表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Astral  作者: やくも
48/59

第四十八話:アリスとエリス

「何で……何で、こんなことに……っ!」

 藍瀬は暗い道の上を走っていた。

 真昼だというのに、数十センチ先の景色さえまともに見ることはできないほどの深い深い暗闇が行く手を阻んでいる。

 ズシリと重量感のある暗闇は、風を切って走るたびに衣服を突き抜けて直接肌にまとわり付いてくるような、ヌルリとした気持ちの悪い感触を全身に伝えてくる。

 まだそれほどの距離を走っていないにもかかわらず、すでに息は上がっていた。

 まるでこの黒い霧のような得体の知れないものに、体中の生気を吸い取られているかのようだった。

 それでも藍瀬は走る足を止めない。

 いや、止めるわけにはいかない。

 立ち止まればもう逃げられない。

 そんなとこまで足を踏み入れてしまったと気づいたのは、今更になってからのことだった。

 ……甘かった。

 と、つくづく藍瀬は思い、そのたびに自分の行動の迂闊さを呪った。

 希望的観測だったのかもしれない。

 もしかしたら、協会側にいながらまだ何も知らされていない、自分と同じ立場の人が大勢いるのではないだろうか。

 そう考えたとき、ふと頭に違和感がよぎっていたのだ。

 だが、そのときはその違和感の正体が何なのか分からなかった。

 そして気づかされた今。

 自分はほとほと甘かった。

 こんな現状で、そんな風に生易しい憶測を思い描いていた自分が情けなくなる。


「藍瀬、もうすぐ出口よ!」

 傍らを走るレイヤが叫ぶように言う。

 長い長い、深い深い暗闇の向こう。

 わずかに外の光が差し込んでいるのが見えた。

 ここは聖堂の中だ。

 本来なら日中、誰にでも手続きなど必要なく一般の道路と同じような扱いで開放されているはずの場所だが、どういうわけか今日に限って扉は締め切られ、明かり一つ付いていない状態だった。

 普段から見慣れているはずの場所が、光を失っただけでガラリと姿を変えたように感じる。

 不安と恐怖の塊を、そのまま箱の中に無理やり押し込めているかのようだった。

 その暗闇の中を、一筋の光目指して駆け抜ける。

 その足取りは速く、そしてそれ以上に重い。

 後を追う足音は一つもないのに、かえってそれが恐怖と焦りを募らせた。

 そして藍瀬は光の中へ駆け込む。

 視界が一瞬だけ白一色に包まれ、わずかに目をしかめて…………。


 ――目を開いた先に、見覚えのある景色が広がっていた。


「お帰りなさい、久遠藍瀬」

 その親しささえ感じさせるような声色に、藍瀬は立ち止まる。

 そして同時に覚える。

 背筋が凍りつくような寒気と、心臓が止まってしまうかのような恐怖を。

「……そん、な……どうして、私は、確かに…………」

 ありえないと、藍瀬は内心で繰り返していた。

 そんな藍瀬とは対照的に、そこに立つ少女……厳密に言えば二人の少女はにこやかな笑みを浮かべて話す。

「いきなり走り出すんだもの。どうしたのかと思ったわ」

 殺気も邪気も何もない声。

 それが逆に藍瀬の心臓を鷲掴みにしたように圧迫する。

 鼓動が早まり、嫌な汗が流れる。

 乱れた呼吸が整わず、手も足もいつの間にか勝手に震えだしていた。

「でも、私には走り出したというよりは逃げ出したように見えたんだけど?」

 と、もう一つの声が言う。

「そんなこと言わないの、エリス。誰だって、意味もなくそういう行動をとってしまうときはあるものよ。あなたにだってあるでしょう?」

「そりゃあ、まぁね。けど、何だかいい気分じゃないわ。まるで私達に対して怯えているようなんだもの。そうは思わない、アリス?」

 聞き返され、アリスはわずかにうなる。

「うーん……まぁ、エリスの言うことももっともなんだけど。まぁ、いいじゃない。そんな小さなことは、この際どうでもいいことなんだもの」

「はぁ……相変わらずって言うか、アリスはそういう大雑把なところ、昔からちっとも直らないよね。おかげでいつも私が苦労する羽目になるんだけど」

「だって、仕方ないじゃない。生まれつきの性分みたいなものよ」

「生まれつきって……アリス、あなた分かって言ってるの?」

 エリスはわずかに気疲れしたようにうなだれ、直後にさも平然と言い放った。


 「――生まれつきだとしても、千七百年も生きていれば性格の一つも変わりそうなものだと思うのだけど?」


 あっさりと、そして確かにエリスは言い切った。

 普通の世界の常識では考えられない、非現実な事実を。

「ほら、だからあれよ。今更っていうか。もうクセになっちゃったみたいなものだから、今更どうしようとも思わないんじゃないかしら?」

「かしらって……あなた、自分のことなんだからもうちょっとしっかりしなさいよね。せめて自覚はしてほしいわ」

 二人のやり取りは、傍目に見れば仲の良い双子の姉妹が会話をしているようにしか見えないだろう。

 事実、二人の外見は鏡に映したかのように瓜二つの姿だった。

 肩と腰の中間くらいまでに伸びた金色の髪と、澄んだ空のようにどこまでも蒼い瞳の色。

 服装はメイド服とゴスロリを足して二で割ったようなものだが、一言ではうまく言いくるめることはできそうにない。

 西洋風の人形をそのまま実体化させたかのような外見といえば、少しは分かるだろうか。

 白いエプロンドレスに赤い靴を履きそろえ、頭の上にはカチューシャがついている。

 見ているだけで絵になりそうな双子の姉妹は、しかし一言で言えば人間ではない。

 それは、魔術師という枠組みで認識した場合の人間ではない……という意味ではなく。

 根本的な意味で、二人の少女は人間ではない。


 ――ホムンクルス


 人工的に作られた生命体である少女達は、それゆえに寿命というものが存在しない。

 二人の会話の中に出てきた千七百年という数字はでたらめな年月ではあるが、意味はでたらめではない。

 言葉のとおり、二人はそれだけの年月を今日まで生き続けてきているのだから。

「…………」

 藍瀬とレイヤの目の前で、アリスとエリスはそんな会話を繰り返している。

 この隙に少しでも距離をとってしまおう……とは思わない。

 いや、できないと言い換えたほうがいい。

 うまく言葉にはできないが、場の雰囲気というか、二人の少女が放つ、目には見えないプレッシャーのようなものに藍瀬は気おされ、その場から一歩たりとも動くことができなかった。

 まるで金縛りにあってしまったかのように。

 何の魔術も使わずに、ただ相対しただけで一方的に動きを封じるほどの力。

 それが、この二人……協会を掌握する、現代における最高の、そして最古の二人の魔女。

 かつて、栄光と支配の時代に生きた魔女によって造られし、今なおその血筋を受け継ぐ歪んだ遺産。


 ――繁栄と栄光の種子グロリアスチャイルド


 この二人だけで世界を動かすことさえたやすい、そしてそのためだけに生まれてきた命。

 尽きない命と時を持つ二人を滅ぼす手段は、ない。


「……って、それどころじゃないでしょアリス」

「ん? ああ、そうそう、そうだったね。今は大切な時期だったんだ」

 ふと思い出したように、二人の会話が途切れる。

 そして今更になって、視線は再び藍瀬に向く。

「久遠藍瀬。あなたもすでに知ってはいると思うけれど」

「もうすぐ、戦争を起こすんだよ」

 本当にあっさりと、二人の魔女はあっけないほど簡単に言い放った。

 迷いもためらいもなく、それどころか期待に胸膨らませるような微笑さえ浮かべて。

「……本当、なんですね……?」

「聞き返す必要があるかしら? すでにシュナイダー・メルクラフトから全ては聞かされているんでしょう?」

 藍瀬の問いに、エリスは何を今更と言わんばかりに返す。

 その名前が出たとき、藍瀬の肩がわずかに震えた。

「……彼には、悪いことをしちゃったね」

 と、アリスがわずかばかりに顔を俯かせて言った。

 その態度に藍瀬は一瞬だけ驚いたが……。

「そう? 独断で私達上層部を嗅ぎ回った挙句、虚空教典を盗み出して脱走までしたんだよ? ああいうのを身勝手って言うんじゃないのかな?」

 エリスの抑揚のない一声で、そんな感情はあっさりと消し飛ばされた。

「……一応、聞かせてください」

「何かしら?」

「なぜ、今になって戦争を起こそうなどと……」

「今だから、こそだよ?」

 藍瀬の問いに、アリスは首をわずかに傾げながら答える。

 まるで、どうして藍瀬がそんなことを聞いてくるのか理解できないといった様子だ。

 そしてエリスが付け加えるように言う。


 「――ある程度まで完成した世界じゃないと、壊す楽しみがないでしょう? どうせいつでも壊せるパズルなら、組みあがる直前に粉々にして、思いっきり嘲笑ってあげたいじゃない」


 温度のない声だった。

 しかし、言葉の中には明らかに楽しさが入り混じっているのが分かる。

 藍瀬は震えたままの両手を強く握り締め、そして言う。

「っ、世界を……世界をどうにかすることが、そんなに面白おかしいことですか? 現に、私達は今までだって外界には干渉せずにこうして歩んできたではないですか。それを今頃になって、こちらの都合で一方的にどうこうするというのは」

「そうだね。私達の傲慢だよ」

 驚くほどあっさりとエリスは認める。

「けどね」

 そして続ける。

「それを言うなら、私達魔術師の血を引く者が歴史の中で迫害され続けてきた事実も、立派な傲慢だとは思わない?」

「そ、れは……」

 藍瀬は言葉を失う。

 どんなに綺麗な言葉で取り繕おうとも、それだけは確かな事実だ。

 一体どれだけのむごたらしい仕打ちを、自分達の祖先に当たる人々が受けてきたのか。

 神の一歩手前までの力を持ちながら、地獄のような日々を送り、異端の血という理由だけで蔑まされ、石を投げられ、頬を殴られ、骨を折られ、肉を斬られ、目を潰され、口を封じられ、そうして無残に殺されていった。

 それこそがおこがましいほどの愚考だと言われれば、誰が反論できようか。

「難しく考える必要なんてないのよ」

 それらを理解した上で、エリスは言う。

「要するに、同じことを今度は逆の立場で引き起こすっていう、それだけのことなんだから。ほら、どこぞの偉い人も言っているわ」

 言いかけて、エリスは屈託のない笑みを浮かべ続ける。

「歴史は繰り返す、ってね」


「……そん、な、こと、が……そんな……ことのために……?」

 シュナイダー・メルクラフトという人間は、殺されなくてはならなかったのだろうか?

 だとしたらそれは、どこまでも理不尽なことなのだろう。

 彼はただ、戦争を起こさせたくないと、ただそう思って行動しただけだというのに。

 それは、どれだけ勇気がいることだっただろう。

 今までの価値観全てを捨て去って、ゼロになる覚悟なければできたことではないだろうと、藍瀬は思う。

 その意思は。

 その覚悟は。

 大した理由もなく壊された命は、二度と還ることはないというのに……。

「……シュナイダー・メルクラフトの死は、あなたにとって悲しい結末だったとしか言えないわ」

「…………っ」

「けど、それだけよ。彼を犠牲と呼ぶのなら、同じことはこれからいくらでも生まれる。過去にも未来にも、犠牲のない世界なんてどこにもありっこないんだから」

 吐き捨てる。

 何も珍しいことはないと。

 千七百年の時を巡る、生きた犠牲がそう告げる。

「戦争を起こすわ」

 そして、宣言する。

「邪魔はさせない。たとえどれだけの犠牲を払ったとしても」

 小さな魔女は告げる。

 確かな、しかしどこかで歪んだ意思を持って。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ