第三話:改めて、よろしく
「……要するに、俺はその魔術師の血を引いている人間だってことか?」
「……だから、さっきから何度もそう言っているではないか」
「言い方が古臭くてわかりにくいんだよ……えっと、テンプラ?」
「テトラだ。そろそろその間違い方がわざとらしく思えてくるのだが?」
「悪い悪い……」
彼方は首から提げた赤いロザリオに謝罪する。
そんな光景は端から見ればとても怪しく、不気味なものでしかない。
通りすがりの親子連れに、
「ママー、あのお兄ちゃん誰とお話してるの?」
「シッ、見ちゃダメよ。それと、指をささないの!」
なんて言われそうな勢いだ。
そうならないのは、ここが学校で、なおかつ昼休みで、彼方がいる屋上には他に誰も人がいないからに他ならない。
「しかし、会話一つするにも一苦労だな。なるべく人気のない場所を選ばないといけないし」
「私としては、別にどうでもいいのだがな。もとより私の声はマスターにしか聞こえないのだからな。とはいえ、人ごみの真ん中でブツブツと独り言を繰り返すマスターが周囲から危険人物扱いされるとなっては、私も些か心苦しいところではある」
「……気をつける」
「よろしく頼む」
一夜が明けて、とりあえずは何事もなく今日が始まっていた。
昨夜、あんなことがあった直後だというのに、彼方は不思議と落ち着いていた。
あのあと、自室でこのテトラと名乗る赤銅色の狼と言葉を交えたおかげかもしれない。
その話の内容を端的に説明すると、こうだ。
一条彼方は魔術師の血を引いている人間であり、その存在は希少である。
魔術師とは即ち、彼方の考えるマンガやゲームの中の存在と大差はないものである。
どの時代においても、魔術師には連れ添う使い魔が存在し、テトラは彼方の使い魔である。
と、この辺りまで話を聞いたところで眠気が限界になり、残りの話はまた後日ということになった。
その後彼方はぐっすりと眠り、気がついたら朝だった。
夜中に受けた肩の傷は、包帯をほどいてみるとすっかり塞がってしまっていた。
痛みは完全に引いたわけではないが、普通にしている分には気にならない程度のものだ。
テトラの姿はなくなっていた。
傷が消えていることも考えて、もしかしたら昨夜の出来事は全部夢だったのだろうかとも思った。
が、机の上の箱とロザリオがやけに鮮明で、しまいにはそのロザリオがテトラの声で話し出したので、信じざるを得なくなった。
「で、昨日の話の続きなんだけどさ」
「うむ。では話すとしようか」
もとよりそのために、こうして貴重な昼休みを人気のない屋上までやってきているのだ。
「とはいったものの、どこから話せばよいものか……」
「……」
黙りこむテトラに、彼方はロザリオを見下ろす。
「……仕方ないか。どこから話したところで、マスターにとってはどれも突拍子のない話に違いない」
「……そりゃそうだ。それに、今更そんなに驚かないかもな。すでにお前の存在を受け入れてるんだから」
「うむ。そうだな……ではまず、何故私がマスターの前に現れたか。その経緯を話すとしようか」
一呼吸置いて、テトラは続ける。
「簡単に言ってしまえば、これはただの偶然に過ぎないのだ」
「……ホンットに簡単に言いやがった」
「まぁ、聞け」
茶化す彼方を制し、テトラは言う。
「元々私は、あの箱の中に封じられていた存在なのだ。このロザリオとちょうど対になるような箱があっただろう?」
「ああ、あの黒いサイコロみたいな箱な」
「うむ。最後に私があの箱の中に封印されたのは、この時代から数えて千二百年ほど前になる」
「せ、千二百? 気が遠くなる長さだな……」
「なに、半ば寝ていたようなものだからな。それほど長くも感じなければ、苦痛にも感じはしなかった」
「そんなもんかね……」
「……ときにマスターよ、貴方は魔術師という存在をどう認識する?」
「どうって……想像もできないけど、もしも今の俺が思ってるようなものなら……やっぱ、魔法とかを使える人間のことじゃないのか?」
「では、魔法とはどういうものと認識する?」
「えっと……常識では考えられない力か? 火とか水とか風とか、そんなのを自由に操ったり、箒に乗って空飛んだり。って、それは魔女か……」
「ふむ……」
納得したような、それでいてどこか呆れたような、実に曖昧な返事をしてテトラは黙る。
「あ、あれ? やっぱ全然見当はずれだったか?」
「ああ、いや、そういうわけではない。捉え方によっては、マスターのような見解もあながち間違いというわけではないのだ」
自分の想像と多少なりとも合致するところがあるとは思わなかったので、彼方は少し驚いた。
「でも、やっぱり具体的には違うんだろ?」
「そうだな。厳密に言えばもっと細かい区分けなどがあるのだが、それをこの場で説明するには……少々面倒だ」
「ふーん……」
「……では、質問を変えよう」
「おう」
「昨夜、マスターを襲ったあの存在を覚えているか?」
「……ああ。たった一晩で忘れるにしちゃ、ちょっと強烈過ぎるイメージだ」
「では、聞こう。アレは何だと思う?」
「……何って、聞かれてもなぁ……」
正直、そんなものは分かるわけがない。
むしろそれを知るためにこうして話をしているのではないのだろうか。
考え込む彼方をよそに、テトラは静かに告げる。
「――ナキガラだ」
「……ナキガラ?」
ナキガラ……亡骸のことだろうか?
だとすると、その言葉が意味するところは…………。
「おいおい、まさか……死体か?」
「概ねそう言っていいだろう。厳密には多少異なるがな」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ。あれが……死体? けど、それにしちゃ全然人の形をしてなかったぞ。そもそも体がガスみたいな靄みたいな不定形だったし、爪だって武器みたいになってたし、足もなかった」
少なくともアレが、元人間だとは考えられない。
ましてや、いつか自分も死んだらあんな風になるだなんて、考えたくもない。
「その通りだ。アレは人間だったというわけではない。人間だったモノと、他のモノが混ざり合ってできた人形だ」
「……他のモノ?」
「もっとも分かりやすい言葉を使えば、幽霊」
「……は?」
「言い換えれば、悪霊、怨念、思念などもある。エクトプラズムという表現も間違いではないな」
「ま、待て待て。何か話がどんどんとんでもない方向に進んでないか?」
「最初に言ったではないか。何から話しても突拍子のないことになる、と」
「いや、それにしたってよ……」
「要約してしまえば、生命活動を終えて朽ちた抜け殻の体に、そういったものが乗り移ったものだ。しかし、それだけでは昨夜のナキガラのように、意思を持って行動するということまではできないのだ。つまるところ、その体を動かす燃料がないのだからな」
「人間に言い換えれば、血液ってことか?」
「そうだ」
それなら話は分かりやすい。
車がガソリンなしで走れないのと同じことなのだから。
「でも、昨日のヤツは普通に動いてたぞ?」
それはつまり、ここで言うところの燃料とやらが供給されている状態にあった、ということになるわけだが……。
「その燃料に該当するものは、何だと思う?」
「……まさか、魂とか命とか、そんなのか?」
「近いが違う。正解は、魔力だ」
「魔力?」
「そう。つまり、魔術師の力の源となるものだ。ヤツラはそれを糧にして、実体を保つことができる」
「……って、それっておかしくないか? それじゃ、ナキガラってのも魔術師ってことになるよな?」
「いい着眼点だ。だが、そういうわけではない」
どこか満足したように頷いて、テトラは続ける。
「魔力というのは、必ずしも魔術師だけが持ち得るものではないのだ。極端な話、人間に限らずどんな生物にでも、多かれ少なかれの魔力はあるものなのだ。だが、ほとんどはその存在にすら気がつかないか、気づいたところで思うように使いこなすことができないのだ。一部でその力を使いこなし、自在に操れる存在を、我らは魔術師と総称する」
「……ってことは、ナキガラってのは」
「うむ。その、気づかずにあるままの魔力を奪い、その力によって実体化する。いわばナキガラそのものが、魔力の集合体のようなものなのだ」
「……その、魔力があることに気づいてない人達から、魔力を奪うって言ったよな? そうしたら、その人達はどうなるんだ?」
「身体的な影響はない。元々垂れ流してある余分なものを奪われているだけだからな。稀に感度が高い場合、浅い昏睡や短時間に及び気を失うこともあるそうだ」
「そっか……」
「安心したところで、話を戻そう。もっとも根本的な部分についてだ」
テトラの声がわずかに低くなる。
「昨夜のこともあり、薄々気づいてはいるかもしれないが、改めて言おう。現在、この周辺の土地は通常時に比べて魔力が満ち溢れている状態にある。このままこの状態が長く続くようなら、昨夜のような出来事がひっきりなしに続くと考えていい。無作為に、だ」
「……ナキガラは、生き物の死体に霊が取り付いて、さらに魔力を得て動いている。普通の人間じゃ魔力は扱えないから、ナキガラに対抗することもできない。つまり……」
「理解が早くて助かる」
一呼吸置いて、彼方は静かに呟いた。
「――ナキガラを、狩る」
「正確には、ナキガラの所有する魔力を回収するということになる。その上で霊を処理する」
「……理屈は分かったよ。でも、悪いけど俺は魔術師の血を引いてるとしても、魔法も何も使えない。その辺にいるただの学生と同じだ」
「それに関しては心配要らない。私のできる範囲で教えられることは全て教えよう。歴史に名を馳せるほどの魔術師も、最初は何も知らなかったのだ。ただ一つ断言できるのは、魔術師である以上は必ず魔術が使えるようになる。個人差によって時間はかかるかもしれぬがな」
「そうなのか? なら、俺なんかでも少しは希望が持てそうだな」
彼方は軽い調子で笑う。
「…………」
「……何だよ? 急に黙るなよ」
「……いや」
「まだ何かあるのか?」
「そうではない。そうではないのだが……」
テトラは妙に歯切れが悪い。
今の今まで、言いたいことはスラスラと言ってのけていたというのに、これでは何だか調子が狂う。
「……文句はないのか? 疑問は?」
「へ?」
「理不尽とは思わないか? 昨日今日現れた、得体の知れない存在に言いたいことだけをいいように言われ、あまつさえ丸め込むようにいらぬ使命を課せられているのだぞ? 不満や憤りの一つや二つ、爆発しても当然のはずだ」
「……お前、実は結構な卑屈屋か?」
「真面目に聞け」
「う……」
「どうなのだ、マスター。これだけ言っておいて、今更白々しいかも知れぬが」
「…………」
「……私は過去にも、多くの魔術師と行動を共にしてきた。中には優れた者もいたし、無論その逆もいた。それどころか、面倒や厄介事はゴメンだと言わんばかりに逃げ出す者もいた。しかし、それは当然の行動でもあった。だから私も、去る者は決して追わなかった。結局のところ、厄介事を持ってきたということは事実なのだからな……」
直接の言葉にはしないが、テトラは言っている。
面倒が嫌なら、今すぐ逃げてしまえ。
そうすれば私も、追うことはしない、と。
しかし彼方は、それらを全部踏まえた上であえて言う。
「――別に、いいんじゃねぇの?」
「な……真面目に答えろと言って」
「真面目だよ。俺にしちゃ、いつになく大真面目だ」
「っ……?」
「なぁ、テトラ」
「む?」
「確かに昨日は、スゲェびっくりした。世の中言葉では説明できないようなことが色々起こってることは知ってたけど、まさかそれが自分の身の上に降りかかってくるなんて、夢にも思わなかった」
「…………」
「最初はワケわかんなくって、頭おかしくなったんじゃないかって思った。けどさ、おかしいんだよな」
「……おかしい?」
「ああ、おかしいんだよ。昨日、俺は一歩間違ったら殺されてたかもしれない。結果としては、お前が助けてくれたんだけどさ」
「……そのことに恩を感じているのなら、私にそんなつもりはない。それが踏ん切りをつけさせないというのなら、別に……」
「話は最後まで聞けよ。お前、割とせっかちだな」
「む……」
「でまぁ、運が悪ければ死んじまったかもしれなかったわけなんだけど。やっぱさ、おかしいんだよ。俺が頭悪いのを差し引いても、おかしいんだよ」
「…………」
「――死ぬかもしれないあの瞬間、俺……心のどこかで楽しんでたんだ」
「楽しんでた……?」
「正確に言うと、ちょっと違うかもしれない。けど、恐怖とは違う感情で胸が高鳴ってた。初めて見たありえない景色で、少し興奮してただけかもしれないけど……」
「…………」
「いいじゃんか。どの道、俺には魔術師の血が流れてるんだろ? だったら、遅かれ早かれ俺とお前は出会ってたかもしれない。それがたまたま昨日の夜だった。そんだけのことだろ?」
「マスター……」
「……その呼び方も、なんか堅苦しいな。普通に名前で呼んでくれよ」
「……ふぅ」
「お、何だその溜め息は?」
「なに、大したことではない。呆れているだけだ。前代未聞の考え方をするマスター」
「悪かったな」
「……それと」
「ん?」
「――そんなマスターの考え方が面白いと納得してしまう、自分自身にな」
「んじゃ、決まりだな」
「……ああ、そのようだ。よろしく頼む、マス……ではないな。む……」
「あ、そういえばまだ名前も教えてなかったっけ」
彼方は首に下げたロザリオを少しだけ強く握り、告げる。
「――俺は、一条彼方だ。よろしく頼むな、テトラ」
「――冥界の番犬、ケルベロスが末子。天赫焔こと、テトラ。彼方よ、力を借りる」
チャイムが鳴った。
ふと、彼方は今頃になって思い出した。
「……腹減った」
「…………」