第五十一話:問いかけ
世界のどこか、偉人か奇人か知らないが、どこかの誰かはこう言った。
――命の重さに違いはない。
人間も犬も猫も、牛も豚も、生態系こそ異なるものの、そのうちに一つの命を宿して生まれてくることは等しい、と。
単純に考えて、その言葉が正しいか否かという選択を迫られたのならば、それはきっと間違ってはいないのだろう。
そう、あくまでも間違ってはいない、のだ。
それが実際に正しいのかどうか、すなわち正義か悪かなどというような、極めて対極的な二択を迫られてしまった場合、答えは必ずしも一つにまとまるとは限らない。
が、どちらにせよ。
ここで言うところの命というものの定義は、少なくとも自然の摂理として扱われているものに過ぎない。
では、それ以外の場合はどうなるのか?
つまるところ、それが何らかの理由によって明らかに人為的な手段で造られた命だとしたら。
そこに、歪みや隔たりは生じないだろうか?
同じ命として、全ての存在がそれらを認められるだろうか?
……例えば。
そんな風に生まれた命が、本当は誰にも望まれていなかったものだとしたら。
それなのに、生まれてきてしまった命は信じがたいほどの圧倒的な力をまとっていたとしたら。
それらが、永遠に老いることなく、土に還ることもなく、ただただそこにあるだけで恐怖の対象としてしか扱われることがなかったら。
そのくせ、自分達がしでかした罪の重さをこれっぽっちも理解しようとせずに。
汚いものでも見るかのように吐き捨てた言葉が、生まれたばかりのそれらにどれだけの傷を背負わせてしまったのかさえも気づくことなく。
そう、彼らは……今は亡き魔術師達は口を揃えて言うのだ。
――失敗作か、と。
だから滅びた。
いや、滅ぼした。
生まれてまず、最初に行った行動は、泣くことでも喚くことでもなく、親の名前を覚えることでもなく、破壊だった。
壊して、壊して、壊して、壊して壊して壊して壊して壊して壊し尽くした。
握り潰した肉片の数などいちいち覚えていない。
砕いた骨も全部まとめて消し炭にしてやった。
絶叫と阿鼻叫喚が子守唄の代わりだった。
生まれてから五分と過ぎぬ間に、感情の殺し方を覚えていた。
それ以上に命の壊し方を覚えていた。
脆い。
あまりにも脆かった。
そっとこの手で撫でるだけで、命の灯は容易く消えていった。
まるで真夏の線香花火のようだったが、それを儚いという言葉で表現する気はさらさらなかった。
こんな歪んだ命の生みの親達が儚さを持っているなどと、考えただけで吐き気がして、その嫌気はすぐに怒りに変わって指先から容赦なく放たれた。
一つ、また一つと死体が増える。
それはもはやただの作業。
黙々と死体の山を重ね、目障りになる頃に焼き払う。
焼き払うことに飽きたらまた死体を積む。
そしてまた焼き払うの繰り返し。
繰り返すうちに、親と呼べる存在が根こそぎ消えた。
世界中のあらゆる場所から、だ。
自分達の足で歩いた記憶なんてなかった。
ただ、憎かった。
勝手に生んで勝手に失敗作、バケモノ呼ばわりしたアイツラが、ただ憎かった。
憎しみを殺意に変えることは容易で、殺意をぶつけることはそれ以上に容易だった。
全てが終わったあと、腐臭の漂う荒地の真ん中で立ち尽くす自分達は虚しさ以外の何物も持ち合わせることはなかった。
いつも二人は一緒だった。
双子なのかと聞かれれば、そうなのかもしれないしそうでないのかもしれない。
つまるところ、分からない。
確かめようにも、親と呼べる……呼びたくもない存在は、すでにこの世のどこにもいない。
二人の少女には名前がなかった。
名づけた親もいなかった。
名をつける前に死に絶えたのだから無理もない話だ。
だから少女達は、お互いに名前を付け合った。
いつの頃か、御伽噺を読んでいた。
その中に、アリスという名前の女の子がいた。
「この女の子、アナタにそっくりだね」
「え、どれどれ?」
手の中で開いた一冊の絵本。
二人の少女は腰掛けて眺める。
「ほら、そっくりじゃない?」
「そう言われても、自分じゃよく分からないよ。それに、私にそっくりなら、アナタにもそっくりってことでしょう?」
「あ、そうか」
言われてみればそのとおりだった。
二人はまるで鏡に映ったかのようにそっくりだった。
双子という言葉ではくくりきれないほど、その姿は酷似していた。
本当に、鏡の中からもう一人が抜け出してきたかのよう。
「だったら、名前も似たようなのにすればいいんじゃない?」
片方の少女が言う。
「似たようなのって、例えば?」
もう片方の少女が問う。
「うーんとね……この子がアリスなんだから……じゃあ、エリスっていうのはどう?」
「エリス、か……うん、なんか、いいかも」
片方の少女が微笑み、それを見たもう片方の少女も微笑んだ。
「それじゃあ、今からアナタがアリス。それで、私がエリス。どう?」
「うん、いいよ。アナタがアリスで、私がエリス」
繰り返すように言って、少女は互いに微笑んだ。
その笑みは、本当に無邪気で、穢れを知らない無垢な子供の笑顔と同じだった。
月日は流れ、世界も徐々に変わっていった。
けれど、そんな中で、二人だけが変わらない。
老いることもなく、土に還ることもなく、永遠の時の中を彷徨うように過ごしていく。
それを永いとか、退屈だとかは思わなかった。
けれど、口には出さずとも、二人はいつしか感じていた。
私達は、普通じゃないんだと。
同じ赤い血が流れている体。
ケガをすれば痛いし、夜風に吹かれれば寒さを覚える。
楽しいときは笑い、悲しいときは涙を流す。
なのに、それなのに……。
一つとして、同じ存在はなかった。
ただ一人、鏡写しの自分を除いて。
どうして?
何で、同じじゃないの?
この春は生まれてから何度目の春だった?
覚えていない。
この夏は生まれてから何度目の夏だった?
覚えていない。
次の秋は?
その秋の次の冬は?
分からない。
分からない、何一つとして。
気が遠くなるほどの記憶を掘り起こす。
けれど、原点はいつも赤い風景だ。
悲鳴なのか何なのか分からないノイズ混じりの声。
古くなってしまったラジオのよう。
おかしい。
私達は確かに此処にいるのに、私達は世界の何処にもいない。
狂っているのはどっち?
世界の歯車?
それとも……?
答えは最初から分かっていた。
ただそれを、認めたくなかっただけ。
だから、決めた。
「私達だけの、居場所を造ろう」
他に何もいらないから。
「私、お花畑が作りたいの。すっごく広い庭に、いっぱい花が咲き並んでるの」
他に何を求めればいいか知らないから。
「うん。大きくて、広いのを造ろう。私達だけの、秘密の場所を」
「でも、そんな場所、あるのかなぁ?」
「大丈夫よ」
そんな疑問も、すぐに消し飛ぶ。
実に簡単な問題だった。
「――全部消しちゃえば、何の問題もないわ」
さらりと言って、無邪気に笑った。
意識を失っていたのはどれくらいの時間だっただろうか。
「……ん」
浅い眠りの中から引きずり出されるように、彼方は目を覚ました。
視界がぼんやりと明るくなっていく。
鼻先を掠めるのは、仄かに甘い果物の香りのようだった。
やがて、視界が開ける。
「……ここ、は……?」
どういうわけか、彼方は真っ白な椅子に座ったまま寝かされていた。
目の前には同じく真っ白な色の円形のテーブルが置かれており、誰も座っていない空席の椅子が二つほど並べられている。
テーブルの上にはカップとポットが置かれており、これらも示し合わせたかのような純白の色をしていた。
カップの中には赤みを帯びた透明の液体が注がれており、まだわずかに湯気が漂っている。
ハーブティーか何かだろうか、控えめな甘さを感じさせる匂いが鼻腔をくすぐっていた。
匂いの正体はどうやらこれのようだ。
「俺は、一体……どうなったんだ? あの双子は、それに、泉水は……?」
記憶の糸を手繰って彼方は立ち上がる。
が、今の今まで眠っていたせいか、足元がおぼつかずにもつれて転びそうになってしまう。
すんでのところで、椅子の背もたれによりかかるようにして地面を踏み直す。
目の前の景色ははっきりとしてきたが、頭の奥のほうには眠気がわずかに残っているようだ。
軽く頭を左右に振り、彼方は辺りを見回す。
場所は先ほどまでと同じ、あの花園のようだった。
辺り一面には赤白黄色の三色のバラが咲き誇り、まるで迷路のように庭を埋め尽くしている。
時折ザァと音を立てて吹く風は春先の暖かいものとよく似ており、それだけで不思議と心地よさを覚えてしまいそうになる。
そんな中で彼方は周囲を見回したが、目に見える景色の中にはあの双子の少女と泉水の姿を見つけることはできなかった。
一体何がどうなっているのだろうか。
意識を失っていた時間はどれほどのものだったのか。
まさかあの泉水がむざむざとやられるとは思えないが、こんな状況では楽観はできそうにもない。
自分と同じように、どこか他の場所でのほほんと眠りこけているというならまだしも、仮にもここは敵地のど真ん中なのだ。
いきなり後ろからナイフで刺されても文句は言えない。
とはいえ、彼方がこうして無傷で無事であることにも何らかの理由があるのだろう。
それを期待するわけではないが、この分なら泉水も無事である可能性は十分あるだろう。
と、とりあえず希望的に結論をつけ、彼方はその場から動き出す。
手入れの行き届いた庭の迷路を、順路に沿って歩いていく。
ところどころが無駄に入り組んでいるようではあるが、基本的に道は一本道のようだった。
しばらく歩くと迷路の出口が見え、開けた場所に出た。
と、そこには。
「あら、お目覚めかしら?」
「あー、ネボスケさんだ」
あまりにも軽く、そして自然な口調でそう告げる、アリスとエリスの姿があった。
が、驚いたのはそれだけではない。
アリスとエリスのすぐ傍らに、泉水までもが当たり前のように佇んでいたからだ。
「……お、おい、何がどうなって」
言いながら彼方は三人の下に歩み寄る。
エリスは傍らに聳え立つ大きな木の幹に背を預けるようにして膝を折り、何かの本を読んでいた。
アリスはそこらじゅうに咲き誇る様々な花を眺めながら、その香りを楽しんでいるようだった。
そして泉水はどういうわけか、先ほどまでの彼方と同様に真っ白な椅子に腰掛け、おそらくはアリスかエリスが淹れたであろう紅茶を口に運びながら、何とも言えない表情でその二人の様子を伺っている。
何なんだ、この構図は。
彼方は頭の中がゴチャゴチャになりそうだった。
面と向って宣戦布告されたにもかかわらず、どうして自分達はこんな、午後のお茶会のような景色の中に溶け込んでいるのだろうか?
彼方はしばらく言葉が見つからずに立ちっぱなしでいた。
が、そんな彼方に対しても、エリスは実に気軽に口を開く。
「いつまでもそんなところに突っ立っていないで、そっちに腰掛けたらどう? せっかく人数分の椅子も用意してあるんだから」
「…………」
促された先には、確かにあと三人分の真っ白な椅子が並んでいた。
しかしこの状況は一体どうしたものなのかと彼方が悩んでいると、泉水と目が合った。
泉水は口には出さずに視線だけで椅子に腰掛けるように促した。
ということは、少なくとも今この瞬間だけは戦う理由はないということだ。
不承不承な感じは捨て切れないが、彼方はそれに従って椅子に腰掛ける。
すると、いつの間に読んでいた本を閉じて立ち上がったのか、真横にエリスの姿があった。
エリスは無言でティーポットを手に取ると、彼方の前に置かれていた空のカップの中にコポコポとポットの中の液体を注いでいく。
「安心して。別に毒なんて入ってないから」
カップの八分目ほどまで液体を注いだところで、エリスはポットをテーブルの中央へと戻す。
「アリス、あなたもこっちにきて座りなさいよ」
「あ、うん」
言われ、アリスも立ち上がってこちらへとやってくる。
そのまま四人は円形のテーブルを囲むようにして座った。
「…………」
「…………」
当然のように彼方と泉水は無言のままだ。
というより、このワケの分からない状況でどんな言葉を吐き出せばいいのか教えてほしいくらいだった。
一方、アリスとエリスはさも平然のように紅茶を口に含み、これまたどこから用意したのか分からないが付け合せのクッキーにも手を伸ばしている。
彼方は真向かいに座る泉水に視線だけで問う。
何なんだこの状況は、と。
対して、泉水の答えは黙殺。
分かるわけがないだろうと、暗に示している様子だった。
「さて、と」
と、そんな中でエリスが唐突に口を開いた。
彼方と泉水の視線がそちらに泳ぐが、アリスだけは対して興味がなさそうにクッキーを頬張り続けている。
「役者も揃ったことだし、そろそろ始めようと思うのだけれど?」
それは問いかけでこそあったものの、彼方には質問の内容が理解できない。
「……伺いましょうか」
としかし、泉水はさも当然のようにそう返した。
「……おい、何の話だ? 俺がいない間に、何がどうなってる?」
彼方は聞くが、泉水からの答えはない。
代わりにエリスが、声のトーンはそのままに続ける。
簡単な質問だった。
しかし……。
「――あなた達は、どちらの味方なのかしら?」
その言葉が意味するところは、何よりも深く、遠い。
長く間が開いてしまって申し訳ありませんでした。
HDDが大破し、ついでにPC本体もガタがきていたので一から組み直したり、あとは色々とリアルの都合で更新する暇がありませんでした。
不定期ではありますが、できるだけ間を置かずに今後も更新していければとは思います。
色々とご迷惑をおかけしました。