第五話:夜へ
「…………で?」
「……いや、だから」
「…………」
一体これ以上、どういう説明をしろというのだろうか。
テトラに説明してもらうのが一番分かりやすく、なおかつ手っ取り早いのだが、明らかに西花を警戒している今の様子ではそれも期待できそうにない。
だからといって、彼方にできる説明としてはせいぜいこのくらいのものだろう。
「だから、俺はその魔術師の血を引いている人間らしいんだよ」
「うん。それはさっき聞いた」
「じゃあ何だよ……」
「私が聞きたいのは、その先。彼方が魔術師の血を引いている。だからどうなの?」
「いや、どうと言われても……」
どうなのだろうと、彼方も思う。
別に自分が自分じゃなくなるというわけでもないし、今のところは体にそれらしい変化も見られない。
当然、魔法らしいものも何一つ使えるわけもなく、それどころか使い方すら分からないくらいだ。
「……なぁ、テトラ」
「…………」
どうやらテトラはすっかり機嫌を悪くしてしまったようで、不貞寝したままベッドの上から動こうとしない。
「どうしろってんだよ……」
彼方は頭を掻く。
「とりあえずさ、彼方は魔術師なんでしょ?」
「まぁ、そうらしいんだけど」
「じゃあさ、魔法の一つでも使って見せてよ」
「そりゃ無理だ」
「何でよ?」
「使い方が分からん」
「…………」
「…………」
黙られても困るが、本当のことなので仕方ない。
「……はぁ」
「何だその溜め息は。何かスゲェ見下された気分になるんだが」
「当たり前でしょ? 魔法の使えない魔術師なんて聞いたことないわよ」
そんなもの、もちろん彼方だって聞いたことがない。
だが、こうしてここにいるんだからどうしようもない。
責められるのは明らかに筋違いなのに、彼方はどことなく悲しくなってくる。
「……フン」
と、ようやくテトラがベッドの上で起き上がって鼻を鳴らした。
「何も知らずに偉そうな口ばかり叩くな。魔法を使えない魔術師など魔術師ではないだと? 笑わせるな。お前は根本的に勘違いをしているのだ」
「む、何よ銀デコ」
「その呼び方はやめろ! いつまで犬扱いするつもりだ!」
「どうどう、二人とも落ち着け……」
厳密には二人ではなく一人と一匹だが、一匹なんて扱いをしたらまた怒鳴られそうなのでやめておく。
「じゃあ、どう違うのよ? 私達の見解と、アンタの見解っていうのは」
「違うも違う、大違いだ。お前は魔法を使える存在が魔術師だと思っているようだが、そもそもその時点で的外れなのだ」
「え? 違うのか?」
「……彼方よ、お前もそう思っていたのか?」
「いや、まぁ……」
「……まぁいい。とにかく、そう思っているとすればそれは大きな間違いだ。魔術師というのは、この時代で言うところの職業に近いものがあるが、少し違う。魔術師とは言わば、その人間が持つ一種の才能のことを示すものだ」
「才能?」
「つまり、生まれつき足が速いとか、難しい計算があっという間に理解できるとか、クレープを二秒で平らげることができるとか?」
「……最後の一つが意味不明だが、まぁそんなものだ。要約すれば、魔法を理解し、行使することができる才能を持つ人間の総称が魔術師ということだ」
「でも、それってつまるところは魔術師は魔法を使えるってことじゃないの?」
「話は最後まで聞け」
一呼吸置いて、テトラは続ける。
「魔法を理解することと、それを行使することは実は全くの別物だ。頭では分かっていても実行できない。そういう経験はないか?」
「あ、あるある」
「確かに、そういうのはよくあるかもな」
「それと同じだ。魔法を知識として理解することはできても、その真意を掴むことができなければ魔法は実際には発動しない。これは訓練などによって補えるものではない。補うことができたら、それはその時点ですでに才能ではなくなってしまうのだからな」
「……言ってることは何となく分かるんだけどな」
「うん。今ひとつピンとこないんだよね」
理解はできるが、納得ができないと言えばいいだろうか。
「ふむ。では例え話をしてやろう。西花と言ったな、お前」
「え? うん」
「いいか。これからお前に魔法の使い方を教えてやる」
「…………はい?」
「そ、それってもしかして、私も魔術師の血を引いてるってこと?」
しかしそれには答えず、テトレは話を続ける。
「あいにく、私の守護属性が火に属するものなのでな。私は炎系統の魔法しか使うことはできないが……」
言い終えるか否かというところで、テトラの目の前に小さな火の珠がぼんやりと浮かび上がった。
「わ、何これ?」
西花が恐る恐る手をかざす。
「……熱い。これ、本物なの?」
「当たり前だ。迂闊に触れるな、これは人間の世界の炎とは別物だ。直に触れれば骨まで焼き尽くすぞ」
「バ……そんな物騒なモンをホイホイと出すなよ!」
「心配は無用だ、ちゃんと加減してある」
触れたら骨も残らないような物騒なものに、加減もクソもあるのだろうか?
「あ、消えちゃった……」
テトラが軽く息を吹きかけると、炎は瞬く間に消えていく。
「では本題だ。今からお前に炎の出し方を口頭で教える。実際にやってみろ」
「う、うん。よく分からないけどやってみる……」
「……大丈夫なのか?」
「まず、体の力を抜け。自然体になるのだ」
言われたように、西花は座ったまま肩を下ろしてリラックスした感じになる。
「次に目を閉じて、イメージしろ。体の中を巡る血液になったつもりになれ」
「…………」
西花が目を閉じる。
返事はしなかったが、恐らくそれらしいイメージをし始めているのだろう。
「その血液の流れの中に、他とは違うものを感じるはずだ。不純物と言い換えてもいい。その不純物だけを掬い取って、手のひらに集めるのだ。ある程度集まったら、今度はそれを体の内側から外側に押し出すイメージだ。一気にやろうとするな、少しずつ押し上げる感じでやってみろ」
「…………」
西花は無造作に左手を前に出す。
ダランと力なく垂れる腕、そして開く指先。
その手のひらの中心に、内側に集めたものを押し出していく。
「……っ?」
ふと、一瞬だけ西花が呻いた。
「おい、どうした?」
「……何か、よく分かんないけど……手のひらが熱い気がして……」
彼方は西花の手を見てみるが、別段これといった変化は見られない。
「熱っ、何これ……火傷してるみたいな……」
「……よし、そこまでだ。目を開けていいぞ」
テトラの声で西花は目を開ける。
「……あ、あれ……?」
まじまじと自分の手のひらを凝視し、何かを確かめる西花。
「どうだ?」
「……もう、何ともない。すっごい熱かったのに……」
「分かったか? そういうことだ」
どういうことだ?
「今私は、言葉でお前に魔法の使い方を説いた。そしてお前は、その言葉の持つ意味だけはすぐに理解できたはずだ。だが、実際には魔法は発動しなかった。それはお前が魔法を知識で理解しただけ過ぎず、真意を理解していないからだ」
「で、でも、本当に手が熱くなってたんだよ?」
「それが魔法の効果の一部だ。言っただろう、お前は魔法を知識の上では理解したのだ。その理解に反応して、それらしい現象が起こったまでに過ぎない」
「自己暗示、ってやつか?」
「その通りだ。理解してくれて嬉しいぞ、彼方」
「つまり、思い込みだったってこと?」
「そうだ。お前は私の話を聞き、間接的に魔法の意味を理解させられた。それによってお前の体は、一時的に魔術師に極めて近い状態になったのだ。魔術師の最大の武器を知っているか? それは優れた魔法でも膨大な知識の量でもない。それは言葉そのものに他ならない」
「言葉そのもの、か……」
魔女の甘言に勝る毒はない。
彼方はそんな言葉をどこかで耳にした記憶があった。
「これで理解したか? 魔法を使えるから魔術師なのではない。魔法の真意を理解できるのが魔術師なのだ」
「……でも、結局のところ魔法は魔術師にしか仕えないってのは同じなんじゃない?」
「そんなことはない。現に、私は魔術師ではないだろう」
「じゃあ、さっきの火を出したりしたのは何なの?」
「あれは魔力を消費して具現化させたものだが、魔法とは異なるものだ。外見はほとんど相違ないものだが、その質は魔法には劣る」
「そうなんだ。私達の中じゃ、その魔力ってのを消費して使うものが魔法っていうイメージだったから」
「ま、大抵のマンガやゲームの世界はそういう設定だもんな」
「真実とは常に想像と異なるものだ。人間がそういうイメージを持っても無理はないだろう。あながち的外れというわけでもないしな」
言って、テトラは再びベッドの上に横になる。
「こんなところだろう。他に何か質問は?」
「結局、俺はこれから何かすればいいのか?」
「……そのことについては追々話そう」
一瞬だけテトラが目配せし、彼方はその意図を汲み取った。
西花がいる場で話すことではないと、そう判断してのことだろう。
何だかんだで根は優しいのかもしれない。
「はいはい、私も質問」
「……何だ?」
心底嫌そうな顔でテトラは聞き返した。
「結局、銀デコは犬なの? そうじゃないの?」
「その呼び方はやめろと言っただろう! そして私は犬ではない、ケルベロスだ!」
「まぁ、細かいことは置いといて」
「細かくない! 私にとっては死活問題にも等しいのだぞ!」
「わ、分かったわよ。それじゃあ何て呼べばいいの?」
「……普通に名前で構わん。彼方の友人ということだしな、それくらいは許可してやろう」
「じゃあ、銀デコ」
「テトラだ! お前わざとやっていないか? 本気で焼き尽くすぞ!」
「……賑やかだな、お前ら」
「彼方よ、黙ってないでお前からも言ってくれ! 自分の使い魔が銀デコ呼ばわりされているのだぞ?」
何かこう、テトラは別の意味で必死だった。
明らかに西花のようなタイプの人間が苦手なのだろう。
テトラが犬なら、まさしく犬猿の仲というやつだろうか。
そうなると西花は猿になるわけだが……。
「……言いえて妙、だな」
「何? 何か言った?」
「いや、何でもない」
口にしたら犬と猿にメチャクチャにされそうなので、彼方は黙っておく。
時間が過ぎ、間もなく十一時になろうとしている。
見たいテレビ番組も見終わり、ちょうど彼方は風呂から上がったところだった。
タオルで頭を拭きながら階段を上り、自室に戻ってくる。
「ふぅ、サッパリした」
「む、入浴か?」
「ああ……って、そういえばテトラはどうするんだ? 何だったら洗ってやるけど?」
「む……どうしたものか。特にそういうことに頓着はなかったが……」
「風呂は嫌いとかってことはないのか?」
「そういうことはない。体を清めるのは重要なことだ」
西花がこの場にいたら、風呂好きな犬なんて珍しいとはやし立てていたことだろう。
「んじゃ、俺が洗ってやるよ」
「いや、しかし……彼方の祖父のこともあるだろう。目立つ行動は控えるべきかもしれん」
「大丈夫だよ。ジーちゃんはいつも俺より先に寝ちまうから。今だって、もう寝てるくらいだ」
「……そう、か。では、すまないが甘えさせてもらうとしよう」
そんなわけで、彼方とテトラは風呂場に向かう。
できるだけ足音を殺しながら廊下を歩き、脱衣場に入る。
彼方はジャージの袖と裾を短くし、先に浴室へ入った。
「ほら、こっち来いよ」
「…………」
テトラは周囲をキョロキョロと見回しながら中へ入る。
彼方の家は日本家屋なので、浴槽なども全部木造である。
もしかしたら、テトラにとってこういう光景は珍しいものなのかもしれない。
「どうかしたか?」
それとなく彼方は聞いてみる。
「いや……初めて見る光景なのでな。少々呆気に取られていた」
「まぁ、確かに今の時代じゃウチみたいな古風な家は少ないからな。物珍しいのも無理はないけど」
「だが、これはこれでどこか安心できる。ひどく心が落ち着いていくようだ」
テトラは木造の浴室内を見回し、どこか安堵の表情を見せた。
「……んじゃ、まず体を流すか。ここに座れよ」
「うむ……」
彼方は浴槽から桶でお湯を汲み、それを少しずつテトラの背中にかけた。
「どうだ? 熱くないか?」
「いや、大丈夫だ。むしろ心地よい」
「そうか。ならよかった」
何度かお湯で体を流してから、彼方はスポンジにボディーソープを染み込ませ、十分泡立ったところでテトラの背中を洗っていく。
真っ赤な焔のような毛並みが、見る見るうちに白い泡で染まっていく。
「…………」
ふと見ると、テトラはずいぶん気持ちよさそうに目を伏せていた。
そういえば千二百年くらい生きているとか、そんな話を聞いたようなことを彼方は思い出す。
それだけ生きていれば疲れが溜まるはずだろう。
いや、むしろ想像もつかないほどだ。
長生きの一言で済ませるには、あまりにも気が遠くなる年月である。
「首の周り、洗うぞ」
「うむ……」
体格からすれば、テトラも普通の動物に換算してもまだ若い方だろう。
犬の二ヶ月が人間の一年に相当すると聞いたことがある。
千二百年に換算すると……二百歳ということだろうか。
いつの間にか犬扱いしているわけだが。
「…………」
「……テトラ?」
「…………」
静かだったので声をかけてみるが、返事はない。
そっと覗き込んでみると、テトラは目を閉じて浅い眠りの中にいた。
今更になって思うが、テトラはちゃんと睡眠を取っているのだろうか?
昨夜はロザリオの中にいたようなので分からないが……。
ふと、彼方は思う。
窓は昨日から割れたままだった。
ナキガラはあの一匹だけではないだろう。
もしかしたらテトラは、ロザリオの中だったとはいえ寝ずの番で夜を過ごしていたのかもしれない。
それも全ては、マスターである自分を守るために。
「…………」
「…………」
何も聞かないから、何も答えない。
それでいいのかもしれない。
彼方は銀色の額の部分もしっかり洗うと、再び浴槽の湯を桶に汲んでテトラの体を流した。
「……む?」
と、どうやらテトラが目を覚ましたようだった。
「どうした?」
「ああ、いや……何でもない」
眠っていたことを悟られていないと思っているのだろう。
生真面目なヤツだなぁと、彼方は言葉に出さずに小さく笑った。
「む、どうかしたのか?」
「いや、何でもないよ」
「ふむ?」
しっかりと泡を洗い流し、彼方とテトラは浴室を出る。
「ふぅ……」
「どうだった?」
「……正直、久しぶりに体を清めてもらった。極楽とはまさにこのことだな。彼方よ、礼を言う」
「いいって、このくらい。毎日だって洗ってやるよ」
「喜ばしい言葉だ」
と、ふと思い当たる。
またテトラを犬扱いするのはあれなのだが……風呂上りの動物達がよくやるアレ。
体を振って水を飛ばすあの行動が思い浮かぶのだが、テトラもそうなのだろうか?
「テトラ、体乾かそうか?」
一応ドライヤーもあるので、時間はかかるが乾かすことはできる。
「いや、私には不要だ」
ああ、やっぱりブルブルっとやるのだろうか?
と思ったが、どうやら違うようだ。
テトラの体が徐々に熱を帯びていく。
真っ赤な体毛が一際赤く燃え上がり、まるで炎のように見えた。
その変化はすぐに終わるが、効果は明らかだった。
「もう乾いてる……」
「体毛周りの温度を上げ、水分を飛ばしたのだ。私の守護属性は火だからな。この程度は造作もない」
その守護属性というのは詳しくは分からないが、火なら水は嫌うのではないのだろうか?
しかし、今思いっきり体洗ってたし……。
まぁ、そんなに深く考えることでもないだろう。
「どうかしたか?」
「いや、何でもない」
タオルを戻し、脱衣場を出た。
足音を殺しながら自室に戻る。
「よし。それじゃそろそろ寝るとするかな」
「一日お疲れであった。良き夢を」
「あー、そうだ」
「む?」
「テトラもさ、ちゃんと休んでおけよ?」
「っ?」
「ほら、今はもう窓も直ってるしさ。多少安全にはなってるから」
「…………」
「使い魔って言っても、他の動物と同じなんだからさ。あんま無理しないでくれよな」
「……了解した。心遣いはありがたく受け取っておこう」
「ああ、そうしてくれると助かる」
彼方は布団に潜る。
だが、そこに。
「…………」
「…………」
「……あの、テトラさん?」
「何だ?」
ベッドの上の一角に、テトラが寝転がっていた。
「彼方の言うように、休息も大切だ。だから私もしっかりと休ませてもらうことにしたのだが」
「……いや、それはいいんだが……こっちじゃないの?」
彼方はロザリオを指差す。
「こっちのほうが寝心地がよいぞ」
「……ああ、うん。分かった」
ロザリオの中にも寝心地があるのだろうか、とは考えないほうがいいのだろう。
そうだ、きっとそうに違いない。
「んじゃ、落ちないように気をつけろよ?」
「うむ。注意しよう」
「おやすみ」
「うむ」
そして一人と一匹は、静かに眠りの中に落ちていった。
……はずだった。
ふいにテトラが何かに反応したようにその体を起こした。
「な、何だ? どうかしたのか?」
「…………」
暗い部屋の中に、うっすらとテトラの横顔の輪郭が浮かび上がる。
窓越しの月明かりがうっすらと、その真っ赤な瞳を浮かび上がらせている。
その表情はどこか険しい雰囲気のものだった。
言葉をかけることがためらわれる。
「……なぁ、テトラ?」
そっと声を投げると、テトラは静かに彼方を振り返り、そのままの険しい眼差しで言った。
「どうやら、まだ眠るわけにはいかぬようだ」
「え?」
「――ナキガラだ。それも、複数いる」
そして、一人と一匹は夜を往く。
静まり返った夜を切り裂いて。