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Astral  作者: やくも
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第五十三話:二人


 生と死について考えることほど馬鹿馬鹿しいことはなかった。

 それは、自分が望まれて生まれてきた存在ではないからなのか。

 それとも、死というものに対して抱く感情が皆無だったからなのか。

 どちらでもないのか、まぁ、どちらだとしても、だ。

 やはりそんなことは、実にくだらない。


 目に映るもの全てが目障りな時期があった。

 しかし、その目障りなものを壊すときの手応えはよりいっそうに耳障りな音を奏でた。

 肉が潰れ、神経が切り裂かれ、骨が砕ける音。

 そのどれもが不快感以外の何物も与えてくれることはなく。

 いつしか作業と化していたそれも、次第に無意味なことなのだと知った。

 しかし、無意味と知ってなお、壊すことを抑制することはできなかった。

 この世界に生まれた理由。

 生まれてしまったその理由を、ただ知りたかった。




「や、やめろ……来るな……バ、バケモノ!」

 すでに聞き飽きたセリフ。

 どいつもこいつも同じことしか喋れないのだろうか。

「…………」

 何かを反論するのももはや億劫で、面倒くさそうに……半ば投げやり気味に力を振るった。

 撫でるように手を振るう。

 たったそれだけで、この世のものとは思えない現象が簡単に目の前に実現する。

 髪の毛をすくような動きの指先は、しかし目の前にある空気の壁を根こそぎ引きちぎるかのように、ブチブチと声にならない悲鳴のようなものを上げた。

 五指のそれぞれが絶命に十二分な威力の真空の刃を生み出し、それはさながらに竜の爪痕の如く標的へと襲い掛かる。

「ひ」

 それは叫びか、それとも悲鳴か、はたまたそれ以外の何かなのか。

 別にそんなことには興味もないし、知りたいとも思わなかった。

 真っ赤な鮮血が噴水のように噴出する。

 そこらじゅうに鉄臭い匂いが充満して、わずかに吐き気を覚えた。

 手の中には確かに引き裂いた感覚だけがうっすらと残っている。

 すでに慣れた感覚だが、いつになっても心地よいとは思えなかった。

 数秒前まで人間だったそれに背を向けて、エリスは真っ赤に染まった石畳の上を歩く。

「終わったよ、アリス」

 少し歩くと、そこには噴水が置かれた広場があった。

 その端っこに、アリスは静かに鎮座していた。

「あ、エリスちゃん……」

 呼ばれたことに気づき、アリスは顔を上げる。

「そっちも、終わったみたいだね」

「……うん」


 頷いたのを確認して、エリスは噴水の周辺を見回す。

 敷地の広さはちょっとした公園ほどの大きさがあるだろうか。

 もちろん遊具のようなものは何もないが、中心にあるこの噴水から円形に広がる灰色の石畳の広場……だったはずだ。

 そこらじゅうの地面は、もはや元の石畳の色が何色だったかを忘れさせるほどに真っ赤に染まってしまっていた。

 転がっているのは死体の山。

 ほんの数秒前までは、確かにその場で呼吸していた人間達。

 本来なら今の時刻、ちょうど平日の昼下がりとも言うべき今頃は、わずかばかりの喧騒に包まれた変わらぬ日常が広がっているはずだっただろう。

 しかし今、二人の目の前に広がる光景はそれとはかけ離れすぎたものだった。

 景色は赤一色の惨劇の色。

 生い茂る木々の若々しい緑の色とは対照的で、辺りに漂うのは血と肉の生々しい、吐き気を覚えるような生臭さだけだ。

 噴水の水の色はいつから赤く染まったのだろうか。

 飛散した肉片がいくつも漂う薄紅色の液体は、どういう視覚から見ても美しいという言葉は不適切でしかなかった。

「……いつまで、続くのかなぁ……」

 ぽつりとアリスが呟いた。

「アリス……」

 その言葉が意味するところを、エリスはすぐに理解した。

「……ごめんね、アリス。あなたにこんな辛い思いをさせるつもりなんてなかったのに……」

 言いながらエリスは目を伏せ、俯く。

 真っ赤に染まった手のひらを力なく握り締め、悲しげな表情を浮かべた。

「そんな……エリスちゃんのせいじゃないよ。だって、悪いのは……悪いのは全部、あの人達のほうだもん」

「そう、だけど……でも、こうして実際にアリスは嫌な思いをしてしまっているじゃない」


 二人はまるで、鏡に映したかのようにそっくりな顔をしている。

 顔だけではない。

 背格好や体格、髪の色から瞳の色、その他何から何までが、まるで鏡の中からもう一人の自分を引きずり出したかのように瓜二つなのだ。

 唯一違いがあるとすれば、それは性格くらいだろうか。

 今でも二人はお揃いの白いワンピースを身にまとい、金色の髪はストレートに肩の辺りまで伸ばしていた。

 しかし、その純白だったワンピースも、今は返り血で鮮やか過ぎるほどの真紅に染まり返っていた。

 服だけでなく、顔のあちこちには返り血の斑点がラクガキのように付着しており、それが忌むべき存在のものだと思うと、皮膚の上からでも構わずに引きちぎってしまいたくなる。

「……ごめんね」

 言いながら、エリスはポケットの中から取り出した白いハンカチで、アリスの顔についた血の跡を拭き取っていく。

「エリスちゃん……」

「……きっと、これからもずっとこんなことばかりが続くと思う。けど、いつか必ず、私がアリスを幸せにしてみせる。この世界中の誰よりも、幸せにしてあげる。だから……」

 言いかけて止まった指先を、アリスはそっと触れる。

「……うん。ありがとう、エリスちゃん」

 そう言って、アリスはやわらかく微笑んだ。

 そしてエリスと同じようにポケットの中から白いハンカチを取り出すと、自分と同じ顔のエリスの顔に付いた血の跡を優しく拭う。

「私、この世界なんて大ッ嫌い」

「……アリス?」

「……私を生んだアイツラも、アイツラが呼吸するこの世界も、この世界が触れる何もかもが大ッ嫌い。でも、でもね?」

 血を拭う手を止め、アリスはエリスの顔を真っ直ぐに見つめて言う。


 「――エリスちゃんが一緒なら、それだけでいいの。こんな世界でも、エリスちゃんが一緒にいてくれるだけで、それだけで私は十分過ぎるほどに幸せなんだよ……?」


「アリス……」

 その言葉を受け、思わずエリスはアリスに抱きついた。

「わ……どうしたの、エリスちゃん?」

「……ううん、何でもない。何でもないよ、アリス」

 何でもないと言いながら、しかしその表情は先ほどまでとは打って変わって笑顔で満たされていた。

 真っ赤に血塗れてしまったお気に入りのワンピースも、辺りに漂う血と肉の匂いも、こうしていれば忘れられることができそうだった。

 お互いに華奢な体を、しかしエリスは少し痛いくらいに抱きしめる。

「エリスちゃん、恥ずかしいよ……」

「大丈夫よ。どうせ、もう誰も見ていないんだから」

 周囲に転がるのは、かつて人間だったもの。

 より正確に言えば、魔術師だったものの成れの果てだ。

 こんな血の色に汚れきった世界の中で、浮き彫りになったように佇む二人の少女。

 それは、遠目から見ればひどく絵になった風景かもしれない。

 例えそれが、どれだけ場違いなものだとしても、だ。

「……約束するよ、アリス」

「……え?」

「どれだけ時間がかかっても、いつか必ず、私がアリスを幸せにしてあげる。私達だけの、楽園を作ろう。きっと……」

「……うん。そのときは……そのときは、エリスちゃんも一緒だよ? そうじゃなきゃ、私、嫌だからね……?」

「何言ってるのよ。そんなの、当たり前じゃない。ずっと、ずっとずっと、ずーっと一緒だよ、私達」

「うん」

 互いの腕に包まれて、少女達は誓う。

 例えこの身に宿る力も命も、決して誰かに望まれて授かったものではないとしても。

 それでも。


 ――それでも、少女達は今、こうして互いの胸の鼓動を感じあうことができるのだから。


「……行こう、アリス」

「……うん」

「大丈夫。私がついてるから」

「大丈夫。私がついててあげるから」

 二人の言葉が同時に重なる。

 それを聞いて、思わず二人は小さく吹き出してしまった。

 自分達は普通の存在ではない。

 そんなことは分かりきっていた。

 けれど、改めて二人の少女は互いに思う。

 二人でよかった、と。

 一人ではないということは、こんなにも頼もしい、素晴らしいことなのだと、今更に気づかされた。

 もちろん、だからといって自分達を生み出したアイツラに感謝の気持ちなんてこれっぽっちもありはしない。

 それでも。

 もしも、こうして二人一緒に生まれてきたことが……一つの奇跡だというのならば。

 この世界を造ったカミサマというやつを、少しだけ見直してやってもいいかなと、そう思える気がした。




 楽園を目指そう。

 二人だけでいい。

 他に何も要らないから。

 永遠のようなときを、共に笑いあって過ごせるように。

 だから、そのためなら何だってできる。

 何にだってなれる。

 忌むべき存在でしかないこの身に宿った力さえも、いくらだって利用してやればいい。

 この先、これまで以上の多くの血を流すことになったとしても。

 もう、ためらったり、迷ったりすることはないだろう。

 無から生まれたその命。

 頼るものなど何一つなく、すがるものも何一つなく。

 生まれたその瞬間から、バケモノと、失敗作と蔑まされ。

 実際、その言葉を否定できないだけの強大な何かは確かにその身に宿っていて。

 今まで歩いた道を振り返れば、それらは間違いなく血まみれで。

 これから向う先も、やはり例外なく血まみれで。

 しかし、それでも。

 たった一つ、確かなモノ。

 私が私である理由。

 アナタがアナタである理由。

 手を伸ばせば、ほら。

 こんなに簡単に届くんだから。

 掴んだら、もう離しはしないよと。

 言葉にはせずに、ただ無言でその手を引いた。

 彼女は笑ってくれた。

 彼女はこの先も、笑ってくれるだろうか?

 ……いや、守るんだ。

 彼女の笑顔を。

 ずっと、ずっと……。

 だって、そうでしょう?

 この歪んだ運命の中で、それだけが私の往く先を照らしてくれるのだから。

 だから、往くよ。

 どれだけの時間をかけても、辿り着こう。

 いつか、この残酷な物語にもハッピーエンドがやってくると信じて。

 いるかどうかも分からない、カミサマとやらが作ったというこの世界が…………大ッ嫌いだから。


すでにお分かりの方も多いとは思いますが、今回の53話はアリスとエリスの過去の視点から始まる、いうなれば過去の回想のストーリーとなっています。

ここから何話分かは二人の過去の回想が物語の軸となりますので、いきなり話の展開が変わってしまったと思われる方もいるでしょうがご了承ください。

また、回想部分が終了する際は、その話のあとがきに次回から舞台が元に戻るという旨も書き置きしますので、そちらを参照なさってくれればと思います。


それでは今後ともよろしくお願いしたします。


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