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Astral  作者: やくも
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第四十六話:二人の距離


 夜が明けても気分はどこか虚ろだった。

 午前中の授業もほとんどと言っていいほど耳に入らず、彼方はぼんやりとしたまま時間を過ごしていた。

 何を考えればいいのか分からない。

 何をどうすればいいのかも分からない。

 目の前も頭の中も空っぽになっていく感覚。

 ひどく虚しくて、ひどく疲れていて、そしてひどく無力感を覚える。

 だが、それも無理もない。

 アーネストと名乗った魔術師を目の前にして、彼方は何もできなかった。

 二本の足はアスファルトの地面に針で何ヶ所も縫い付けられているかのように動かず、目が合っただけで背筋が凍りつき、一秒後には殺されているだろうと本気でそう思ったくらいだ。

 不幸中の幸いとでも言うべきか、今彼方がこうしてここにいる事実がそれを否定している。

 だが、それだけだ。

 結果的にそうであっただけで、問題は何一つとして解決してはいない。

「……くそ……っ」

 誰に吐き出すわけでもなく、自然とそんな声が漏れた。

 今は昼休みで、教室の中にはクラスメートの姿もちらほらとしかない。

 多くの生徒は昼食のために食堂を利用しているので、そのせいで今は教室の中も人影はまばらだった。

 彼方はこれといって特に空腹感を覚えてはいなかったが、気分を少しでも変えために席を立つ。

 あてはない。

 とにかく一人になりたかった。

 わずかに音を立て、椅子から立ち上がる。

 同時に、校内放送が流れ出す。


 「――二年五組、一条彼方君。至急、生徒相談室まで来てください。繰り返します…………」


 呼ばれたのは間違いなく自分の名前だった。

 彼方は一度だけスピーカーに視線を向け、わずかに立ち止まる。

 そしてすぐに声の主に気づき、曖昧な気持ちのまま足を動かした。


「……手紙?」

「ええ」

 彼方が聞くと、泉水は懐から一枚の紙を取り出し、それを彼方に差し出す。

 放送で彼方を呼び出したのは泉水だった。

 わざわざ職員室ではなく人気のない生徒相談室を選んだということは、つまりそういう都合の話があるということなのだろう。

 その点には彼方も気づいているので問題はないのだが、気になるのはそれよりも手渡された手紙のほうだ。

 彼方は無言のまま、二つ折りにされた手紙を開く。

 すると、まず最初にこんな言葉が飛び込んできた。


 「ありがとう」


「…………」

 彼方は手紙の全文を見る前に、一番下の差出人の名前を見つける。

 久遠藍瀬。

 その名前を確認して、彼方は一度視線を泉水に戻す。

 しかし泉水はそれに対して何も語ることはなく、無言でいることで手紙を早く読めということを促していた。

 彼方は再び手紙の中に視線を戻す。

 特に珍しくもない、どこにでも売っているだろう不通の便箋に、黒のボールペンで丁寧に書かれた字が並んでいる。


 そして、こんな形でお別れの言葉を残す身勝手を許してください。

 あなた達には、本当に何から何までお世話になりました。

 そうして得た結果、そのすべてが満足のいくものであったかといえばそうではないけれど、私一人では、もっと悲惨な結末にしか辿り着くことはできなかったでしょう。

 私はひとまず、協会側への報告も兼ねてこの街を後にします。

 それに、私自身の目でどうしても確かめなくちゃいけないことができてしまったから。

 多分、その先にある真実というものは、私にとっては思わず目を背けたくなってしまうようなものだと思います。

 今まで積み重ねてきた大切なものを、根っこの部分から跡形もなくあっさりと崩してしまうような、そんな途方もない規模の世界の闇の部分。

 それでも、私は知りたい。

 いえ、知らなくてはいけない。

 そして、止めなくてはいけない。

 メルの残した言葉を覚えているでしょう?

 もしも、あの言葉が真実なのだとしたら。

 戦争という、誰の目に見ても明らかに映る、残酷な結末がすぐそこまで近づいているというのなら。

 私は、それを黙って見過ごすなんてことはできない。

 敵討ちのつもりかと言われれば否定はしません。

 だからこれは、私の自分勝手なわがままです。

 そのわがままに、あなた達を巻き込むわけにはいかない。

 関わる理由はどこにもないし、関わらなくちゃいけない理由も何もない。

 何より、私自身があなた達には関わってほしくないと思っています。

 これ以上の迷惑はかけられません。

 だから、私は行きます。

 本当ならちゃんと、面と向かってお礼とお別れの言葉を言いたかったけど、それさえ叶わないことを許してください。

 最後になるけれど、もう一度だけ改めて言わせてください。

 ありがとう。

 あなた達に出会えて良かった。

 この一つの、小さな奇跡に感謝します。

 どうか……あなた達の向かうその先に、どうか誰もが笑い会える素敵な未来がありますように。

 親愛なる彼方、泉水へ。

 久遠藍瀬より。


 手紙はそこで終わっていた。

 全てを読み終えた頃、彼方はわずかに下を俯いていた。

(彼方……)

 首から提げたペンダントの中から、テトラが静かに呟く。

 彼方は答えず、代わりに手の中の手紙がクシャリと小さく音を立てた。

 長くも短くもなく、難解でも容易でもない文章。

 ありがとうで始まり、ありがとうで終わった手紙。

 一見してそれは、感謝の気持ちを手紙という形に残したものに見える。

 いや、まさにそのままのものに違いないだろう。

 ……なのに。

 それなのに、どうしてだろう。

「…………何、だよ、それ……」

 彼方の口から出た言葉は、苦虫を噛み潰したような色のものだった。

「こんなの……こんなの、アリかよ? これじゃまるで、手紙なんかじゃなくて……」

 そう。

 確かに表向きは感謝の気持ちを書き記したものであることに間違いはない。

 が、同時に読み終えて誰もが気づくはずだ。

 これは……遺書にも似たものを感じさせるものだ、と。

 グシャリと、手紙に真新しい皺がいくつも刻み込まれる。

「どうするっていうんだよ……どうすればいいっていうんだよ……」

 吐き捨て、彼方は拳を握り締める。

 拭い去れない無力感。


 目の前に確かな現実として突きつけられた、圧倒的なまでの力の差。

 一条彼方は魔術師の末裔だ。

 だが、それがどうした?

 世界は広い。

 そして、世界は彼方が思っていた以上に深く、暗く、冷たい闇が息を潜めて蠢いているものだった。

 命が惜しければ関わるなと、アーネストがそう告げた言葉に間違いはない。

 同じ魔術師同士であっても、そこには大きすぎる溝があった。

 単純な力でもそうだし、思考や理想に至るまでの何もかもが、だ。

 彼方はそれを肌で感じている。

 だから分かる。

 だからこそ分からない。

 何をすればいい?

 どうすればいい?

 何ができる?

 浮かび上がるのは自問ばかりなのに、答えられる自分がどこにもいない。

 昨夜の光景を思い返すだけで寒気が走る。

 あの瞬間、確かに彼方は死んでいた。

 いつでも殺せるだけの力を、アイツラは確かに持っていたのだ。

 持っていながら、それを見せ付けるだけで、結局は何もしなかった。

 つまりは、それが互いの実力差なのだと言わんばかりに。

「…………」

 言葉が出てこない。

 握り締めていた拳から力が抜け、手の中の手紙がクシャリと泣きそうな音を立てた。


「……泉水」

「…………」

 呼ばれたが、泉水は何も答えない。

 構わずに彼方は言葉を続ける。

「……教えてくれ。俺は、どうすればいい……?」

「……さて、ね……」

 しかし、答えは実にそっけないものだった。

 まるで、そんなくだらないことはどうでもいいと吐き捨てるかのように。

 それくらいにあっさりと泉水は言い切った。

「……俺は……俺には、何が……」

「一つだけ言っておくとすれば、あなたは正常ですよ」

 と、泉水は突然そんなことを言った。

「圧倒的な力の差を見せ付けられた後の人間の姿勢として、今のあなたは別におかしなところは何もない。魔術師と一口に言ってしまっても、下がいれば上がいるということなのですから」

「…………」

 泉水は言い切る。

 それは当然の反応なのだと。

「ですが」

 泉水は表情を変えずに続ける。

「そのままでいるか、それとも動き出すか。結局のところ、それを決めるのはほかの誰の役目ではありません。どんな状況であろうとも、最後には自分の信じた道を突き進むことしかできないんですよ、人間という存在はね。かつての私がそうであったように……」

「…………自分の、信じた……」

「……私にとやかく言う権利も資格もありません。肝心なのは、あなたがこれからどうするのかではなく、これからどうしたいかなのではないですか?」

 まるで諭すようにそう言うと、泉水は彼方の隣をすり抜けて扉を開ける。

「私は今夜にでも、藍瀬さんの所属している協会とやらに向かうつもりです」

「え……?」

 振り返り、彼方は聞き返す。

「ですが、彼女に協力するというよりも真実を確かめたいという意味合いのほうが強いですね。シュナイダー・メルクラフトが今わの際に残した言葉が嘘であるとは考えにくいし、そうする理由も見当たりません。ま、どちらにせよ、私は自分の目で見たものしか真実として受けいれない性格でしてね。そのほうが手っ取り早いと判断したからですよ」

 言って、泉水は廊下を歩いていく。

 徐々に遠ざかっていく足音を聞きながら、彼方はしばらくの間そのまま立ち尽くしていた。

 様々な思惑を、その胸に抱えながら。




 西花が掃除当番を終えて帰路についた頃、辺りはうっすらと夕闇に包まれ始めていた。

 グラウンドで練習に明け暮れる野球部やサッカー部、陸上部の生徒達の姿を横目に、西花は得に急ぐわけでもなく、いつもと変わらない足取りで道を歩く。

「はぁ……」

 意味もなく溜め息が漏れた。

 そこには疲れの色も多少はあったが、それ以上に胸の内側にあるもやもやした感覚の原因は彼方のことだった。

 どういう理屈かは詳しく知らないが、彼方はどうやら魔術師という特別な存在らしい。

 らしいというのは、やはりまだ言葉で聞いただけでは実感がないからだ。

 西花にとって魔術師というもののイメージは、やはりファンタジーの世界をテーマにしたゲームや本などの登場人物の一人といった理解でしかない。

 それは西花に限らず、大半の人々が持つイメージと同じものだろう。

 その話を彼方から直接聞かされたときも、驚かなかったと言えば嘘になる。

 が、心のどこかで靄が晴れたような気分がしていた。

 それは、幼い頃からずっと感じていたことだった。

 多くの時間を共有してきたからこそ、西花には何となく分かる。

 彼方はどこか、自分を含めた他の人とは違っているように見えていた。

 けれど、その違いが明確にどういったものであるかまでは、幼かった西花には言葉にすることができなかった。

 ただ、おかしいという意味合いの違いではなく、どちらかといえば特別という意味合いでの違いだったような気がする。

 自分や他の人にはない、特別な何かを持っているんじゃないかという感覚。

 それは直感に似たものではあったが、結果的にはそれは正しかったのだ。

 だが、だからといってどうというわけではない。

 西花にとっての彼方は今も昔も変わらないままで、例え魔術師であってもそれは関係ない。

 ……はず、だったのだ。

「……近いのに、遠いよ……」

 ふいに言葉が漏れる。

 それは、今の互いの距離を表す最適な言葉だったかもしれない。

 ここ数日、会話らしい会話もしていない。

 同じ学校の同じクラスにいるのに、どうしようもない距離感を感じてしまっていた。

 手を伸ばせば届く距離にいるのに、きっと伸ばしたその手はするりと空気を掻き分けてしまうんじゃないだろうか?

 そう思うと、言葉をかけるのも少しだけ怖くなっていた。

 本当はそんなはずはないと、分かってはいるのに。


 気が付けば家の近くまでやってきていた。

 普段から人通りの少ない道だが、今日は時間帯が少し遅かったせいもあって人影は皆無だった。

「はぁ……何やってんだろ、私……」

 溜め息とともに漏れる言葉。

 目の前に長く伸びた自分の影は、ひどく頼りなく見える。

 足取りがわずかに重くなっていた。

 こんな感覚は、嫌だ。

 胸の真ん中の辺りでもやついていて、ひどく不快感を覚える。

 たった一言声をかければ全てが元通りになるかもしれないのに、そんな簡単なことがどうしようもなく勇気がいる。

 変わらないと思っていた。

 それでも少しずつ変わっていくのだろうと知りながら。

 そして、やはり見えないところで変わっていく。

 変わらないものなんて何もないと、そう信じ続けることは馬鹿らしいことなのだろうか?

 そんなはずはない。

 変わらないものだってある。

 目まぐるしく変化していく世界と日常。

 けど、そんな中で変わらずにあるものが一つや二つあったっていいはず。

 こんなことを考えてしまう自分自身が、実は一番変わってしまっているのかもしれない。

 西花はそう思い、ますます分からなくなった。

 変わったのはどっち?

 私?

 それとも、彼方?

 それとも……もっと、別の何か……なの?

 足取りが止まる。

 すぐ目の前に、見覚えのある背中があった。

「…………彼方?」

 あれほど出てこなかった一言が、簡単に出た。

 名前を呼ばれ、背中は振り返る。

 今の自分とよく似た、戸惑いの表情を浮かべて。



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