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Astral  作者: やくも
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第五十七話:友達

 ……どう、して……。

 どうして、こんなことになっているんだろう……?

 虚ろな意識の中、ルキアはぼんやりと目の前の光景を眺める。

 月も星もない、暗い夜の中だった。

 いくつかの人影が動いていることだけが分かる。

 風もない、静かな夜だった。

 ただ、その中で。

「…………」

 初めて友達になってくれた二人の少女の、苦痛の声が響いた気がした。




「は、ははは……何だ、これは? どうしたことだ?」

 その男は高らかに、しかし確かな嘲りを含んだ声で笑う。

 狂気に当てられたわけではないのだが、その表情は常軌を逸していると言っていいほどに歪み、ねじれていた。

 無理もない話だ。

 あれほどの大きな力を持つ魔女の二人が、どういうわけかピタリと攻撃の手を止めてしまっているのだから。

「なんだ……なんだなんだなんなんだこれは? ハッ、別に狙ってそうしたわけではないのだが、まさかこうも効果的とはな!」

 男の歪んだ笑いが夜の中に響く。

 無造作に振るわれるその手からは、相変わらず禍々しいほどの紫色を帯びたナイフが際限なく放たれる。

「っ!」

 エリスもアリスも、聞こえないほどの舌打ちをしながらその攻撃をかわす。

 刃の部分に塗られた毒物は確かに厄介だが、よほどのことがない限りはそもそもナイフを体にかすらせもしない。

 戦いの局面は決して大きく変わってはいない。

 単純な戦力差だけで比較すれば、二人のほうが圧倒的に有利なことは変わりないのだ。

 しかし。

「……っ」

 ナイフを避けながら、エリスは視線を泳がせる。

 その先には、男の魔術である巨大な獣の手のようなものに捕らわれたままのルキアの姿が。

「どうして、ルキアが……っ」

 アリスが苦虫を噛み潰すように呟く。

 そう口に出したい気持ちはアリスも同じだった。

 一体あの男がどういうつもりでルキアを捕らえたのかは分からないが、こうなってしまった以上迂闊に攻撃に転じることもできない。

 ルキアの存在がアリスとエリスにとって何か特別なものであることには、男はとっくに気づいていた。

 そうなってしまった以上、ただでさえ手段を選ばない男が取る行動は火を見るより明らかだ。

 つまりは、人質。

 その証拠に、アリスやエリスが何らかの魔術を構築する素振りを見せると、男は途端に鷲掴みにしたルキアを押し付けるように、さらしものにでもするかのようなぞんざいな扱いで押し出すのだ。

 そのまま魔術を発動させれば、間違いなくルキアの命もそこで終わる。


 エリスが先ほど使用した星座を介した魔術だが、それ自体はまだ完全に封じられたというわけではない。

 確かに頭上は分厚い雲が覆い尽くし、今となっては月も星もその正確な位置取りを見て取れることはできない。

 が、いくら分厚い雲に隠れているとはいえ、星や月がそこから消え去ってしまったわけではない。

 暦から判別した月齢や星の位置関係など、頭の中にある知識を総動員すれば、今夜のこの時間帯の星の配置くらいは手に取るように分かるのだ。

 そのくらいのことは魔女である二人にとっては造作もない。

 だが、肝心な部分はそこではない。

 そう、肝心なのは、一刻も早くあの男の手の中からルキアを救い出すことだ。

 今はこうして攻守が逆転しているが、あの男がいつ気紛れで魔手の中のルキアを握り潰してしまおうと考えるか分かったものではない。

 絶叫にも似た笑いの咆哮は続くが、それも長くはないだろう。

 そんな胸のうちの不安に応えるかのように、やがて男はナイフを投げ続ける行為を止める。

「ふ、ふ……ははは……」

 そして、今までとは違った色合いで再び笑う。

 片手で顔を覆い、そのまま前髪を書き上げるような仕草を見せる。

 その後に残った眼光には、不敵な笑みしか残されていなかった。

 はるか上空の雲の裏に隠れた三日月よりも鋭く、そして不気味にその口の端が歪んだ。

「なるほど、なるほど……」

 クックッと、堪え切れなかった笑い声が口の隙間からこぼれる。

 見ているだけで不快極まりない光景だったが、かといって迂闊に男の懐へ飛び込むわけにもいかない。

 すでに男の思考の中でも、ルキアが人質である定義は確立してしまっている。

 だったら、その人質を使わないはずがないのだから。

「堕ちたものだな、魔女よ」

 男は歪んだままの笑みを二人に向ける。

「一体いつから、お前達は人間なんぞに情を入れるようになったのだ?」

「…………」

 その言葉に、二人は答えない。

 そんな言葉になど意識を向けず、視線はひたすらに魔手の中のルキアへと向かう。


「…………」

 そんな態度が気に食わなかったのか、男は一瞬だけ笑みを崩すと、自分の右手から連なって伸びる魔手へと意識を注ぎ、わずかばかり握る力を強めた。

 ギリギリ、と。

 それだけで、魔手の中のルキアの華奢な体が悲鳴をあげた。

「う、あ……っ!」

 苦痛に歪んだルキアの声が漏れる。

「っ、ルキアッ!」

 その光景に耐えられなくなったのだろう、アリスが無意識のうちにその名を叫ぶ。

「お前……っ!」

 続けざまにエリスは敵意をあらわにし、男に向けてその手のひらを突きつけようとする。

 だが。

「こうすれば、お前達は手も足も出ないのだろう?」

 男はまるで分かりきったように魔手を掲げ、ルキアもろとも天高く伸ばす。

「さて、簡単なクイズだ。このままこの腕を思い切り勢いよく地面に叩きつけたら、どうなってしまうだろうな?」

 男は心底楽しそうに歪んだ笑みを浮かべている。

 ルキアと地面との距離はおよそ五メートルほどだが、単なる落下と振り下ろす威力を加算させた激突の威力が同じなはずがない。

 想像もしたくないが、もしもそうなればルキアの体は文字通りバラバラに砕けてしまうだろう。

 それこそ、衝撃で腕や足が千切れて飛んでしまうかもしれない。

 いや、そうなるように男はその腕を振り下ろすに違いない。

「っ……!」

 目の前の現実に、しかし二人は何もできないでいた。

 妙な動きを見せれば、男はすかさずルキアを地面に叩きつけるだろう。

「ははははは! 何だその顔は! バケモノの分際で、たかが人間程度に飼いならされたか? うぬぼれるなよ、魔女。追う側と追われる側とはいえ、今までに表情一つ変えずに多くの優れた魔術師達の命を葬ってきたお前達が、今更何を思うというのだ!」


 男の言葉に、エリスは奥歯を噛み締めた。

 その言葉をエリスは否定しない。

 自分の両手は、すでに多くの血で濡れている。

 そんなことは分かっている。

 世界中の誰より、分かっている。

 ……けれど。

 それが本当に、自分の意思によるものだったのかと。

 もしも、そう問う誰かが目の前に現れたならば。

 本当はどうしたいと、そう聞いてくれる誰かが目の前にいてくれたら。


 ――バケモノと呼ばれた少女達は、どう答えだろうか……?


「…………」

 それはきっと、ありえないことだ。

 現実には絶対に、起こりえないことだ。

 分かっている。

 そんなことは分かっている。

 世界中の誰よりも、自分がバケモノであることも分かっている。

 ……でも。

 それでも……。

 アリスとエリスは、聞いた。

 あの、雷鳴鳴り響く冷たい雨の中で。

 薄汚れた埃臭い路地裏の入り口で。

 一人の、少年の声を。


 「――僕の友達になってほしい」


 そう言ってくれた少年は、どんな気持ちだったのだろう?

 きっと少年は、二人が魔女であることなんて何一つ知らなかったはずだ。

 もしかすると、そう叫んだ少年自身、自分で何を言っているのか分かっていなかったかもしれない。

 だとしても。

 そうだとしても。

 少年の声は……叫びにも似たその想いは、確かに届いていた。

 今まで耳にしてきたどんな音よりも、その言葉は響いていた。

 その言葉を。

 その想いを。

 決して、なかったことなんかにはできない。

 なかったことなんかには、したくない!

「…………手を……」

 ポツリと、エリスは呟く。

 わずかな声に、男の視線が戻る。

 その表情はどこか不機嫌な色に染まり始めていた。

 人質を盾に、圧倒的に有利な場を形成しているにもかかわらず、目の前の魔女からは敵意が剥き出しになっている。

 当然といえばそれまでの反応に、しかし男の神経は逆撫でられたような感覚を受ける。

「……何?」

 濁った声で男は聞き返す。

 対して、エリスは一言で言い切った。

 本当に、つまらなそうに。

 それでいて、確かなものを手に入れた者の顔で。


 「――人の大切な友達に、汚い手で触るんじゃないわよ。この三下」


 ブヅン、と。

 男の頭の中で何かが千切れるような音がした。

 反論するよりも早く、魔手が目にもとまらぬ速さで振り下ろされる。

 ゴドンと音を立て、地面に小さなクレーター状の凹みができる。

 ゴリゴリと音を立てるそれは、地面に激突してなお、魔手が地面をこすりつける音だ。

 剥き出しになった木の根がブチブチと音を立てて千切れていく。

 その様を見て、男は歪んだ笑みを浮かべた。

 確実に死んでいる。

 高さは五メートルほどしかなかったが、音速に等しい速度で無抵抗の人間をこうして叩きつければ、もはやその原型は留めていられないだろう。

 少なくとも首は絶対に折れたはずだ。

 そのためにわざわざ頭から叩きつけてやったのだから。

 運がよければ首も四肢もかろうじて体とつながってはいるだろうが、所詮それだけだ。

 糸の切れた操り人形のように、無様で薄汚れた肉の塊に成り果てていることには変わりない。

 だが、その程度では男は満足しないといわんばかりに、魔手に更なる力を込める。

 そのまま握り潰し、全身の骨を粉々に砕いてしまおうと思う。

 ……そう、思ったのだが。


「……な、に……?」

 感触がなかった。

 どれだけ握力を強めても、肉が軋む音も、骨が砕ける音も、何一つ返ってこない。

「ま、さか……」

 男は額に嫌な汗を浮かべながら、恐る恐る視線を戻す。

 その先に、魔女がいた。

 幼さを残す二人の魔女と、そしてもう一人。

 二人に抱かれるようにしている、一人の少年。

 それは間違いなく、数秒前まで魔手の中で捉えていたはずの人質の姿だった。

「あなたも魔術師の端くれなら、聞いたことがあるでしょう? 魔女の甘言に耳を貸してはいけないってね」

 ルキアを救うことは困難ではなかった。

 だがそれは、ルキアがどんな状態でもいいのならば、という前提の上の話だ。

 ルキアを無事に救うとなると、やはり難易度は上がる。

 だからエリスは、挑発的な言葉で男の注意を自分へと向けさせた。

 あとはその隙に、アリスが魔手の中のルキアを救い出したという、言葉にすればそれだけのことだ。

 本来ならこんなお粗末な方法が通じるわけがない。

 が、相手も認めたくはないが魔術師だ。

 それゆえに、相手の思考の裏のさらに裏まで読もうとする。

 だからこそ、表側のありきたりな方法が現実からもっとも遠ざかってしまうのだ。

 結果として、その方法はうまくいった。

 単純な怒りに身を任せてしまった結果、男はそれ以外のものが見えなくなっていた。

 思考の盲点。

 それが男の敗因だった。


「さぁ」

 エリスはわずかに歩を進める。

 懸念すべきものはもう何もない。

 あとはただ、目の前の邪魔者を消し去ってしまえばいい。

「は」

 しかし。

「はは……ははは……ははは!」

 今更狂ったように、男は笑い出した。

 エリスは無視して歩を進めた。

 この下卑た笑い声も些かイラついてきたところだ。

 さっさと殺してしまおうと、その手を前に出す。

「ご、ふ……っ?」

 口から血の塊が吐き出された。

 だがそれは、男のものではない。

「ゲホッ、が、あ……」

「エリスちゃん!」

 アリスは叫んでいた。

 エリスがわずかに振り返る。

 その、先に。

「……ルキ、ア……?」

 口から真っ赤な血を吐き出して、白い寝巻きを赤く染め上げているルキアの姿があった。

 エリスは慌てて駆け寄り、アリス同様にルキアの体に触れる。

 その体は、まるで氷のように冷たかった。

 体の表面の色は青ざめていて、まるで死人のようだった。

 それは病気でも怪我でもない。

 そんなものでは説明のつかない現象だった。

 すなわち、魔術。


「っ!」

 エリスは勢いよく振り返る。

「お前! ルキアに何をした!」

「ふ、ふふ……いいことを教えてやろう。私のナイフに塗った毒は、この魔手から摘出したものだ」

「な……」

 それはつまり、あの魔手そのものが毒の泉であったことに他ならない。

 よく見れば、ルキアの脇腹の辺りに何ヶ所か刺し傷のようなものがある。

 それはきっと、あのカギ爪が皮膚に食い込んだものだろう。

 そして、そこから毒が流れ込んだに違いない。

 しかもそれはただの毒ではない。

 対魔女用に用いられた毒物なのだ、普通のものであるはずがない。

「残念だが、この毒には解毒剤などというものは存在しないぞ。もとより魔女を殺すために作られた秘儀なのだからな。たかだか人間の体では、いつまでもつことやら」

 男は愉快そうに笑っていた。

「いいザマだ。バケモノの分際で慣れないことをするから、こういう目に遭うんだよ。分かったら、とっとと……」

 男は言いながら、その懐から一本のナイフを取り出した。

「死んでしまえ!」

 そして叫ぶと同時に、投げつける。

 エリスは苛立ちの目でそのナイフを見ていた。

 こんなもの、わざわざ避けるまでもない。

 手のひらを差し出し、念じるように力を込める。

 魔力の放出によって生み出された白い光の弾が、ナイフに正面から激突する。

 しかし。


「え……?」

 そんな、間の抜けたような声が聞こえた。

 エリスはそれが、自身で出した声かどうか分からなかった。

 目の前に、嘘みたいな光景があったからだ。

 確かに光の弾を直撃させたはずなのに、勢いを殺さずに真っ直ぐに飛来する一本のナイフ。

 そんなはずはない。

 と、そこまで考えたところで、エリスは気づいた。

 そのナイフの刃の部分は紫色ではなく、銀色のそれだということに。

 そう。

 放たれたのは、ただのナイフだった。

 毒を塗りこんだ魔術的なナイフではない。

 それゆえに、ただのナイフは光の弾の効果を受け付けなかった。

 光の弾はあらゆる魔術を相殺する効果を持つ。

 だが逆に、魔力が通っていないただの凶器に対しては、何の意味も成さないのだ。

 バカみたいにゆっくりな速度でナイフがやってくる。

 真っ直ぐに、エリスの心臓をめがけて。

 そして。


 ――銀のナイフが、静かに心臓を貫いた。


 少年、ルキアの心臓を。



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