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Astral  作者: やくも
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第五十六話:人質


 ルキアはふいに目を覚ました。

 部屋の中は真っ暗で、すでに夜の帳は落ちている。

 わずかばかり汗の珠を浮かべている額を拭い、ベッドの上で体を起こす。

 静寂が耳鳴りに様なものを覚えさせ、しだいに視界が晴れていく。

 どうしてこんな夜中に目が覚めたのか、その理由はルキア自身にもわからない。

 わからないが、どういうわけか胸の奥が苦しくなるような錯覚を感じた。

 そして、なぜか。

「……アリス、エリス……?」

 二人の少女の名前だけが、鮮明に頭の中に浮かび上がっていた。




 その男は不気味に笑っていた。

 夜の闇に紛れてなお、その黒い外套はうっすらと輪郭を浮かび上がらせている。

「ふ、ふふ……」

 一体何がおかしいのか、歪んだ男の口の端からはそんな声が漏れた。

「ようやく私にも運が向いてきたようだ。この千載一遇の好機、逃しはせんぞ」

 男が水平に手をかざすと、見えない糸に手繰り寄せられるようにして、男の手とは全く別物の漆黒の腕がグニャリとうごめいた。

 その巨大な手は大の大人の数倍ほどの大きさがあり、合計四本の指はそれぞれが獣のカギ爪を思わせるほどに鋭く研ぎ澄まされていた。

 何かを握りつぶしたであろうその手の中から、パラパラと音を立てて床板の残骸が落ちる。

 男の目の前の廊下の地面は、まるで隕石でも落下したかのような大穴になっていた。

 木材と土が混ぜ合わさり、まるで目の前で地雷か何かが爆発したかのようにも見える。

「とはいえ、さすがに」

 男はそう言い直して、改めて眼前を見る。

 わずかに立ち込めた粉塵の向こうから、無傷のままのアリスとエリスが顔をのぞかせた。

「……そう簡単には倒れてくれないか」

 言うと、男は再び魔手を水平に構える。

 本来なら今の一撃で肉片の一つも残さずに握りつぶしてしまいたかったが、そう思うようにはいかないようだ。

「……くだらない」

 と、エリスは男の目も見ずにあっさりと吐き捨てた。

「何がだ?」

 男は表情を崩さずに聞き返す。

「どうせお前も、私達魔女の血を求めてわざわざやってきたんでしょうけど」

 視線を泳がせ、エリスは続ける。

「そもそも、その発想が間違っているのよ。魔術師の端くれなら、どうしてそれに気づかないのかしら」


 かつて、魔術は世界中で最高のものとされていた。

 それまでの一般常識をあっさりと覆し、不可思議な現象をいくつも引き起こせた。

 不可能を可能にする可能性を秘めたもの。

 それが本来の魔術の持つ意味だった。

 そしてその考え方は、あながち間違いというわけではなかった。

 ただ一つの欠点を除いては。

「くだらなくなどはないさ」

 それを知っているからこそ、男は断言する。

「我々魔術師は、人を超えた場所に位置する高貴な存在だ。神に最も近づいた人間と言い換えてもいい。だが、結局はそれだけのことなのだよ。神に最も近づいたところで、その体が人間のものであることに変わりはないのだからな」

 そう。

 どれだけ膨大な量の知識を身につけ、多くの不可能を実現させたとしても。

 ただ一つ、人間としての死を乗り越えることだけはできなかったのだ。

 人間として生まれた以上、死はいつか必ず訪れるものだ。

 だが、いつからだろうか。

 人を超えた力を手にした魔術師達は、そんな当たり前のことに納得できなくなったのだ。

 どうして人を超えたはずの存在である我々が、人間ごときと同じ扱いを受けて等しく土に還らなくてはならないのか?

 そんな発想そのものが、神様とやらに対する冒涜に他ならないと知りながら、しかし求め続けた。

 やがて、それは。

 一つの結論へとたどり着く。


「私より、お前達がそのことを誰よりも理解しているはずではないのかな?」

 男はまるで、敬意を表すかのように高らかに告げる。

「そうだろう。魔術師達の叡智によって生み出された、生命の終わりを知らぬ最高の肉体よ。それを自らくだらないなどとは、おこがましいにもほどがあるとは思わないか?」

 それだけの力を持っているくせに。

 恐れるモノなど何もないというのに。

 たとえ国を一つ相手に戦争を起こしたって、無傷で生き延びると分かっているくせに。

 確かに、男の言っていることは間違いではない。

 事実、そのとおりだと思う。

 極端な話、世界中を敵に回したって無傷で殲滅する自信はある。

 だが、そうだとしても。

「……ふざけないで」

 低い声でエリスは言う。

「魔女の血? 最高の肉体? 世界の叡智? 何よ、それ……くだらない。本当にくだらない。私は……私達は、一度だってそんなものを欲しいと望んだ覚えはない! 全部、全部お前達のような魔術師を名乗る連中が勝手にやったことじゃない!」

「エリスちゃん……」

 叫ぶエリスを、アリスはただ静かに見守っていた。

「勝手なことばかり言うな! 結局お前達は、何かを犠牲にすることでしか別の何かを生み出すことができなかったんじゃない! どうして私達を作る必要があったの? もしも本当に、魔術師に不可能などないと断言できたのなら、自分達の肉体で試せばよかっただけの話じゃない! それさえも……自分の信念を信じ抜くことさえできなかったお前達が、人を超えた存在ですって? 選ばれた存在ですって? 笑わせないで! お前達は、ただ逃げ出しただけだ! 自分達の罪に、目を背けて逃げ出しただけだ!」

 わずかに息を荒げ、エリスは激昂するように叫んだ。

 その怒鳴り声が屋敷のあちこちにまでこだますることなど、もはや構いもせずに。


「愚かな」

 しかし男は、声色を変えずに告げる。

「では、その望んで得たわけでもない力で、お前達は今までどれだけの命を葬ってきたというのだ」

「……っ!」

 反論はできなかった。

 そんな数など、いちいち数えてなどいない。

 それは逆に言うのならば、数え切れないほどの命を奪ってきたということ。

 言い返せないアリスとエリスを眺め、男は満足そうに笑う。

「結局、お前達はそういうモノなのだよ。どれだけ被害者を装ったところで、お前達が奪う存在であることに何一つの変化もない。たとえその生が、望んだものであろうとそうでなかろうと」

 男はわずかに外套を揺らしながら続ける。

「お前達は決して、何かを与えられる存在にはなれはしない。お前達は我々魔術師から奪われるためだけに生まれたのだよ。結果として、今はお前達が奪う側に立ってしまってはいるがな」

「違う! 私達は、私達は……!」

 アリスの叫びも虚しく、そのあとに言葉が続かない。

「さぁ、くだらない議論はここまでだ」

 男の外套が揺れ、魔手がもぞりとうごめく。

「奪うことに疲れたというのなら、ここで私が終わらせてやる。貴様らの血を、一滴残らず奪い尽くしてな」

 闇が揺らぎ、四本の指が再び襲い掛かる。


 ガラスの砕ける音がした。

 夜の静寂を軽々と突き破って、殺し合いが始まった。

「さぁ、見せてみろ! 魔女の血の成せる業とやらを!」

 黒い外套に身を包んだ男が勢いよく跳躍する。

 その右手の指先が、まりで操り人形を操作するかのように繊細に、かつ最小限の動きで動く。

 四本のカギ爪のような指の魔手は、その命令に忠実に従って二人めがけて襲い掛かる。

 そこには意思と呼べるようなものは何もなく、ただ機械的に目標の破壊を遂行するだけのもの。

 それゆえに、一切の小細工は通用せず。

 受ける側としても、真正面から叩きのめすことが最善の策であることにエリスは気づく。

「飛ぶわよ、アリス」

「うん!」

 一度だけ確認すると、エリスはアリスの手を取ってわずかに助走した。

 そしてそのまま、すでに砕けてしまった窓ガラスに向って飛び込んだ。

 ここは二階で、地上までの距離はおよそ三メートル弱といったところか。

 普通に飛び降りても、打ち所がよほど悪くない限りは死んだりはしないだろう。

 二人は無事に地面へと着地すると、手入れの行き届いた芝生の上をすべるように移動する。

 風のない中庭に、ザァという音が響いた。

 屋敷の中で戦えば騒ぎが大きくなってしまう。

 いや、すでにあちこちでは騒ぎになっているだろう。

 その証拠に、屋敷のあちこちからポツリポツリと明かりが灯り始めていた。

 おそらくは物音に気が付いた使用人達が何事かと起き出したのだろう。


「理解できんな」

 と、背後からは男が一定の距離を保ったまま接近してきていた。

 その横には併走するように、あの魔手がいやというほどの存在感を見せ付けて浮かんでいる。

「なぜ場所を変える必要がある? 目撃者など片っ端から皆殺しにしてしまえば済むことだろう」

 言いながら男は右手を振るう。

 魔手が応え、その爪が二人を裂くように振り下ろされた。

 アリスとエリスは互いを押し飛ばす形でこれを回避する。

 空を切った爪が、コンクリートの地面を軽々と食い破って地面へと潜った。

 そのまま土砂や石の破片を握りこみ、それらを周囲に撒き散らす。

 目くらましと弾幕の両方を兼ね備えた攻撃だ。

「ふん」

 エリスはこれを、片手で振り払うだけで遮る。

 見えない空気の壁に跳ね返された弾幕は、そのまま男の元へ向けて倍の速度で向った。

 一見ランダムに見える軌道だが、無造作の中に魔力を込めた弾丸を複数用意して飛ばしてある。

 狙いはそれぞれ、顔面、両肩、心臓、両膝だ。

 顔面と心臓に至っては命中すればそれだけで死に至るし、肩と膝はそれぞれ手と足を封じることができる。

 どこに命中したとしても、次の瞬間にはボロ雑巾のように引き裂くことは決定だ。

 しかし。

「っ?」

 確かに命中したと思った次の瞬間、そこにいたはずの男の姿が忽然と消失していた。

 目標を見失った弾幕は周囲の闇に飲まれ、そのまま姿を消す。

「どこへ……」

 言いかけて、エリスは背後に妙な感覚を覚えた。

 次の瞬間。

「っ!」

 鋭い何かが頭上から振り下ろされた。

 その証拠に、エリスの髪の毛が数本宙を舞っていた。

 ナイフか剣か、どちらにしても殺しの道具には変わりない。


「気配が、消え……」

 全て言い終える前に、エリスは叫ぶ。

「アリス、後ろ!」

「っ!」

 言われて気が付いたのか、アリスは咄嗟に指先で空中に魔方陣を描く。

 対魔術用の防御結界だ。

 直後、ギィンという金属同士がぶつかり合うような音が炸裂した。

 アリスの頭上には直径八十センチほどの円形の魔方陣が白く光って描かれている。

 そこに接触しているのは、男の持つ禍々しいオーラをまとう短剣だ。

「チィ!」

 舌打ちし、男は短剣を引く。

 が、弾かれたその反動を逆に利用し、懐から新たに数本のナイフを取り出した。

 空中で三百六十度体をひねる、その勢いを利用し、それらのナイフを投げつける。

 アリスの展開した結界は上方向に向いているので、胴体の部分ががら空きだったのだ。

 その隙間を縫うように、紫色に変色した刃が飛来する。

 おそらく刃の部分には毒か何かが塗りこんであるのだろう。

 ただの刃物などでは、傷をつけることすらできはしないのだから。

 だが、それらのナイフはアリスの体に触れる前に撃ち落される。

 横合いから飛んできた光の弾が、ナイフを柄もろとも粉々に粉砕したからだ。

「アリス、平気?」

「うん、大丈夫!」

 エリスがアリスを庇うように前に立つと、地面に着地した男もわずかに距離を取る。


「なるほど。星座の力を利用した魔術の一つか。書物で読んだことはあるが、こうして見るのは初めてだな」

 冷静に分析する余裕があるということは、まだ余力を残しているということなのか。

 そんなことをいちいち確認するのも面倒だと言わんばかりに、エリスは天に向けて手を掲げる。

「いつまでもあなたのくだらないお遊びに付き合っている暇はないの。私達、こう見えて結構忙しいのよ」

「ほう? どうした、小旅行が趣味にでもなったか?」

「そんなところかしら。あなたにも特別にプレゼントしてあげるわ。行き先は地獄と決まっているけれどね」

 天に向けたエリスの手のひらに光が落ちる。

 それは無数の星の光。

 はるか頭上、空に散りばめられた星座から魔力を抽出して敵を攻撃する。

「集え、星の息吹。三日月を弓に、星光を矢に。射手座の名の下に、速やかに敵を射よ」

 天体さえ操る魔術。

 これが、人の身では成せない、魔女の力。

「……素晴らしい」

「褒めたって何も出ないわよ。そうね、出るとしたら」

 掲げた手をおろし、手のひらを標的の男へと向け、エリスは言う。

「あなたの死体くらいのものよ」

 光が収束する。

「貫け」

 光が爆発し、無数の矢へと変わる。


 「――スターダスト」


 光の速さで撃ち出される連撃。

 それは文字通り、不可避の攻撃。

 瞬きする間もなく、男の体は肉片すら残さず消え去る。

 ……はず、だった。

「確かに素晴らしいが」

 男は平然と、一秒前と変わらない声で言う。

「どうやら今夜は、私に運が向いているようだな」

 その一言と同時に、無数の光の矢が音もなく消え去った。

「な……?」

 攻撃を放ったエリス自身が戸惑いを隠せないでいた。

 おかしい。

 間違いなく魔術は発動したはずだ。

 それならば、目の前の男は灰になって消えてしまってなくてはいけない。

 ではなぜ、こうして口を利いていられるのか。

 この、夜の闇の中で。

 どうして、平然と……。


「……まさか……」

 エリスは天を仰ぎ見る。

「もう気づいたか。さすがだな」

 その様子に、男は満足そうに笑う。

 見上げた頭上。

 そこには、月も星もなかった。

 理由は単純だ。

 分厚い雲が頭上に広がり、月も星も何もかもを隠してしまったのだ。

 先ほどのエリスの魔術は、星の光を軸にした大規模なものだ。

 前提条件として、まず星の光が地上まで届いていなくては魔術そのものを発動することができない。

 つまり、今のように厚い雲が星の光を遮っていては、魔術そのものが発動しなくなってしまう。

「……確かに、悪運だけはあるようね。だけど」

 エリスは男へと視線を戻す。

「それがどうしたの? まさかこの程度で、私達を攻略した気分にでもなっているのかしら?」

「まさか」

 男は即答した。

「この程度でお前達を無力化できるのなら、百年前に決着はついているだろうさ。私はそこまで愚かではないよ。お前達と違ってな」

 言いながら、男は不気味に笑みを浮かべる。

「時間も十分に稼げた。そろそろ手の内を明かしていくとしようか」

 口からでまかせだと、エリスは決め付けた。

 そんなものがあるなら最初から出し惜しみなどはしないはずだ。

 嘘をつくにしてももう少しまともなものを用意してほしいものだ。


 と、そこまで考えたところで。

 エリスはふいに、嫌な予感がした。

 おかしい。

 何かがおかしい。

 ふと、木々の隙間から見える屋敷へと目が向く。

 真夜中だというのに、屋敷のあちこちには明かりがついていた。

 無理もないだろう。

 あれだけ大きな音がしたのだから、多くの人が起き出して当然だ。

 ……では。

 では、なぜ。

 騒ぎがあったというのに、誰一人として中庭までやってこないのだろうか?

「……っ!」

「気づいたか。気づいたところでもう遅いがな」

「あなた、まさか……」

「ああ、安心しろ。こんな夜中に騒がれても困るのでね」

 男は笑みを崩さず、どうでもいいように続ける。


 「――屋敷の人間は、一人残らず皆殺しにしておいた」


 背筋が凍った。

 皆殺し。

 当然、その言葉の中には。

 ある、一人の少年も含まれているに違いない。

「お前……!」

「と、言いたいところだが」

 怒りを露にしたエリスを前に、男は口を挟む。

「特別ゲストだ。きっとお前達も喜んでくれるだろう」

 その右手が宙を泳ぐ。

 今まで何処に姿を消していたのだろうか、闇に溶けるような魔手が再び姿を現す。

 そして。

 その、カギ爪のような四本の指の中に。

「あ……」

 白い寝巻き姿に身を包んだ、一人の少年の姿が。

「ル、キア…………」

「言っただろう?」

 男は言う。

「そろそろ手の内を明かそう、とな」

 その口の端が、愉快そうに歪んでいた。



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