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Astral  作者: やくも
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第二十八話:箱の中身


 その日の夜、彼方はテトラと共に家を出て、とりあえずの落ち合い場所である駅の東側へやってきた。

「どうやらもう揃っているようだな」

 テトラが口にし、彼方が遠目から眺めてみると、確かにそこにはすでに二つの人影があった。

 近づくにつれ、そのシルエットが街灯の明かりによって浮かび上がる。

 間違いなく泉水と藍瀬である。

「どもども、こんばんはー。来てくれて嬉しいよー」

「……なぁ、いっつもこんなテンションなのか?」

 彼方は藍瀬の足元に佇むレイヤに問いかける。

「日常茶飯事よ。残念だけど、更正できる可能性はゼロに等しいわね」

「……お前も大変なんだな、色々と」

「……人間に同情される日が来るなんて、夢にも思わなかったけど……素直に受け取っておくわ」

「あれ? レイヤったら、もう彼方君と仲良しなワケー? 私嫉妬しちゃうぞー?」

「…………」

「ところで、そろそろ本題に入ってもいいでしょうか?」

 泉水の一言で、ようやく彼方達は場の空気を入れ替えることになる。

「もっとも、本題と言うのはすでに昨夜のうちに藍瀬さんから話があったように、この街に逃げ込んだであろう脱走者を捕まえるということでいいんですよね?」

 確認を取るため、泉水はレイヤに話しかける。

「ええ。とはいっても、夜になれば動き出すという保障は何もないのだけれどね。ナキガラならそうかもしれないけど、脱走者はあくまでも人間で、なおかつ魔術師だから」

「だったら、夜に集まる理由がなさそうじゃないか?」

「それはそうだけど、昼間はあなた達にも自分の生活や仕事があるでしょう? さすがにそれを無視させてまで協力を強制はできないわよ。こっちは頼んでる側なのだから」

「まぁ、そりゃそうか……」

「一応、昼間は私と藍瀬であちこち探して回ってはいるのだけど……」

「現時点ではそれらしい手がかりはない、そういうことですか」

「残念だけど、その通りね」


「話していても何も始まらないだろう。やることは分かっているのだ、少しでも行動すべきではないか?」

「天赫のに同意だな。もっとも、できればもう少し詳しく脱走者の特徴などを聞いておきたいところだが……」

「それ以前に、まず名前は何て言うんだよ? まだ聞いてないよな」

「そうだったわね。まずはその辺りから説明しておかないと、話にならなかったわ」

 一呼吸置いて、レイヤは続ける。

「脱走者の名前はシュナイダー・メルクラフト。年齢は二十六歳で、性別は男。身長が大体百八十センチ前後で、体格は中肉中背といったところかしら。髪の色は茶色で、長さは短め。外見的な容姿はこんなものだけど……」

「特徴として、左の手首にだけいつも黒いリストバンドをしているわ。あと、参考になるかは分からないけど、脱走時の服装は紺色のスーツ一式を身にまとっているような感じ。他には……そうね、アイツは何か考え事をするときに限って、氷砂糖を口にするんだけど、それを

なめ終わる前に必ず歯で砕いてその辺に吐き捨てるのよね。食べ物の好みは辛党のクセしてさ、頭の回転をよくするには甘いものが必要だとか、大人になった今でもおまじないみたいに信じ切ってるのよね」

 と、藍瀬がいきなり饒舌になったように喋りだした。

 初めて出会ったイメージとどこかかけ離れたその様子に、彼方達はわずかに目を丸くする。

「ずいぶんと細かい部分まで知っているのですね。友人か何かだったのですか?」

「……え? ああ、そんなんじゃないわよー。まぁ、腐れ縁くらいの付き合いはあったかもしれないけどねー」

「…………」

 そんな風に軽く笑い飛ばす藍瀬を、レイヤは曖昧な表情で見上げていた。

「ま、とにかくそんなヤツでさー。昨日も言ったけど、逃げ隠れに関してはホンットに天才的なヤツだから、正面から遭遇したとしてもまずトンズラこかれちゃうのよねー」

「それじゃ、どうしようもないじゃないか」

「いやいや、そうでもないのよー。確かに私かレイヤがバッタリ遭遇しちゃえば、そりゃ一目散に逃げ出すだろうけどー」

「……顔の割れていない私達なら、接近しても不審に思われることはない。そういうことですか」

「そうそう、そういうことー」

「どちらにせよ、まずはそのシュナイダーという男を見つけることから始めなくてはならないのだろう? しかしそうなると、些か厄介だ

な」

「うむ。夜ならば頭数も多くなるが、シュナイダーという男も動きが目立つ夜中に動くとは考えにくい。かといって昼間では、藍瀬とレイヤしか動けない。だが、顔が割れているから見つけたとしても逃げ切られる。それ以前に、どこか一ヶ所に留まって潜伏し続ける方が安全の度合いは格段に増すことくらい、相手も気づくだろう。相手も魔術師ならば、町の取り囲む結界がどのくらいの時間で効力を失うかくらいは分かるはずだ。篭城され続けてはキリがないぞ」

「そこが一番のネックなのよね。こんなことになるのなら、追跡の呪文を使っておくべきだったわ……」

 やや後悔じみた言葉でレイヤが言う。


「無理もないわよー。だって、まさかアイツがこんな大それたことをしでかすなんて、協会の人間の誰も想像もできなかったはずだしー」

「……まぁ、過ぎたことをどう言っても仕方ないです。とりあえず、現時点でできることからやっていきましょう。こうして集まったのだから、何もしないで手をこまねいているというのはバカらしいでしょう?」

「それもそうだよな。それじゃ、いつものように見回りを兼ねて探してみるか」

「よろしくお願いします。私は今夜中に、残りの後始末を済ませてきますので、今夜はお手伝いできそうにもないですが……」

「ああ、そっか。だったら、このカードはお前に貸しておくよ」

 彼方はドレインダガーのカードを取り出し、泉水に手渡す。

「すいません、助かります。アルタミラ、あなたは一条君達と一緒に行動してください。夜の中ならば、あなたの目は役に立つはずです」

「主の頼みとあらば、引き受けよう」

「では、私は先に行かせてもらいます。何かあったら……アルタミラ、私に連絡を」

「うむ」

 言い終えて、泉水は町の反対側に向けて走り出した。

 補助術式の後始末の方は任せておいて大丈夫だろう。

「さて、それじゃ俺達も行こう」

「そうね、手分けして探しましょう。私が藍瀬と行くから、あなた達は別のところを」

「ああ、分かった。アルタミラは、空から街を見回ってもらっていいか?」

「ふむ、まぁ妥当な役回りだな。いいだろう」

 言って、アルタミラは一足早く夜空の中に溶け込んでいく。

「じゃ、俺達は向こうを探すから、こっちは頼んだ。行こう、テトラ」

「うむ」

「とりあえず一時間後に、またこの場所で落ち合いましょう」

「分かった」

 藍瀬達と別れ、彼方とテトラは大通りに面した道の上を進んでいった。

 その背中を見送ってから、レイヤは藍瀬に向けて口を開く。


「……大丈夫?」

「……ん? 何が?」

「……藍瀬」

「……ああ、平気平気。万事オッケーだってば。こう見えても、私ってば協会一の実力の持ち主なんだから」

「…………」

「大丈夫だよ、大丈夫。任務は任務なんだから、余計な私情は挟まない。この任務を自分から進んで請け負ったときから、ちゃんと心は決まってたんだから。今更それを心変わりなんてしないわよ」

「……そう。なら、いいのだけど……」

 レイヤの言葉はどこか尾を引くような感じだった。

 言いたいこと全部を言い切れていないような、そんな余韻を残す。

「さてと、私達も行こうかー。せっかく快く協力してくれる仲間がいるんだから、やらなきゃ損ってもんでしょー」

 腕を軽く回し、藍瀬はやる気十分といった感じで意気込む。

 しかしレイヤは、その姿を真っ直ぐに見つめることができなかった。

 そんなレイヤの様子には気づかずか、あるいは気づいていながら気づかないフリをしていただけなのか。

 藍瀬は一足先に歩き出す。

 レイヤは今すぐにでも吐き出してしまいたいその言葉を、必死で呑み込んだ。

 余計なことを言う必要はない。

 マスターがやると決めてそう動いているのなら、使い魔である自分はその意向に従うべきだ。

 そう自分に言い聞かせて、レイヤは藍瀬の背中を追いかけた。

 曖昧すぎる感情を、胸の中に無理矢理押し殺して。




「……とは言ったものの」

 彼方は歩きながら口を開く。

「そんなに都合よく遭遇するわけないよな、常識的に考えて……」

 まぁ、当然といえば当然の意見だった。

 坂上市はそれほど大きな街というわけでもないが、かといって小さいというわけでもない。

 具体的な数字を挙げるのならば、人口はおよそ五万二千人ほどである。

 もっとも、これは彼方の記憶では一年前の数字なので、現在では多少の変化は起こっているかもしれないが。

 だとしても、短銃計算でシュナイダーに遭遇する可能性は五万二千分の一しかない。

 いや、それどころか、テトラが言っていたようにどこかに隠れ潜み続けているのだとすると、そもそも遭遇する機会さえ失われていることになってしまう。

 これはつまり、互いに探し逃げ回っている鬼ごっこの状態というよりも、隠れているのを見つけるかくれんぼに近い。

 となると、ますますそれは絶望的になってくる。

 まず、かくれんぼのフィールドである坂上市全体というのがあまりにも広すぎる。

 そこらの公園でやっているものとはスケールが違いすぎるのだ。

 さらに、この場合だと建物の一つ一つはもちろんのこと、マンションやアパート、団地などの部屋の一つずつも隠れ場所の候補になってしまうわけで、さらに言うなら下水道などの通常では考えられないような地形の場所も候補に考えなくてはいけなくなる。

 というより、隠れるのならむしろそういった人目につかない場所を選ぶのが普通だろう。

「確かに、これは思った以上に厄介だな。追う者と追われる者とでは、追われる者の方が不利な場合が多いのだが、今の時点では我々を含めても手数が少ない。すでにどこかで潜伏していようものなら、わざわざそこから出てくる可能性は低いだろう」

「だよな……」

 考えれば考えるほど絶望的だった。

 いくら外見的な人相の手がかりがあっても、遭遇できないのでは全く意味がない。

 顔の割れていない犯罪者を、どうやって指名手配に指定できようか。

「まぁ、愚痴っても仕方ないな。乗りかかった船だし」

「うむ。どの道、そんな危険人物をおいそれと野放しにしておくわけにもいかないだろう。この一週間の間に何としてでも見つけ出し、捕えておかなくては……」


「……あ、そうだ。ちょっと聞きたいんだけどさ」

「む?」

「昨日、レイヤが言ってただろ? シュナイダーってのは、協会から教典を奪って脱走したんだって」

「うむ」

「その教典って、どんなものなんだ? 聖書みたいなやつなのか? とはいっても、聖書の実物さえ見たことないけど」

「知識としての捉え方は間違ってはいない。だが、魔術協会に安置されていた教典となると、確かに問題だ」

「どういうことだ?」

「魔術の世界における教典とは、ただの書物というわけではない。確かにそれは見た目の中身も一冊の本であることには変わりないのだが、その内容が問題なのだ」

「やっぱりあれなのか? 見られちゃまずい情報とか、そういうのが記されてたりするのか?」

「いや、教典そのものの役割は、本来ならば今の時代で言う教科書と大差はない。隠すというよりも、むしろ教えを広めるためのものだ。だが、中にはいくつかの例外があるのだ。それは今彼方が言ったように、知られてはまずいこと……禁忌と呼ばれるものを書き記したようなものも一つだ。だがそれ以外に、別の意味で悪用されるととんでもないことになる情報が記されているものもある」

「……とんでもないこと?」

「そうだ。そしてそれは、教典に記されたその時点では全く影響力を持たないものでもある」

「……ちょっと待ってくれ。どういうことだ? 記されてるだけで影響力がないなら、ぶっちゃけ盗み出されたところでどうってことは」

「ああ。盗み出されたこと自体は全く問題はないだろう。だがそれが、やがて問題となってしまうのだ」

「やがて、問題になる……?」

 彼方はワケが分からない。

 罪だけど罪にならない、けどそれはれっきとした犯罪です。

 何だかそんな言葉を聞かされているような感じだった。

「……つまり、どういうことなんだ? 全然分かんないんだが」

「……彼方、一つ聞こう」

「ん?」

「今この場に、一つの箱があるとする。大きさや色などは好きなものを想像して構わない」

「……ああ」

 言われ、彼方はイメージを思い浮かべる。

「その箱を開けずに、箱の中身が何であるかを知ることができると思うか? ただし、箱は透明ではなく、いかなる方法を用いても内部を透かして見ることはできないとしてだ。もちろん、破壊したり燃やしたりという行為も禁止とする」

「……それは」


 彼方は考える。

 密封され、中に何が入っているか分からない箱が一つ。

 それを開けずに中身が何であるかを知る。

 もしもそんなことができれば、間違いなくそれは超能力か何かの類だと思わせることができそうだが……。

「……いや、さすがに無理じゃないか?」

「では、彼方ならどうやって中身を確認する?」

「どうって……そりゃ、実際に箱を開けて見ないとどうにも……」

 そこまで言いかけて、彼方はふと気づく。

「……おいおい、まさか……そういうことなのか?」

「気づいたか? ならば、どれだけ危険なことかも分かるだろう。教典とはつまり、そういうものなのだ」

「……中身は開けるまで分からない。そして、盗み出されたこと自体は何の問題もない。ただ一つ、問題なのは」

「そうだ」

 テトラは歩く足を止め、彼方に振り返って告げる。


 「――教典に記された魔術は、過去に一度として実際に使用されたことのない……全て理論上のものばかりなのだ」


「……そして、実際にどういう結果が出るのか分からないから、危険度も未知数。本当の意味で、どうなるか分からない」

 そんな物騒極まりないものが、今、この街のどこかにある。

 そして、それを持ち出した脱走者を捕らえるチャンスはあと一週間……いや、昨日から数えればあと六日。

 それは、希望の数字なのか。

 それとも、絶望の数字なのか。

 夜は無言で、静かに彼方達を包み込むだけだった。



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