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Astral  作者: やくも
35/59

第三十五話:空白


 あの夜以来、シュナイダー・メルクラフトは姿を見せていない。

 と言っても、最後に会ったのはつまり昨日の夜のことだ。

 結局シュナイダーは、意味ありげな言葉だけを残して去っていってしまった。

 目の前にいた、確かな敵であるはずの彼方達には目もくれずに。

 いや、そもそも敵として認識さえしていなかったのかもしれない。

 シュナイダーほどの力があれば、極端な話一分とかからない間にあの場には三つの死体が転がっていたことになるだろう。

 そういう意味では命拾いしたわけだが、何かしっくりとこない部分が多すぎる。

 結局シュナイダーの目的は何だったのだろうか?

 街を覆っていた結界が解けた今、どこにでも行ってしまっているのかもしれない。

 藍瀬の話では、一度解除した結界をもう一度形成し直すにはある程度の時間が必要らしい。

 少なくとも数時間程度で張り直すことができるものではないらしく、今となっては再度結界を形成してもシュナイダーを捕獲できる可能性は極めて少ないだろう。

「つまらないことに巻き込んでごめんなさい。後始末は私達で何とかするから」

 と、藍瀬は昨夜の別れ際に温度のない声でそう言った。

 うなだれて前髪に隠された表情の色は見えなかったが、心労がひどく重なっている様子だった。

 彼方や泉水には分からないところだが、やはり思うところがあったのかもしれない。

 少なくとも、シュナイダーは言っていた。

 藍瀬に魔術を教えたのは自分である、と。

 あの言葉からだけでも、二人が師弟関係にあったことは明白だ。

 どれだけの付き合いがあるのかは定かではないにしろ、一度は同じ志の元で互いに技術を磨きあったりもしただろう。

 言うなればそれは、血の繋がりこそないものの、肉親に近い感情を抱いていたところで何の不思議もない。

 そんな存在の人が目の前で敵として立ち塞がれば、迷いが生まれないはずがないのだから。


「……なぁ、テトラ」

「どうした?」

 彼方はベッドの上で寝転がったままテトラに聞く。

「アイツ……どこへ行ったと思う?」

「……シュナイダーと名乗った男のことか?」

「ああ……」

「……正直、見当もつかないな。少なくとも、脱走者という立場ならば同じ場所に長く留まろうとはしないとは思う。私がその立場なら、昨夜のうちにこの街からは出ているだろう」

「……まぁ、普通はそうだよな。追われてる身だったら、さっさと逃げるよな……」

 やはり、一夜明けた今、もうこの街にシュナイダーはいないだろう。

「結局、何だったんだろうな。わけが分からないうちに振り出しに戻ったみたいな……うまく表現できないけど、嫌な感じだ。見えないところで色んなことが始まってて、気がついたらもう全部手遅れだったみたいな、そんな感じ……」

「とはいえ、どうしたものか。昨夜の話では、藍瀬ももうしばらくはこの街に残るような口ぶりではあったが……」

「……分からないことが多すぎる。やっぱり、もう一度藍瀬と会って詳しい話を聞いておいたほうがいいんじゃないか?」

「そうかもしれんな。どの道教典の存在が不明瞭な状態は極めて危険だ。どんな理由にしろ、まずは教典を取り戻すという一点で行動は共にすべきだ」

「……よし、行こう」

 彼方は起き上がり、足音を殺しながら一階へ下り、玄関で靴を履き替える。

 そのまま静かに門を押し開け、昨夜と同じ場所を目指して走り出した。

 そこに行けば藍瀬がいるという保障はどこにもなかった。

 しかし、他に手がかりになりそうなものは何もない。

 こんなことなら携帯の番号くらい聞いておくべきだったと、走りながら彼方は後悔した。


 街の外れまでやってくる。

 当たり前のように人影はなく、それどころかここまでくるとまばらだった街灯の明かりが途端に姿を消す。

 おかげで目印になる明かりもなく、文字通り手探りで慎重に歩かなくてはならない。

 真っ暗な夜の中をゆっくりと歩きながら、彼方は少しずつ前へ進んでいく。

 冷えた空気が肌にぴったりと張り付いているようで、時折思い出したように寒気が走った。

 悪寒ではなく、純粋な寒さによるものだ。

 周囲に気を配りつつも歩いていると、ふいにテトラの足が止まる。

「待て、彼方」

 小声で制し、表情をわずかに険しくする。

「……近いな。何匹かいるようだ」

「っ!」

 言われるまでもなく、それがナキガラを意味していることは分かった。

 しかしそれにしては少し妙だった。

 テトラの場合は気配でナキガラを察知するわけだが、その範囲はテトラを中心とした直径三百メートルほどの円形の範囲だ。

 普段ならもっと早い段階で気づいていてもおかしくなさそうだが、たまたま例外だっただけだろうか?

 などと、彼方はそんな些細なことを頭の隅で考えつつも、ポケットの中に片手を突っ込んでおく。

 空気の塊を一つ飲み込んで、目で夜の闇を見据える。

 と、その時だった。

「っ、気配が……消えた?」

「え?」

 テトラのその言葉に、彼方は少なからず驚く。

「こっちだ」

 言って、テトラは一足先に走り出す。

 ナキガラの気配が消えたということは、つまりは倒されたということだろう。

 しかし、この街でそんな芸当ができるのは限られている。

 彼方を除外すれば、現時点でこの街にいる魔術師は他に最大で二人。

 泉水はこんなことに構う性格ではないのでまず違うと断言できるだろう。

 となると、消去法からいっても残る人物像は勝手に浮かび上がってくる。

 暗い道の上を走り、突き当たった路地を曲がる。

 すると、そこには……。


「……藍瀬」

「…………」

 暗闇の中、銀色に輝く両刃の大鎌を携えた藍瀬がそこにいた。

 藍瀬の目の前では、今まさに残留していた思念が消えかけの炎のように細々と尽きていくところだった。

 それを見送ると、藍瀬は無言のまま彼方達に背を向けた。

「おい、藍瀬!」

 彼方はその背中に呼びかける。

 その言葉に、藍瀬の足が静かに止まる。

 傍らでは、使い魔のレイヤが何とも言いがたい複雑な表情でこちらを振り返っていた。

「……何か、用?」

 低い声で藍瀬は聞き返すが、その顔は振り向いていない。

 彼方は思わず、その言葉に絶句した。

 言葉そのものではなく、声の弱々しさにだ。

「……お前、どうしたんだよ?」

「……え?」

 彼方が聞くが、やはり聞き返す藍瀬の言葉はまったく覇気がない。

 覇気とまではいかなくとも、あの調子が狂うような楽観的な口調は消し飛んでいた。

 これではまるで、よく似ている別人を相手にしているかのようだ。

「え、じゃないだろ。どうしたんだよ? 何か、全然お前らしくないっていうか……」

 そこまで言いかけるが、彼方はその後に言葉が続かなかった。

 何というか、あまりに藍瀬の雰囲気が変貌しすぎていて、こっちの方が混乱してしまいそうなくらいだった。

「……そんなこと、ないわよ。私は、いつもどおりの私」

「…………」

 そのあまりにも機械的に思える返答に、彼方は不気味ささえ覚えた。

 本当に別人なのではないかと思ってしまうほど、藍瀬の様子は目に見えて変だった。

 一体何があったというのだろうか。

 いや、確かに何かで済まされること以上のことがあったのは確かだ。

 しかしだからといって、たった丸一日でここまで変わってしまうなんて彼方には信じられなかった。

 あの陽気で間延びした藍瀬の声が、今は全くこの耳に届かないのだから。


「……レイヤ、何があった?」

 黙りこんでいたテトラが口を開く。

「…………」

 しかし、藍瀬同様にレイヤもまた口を閉ざすばかりだった。

「……どうしたんだよ、お前。そりゃ、昨日あんなことがあって、気にならない方が変かもしれないけどさ……けど、おかしいだろ。こんなの、全然お前らしくないじゃんかよ」

「……そう、かな? 私は、いつもどおりに振舞っているつもりなんだけど」

「……全然違う。少なくとも、俺が知ってるお前は……久遠藍瀬はそんなやつじゃない。今のお前は、まるで死体みたいな目をしてる」

「……死体、か。うん、そうかもしれないね。私は多分……自分でも気づかないうちに死んじゃってたのかも……」

「……お前、本当にどうしちまったんだ? 話せよ。仲間とまではいかないかもしれないけど、当面は協力関係にあるはずだろ? そりゃ、俺は何の力にもなれないかもしれない。けど、何もかも全部自分の中で抱え込んでるよりはマシになるはずだ。だから、話せよ。お前が

何を思って、何に悩んで……これから、何をどうしたいのか」

「…………」

「……藍瀬、アナタが話せないのなら、私が話すわ」

「……レイヤ」

 彼方の言葉に、レイヤがようやく口を開く。

「私はアナタの使い魔よ。だから、アナタの気持ちは汲むつもりでいた。けれど、正直に言えばそんなアナタを見ているのは何よりも辛いのよ。アナタの喜びも悲しみも、怒りも苦しみも、その全てを今まで共に分かち合えた私だからこそ、分かるの。今のアナタは、底の見え

ない水の中でただ溺れている。もがきはしても、決して助けを叫ぼうとはしていない。けど、果たしてそれが本当に正しい選択なのかしら? 私にはそうは思えない。だから、私がアナタを救う。アナタが言えないでいる言葉を、私が変わりに紡ぐの」

「…………私は、何も」

 レイヤの真っ直ぐな視線を受け止めきれず、藍瀬は目を逸らす。

 しかし、それにも構わずレイヤは言う。

 誰のためでもない。

 自分のためでもない。

 恐らく、世界中で他の何を犠牲にしてでも守るべき存在の力になるために。

 藍瀬が伸ばせなかった手を、強引にでも掴んで引っ張りあげてみせる。

 他でもない、マスターを救うために。


 「――アナタ達の力を貸して」


 その目は、真っ直ぐに彼方とテトラを見据える。

 濁ることのない、金色の輝きを携えて。

 そして、彼方達は答える。

「最初っからそのつもりだよ」

「元より、まだ協力関係は破棄されてはいないのだからな」

 回りくどい言葉などは一切使わず、簡単に。

「じゃあまず、話してくれるか? 一体、何がどうなってる? この空白の二十四時間で、何が起こった?」

「それは」

 と、言いかけたレイヤの言葉を遮って藍瀬が重い口を開いた。

「……いいよ、レイヤ。後は、私が話す」

 相変わらず低い口調の言葉だったが、藍瀬の目には少しずつ輝きが戻り始めていた。

 どうにもならない現実が、なんとかなるかもしれないへと変わった瞬間。

 それは、絶対に目で見ているだけの世界には映らない変化。

 現実の世界でも、魔術の世界でも、きっとその出来事の呼び方は変わらないのだろう。


 ――人は、それを希望と呼ぶのだから。



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