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Astral  作者: やくも
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第八話:同調

「……なるほど、そういうことだったか」

「……なぁ、これってやっぱりさ」

「……結論を出すのはまだ早い……と言いたいところだが」

 テトラはそこで口を噤む。

 その先は、言われなくても彼方にも予想はできていた。


 ――桐原灯香はナキガラと化してしまっているかもしれない。


 彼方と灯香はクラスメイトというだけで、それ以上の接点はこれといってない。

 会話自体もあまりしたことはないくらいだ。

 彼方としては、灯香はどちらかというと物静かで、影が薄かったようなイメージがある。

 人付き合いが苦手なのか、他のクラスメイトともあまり一緒に居ることは少なかった。

 かといって別に、疎遠にされたりイジメを受けているという様子でもなく、まぁいわゆる一つの性分なのだろうと、その程度の認識で誰もが納得できるようなものだった。

 そんな灯香が学校を休み始めたのは、ちょうど今週の水曜になった頃からだった。

 それまでにも灯香は頻繁というほどではなかったが、時々欠席することは少なくなかった。

 体育の授業などでも、どちらかというと見学している姿を見かけることの方が多かったかもしれない。

 確かに体格も同じ十七歳の女の子にしては小柄だし、ほっそりとした体格だ。

 運動が苦手で虚弱体質というイメージがそのまま当てはまりそうな生徒である。

「……やっぱ、俺の見間違いだったかもしれない」

「彼方よ、学友を疑いたくない気持ちは理解できる。だが、もしも本当にナキガラだとしたら放置しておくわけにはいかない。早い段階で仕留めておかなければ、大変なことになるのだ」

「……分かってる。分かってるんだ。けど……」

「……それに、まだ何も確定したことはないのだ。本当に彼方の勘違いであったのなら、それで済むではないか」

「……ああ、そう……だな」

 ……だから、だ。

 もしも……もしもその勘違いが、的中してしまっているのなら。


 ――彼方は、その手でクラスメイトを殺さなくてはいけなくなる。


 正確には、クラスメイトの体に取り付いたナキガラを、だ。

 だが、それでも。

 いくら面識が少ないとはいえ、同じ学校に通うクラスメイトに対して、そんなことをできるのだろうか?

 分かってはいる。

 理解はできているのだ。

 もしもナキガラなのだとしたら、すでにその寄る辺となっている灯香の肉体は……すでに、滅んでいる。

 だから、それはもう灯香ではない。

 灯香の外見をしているだけの、ナキガラだ。

 ……それでも。

 いざその場面に直面したら、割り切って殺せるだろうか?

 断言しよう。

 必ず迷いが生じると。

「……まずは」

 絞り出すような声で、彼方は呟く。

「まずは……自分の目で確かめてからだ。それからでも、遅くないだろ?」

「……うむ」

 現在、七時十七分。

 夜はまだ、浅い。




 深夜零時。

「準備はいいか、彼方」

「ああ、大丈夫だ」

 予め玄関からこっそりと持ってきておいた外靴に履き替え、彼方は窓を静かに開ける。

 そこから身を乗り出し、ちょうど縁側の廊下の真上に当たる屋根の部分に降りる。

 庭までの高さは距離にして二メートル半ほどしかない。

 飛び降りてもしっかりと着地できる範囲だ。

 一足先にテトラが飛び降り、彼方もそれに倣って庭に着地する。

 さすがに玄関から出るのは源三にバレる可能性があったからだ。

「行こう」

「うむ」

 テトラは塀を飛び越え、彼方は正門を静かに押し開けて外に出た。

 向かうのは、夕方に男性が一人路上で倒れたあの交差点付近。

 すでに何時間も経過してしまってはいるが、何かしらの痕跡から追跡をできるかもしれないとテトラは言った。

 それに、彼方はまだ魔力を肌で感じ取ることができない。

 もちろん、自分の魔力に関してもだ。

 そうなると、ナキガラを見つけるのはテトラに任せるしかない。

「テトラ、今はどうなんだ? もう魔力か何かを感じるか?」

「いや、今のところはそれらしいものはない。私の場合、自身を中心に半径三百メートル程度しか探れないのだがな」

 それでも膨大な範囲である。

「それよりも彼方。先ほど説明したものはちゃんと持ってきているか?」

「ああ、大丈夫だよ。ちゃんと持ってきてる」

「くどいようだが、ここぞという場合を除いて月下星弓は具現化するな。あれは、今のお前の魔力で扱うには負担が大きすぎる。昨夜から丸一日経って魔力も十分回復しているとは思うが、それでも頼るのは得策ではない。限度を知らずに乱用すれば」

「こっちの体が耐え切れなくなって、内側からバラバラになる、だろ? 分かってるよ、無理はしない」

「よし。ときに、その現場というのはまだか?」

「もう少しだ。あ、次の角右な」

 道が開ける。

 ほぼ等間隔に並ぶ街灯の明かりが、大通りを挟んでずっと平行に伸びている。

 日付が変わったほどの深夜だというのに、人影はまだまばらに確認できた。

 土曜の夜だから夜遊びする人も多いのだろう。

 人通りが多くなってくるので、彼方は一度テトラを呼び戻し、ロザリオの中に戻るように促す。


 そして彼方は、再びあの交差点の前にやってきた。

 夕方、何の前触れもなく一人の男性が倒れ、多くの野次馬が出来上がった場所だ。

「ちょうど、この辺りだったと思う」

(……彼方がその学友を見たのはどこだ?)

「えっと……この位置からだったから……ちょうどこの辺だな」

 少し移動し、彼方はその場に立つ。

(…………)

「どうだ? 何か分かるか?」

(いや……さすがに時間が経ちすぎたかもしれんな。魔力の名残は感じるが、とても追跡できそうなほどのものではない)

「……ちょうどこの位置から、向こうの方に歩いていったと思うんだけど」

(……少し歩いてみるか。何か分かるかもしれん)

「分かった」

 彼方は歩道の上を進む。

 すぐ横は車道だが、今の時間そこを通過する車の数は少ない。

 同様に、彼方の歩く歩道の上を同じように歩く人影も全くいない。

 昼間はかなりの数の人でごった返しになる場所だが、昼と夜では街というものは全く別の顔を見せていた。

 しばらく歩くが、特におかしな様子は見当たらない。

 テトラも何も言ってこないので、どうやらおかしなところはないということなのだろう。

 やはり時間が経ちすぎたせいだろうか。

 少し強引にでも、夕方のときに追いかけておくべきだったかもしれない。

 とも思ったが、あのときは彼方一人ではなく西花も一緒にいたし、さすがに巻き込むわけにはいかなかった。

 恐らく、テトラもそれを理解していたからこそ追うように指示しなかったのだろう。

 どの道ナキガラが動き出す時間は夜なのだ。

 ならば時間を改めて出向いたほうが遭遇率も上がるし、場合によっては探す手間も省ける。

 しかしどうやら、今回は当てが外れてしまったようだった。

「……いないみたいだな。ナキガラどころか、人影一つ見当たらない」

(……ふむ。できれば姿だけでも確認しておきたかったのだがな)

「……………」

 それに対して、彼方は何も言えなかった。

 心のどこかで、灯香に会わなかったことをホッとしている自分がいた。

 とりあえず、もう少し見回って何もなければ今夜は出直しだ。

 彼方は振り返り、来た道を引き返す。

 と、そのとき。


 ドンと、軽く肩の辺りに衝撃を受けた。

「わ、と……」

 すぐに人にぶつかったものだと理解した。

 何故なら、すぐ目の前で膝を突いている人影が見えたからだ。

「あ、すいません。大丈夫ですか?」

 彼方は膝を着いた人の手を取り、体を引き起こす。

 やけに軽い体だった。

 顔までははっきり見えないが、体格からしてずいぶんと小柄な女性のようだった。

「ケガないですか? すいませんでした」

 軽く頭を下げ謝罪する。

「…………」

 しかし、その人は何も答えない。

 立ち上がったものの、その体はひどくダラリと脱力していて、顔も下を俯いたままである。

 何と言うか、ひどく衰弱して立っているのもやっとな様子だった。

 もしかしたら酔っ払っているのかとも思ったが、これといって酒臭いというわけでもない。

 単に疲れているだけだろうか?

 さっきからピクリとも動こうとしない。

 立ったまま寝ている……なんてことはないだろうか?

 まさかとは思いつつも、彼方はそっとその顔を覗き込んでみる。

 前髪が長く垂れ下がり、表情が見えない。

 明かりが届いていないこともあるのだろう、顔色も悪く見えた。

 そう、それはまるで。

「…………」

 ……それは、まるで。

「……お前、まさか……」


 ――まるで生気を感じさせない、暗い双眸が覗いているような。


 カチリと、金属の擦れ合う音がした。

 ダラリとぶら下がっているだけだった手の中で、銀色の何かが光る。

 次の瞬間。

 ヒィンと、空気と金属が擦れ合う低い音が響いた。

 その手の中に握られていたのは、刃渡りが十五センチほどのナイフ。

 その先端がわずかに彼方の頬をかすめ、うっすらとそこからは血が滲んでいた。

「くっ……」

(彼方!)

 叫び、テトラはロザリオから飛び出す。

 すぐさま彼方とその人影の間に割って入り、威嚇しながら距離を取る。


「彼方、無事か?」

「っ、ああ。ちょっとかすっただけだ」

「それにしても一体どういうつもりだ。いきなり斬りつけるとは……」

 テトラは呟き、前を見据える。

 人影は闇の中でゆらりと揺れた。

 まるで意思が通っていない人形のように緩慢な動作だった。

 しかしその手の中には、銀色の輝くナイフがしっかりと握られている。

 それを見て、テトラは驚愕する。

「あの短剣……もしや、同胞喰はらからぐい……ドレインダガーか?」

「それって、つまり……」

「うむ。あれも魔装の一つだ。あの短剣で傷を負わせた場合、その傷の深さに比例して対象から魔力を奪い取ることができる」

「魔力を奪い取る?」

「そうだ。しかし何故だ? これからは全くナキガラの気配を感じ取れん……」

 テトラは彼方が斬りつけられるまで反応することができなかった。

 それはつまり、目の前にいる人影は警戒するに値しないものだったということに他ならない。

 もしもナキガラだと分かっていれば、もっと早くに外に飛び出していただろう。

「だが、手にしたあれは紛れもなく魔装の一つ。ナキガラでもないのにそれを使いこなせるというのか? しかしそれにしては、まるで生気も感じられん……」

 言いかけて、テトラも気づく。

「……彼方よ、まさかこれがそうなのか? お前の話していた、学友というのは……」

「……っ!」

 認めなくはなかった。

 だが、彼方はすでにその顔を一度覗いてしまっている。

 そのときに、見たのだ。

 目立たない彼女が唯一、いつも身につけていた銀色の髪飾りが、同じ位置にあったことを。

「……そうだ。俺が夕方見たのは、こいつだよ」

 苦虫を潰したような声。

 ちょうどそのとき、対向車線側から走ってきた大型トラックのヘッドライトが、彼方達を浮かび上がらせた。

 そう。

 彼女の顔を、はっきりと。


 「――桐原……桐原、灯香……」


 数えるほどの会話しか交わしたことのないクラスメイトは、すっかり変わり果てた姿でそこにいた。

 色のない瞳と、糸の切れた人形のような体で……。


 悪い予感は的中してしまった。

 目の前にいる灯香はすでに自我を失っているようで、まるで操り人形のようになっている。

「っ、桐原! 俺だよ、一条だ。分からないか?」

「…………」

 彼方は叫ぶが、灯香は反応を示さない。

 まるで言葉そのものが届いていないと言わんばかりに。

 そしてその手の中に握る魔装……ドレインダガーを静かに構える。

「っ!」

「ムダだ彼方。すでに私達の声は聞こえていない!」

「けど、桐原はまだナキガラじゃないんだろ? だったら、どうにかしないと……!」

「く、確かに……!」

 ナキガラでない以上、テトラも生身の人間に対して牙を向けることはできない。

 それはテトラ自身が己に課した戒めでもある。

 とはいえ、明らかな敵意を持った存在を目の前にして戦わずしていては、結果は目に見えている。

「仕方あるまい……」

 テトラは小さく息を吸い込み、炎を吐く動作を取る。

「お、おい、テトラ!」

 生身でテトラの炎を受ければ、その肉体は骨も残さず消し炭と化す。

 が、テトラはためらわず炎を吐いた。

 ただし、互いの中間地点の足元……地面に対してだ。

 ドンという音が鳴り、目の前はたちまち煙幕に包まれる。

「こっちだ彼方。急げ!」

 テトラは脇道に入り走り出した。

 彼方もその後に続く。

 狭い裏路地を通り抜ける。

 彼方は時々後ろを振り返ったが、そこに追っ手の影は見えない。

 ある程度走り抜けたところで足を止める。

「……よし。これだけ離れればいいだろう」

 テトラは周囲を確認し、ひとまず息をつく。

「…………」

 彼方は薄汚れた壁に背中を預け、頭の中がゴチャゴチャになっていた。


「……くっそ……何で、何でだよ……」

「彼方……」

「何で……何で桐原が……それも、ナキガラじゃないのに……」

「いや、そうとも言い切れない」

 テトラの言葉に彼方は視線を移す。

「ど、どういうことだ?」

「魔術師の使う魔術の中に、操作コントロール、あるいは同調シンクロというものがある。前者は言葉の通り、遠隔で生物の体を操るものだ。だが、この魔術はナキガラに扱えるとは到底思えない。操作とは熟練の魔術師達の中でも、さらに限られた選りすぐりの者しか体得できなかった高等技術。所詮元はただの霊に過ぎないナキガラに、そこまでできるとは思えん」

「じゃあ、もう一つは?」

「……同調も言葉のままの意味だ。共有と言い換えたほうがしっくりくるか」

「共有……」

「合体、融合とも言うべきか。一つの肉体中に二つ以上の意思が同時に存在した場合、通常は拒絶反応が起こってどちらかが破壊される。だが稀に、双方、あるいは全部の波長が極めて近い場合に限り、複数の意思が統合される場合がある。つまり」

 一度言葉を区切り、テトラは続ける。

「彼方の学友である彼女の肉体に、波長の近い霊が入り込んでいるとすれば、その意識を奪って操ることも不可能ではない」

「……そんな、ことが」

「そしてそれなら納得がいくのだ。彼女からナキガラの気配を感じなかった理由も、同調だとしたら頷ける。同調しているだけならば、元の肉体が滅んでいる理由はなくなるからな」

「じゃあ、桐原はまだ生きて……?」

「高い確率でそうだと言えるだろう」

 彼方は胸を撫で下ろした。

 それならば、まだ助けることもできるはずだ。

「……テトラ、どうすれば同調を解除できる?」

「それは……」

 言いかけたところで、テトラがその気配を察知した。

 テトラの視線の先、そこに。

「…………」

 相変わらずの色のない瞳で、灯香は立っていた。

 その手に握るドレインダガーを、真っ直ぐにこちらに突きつけて……それは、言った。


 「――逃がさない。魔術師の血は、全て戴く」



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