第3話 いわゆるひとつの物見遊山
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少年が崖から転落しそうになったお蔭で、一気に山を下ってしまった少年と殿様だったが、キャラバン本隊が下りてくるのはまだ時間がかかりそうだった。
見上げると一行が山道を下りてくるのが小さく見えた。
2人はキャラバンが追いつくのを待つ事にした。
そこは山越えの人々がしばしば休憩に使う場所で小さな竃まである。
竃を見るや少年は背嚢から薬缶を取り出し、無言で殿様に渡して自分は火を起こす。殿様は無言で薬缶を受け取り水を汲みに沢に下りて行く。
キャラバン本隊が追いついたら皆が熱いお茶で休憩出来るよう、支度しておこうというのだ。
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「では、帝都からの視察ではないのですか」
「ボク、まだ十三だもん。どんなに優秀でも公けのお役目は付かないよ。それが決まりでしょ」
「まぁ、私は父に他に子供が居なかったから仕方なくでしたが」
「貴方が領主様になったのは十八の時でしょ」
「十三でした。若輩者の私に父と同じ大任をお許し下さった皇帝陛下には深く感謝しています」
「都じゃみんな褒めてるよ。あの辺境獰猛候が亡くなった後も、この辺り一帯で何も問題が起きてないもん」
「険しい山が天然の要害になっているお陰でなんとかなってます」
「唯一残念なのは貴方が都に全然顔を出さないって事だよ」
「ここに来る時は本当に大変だったのです。同じ道を辿るのをつい躊躇って、帝都の皆さんが優しくお目こぼしして下さる事に甘えて、うっかり3年が経ってしまいました。いけない事でした」
「ボクは子供だからよく分からないけど」
と、少年は前置きをし、なぜか咳払いをしてから言った。
「ちゃんと担当大臣に報告の人が来てて年貢も届いてるのに、それは平気でしょ。昔みたいに領主様達はしょっちゅう都に挨拶に来なさいって、アレはもうしなくて良くなったんだもん」
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それは本当の事だった。第六皇子の反乱以前、各地の領主に任命された者は、頻繁に帝都に出向き皇帝に拝謁し、忠誠を示さねばならなかった。
更に妻子は領主たちの謀反を防止するための人質として、領地ではなく帝都に住まねばならず、父親の任地に行く事は事実上許される事はなかった。
反乱が鎮圧されて新皇帝が即位し、新政府が発足した時、領主たちの協力を得るためにこの悪習は廃止される。
しかし殿様の母親のように夫や息子の領地を知らずに生きてきて、帝都に生活の基盤が出来ている者は今でも帝都で暮らしていた。
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「でも、今はボクみたいな子供でも独りでここまで来れたよ。キャラバンに混ぜて貰ったり船に乗せて貰ったり乗り継ぎをいっぱいしたけど」
「お小さ、いえ、お若いのにご立派です。道中、ご無事で何よりでした」
「さっきみたいに険しい山道や荒れる海は大変だよね。そういうのってボクには珍しくて面白かったけど。魔物や獣も大変だけど彼らのルールが分かればそうでもないもん。今の旅はそんなに大変じゃないよ」
「確かに旅で最も危険なのは人間です。それも皇帝陛下のご威光により今は恐れる事はありません」
「生まれ育ちが都でもやっぱり発祥の地は居心地が良いのかなぁ」
「先祖代々の血が私をここに適した身体にしたようです」
「都にいた頃は病気がちだったって聞いたけど、ホントに丈夫になったんだね」
お湯が沸き始めている。
少年は背嚢からお茶を取り出して慎重に計って薬缶に入れた。
「貴方と違って、皇帝陛下はちっとも背が伸びなくてお顔も子供みたいなのが悩みのタネなんだよ」
「陛下には父の跡を継ぐ時にご挨拶をしましたが、遠くからで到底お顔を拝見した内には入りません」
「子供の頃、学校で一緒だったでしょ」
「それは兄です」
「酷い目に遭ったよね」
「陛下をお護り出来なかった兄が悪いのです」
殿様は躊躇う様子も激する様子もなくあっさり切って捨てた。
「陛下はお忍びの旅が出来る状況でもお立場でもない方だったのに、理解出来ず、陛下の外出をお諌めするどころか唆しました」
そこで一旦言葉を切ってから付け加えた。
「兄が死んだのは自業自得です。陛下のお命があったのが唯一の救いでした」