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Astral  作者: やくも
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第四十三話:魔術師


 撃たれる。

 などということは、藍瀬は考えていなかったのだろう。

 半ば狂乱した形相で目の前の敵へと突進する。

 後のことは何も考えていない。

 当たって砕けろという言葉がそっくりそのまま当てはまりそうな場面だ。

「よせ、藍瀬!」

 反射的に彼方は叫んだ。

 が、その言葉も藍瀬の耳には届いていない。

 柄をそのまま握りつぶしてしまうかと思うくらいに強く握り、藍瀬はその手の中にある双刃の大鎌を振るう。

「あああああっ!」

 満月の輪郭をなぞるような軌跡で大鎌が振るわれた。

 が、目の前のレニオスは相変わらずの薄ら笑いをたたえたままの表情を崩すことはない。

 それどころか、もう一度確かめるかのように口元を不気味に歪ませ、すでに照準を合わせ終えた拳銃の引き金にかけた指をゆっくりと引いた。

「っ、やめろ!」

 彼方がそう叫んだのとほぼ同時に、レニオスの指は拳銃の引き金を引いた。

 しかし。


「な……?」

 彼方だけではなく、その横にいたテトラまでもが思わず声を上げた。

 ありえない光景だった。

 レニオスは確かに引き金を引いたはずなのに、それに伴って射出されたであろう弾丸が刻む音が何一つとして響き渡ることがなかったからだ。

 一体どういうことなのか。

 引き金を引けば普通、銃声が響いて弾丸が射出されるはずである。

 仮に弾が切れていたとしても、カキンという音が鳴るはずだ。

 十メートルも離れていない距離でその音を聞き流すとは思えない。

 だが実際に音らしい音は何もなかった。

 だが、それでも。

 彼方は見た。

 レニオスが引き金を引いた瞬間、確かに白煙らしい何かが銃口から立ち上っていたことを。

「っ?」

 一直線にレニオスへと向かう藍瀬も、言葉ではうまく言い表せない何かを感じ取っていた。

 視界の中には何も映りこみはしない。

 あるのはただ一つ。

 不敵な笑みを携えて立つレニオスの姿だけだ。

 だが。

 藍瀬は目の前に……本当に目と鼻の先に、得体の知れない何かが迫ってきているような、そんな圧迫感を感じていた。

 しかし、どれだけ暗闇に目を凝らしてみてもそこには何も見えはしない。

 だとしたらこの正体不明の感覚は何なのか。

 しかし、そんなことに捉われている暇はない。

 自分が成すべきことを忘れるな。

 目の前の魔術師を一刀両断の元に切り捨てろ。

 今はそれだけを考えていればいい。

 藍瀬の脳が急激にクリアになる。

 余計なことは考えなくていい。

 今はただ、目の前の敵を殺すことだけを考えろ。

 自分に言い聞かせ、スイッチを切り替える。

 そう、どうだっていい。

 たとえこの妙な感覚が本物であれ偽者であれ、レニオスがシュナイダーを……藍瀬にとってのかけがえのない存在の命を脅かす存在であることには何ら変わりはない。

 だから殺す。

 大切なものを守るため。

 大切なことを教えてくれた人を守るため。

 変わって見えて、実は全く変わっていなかった人を救うため。


 藍瀬は迷わない。

 今しがた感じた嫌な気配が、たとえ鼻先数センチまで迫ろうとも、その手に握った大鎌を手放すことはないだろう。

 そして振るう。

 殺すために、守るために。

 目の前にいる、確かな敵を切り裂く。

 だが、それよりも一瞬早く。

「…………え」

 ビチャリと、生暖かい液体が藍瀬の頬に付着した。

 な、に……?

 これは、何?

 ……知っている。

 これは、知っている。

 すでに乾き始めているけれど、ついさっきまでその両手の中でどろりと粘ついていた赤黒い液体。

 命の色。

 それと全く同じ色の液体が、藍瀬の頬を濡らしていた。

「…………何度も、言わせる……な……」

 その声が、あまりにもか細くて。

 藍瀬は最初、夢を見ているのかと自分の目を疑った。

「……メ、ル…………何、で……?」

 藍瀬の両肩に、別の両手が置かれていた。

 力なく、今となってはただぶら下がっているだけの力なき両手。

 体の中心に穴を開け、今もなおおびただしい量の出血が続いている。

 そんなボロボロの体で彼は……シュナイダー・メルクラフトは、藍瀬とレニオスの間に割って入るようにして藍瀬の両肩を押さえつけていた。

 その右肩の少し下辺りには、真新しい傷ができている。

 今になって藍瀬は理解した。

 数秒前に感じた得体の知れない気配は、やはり間違いではなかった。

 目にはみえなくても、それは確かにそこにあったのだ。

 そしてそれは、シュナイダーの肩口を貫いた。

 その目に映らない、音さえも引き連れずに放たれた銃弾。

 藍瀬の唇が震える。

 声がうまく出せない。

 意味もなく半開きになった口からは、掠れた呼吸が出入りするだけ。

「メル……私を、庇って……」

 ようやくそれだけを絞り出すと、同時にシュナイダーの体が崩れ落ちた。

 ガランと音を立て、藍瀬の手の中から大鎌が転がり落ちる。

「……その悪い癖を、早く直せ。何回言われれば、お前、は…………」

 シュナイダーの言葉は最後まで続かなかった。

「メル、メルってば! しっかりしてよ、ねぇってば!」

 崩れ落ちたその体を抱きかかえ、藍瀬は叫ぶ。

 しかし、シュナイダーは言葉では返さない。

 反面、どこか満足したように笑みを浮かべ、藍瀬の腕の中でその顔を見上げる。


「おやおや、これは意外な展開になったものです」

 と、レニオスはそんな光景を見ながら変わらない口調で呟いた。

「ま、遅かれ早かれ尽きる命ですし、今死のうが後で死のうが大差はないでしょう。むしろ、親しい人の腕の中で逝けるだけ幸せというものかもしれませんね。私には理解できませんが」

 本当にどうでもよさそうに吐き捨て、レニオスは拳銃を懐へと仕舞い込む。

「さてと。裏切り者も始末したし、回収すべきものも回収しました。私の用はこれで済んだので、失礼させていただきますよ」

 言いながらレニオスはもう片方の手をコートの内側から出す。

 するとそこには、一体いつの間に奪い去ったのだろうか、シュナイダーが所持していたはずの虚空教典が握られていた。

「全く、まさかこの私がこんな尻拭いのような後始末役を任されるとは。動かせる手駒が少ないのも事実ではありますが、もう少し何とかならなかったものですかね」

 ぼやくように言ってレニオスは教典を懐へと仕舞い込む。

「それでは皆さん、ごきげんよう。縁があればまたお会いすることも」

 そこまで言いかけたところで、レニオスの言葉が途切れる。

 その視線が藍瀬とシュナイダーから外れ、別の一点へと集中する。

「……ほぅ、これはこれは」

 素直に感心したようにレニオスは呟く。

 その視線の先には、具現化した月下星弓と矢を構えた彼方が立っていたからだ。

「月下星弓……真魔装ですか。いやはや、驚きですね。あなたのような者がそれほどのものを使いこなせるとは……」

「……黙って逃がすかよ。その教典は存在しちゃいけないものなんだ。お前に持ち帰らせるわけにはいかない」

 ギリと、彼方は狙いを定めて矢を引く。

「ふむ……困りましたね」

 レニオスはわずかに眉根を寄せる。

「教典をこっちに渡せ。さもないと」

「……さもないと? ……ああ、そういうことですか。それはきっと勘違いなのでしょう」

「……何?」

 レニオスが何を言っているか、彼方には理解できなかった。

 そんな彼方に一から丁寧に教え込むような口調で、レニオスは言葉を続ける。

「私が困ったと言ったのは、あなたを相手にすることではありません。むしろ逆です」

 そこで一度言葉を区切り、またあの不気味な笑みを浮かべながらレニオスは続ける。


 「――余計な死体がまた一つ増えると、処理に困る。つまりそういう意味ですよ?」


「……っ!」

 ゾクリと、彼方の全身を正体不明の悪寒が走り抜けた。

 感じたことのない威圧感。

 隠し切れない格差。

 本当に指先一つで殺せると、目の前の魔術師はそう言っている。

 そしてそれは嘘ではないと、彼方は本能的に悟った。

 しかし、だからといって……。

「っ、だからって、はいそうですかと逃がせるか!」

 たとえ目の前の敵がどれほど強大でも、この至近距離からの一撃を見舞えば絶対に回避できないはずだ。

 一際強く矢を引き、また何か言われるよりも早く彼方は矢を放った。

 十メートルの距離が瞬く間にゼロになる。

 時間にして十分の一秒にも満たないはずだ。

 だが、その刹那とも言える時間の流れの中で。

「な、に……?」

 理解し難い光景は実現した。

 青白く光る矢を、片手だけで掴み取られていた。

 それは、もうあと数センチでレニオスの心臓を確実に貫いていたはずのものだ。


 「――遊びすぎだ、レニオス」


 矢を掴み取っていた、別の男がそう言った。

 確かに一秒前まではそこにいなかったはずの見知らぬ男。

「おや、どうしたんですかアーネスト? あなたが出てくるような状況ではないはずですが」

 アーネストと呼ばれた男はレニオスを見返すと、表情を変えずに言う。

「お二方がお呼びだ。虚空教典は回収できたのだろう?」

「ええ、ここに。ですが、少々やらなければならないことが増えたみたいでしてね」

 その言葉を受け、アーネストの視線が彼方へと移る。

「……この場は私が引き継ごう。貴様は先に行け」

「……ま、いいでしょう。お二方の希望とあれば仕方ありませんからね」

 それだけ言い残し、レニオスはコートを揺らしながら身を翻す。

 次の瞬間、そこにレニオスの姿はなかった。


「ま……」

「余計なことはやめるのだな、命が惜しくば」

 言いかけた言葉をアーネストが一蹴する。

「真魔装か。大したものだが、それを用いても私やレニオスには及びはしないだろう。お前も薄々そのことに気づいているのではないか?」

「……っ」

 彼方は言い返せなかった。

 その言葉は紛れもない事実だったからだ。

「忠告しておく。我々の邪魔をしようなどとは考えないほうが身のためだ。今回はひとまずこれで退いてやる。だが、次はないと思え。同じことになるようならば、その時は遠慮なくお前達を我々の敵として認識させてもらう。それだけはよく覚えておくのだな」

 言って、アーネストは彼方から視線を外し、藍瀬とその腕の中で横たわるシュナイダーに視線を向けた。

「…………」

 アーネストは一瞬だけ何か言いたそうな表情を見せるが、言葉は出てこない。

「……待てよ」

 と、彼方のその声にアーネストが振り返る。

「何なんだよ、お前達は。何をどうしようっていうんだよ」

「……私はアーネスト・リベリオン。魔術師だ」

 まるでそれ以上語ることは何もないと言わんばかりに、アーネストは彼方に背を向け、静かにその場から消えた。

 圧倒的な力の差だけを、置き去りにして。


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