第五十九話:価値
「おやおや。見ない顔だと思ったら」
「お前達か……」
二人分の声に彼方達は振り返る。
そこに立っていたのは
「一体どうやってこの場所まで忍び込んだんでしょうかねー。そう簡単に破られる結界を張っていたつもりじゃないんですが」
「…………」
レニオス・トーマスバーグとアーネスト・リベリオン。
正真正銘の魔術師である二人の男は、風景の中に溶け込むようにそこに佇んでいる。
「お前達は……っ!」
見覚えのある顔を確認し、彼方はわずかに体を強張らせた。
緊張の糸が張り詰めたような空気が生まれる。
が、当の二人はそんなことにはまるで興味もないようで
「はやるな。お前達とここでやりあうつもりはない」
長身の男、アーネストが言う。
「いいんですか、アーネスト? 忠誠心の強いあなたが、みすみす目の前の敵を見逃すとでも? それも、我々の拠点において」
「……現在の状況が我々やあの方達にとって危機的なものとは判断しにくい。後手に回っても十分に対応はできる」
「なるほど、確かに。今日殺せるやつは明日でも一週間後でも、一年後でも殺せますからね」
「……その歪んだ解釈の仕方はどうにかならないものか」
あざ笑うように言うレニオスに対し、アーネストはやや不快そうな顔を向ける。
もっとも、レニオスはそんなことも気にした様子はない。
「それはさておき。あなた方はここで何をしているので?」
レニオスが問う。
「何の理由もなく我々の本拠地に乗り込むなんて、そんな命知らずのことはさすがにしないでしょう? もしも奇襲を仕掛けるつもりであったのなら、今の段階で作戦も失敗というわけですが」
「……こちらにも色々と事情がありましてね」
泉水が呆れたように言う。
どうやら目の前のレニオスとは完全に性格が合わないようだ。
横で見ているだけでも不機嫌さが伺える。
「そうでしたか。ではまず、その事情とやらをお聞かせ願いたい」
そう言うと、レニオスはなんの躊躇いもなく懐から武器である拳銃を取り出し、銃口を向ける。
「っ!?」
「残念ですが、私はアーネストほど気が長くありません。あなた方がどういう目的でこの場所にいるかなんて、正直どうでもいいんですよ。ただ一つ確かなのは、あなた方は私の敵であるということ。それだけあれば殺す理由としては十分です」
引き鉄にかかる指がゆっくりと動く。
あの銃がただの拳銃なのか、それとも魔術的なものなのかははっきりとは分からない。
が、どちらにしてもこの至近距離でまともに弾丸を受ければ無事ですむはずがない。
この状態からどれだけ早く魔術を展開しても、弾丸の速度にはかなわない。
「く……!」
文字通りに追い詰められた。
引き金が引かれる、その瞬間。
「――やめなさい、レニオス。彼らは私達の客人よ」
幼く、しかし透き通るような声。
それでいて他を圧倒するだけの威圧感を含んだ少女の声が、向こう側から響いた。
「……これはこれはお二人とも。どうしてこのような場所に?」
レニオスは銃口を向けたまま視線だけを移し、そこに二人の魔女の姿を捉えた。
「銃を下ろしなさい、レニオス。私はまだ彼らに用があるのよ」
「そうは仰いますが、よろしいのですか? 脅威と呼ぶには程遠いとはいえ、彼らは立派な我々の敵ですよ」
「レニオス」
エリスはわずかに目を鋭く光らせ、にらむようにレニオスを見る。
「何度も言わせないで。銃を下ろしなさい」
「……失礼しました」
その言葉に圧倒されるように、レニオスは銃を自らの懐へとしまっていく。
「アーネスト」
「は」
「レニオスをつれてさがってちょうだい。私は彼らに話があるから」
「仰せのままに」
言うや否や、アーネストとレニオスの体が小さな渦のようなものに呑み込まれた。
次の瞬間、二人の姿はすでにどこにもなくなっていた。
それを見届けて、エリスは彼方達に視線を移す。
「ごめんなさい。血の気の多いやつなのよ」
「そのようですね。ああいうのは、組織を破綻させる原因になりかねませんよ」
「心配には及ばないわ。どうにだってできるから」
「……なるほど」
泉水は呆れたように笑うしかなかった。
「……お二人とも、どうしてこちらへ?」
すぐ隣で立ち尽くしていた藍瀬が不思議そうに聞いた。
二人は……アリスとエリスは、めったに人前に姿を現すことがなかったからだ。
普段はあの花園の向こうで静かに過ごし、そしてよほどのことがない限り外に姿を見せることはない。
それを知っている藍瀬から言わせれば、今のこの状況がすでにおかしいのだ。
嫌な予感がしている。
何かこう、とんでもないことが起こってしまうような……そんな、嵐の前の静けさのような空気が感じ取れた。
そんな不安を思う藍瀬をよそに、エリスは淡々と答える。
「まだ、答えを聞いてなかったの」
「答え?」
彼方がすぐに聞き返す。
「ええ」
一拍の間を置いて、エリスは再び問う。
「結局、あなた達は私達の敵であり続けるのかしら?」
簡単な質問だった。
はいかいいえで答えられる、二択問題だ。
だが、その答えの意味するところは大きい。
この返事だけで、世界の行く末が変わるといっても過言ではない。
いや、過言であるはずがない。
エリスは宣言したのだ。
戦争を起こし、世界を変えるのだと。
だからそのためには、目の前の敵はすべて排除する。
どんな理由があろうとも。
「…………」
彼方を含め、その場の誰もが答えられなかった。
答えられるわけがなかった。
たった一度の返事で、戦争が勃発してしまうのだから。
「……そう。まだ迷っているのね」
しかし、答えに詰まる彼方達を見てもエリスはこれといって顔色を変えなかった。
落胆も激昂もしない。
まるでそれが当たり前だというように、わずかに肩の力を抜いたように見える。
「けど、あまり時間はないわよ? 準備さえ整えば、私達は戦争を始めるわ。どれだけの数を敵に回しても、必ず勝利を収めてみせる」
それは完全な勝利宣言だった。
そして同時に、実現可能なことでもある。
単純な数の差では、魔術側の勢力は微々たるものかもしれない。
が、その一つ一つが街や都市、さらには国家を相手にしても無傷で勝利できるような力を持っているとしたら、それはもはや戦争どころか勝負ですらない。
あらかじめ勝ちの決まったゲーム……詰め将棋をやっているようなものだ。
相手がどんな戦略を立てていようとか、そんなものはまるで関係ない。
正面から最高の一撃を放ってしまえば、それだけで決着だ。
そしてそれを可能にするのが、魔術。
その魔術を統べる存在である、魔女。
その言葉に偽りはない。
やると言ったらそれは実現する。
たとえそれで、全世界を敵に回したとしても。
「……何でだ?」
搾り出すような声で彼方は言う。
「何でそこまでして、戦争なんてものを起こす必要があるんだよ……」
「…………」
エリスは答えない。
それでも彼方は聞くことしかできない。
「俺にはよく分からないけど、俺達の世界と魔術の世界ってのは、今までちゃんとバランスが取れてたんだろ? 互いに干渉しないことで、均衡を保ってたんじゃないのか? それを何で今になって、全部ぶち壊してリセットするようなことをしなくちゃならないんだよ?」
「簡単よ」
エリスは間髪要れずに返す。
「今あなたが言ったことが、すべて錯覚だからよ」
「……錯覚?」
「そう、錯覚なの。バランスが取れていた? 均衡を保ってた? 冗談じゃないわ。そんな言葉、私達が信じられるとでも思ってるの? 時代にも歴史にも迫害されて、恐怖と畏怖の象徴でしかなかった私達が、どんな思いでいたのかなんてあなたには一生理解できないでしょうね」
「それは……そうかもしれない。けど」
「けども何もないの。そんなもしもの可能性の話は聞き飽きたわ。私達はね、もう影に隠れて生きるなんてことはごめんなのよ。そのためには一度、世界の仕組みそのものを組み替えるしかないの。そのために戦争を起こすの。一度全てをリセットして、ゼロから新しい世界を再構築するために」
「……何だよ、それ。そんなの、結局個人のわがままだろうが! そんな理由で無関係な人達巻き込んで戦争起こすっていうのかよ!」
「そうよ」
即答の言葉には、一つの迷いもなかった。
「あなたが今言った個人のわがままで、私達は生まれた」
「っ!」
「理由なんて、突き詰めてしまえば個人の感情じゃない。誰も周りのことなんて考えてない。そうやって私もアリスも生まれてきたの。私達に価値なんてない。だから私達は自分達で理由を作るわ。私達が生まれた理由は、私達が決める。誰にも決めさせやしない」
「…………」
彼方は何も言い返せなかった。
その場にいた泉水も藍瀬も、ただ黙ってエリスの言葉を聞いているだけだった。
「……エリスちゃん」
その横でずっと黙っていたアリスが、心配そうに口を開く。
「……大丈夫よアリス。何も心配しなくていいわ。何も……」
その手を握り、エリスは微笑む。
その横顔は間違いなく幼さを残す人間のそれだ。
だが、それでも二人は魔女だった。
誰かの身勝手な理由で造られた、極めて人工的な命。
だから、理由を求める。
そこに価値を見出そうとする。
それを、誰に止めることができるというのか……。
「……もうすぐ、準備は整うわ」
背中を向けたままエリスは言う。
「止めたければ、止めてみればいい。私は、全てをなぎ払ってでも先に進む」
それだけを言い残して、二人の魔女は音もなくその場から姿を消した。
もはや、衝突は避けては通れない。
それなのに、ひどく虚しさがこみ上げているのはどうしてなのだろう。
その理由はきっと、ひどく簡単だ。
戦いたくないから、だろう。
「……どうすりゃ、いいんだよ」
様々な思いが交錯する中、誰一人として正しい答えを導けないでいた。
もとより、誰にでも正しい答えなんて、どこにもありはしなかったのだから。