのは、既に新しい伝説になりつつある。
「ボクが仲良くなったのは小さい子だった。まだ赤ちゃんだったの。馬より小さいのに大人を3人も乗せて空を飛んだの」
「そんなに小さいんじゃ大人が3人も乗るのは大変そうですね」
「乗ると言うより厳密にはしがみ付いたんだよ。みんなで止めようとしたんだけど、勝手に飛びあがっちゃったから、逃げ損ねた兵隊さんたちは、その子が地面に降りる気分になるまでつかまってるしかなかったの」
ジュニアは少々しょげた顔になって付け加えた。
「お花が大好きな子で、摘んでいくといつも嬉しそうに食べたの。指を噛んだりしなかったよ。でももう野生に帰ってしまったから、今は何処にいるか分からないの」
「戦争の間はどこにいたのですか」
「その子は戦争の殆ど終わり頃に連れてこられたの。西の方にいたお母さんが帝都に連れてこられる途中で産んだんですって。産まれてすぐお母さんと一緒に帝都まで飛んだ子なの」
「いや、貴方は、という意味でした」
「ボクは帝都包囲軍の本陣にいたよ」
「本当に、その、ずっと戦場に?」
「やだなぁ、帝都だってずっと戦場だったじゃない」
里に下りてキャラバンは分かれ道の度に少しずつ減ってきた。
それぞれが自分の目的地に向かってキャラバンを離れる。
「帝都にいた頃の私はしょっちゅう熱を出して、寝ている事が多かったのです。包囲戦で物資も欠乏して、母はとても苦労したと思います」
「ボクたちはお父さんが前線で戦っている間、軍隊に守ってもらっていたの。お父さんはそういう約束をしたの。それまでたった独りでボクたちを守りながら逃げ回っていたの。ボクとお母さんと皇帝陛下は包囲軍の本陣で大勢の兵隊さんにずっと守られていたよ」
「お父さまは武勇の誉れが高かったので、両陣営が味方に引き入れたくて激しい争奪戦をしたと聞きます。ご苦労なさいましたね」
分かれ道で立ち止まり手を振って挨拶する人々に、帰りの山越えの際の合流の手筈を確かめる人々が交錯する。
「隊長さん、今までホントにありがとう」
ジュニアと殿様も分かれ道に立ち止まって、行き過ぎるキャラバンの人々を見送る。
「そりゃあ、殿様と一緒なら、この地方の主だった所は漏れなく回れるでしょうが」
隊長は道端に止まってジュニアを見下ろした。
「何度かお話ししたように、この人に付いて歩くのは大変ですよ。まぁ、貴方なら出来るのでしょうが」
「途中でお疲れになるようなら、適当に休んで頂きます」
と殿様は言った。「私のお客を無事にお連れ下さってありがとうございました」
「いつものルートで回りますから、またお顔を出して下さい。ああ、ですが」
隊長は去り際に屈んでジュニアに耳打ちした。
「殿様と一緒にいると凶暴な獣や魔物が殆ど寄ってきません。それはそれで安全ですが、貴方がこの旅でそういう物をご覧になりたいなら、殿様にはハッキリとそう言いなさい」